夏目漱石

それから

이윤진이카루스 2015. 3. 24. 13:44


 だれあはたゞしく門前もんぜんけて行く足音あしおとがした時、代助だいすけあたまなかには、大きな俎下駄まないたげたくうから、ぶらさがつてゐた。けれども、そのまないた下駄は、足音あしおと遠退とほのくに従つて、すうとあたまからして消えて仕舞つた。さうしてが覚めた。
 枕元まくらもとを見ると、八重の椿つばき一輪いちりんたゝみの上に落ちてゐる。代助だいすけ昨夕ゆふべとこなかで慥かに此花の落ちるおとを聞いた。彼の耳には、それが護謨毬ごむまりを天井裏から投げ付けた程に響いた。夜がけて、四隣あたりが静かな所為せゐかとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、あばらのはづれにたゞしくあたおとたしかめながらねむりに就いた。
 ぼんやりして、少時しばらく、赤ん坊のあたま程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手をてゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸のみやくいて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いてたしかに打つてゐた。彼は胸に手をてた儘、此鼓動の下に、あたたかいくれなゐの血潮の緩く流れるさまを想像して見た。是がいのちであると考へた。自分は今流れるいのちてのひらで抑へてゐるんだと考へた。それから、此てのひらこたへる、時計の針に似たひゞきは、自分をいざなふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしにきてゐられたなら、――血をふくろが、ときふくろの用を兼ねなかつたなら、如何いかに自分は気楽だらう。如何に自分は絶対にせいを味はひ得るだらう。けれども――代助だいすけは覚えずぞつとした。彼は血潮ちしほによつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、きたがる男である。彼は時々とき/″\ながら、左のちゝしたに手を置いて、もし、此所こゝ鉄槌かなづちで一つどやされたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。
 彼は心臓から手を放して、枕元の新聞を取り上げた。夜具のなかから両手をして、大きく左右にひらくと、左側ひだりがはに男が女をつてゐる絵があつた。彼はすぐほかページを移した。其所そこには学校騒動が大きな活字で出てゐる。代助は、しばらく、それを読んでゐたが、やがて、惓怠だるさうな手から、はたりと新聞を夜具のうへに落した。夫から烟草を一本かしながら、五寸許り布団をり出して、畳の上の椿つばきを取つて、引つかへして、鼻の先へつてた。くち口髭くちひげと鼻の大部分が全くかくれた。烟りは椿つばきはなびらずいからまつてたゞよふ程濃く出た。それをしろ敷布しきふうへに置くと、立ちがつて風呂場ふろばへ行つた。
 其所そこ叮嚀ていねいみがいた。かれ歯並はならびいのを常に嬉しく思つてゐる。はだいで綺麗きれいむね摩擦まさつした。かれ皮膚ひふにはこまやかな一種の光沢つやがある。香油をり込んだあとを、よく拭きつた様に、かたうごかしたり、うでげたりするたびに、局所きよくしよ脂肪しぼううすみなぎつて見える。かれはそれにも満足である。次に黒いかみけた。あぶらけないでも面白い程自由になる。ひげかみ同様にほそく且つ初々うい/\しく、くちうへを品よく蔽ふてゐる。代助だいすけは其ふつくらしたほゝを、両手で両三度撫でながら、鏡のまへにわがかほうつしてゐた。丸でをんな御白粉おしろいける時の手付てつきと一般であつた。実際彼は必要があれば、御白粉おしろいさへけかねぬ程に、肉体にほこりを置く人である。彼の尤も嫌ふのは羅漢の様な骨骼と相好さうごうで、鏡に向ふたんびに、あんな顔にうまれなくつて、まあかつたと思ふ位である。其代り人から御洒落おしやれと云はれても、何の苦痛も感じ得ない。それ程彼は旧時代の日本を乗り超えてゐる。


 やく三十分ののち彼は食卓に就いた。あつい紅茶をすゝりながら焼麺麭やきぱん牛酪バタを付けてゐると、門野かどのと云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団のわきへ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助をつらまへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男にかぎつて、平気に先生としてとほしてゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。
「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭ぱんつて居た。
「だつて痛快ぢやありませんか」
「校長排斥がですか」
「えゝ、到底辞職もんでせう」とうれしがつてゐる。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かることでもあるんですか」
「冗談云つちや不可いけません。さう損得そんとくづくで、痛快がられやしません」
 代助は矢つ張り麺麭ぱんつてゐた。
「君、あれは本当に校長がにくらしくつて排斥するのか、ほか損得そんとく問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗のなかした。
「知りませんな。なんですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、とくにならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様そんなもんですかな」と門野かどのは稍真面目まじめな顔をした。代助はそれぎりだまつて仕舞つた。門野かどのは是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様そんなもんですかなで押し通してましてゐる。此方こちらの云ふことがこたへるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所そこが漠然として、刺激がらなくつていと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日いつにちごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野かどの何時いつでも、左様さうでせうか、とか、左様そんなもんでせうか、とかこたへる丈である。決してませうといふ事はくちにしない。又かう、怠惰なまけものでは、さう判然はつきりしたこたへが出来ないのである。代助の方でも、門野かどのを教育しにうまれてた訳でもないから、好加減いゝかげんにしてほうつて置く。さいはあたまちがつて、身体からだの方は善くうごくので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野かどのの御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野かどのとは頗るなかい。主人の留守などには、よく二人ふたりで話をする。
「先生は一体いつたいなにる気なんだらうね。小母おばさん」
「あのくらゐになつて入らつしやれば、なんでも出来できますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。なにたらささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探おさがしなさる御積りなんでせうよ」
「いゝつもりだなあ。僕も、あんな風に一日いちんちほんを読んだり、音楽を聞きに行つたりしてくらして居たいな」
御前おまへさんが?」
ほんは読まんでもいがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」
それはみんな、前世ぜんせからの約束だから仕方がない」
左様そんなものかな」
 まづ斯う云ふ調子である。門野かどのが代助の所へ引き移る二週かん前には、此若い独身の主人と、此食客ゐさうらふとの間に下の様な会話があつた。


「君は何方どつかの学校へ行つてるんですか」
「もとは行きましたがな。今はめちまいました」
「もと、何処どこへ行つたんです」
何処どこつて方々ほう/″\行きました。然しどうもきつぽいもんだから」
「ぢきいやになるんですか」
「まあ、左様さうですな」
「で、たいして勉強する考もないんですか」
「えゝ、一寸ちよつと有りませんな。それに近頃うちの都合が、あんまりくないもんですから」
うちばあさんは、あなたの御母おつかさんを知つてるんだつてね」
「えゝ、もと、ぢき近所に居たもんですから」
御母おつかさんは矢っ張り……」
「矢っ張りつまらない内職をしてゐるんですが、どうも近頃ちかごろは不景気で、あんまりくない様です」
くない様ですつて、君、一所いつしよに居るんぢやないですか」
一所いつしよに居ることは居ますが、つい面倒だからいたこともありません。何でもくこぼしてる様です」
にいさんは」
あには郵便局の方へ出てゐます」
うちそれ丈ですか」
「まだ弟がゐます。是は銀行の――まあ小使こづかひに少し毛の生えた位な所なんでせう」
「するとあすんでるのは、君許りぢやないか」
「まあ、左様そんなもんですな」
「それで、うちにゐるときは、何をしてゐるんです」
「まあ、大抵てゐますな。でなければ散歩でもますかな」
ほかのものが、みんなかせいでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」
「いえ、左様さうでもありませんな」
「家庭がつ程円満なんですか」
「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
「だつて、御母おつかさんやにいさんから云つたら、一日いちにちも早く君に独立してもらひたいでせうがね」
左様さうかも知れませんな」
「君は余つ程気楽な性分しやうぶんと見える。それが本当の所なんですか」
「えゝ、別にうそく料簡もありませんな」
「ぢや全くの呑気のんき屋なんだね」
「えゝ、まあ呑気のんき屋つて云ふもんでせうか」
にいさんは何歳いくつになるんです」
うつと、取つてろくになりますか」
「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。にいさんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時につて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、なにしろ、どうかるだらうと思つてます」
其外そのほかに親類はないんですか」
叔母おば一人ひとりありますがな。こいつは今、はまで運漕業をやつてます」
叔母おばさんが?」
叔母おばつてる訳でもないんでせうが、まあ叔父おぢですな」
其所そこへでもたのんで使つてもらつちや、どうです。運漕業なら大分ひとるでせう」
「根が怠惰なまけもんですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」
「さう自任してゐちや困る。実は君の御母おつかさんが、うちの婆さんに頼んで、君を僕のうちへ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」
「えゝ、何だかそんな事を云つてました」
「君自身は、一体どう云ふ気なんです」
「えゝ、成るべくなまけない様にして……」
うちる方がいんですか」
「まあ、左様さうですな」
「然し寐て散歩する丈ぢや困る」
「そりや大丈夫です。身体からだの方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」
「風呂は水道があるから汲まないでもい」
「ぢや、掃除でもしませう」
 門野かどのは斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである。


 代助はやがて食事を済まして、烟草をかし出した。今迄茶箪笥だんすかげに、ぽつねんとひざかゝへて柱にかゝつてゐた門野かどのは、もうい時分だと思つて、又主人に質問をけた。
「先生、今朝けさは心臓の具合はどうですか」
 此間このあひだから代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
今日けふはまだ大丈夫だ」
「何だか明日あしたにもあやしくなりさうですな。どうも先生見た様に身体からだを気にしちや、――仕舞には本当の病気にかれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
 門野かどのたゞへえゝと云つたぎり、代助の光沢つや顔色かほいろにくゆたかな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時いつでも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年のあたまは、うし脳味噌のうみそで一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。はなしをすると、平民のとほる大通りを半町位しかいてない。たまに横町へでもまがると、すぐ迷児まいごになつて仕舞ふ。論理の地盤をたてに切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。かれの神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄あらなはで組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何のために呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかもこののらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞ふるまひたがる。其上頑強一点張りの肉体をかさて、却つて主人の神経的な局所へ肉薄してる。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつたむくひに受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分にれた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野かどのにはそんな事は丸で分らない。
門野かどのさん、郵便はなかつたかね」
「郵便ですか。うつと。てゐました。端書はがきと封書が。机の上に置きました。持つてますか」
「いや、僕が彼方あつちへ行つてもい」
 歯切はぎれのわるい返事なので、門野かどのはもう立つて仕舞つた。さうして端書はがきと郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日あす午前ひたし、と薄墨うすずみはしがきの簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋やどや平岡常ひらをかつね次郎といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もうたのか、昨日きのふいたんだな」とひとごとの様に云ひながら、封書の方を取りげると、是は親爺おやぢ手蹟である。二三日前帰つてた。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙がいたら来てくれろといて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。うちへ」
「はあ、御宅おたくへ。なんけます」
今日けふは約束があつて、あはせる人があるからがれないつて。明日あした明後日あさつて屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方どなたに」
親爺おやぢが旅行から帰つてて、話があるから一寸ちよつといつて云ふんだが、――なに親爺おやぢび出さないでもいから、だれにでも左様さう云つてれ給へ」
「はあ」
 門野かどのは無雑作にて行つた。代助は茶のから、座敷をとほつて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除さうじが出来てゐる。落椿おちつばき何所どこかへき出されて仕舞つた。代助は花瓶くわへい右手みぎてにあるかさねの書棚しよだなまへへ行つて、うへに載せた重い写真帖を取りげて、ちながら、きん留金とめがねはづして、一枚二枚とり始めたが、中頃迄てぴたりとめた。其所そこには廿歳はたち位の女の半身はんしんがある。代助はを俯せてじつと女の顔を見詰めてゐた。


 着物きものでも着換きかへて、此方こつちから平岡ひらをか宿やどたづね様かと思つてゐる所へ、折よく先方むかふからつてた。くるまをがら/\と門前迄乗り付けて、此所こゝだ/\とかぢ棒をおろさした声はたしかに三年前わかれた時そつくりである。玄関で、取次とりつぎの婆さんをつらまへて、宿やど蟇口がまぐちを忘れてたから、一寸ちよつと二十銭借してくれと云つた所などは、どうしても学校時代の平岡を思ひ出さずにはゐられない。代助は玄関迄け出して行つて、手をらぬ許りに旧友を座敷へげた。
うした。まあゆつくりするがい」
「おや、椅子いすだね」と云ひながら平岡は安楽椅子いすへ、どさりと身体からだけた。十五貫目以上もあらうと云ふわがにくに、三文の価値ねうちを置いてゐない様なあつかひかたに見えた。それから椅子いす坊主頭ぼうずあたまたして、一寸ちよつと部屋のうちを見廻しながら、
中々なか/\うちだね。思つたよりい」とめた。代助はだまつて巻莨入まきたばこいれふたけた。
「それから、以後いごうだい」
うの、うのつて、――まあ色々いろ/\話すがね」
「もとは、よく手紙がたから、様子がわかつたが、近頃ぢやちつともよこさないもんだから」
「いや何所どこ彼所かしこも御無沙汰で」と平岡は突然とつぜん眼鏡めがねはづして、脊広の胸から皺だらけの手帛ハンケチを出して、をぱち/\させながらき始めた。学校時代からの近眼である。代助はじつと其様子を眺めてゐた。
「僕より君はどうだい」と云ひながら、ほそつるみゝうしろからみつけに、両手で持つて行つた。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番いな。あんまり相変るものだから」
 そこで平岡ひらをかはちせて、庭の模様を眺めしたが、不意に語調をへて、
「やあ、さくらがある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違ふ」と云つた。話の具合が何だかもとの様にしんみりしない。代助も少し気のけた風に、
「向ふは大分あつたかいだらう」とついで同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法ぐわいねつした具合で、
「うん、大分暖かい」と力の這入つた返事があつた。恰も自己の存在を急に意識して、はつと思つた調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨まきたばこに火をけた。其時婆さんが漸く急須きうすに茶をれて持つて出た。今しがた鉄瓶にみづして仕舞つたので、煮立にたてるのにひまが入つて、ついおそくなつてみませんと言訳をしながら、洋卓テーブルうへぼんを載せた。二人ふたりばあさんの喋舌しやべつてるあひだ、紫檀のぼんだまつてゐた。婆さんは相手にされないので、ひとりで愛想笑ひをして座敷をた。
「ありやなんだい」
ばあさんさ。やとつたんだ。めしはなくつちやならないから」
「御世辞がいね」
 代助は赤いくちびるの両はしを、少しゆみなりにしたの方へげてさげすむ様に笑つた。
「今迄斯んな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君のうちからだれれて呉ればいのに。大勢おほぜいゐるだらう」
「みんなわかいの許りでね」と代助は真面目まじめに答へた。平岡は此時始めて声を出して笑つた。
わかけりや猶結構ぢやないか」
「兎に角うちやつくないよ」
「あのばあさんのほかだれかゐるのかい」
「書生が一人ひとりゐる」
 門野かどの何時いつにか帰つて、台所だいどころの方で婆さんとはなしをしてゐた。
「それりかい」
「それりだ。何故なぜ
「細君はまだもらはないのかい」
 代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になつた。
さいを貰つたら、君の所へ通知ぐらゐする筈ぢやないか。それよりか君の」と云ひかけて、ぴたりと已めた。


 代助と平岡とは中学時代からの知り合で、殊に学校を卒業してのち、一年間といふものは、殆んど兄弟の様に親しく往来した。其時分は互に凡てを打ち明けて、互にちからふ様なことを云ふのが、互に娯楽の尤もなるものであつた。この娯楽が変じて実行となつた事も少なくないので、彼等は双互の為めにくちにした凡ての言葉には、娯楽どころか、常に一種の犠牲を含んでゐると確信してゐた。さうして其犠牲を即座に払へば、娯楽の性質が、忽然苦痛に変ずるものであると云ふ陳腐な事実にさへ気が付かずにゐた。一年の後平岡は結婚した。同時に、自分のつとめてゐる銀行の、京坂地方のある支店詰になつた。代助は、出立しつたつの当時、新夫婦を新橋の停車場に送つて、愉快さうに、ぢき帰つて来給きたまへと平岡の手を握つた。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣る様に云つたが、其眼鏡めがねの裏には得意の色が羨ましい位動いた。それを見た時、代助は急に此友達を憎らしく思つた。うちへ帰つて、一日いちにち部屋に這入つたなり考へ込んでゐた。あによめを連れて音楽会へ行くはづの所を断わつて、大いにあによめに気を揉ました位である。
 平岡からは断えず音信たよりがあつた。安着の端書はがき、向ふで世帯を持つた報知、それが済むと、支店勤務の模様、自己将来の希望、色々あつた。手紙のるたびに、代助は何時いつも丁寧な返事を出した。不思議な事に、代助が返事をくときは、何時いつでも一種の不安に襲はれる。たまには我慢するのがいやになつて、途中で返事を已めて仕舞ふ事がある。たゞ平岡の方から、自分の過去の行為に対して、幾分か感謝の意を表してる場合に限つて、安々やす/\と筆が動いて、比較的なだらかな返事が書けた。
 そのうち段々手紙のり取りが疎遠になつて、月に二遍が、一遍になり、一遍が又ふた月、月に跨がる様にあひだいてると、今度は手紙をかない方が、却つて不安になつて、何の意味もないのに、只この感じを駆逐するために封筒ののり湿しめす事があつた。それが半年ばかり続くうちに、代助のあたまむねも段々組織が変つてる様に感ぜられてた。此変化にともなつて、平岡へは手紙をいてもかなくつても、丸で苦痛を覚えない様になつて仕舞つた。げんに代助が一戸を構へて以来、約一年余と云ふものは、此春このはる年賀状の交換のとき、序を以て、今の住所を知らした丈である。
 それでも、ある事情があつて、平岡の事は丸で忘れる訳には行かなかつた。時々とき/″\思ひす。さうして今頃はうしてくらしてゐるだらうと、色々に想像して見る事がある。然したゞ思ひ出す丈で、別段問ひ合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日迄すごしてた所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。其手紙には近々当地を引きげて、御地へまかり越す積りである。但し本店からの命令で、栄転の意味を含んだ他動的の進退と思つてくれては困る。少し考があつて、急に職業替をする気になつたから、着京の上は何分なにぶん宜しくたのむとあつた。此何分宜しくたのむのたのむは本当の意味のたのむか、又は単に辞令上のたのむか不明だけれども、平岡の一身上に急劇な変化のあつたのは争ふべからざる事実である。代助は其時はつと思つた。
 それで、ふや否や此変動の一部始終を聞かうと待設けて居たのだが、不幸にして話がれて容易に其所そこもどつてない。折を見て此方こつちから持ち掛けると、まあつくり話すとか何とか云つて、中々なか/\らちけない。代助は仕方しかたなしに、仕舞に、
ひさりだから、其所そこいらでめしでも食はう」と云ひ出した。平岡は、それでも、まだ、いづゆつくりを繰返したがるのを、無理に引張つて、近所の西洋料理へあがつた。


 両人ふたり其所そこ大分だいぶんだ。ことふ事はむかしの通りだねとつたのがはじまりで、こわした段々だんだんゆるんでた。代助は面白さうに、二三日まへ自分のに行つた、ニコライの復活祭の話をした。御祭おまつりの十二時を相図に、世の中の寐鎮ねしづまる頃を見計みはからつてはじまる。参詣さんけい人が長い廊下をまはつて本堂へ帰つてると、何時いつにか幾千本いくせんぼんの蝋燭が一度いちどいてゐる。法衣ころもた坊主が行列して向ふを通るときに、くろかげが、無地むぢかべへ非常に大きくうつる。――平岡は頬杖をいて、眼鏡めがねの奥の二重瞼ふたへまぶちを赤くしながら聞いてゐた。代助はそれから夜の二時頃ひろ御成おなり街道をとほつて、深夜しんや鉄軌レールが、くらなか真直まつすぐわたつてゐるうへを、たつた一人ひとり上野うへのもりて、さうして電燈に照らされたはななか這入はいつた。
人気ひとけのない夜桜よざくらいもんだよ」と云つた。平岡はだまつてさかづきしたが、一寸ちよつと気の毒さうに口元くちもとうごかして、
いだらう、僕はまだ見た事がないが。――然し、そんな真似まね出来できあひだはまだ気楽なんだよ。世のなかると、中々なか/\それどころぢやない」と暗に相手の無経験を上から見た様な事を云つた。代助には其調子よりも其返事の内容が不合理に感ぜられた。彼は生活上世渡りの経験よりも、復活祭当夜の経験の方が、人生に於て有意義なものと考へてゐる。其所そこでこんな答をした。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛がある丈ぢやないか」
 平岡は酔つたを心持大きくした。
大分だいぶ考へがちがつてた様だね。――けれども其苦痛があとからくすりになるんだつて、もとは君の持説ぢやなかつたか」
「そりや不見識な青年が、流俗のことわざに降参して、好加減な事を云つてゐた時分の持説だ。もう、とつくに撤回しちまつた」
「だつて、君だつて、もう大抵世のなかなくつちやなるまい。其時それぢや困るよ」
「世のなかへはむかしからてゐるさ。ことに君とわかれてから、大変世の中がひろくなつた様な気がする。たゞ君のてゐるなかとは種類がちがふ丈だ」
「そんな事を云つて威張つたつて、今に降参する丈だよ」
「無論食ふに困る様になれば、何時いつでも降参するさ。然し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験をめるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの」
 平岡の眉のあひだに、一寸ちよつと不快の色がひらめいた。赤いを据ゑてぷか/\烟草たばこを吹かしてゐる。代助は、ちと云ひ過ぎたと思つて、すこし調子をおだやかにした。――
「僕の知つたものに、丸で音楽のわからないものがある。学校の教師をして、一軒ぢやめしへないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやつてゐるが、そりや気の毒なもんで、下読したよみをするのと、教場へて器械的にくちうごかしてゐるより外に全くひまがない。たまの日曜抔は骨休めとか号して一日ぐう/\寐てゐる。だから何所どこに音楽会があらうと、どんな名人が外国からやうときゝに行く機会がない。つまりがくといふ一種の美くしい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞はなくつちやならない。僕から云はせると、是程憐れな無経験はないと思ふ。麺麭ぱんに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭ぱんを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊っちやんだと考へてるらしいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者の積りだ」
 平岡は巻莨まきたばこの灰を、さらうへにはたきながら、しづんだくらい調子で、
「うん、何時いつ迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」と云つた。其おもい言葉のあしが、とみに対する一種の呪咀をつてゐる様にきこえた。


 両人ふたりつて、戸外おもてた。さけの勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。
すこあるかないか」と代助がさそつた。平岡もくちいそがしくはないと見えて、生返事なまへんじをしながら、一所にはこんでた。とほりまがつて横町へて、成るく、はなし為好しいしづかな場所を撰んで行くうちに、何時いつ緒口いとくちいて、思ふあたりへ談柄だんぺいが落ちた。
 平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用にあたまなかに入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時いつも取り合はなかつた。[#濁点付き小書き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌がわるい。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何もわかつて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのがこわいからの様に思はれた。其所そこに平岡の癪はあつた。衝突しかけたこと一度いちど二度にどではない。
 けれども、時日じじつを経過するに従つて、肝癪が何時いつとなく薄らいできて、次第に自分のあたまが、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様につとめた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つてた。時々とき/″\は向ふから相談をかける事さへある。すると学校をたての平岡でないから、先方むかふわからない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。
「無暗に御世辞を使つたり、胡麻をるのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目まじめな顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。
 支店長は平岡の未来みらいの事に就て、色々いろ/\心配してくれた。近いうちに本店に帰る番にあたつてゐるから、其時そのときは一所に給へなどと冗談半分に約束迄した。其頃そのころ事務じむにもれるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をするひまが自然となくなつて、又勉強が却つて実務のさまたげをする様に感ぜられてた。
 支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下のせきといふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。ところが此男がある芸妓と関係かゝりあつて、何時いつにか会計に穴をけた。それが曝露ばくろしたので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、ほうつて置くと、支店長に迄多少のわづらひが及んでさうだつたから、其所そこで自分が責を引いて辞職を申した。
 平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、うへになればなる程うまい事が出来できるものでね。実はせきなんて、あれつばかりの金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。
「ぢや支店長は一番うまい事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉をにごして仕舞つた。
「それで其男の使ひ込んだかねうした」
せんらないかねだつたから、僕が出していた」
「よくつたね。君も大分うまい事をしたと見える」
 平岡ひらをかにがい顔をして、ぢろりと代助を見た。
うまことをしたと仮定しても、みんな使つて仕舞つてゐる。生活くらしにさへ足りない位だ。其金はりたんだよ」
「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助はんな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子にはひくあきらかなうちに一種の丸味まるみが出てゐる。
「支店長からりてめて置いた」
何故なぜ支店長がぢかに其せきとか何とか云ふ男に貸してらないのかな」
 平岡ひらをかは何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人ふたりは無言の儘しばらくのあひだならんであるいて行つた。


 代助は平岡ひらをかかたつたよりほかに、まだなにかあるにちがひないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利をつてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nilニル admirariアドミラリ の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚びつくりする程の山出やまだしではなかつた。かれの神経は斯様に陳腐な秘密をいで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界のなかで、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時いつでも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心うぶと見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、あらざらひ自分の弱点をけては、いたづらに馬糞まぐそげて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想あいそかされるよりはだまつてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹がれた。それで平岡が自分に返事もせずに無言むごんあるいて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視こどもしする程度に於て、あるひはれ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視こどもしはじめたのである。けれども両人ふたりが十五六間ぎて、又はなしり出した時は、どちらにも、そんな痕迹はさらになかつた。最初にくちを切つたのは代助であつた。
「それで、これからさきうするつもりかね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業がいかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実はゆつくり君に相談して見様と思つてゐたんだが。うだらう、きみにいさんの会社の方にくちはあるまいか」
「うん、たのんで見様、二三日うちうちへ行く用があるから。然しうかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
それいだらう」
 両人ふたりは又電車の通るとほりた。平岡は向ふからた電車ののきを見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひした。代助はさうかと答へた儘、めもしない、と云つてすぐ分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄あるいてた。そこで、
三千代みちよさんはうした」といた。
「難有う、まあ相変らずだ。君によろしく云つてゐた。実は今日けふれてやうと思つたんだけれども、何だか汽車にれたんであたまわるいといふから宿やど屋へ置いてた」
 電車が二人ふたりの前でまつた。平岡は二三歩早足はやあしに行きかけたが、代助から注意されて已めた。かれの乗るべき車はまだかなかつたのである。
「子供はしい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方がかつた」
「其うだい。まだあとは出来ないか」
「うん、だにも何にも、もう駄目だめだらう。身体からだがあんまりくないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利でいかも知れない」
それもさうさ。一層いつそ君の様に一人身ひとりみなら、猶の事、気楽でいかも知れない」
一人身ひとりみになるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、さいが頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車がた。


 代助だいすけちゝ長井得ながゐとくといつて、御維新のとき、戦争にた経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人をめてから、実業界に這入つて、なにかにかしてゐるうちに、自然と金がたまつて、此十四五年来は大分だいぶんの財産家になつた。
 誠吾せいごと云ふあにがある。学校を卒業してすぐ、ちゝの関係してゐる会社へたので、今では其所そこで重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人ふたり子供こどもが出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹はぬひといつて三つ違である。
 誠吾せいごの外に姉がまだ一人ひとりあるが、是はある外交官に嫁いで、今はおつとと共に西洋にゐる。誠吾せいごと此姉の間にもう一人ひとり、それから此姉と代助の間にも、まだ一人ひとり兄弟があつたけれども、それは二人ふたりとも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
 代助の一家いつけは是丈の人数にんずから出来上できあがつてゐる。そのうちでそとてゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃ちかごろ一戸を構へた代助ばかりだから、本家ほんけには大小合せて四人よつたり残る訳になる。
 代助は月に一度いちどは必ず本家ほんけかねを貰ひに行く。代助はおやかねとも、あにの金ともつかぬものを使つかつて生きてゐる。つきに一度のほかにも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯からかつたり、書生と五目並ごもくならべをしたり、あによめと芝居の評をしたりして帰つてる。
 代助は此あによめいてゐる。此あによめは、天保調と明治の現代調を、容赦なくあはせた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西ふらんすにゐる義妹いもうとに注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物おりものを取寄せて、それを四五人でつて、帯に仕立てゝて見たりなにかする。あとで、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。それから西洋の音楽がきで、よく代助に誘ひ出されてきゝに行く。さうかと思ふと易断うらなひに非常な興味をつてゐる。石龍子せきりうし尾島某おじまなにがしを大いに崇拝する。代助も二三度御相伴しようばんに、くるま易者えきしやもと食付くつついて行つた事がある。
 誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々とき/″\たまげてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年まいとしなつの初めに、多くの焼芋やきいも屋が俄然として氷水こほりみづ屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓アイスクリームふものは誠太郎である。氷菓アイスクリームがないときには、氷水こほりみづで我慢する。さうして得意になつて帰つてる。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番さきへ這入つて見たいと云つてゐる。叔父おぢさんだれか相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
 ぬひといふむすめは、何か云ふと、くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃は※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)イオリンの稽古に行く。帰つてると、のこぎり目立めたての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決してらない。へやつて、きい/\云はせるのだから、おやは可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々とき/″\そつと戸をけるので、くつてよ、知らないわとしかられる。
 あには大抵不在がちである。ことにいそがしい時になると、うちふのは朝食あさめし位なもので、あとは、うしてくらしてゐるのか、二人ふたりの子供には全くわからない。同程度に於て代助にも分らない。是はわからない方がこのましいので、必要のないかぎりは、あにの日々の戸外こぐわい生活に就て決して研究しないのである。
 代助は二人ふたりの子供に大変人望がある。あによめにもなりある。あにには、あるんだか、ないんだかわからない。たまあにおとゝが顔を合せると、たゞ浮世うきよ話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気でつてゐる。陳腐にいた様子である。


 代助のもつとこたへるのは親爺おやぢである。としをして、わかめかけつてゐるが、それはかまはない。代助からふと寧ろ賛成な位なもので、かれめかけを置く余裕のないものにかぎつて、蓄妾ちくしようの攻撃をするんだと考へてゐる。親爺おやぢは又大分だいぶ八釜やかまである。小供のうちは心魂しんこんてつして困却した事がある。しかし成人せいじん今日こんにちでは、それにも別段辟易する必要をみとめない。たゞこたへるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共たいした変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世にしよした時の心掛こゝろがけでもつて、代助もらなくつては、うそだといふ論理になる。尤も代助の方では、なにうそですかと聞き返した事がない。だから決して喧嘩にはならない。代助は小供の頃非常な肝癪持で、十八九の時分親爺おやぢと組打をした事が一二返ある位だが、成長して学校を卒業して、しばらくすると、此肝癪がぱたりとんで仕舞つた。それから以後ついぞおこつたためしがない。親爺おやぢはこれを自分の薫育の効果と信じてひそかにほこつてゐる。
 実際を云ふと親爺おやぢの所謂薫育は、此父子のあひだに纏綿するあたゝかい情味を次第に冷却せしめた丈である。少なくとも代助はさう思つてゐる。所が親爺おやぢの腹のなかでは、それが全く反対あべこべに解釈されて仕舞つた。なにをしやうと血肉けつにく親子おやこである。子がおやに対する天賦の情あひが、子を取扱ふ方法の如何に因つて変るはづがない。教育のめ、少しの無理はしやうとも、其結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺おやぢは、固く斯う信じてゐた。自分が代助に存在を与へたといふ単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考へた親爺おやぢは、その信念をもつて、ぐん/\押して行つた。さうして自分に冷淡な一個の息子むすこを作りげた。尤も代助の卒業前後からは其待遇法も大分変つてて、ある点から云へば、驚ろく程寛大になつた所もある。然しそれは代助がうまれ落ちるや否や、此親爺おやぢが代助に向つて作つたプログラムの一部分の遂行に過ぎないので、代助の心意の変移を見抜いた適宜の処置ではなかつたのである。自分の教育が代助に及ぼした悪結果に至つては、今に至つて全く気が付かずにゐる。
 親爺おやぢは戦争にたのを頗る自慢にする。やゝもすると、御まへ抔はまだ戦争をした事がないから、度胸がすわらなくつて不可いかんと一概にけなして仕舞ふ。恰も度胸が人間にんげん至上な能力であるかの如き言草いひぐさである。代助はこれをかせられるたんびにいやな心持がする。胆力はいのちりのはげしい、親爺おやぢの若い頃の様な野蛮時代にあつてこそ、生存に必要な資格かも知れないが、文明の今日から云へば、古風な弓術撃剣のたぐひと大差はない道具と、代助は心得てゐる。否、胆力とは両立し得ないで、しかも胆力以上に難有がつて然るべき能力が沢山ある様に考へられる。御父おとうさんから又胆力の講釈を聞いた。御父おとうさんの様に云ふと、世のなかで石地蔵が一番えらいことになつて仕舞ふ様だねと云つて、あによめと笑つた事がある。
 斯う云ふ代助は無論臆病である。又臆病で恥づかしいといふ気はしんから起らない。ある場合には臆病を以て自任したくなる位である。子供の時、親爺おやぢの使嗾で、夜中よなかにわざ/\青山あをやまの墓地迄出掛けた事がある。気味のわるいのを我慢して一時間も居たら、たまらなくなつて、蒼青な顔をしてうちへ帰つてた。其折は自分でも残念に思つた。あくるあさ親爺おやぢに笑はれたときは、親爺おやぢにくらしかつた。親爺おやぢの云ふ所によると、かれと同時代の少年は、胆力修養のめ、夜半やはん結束けつそくして、たつた一人ひとり、御しろきた一里にあるつるぎみね天頂てつぺんのぼつて、其所そこの辻堂で夜明よあかしをして、日のおがんでかへつてくる習慣であつたさうだ。今の若いものとは心得かたからして違ふと親爺が批評した。
 斯んな事を真面目まじめくちにした、又今でもくちにしかねまじき親爺おやぢは気の毒なものだと、代助は考へる。彼は地震がきらひである。瞬間の動揺でもむねなみつ。あるときは書斎でじつすはつてゐて、何かの拍子に、あゝ地震が遠くから寄せてるなと感ずる事がある。すると、尻の下にいてゐる坐蒲団も、たゝみも、乃至ゆか板も明らかにふるへる様に思はれる。かれはこれが自分の本来だと信じてゐる。親爺おやぢの如きは、神経未熟みじゆくの野人か、然らずんばおのれをいつはる愚者としか代助には受け取れないのである。


 代助はいまこの親爺おやぢと対坐してゐる。ひさしの長いちいさな部屋なので、ながらにはを見ると、ひさしさきには仕切しきられた様な感がある。すくなくともそらひろく見えない。其代りしづかで、落ち付いて、しりすわり具合がい。
 親爺おやぢきざ烟草たばこかすので、のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々とき/″\灰吹はいふきをぽん/\とたゝく。それが静かなにはへ響いておとがする。代助の方はきん吸口すひくちを四五本手烙てあぶりなかならべた。もうはなからけむを出すのがいやになつたので、腕組うでぐみをして親爺おやぢかほながめてゐる。其かほにはとしの割ににくが多い。それでゐてほゝけてゐる。まゆしたかはたるんで見える。ひげ真白まつしろと云はんよりは、寧ろ黄色きいろである。さうして、はなしをするときに相手あいて膝頭ひざがしらかほとを半々はん/\に見較べるくせがある。其時のうごかしかたで、白眼しろめ一寸ちよつとちらついて、相手あいてに妙な心もちをさせる。
 老人ろうじんいま斯んな事を云つてゐる。――
「さう人間にんげんは自分丈を考へるべきではない。世のなかもある。国家もある。少しはひとためなにかしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持のい筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味がるものだからな」
左様さうです」と代助は答へてゐる。親爺おやぢから説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺おやぢの考は、万事中途半端ちうとはんぱに、或物あるものを独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時いつにか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談くうだんである。それを基礎から打ち崩してかるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべくさはらない様にしてゐる。所が親爺おやぢの方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押してる。そこで代助も已を得ず親爺おやぢといふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。
「それは実業がいやならいやい。何もかねを儲ける丈が日本のためになるとも限るまいから。かねらんでもかまはない。かねために兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。かねは今迄通りおれが補助してる。おれも、もう何時いつぬかわからないし、にやかねを持つて行く訳にもかないし。月々つき/″\御前の生計くらし位どうでもしてやる。だから奮発して何かるがい。国民の義務としてするがい。もう三十だらう」
左様さうです」
「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」
 代助は決してのらくらしてるとは思はない。たゞ職業のためけがされない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺おやぢが斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺おやぢの幼稚な頭脳には、かく有意義に月日つきひを利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹きしてゐるのが、全くうつらないのである。仕方がないから、真面目まじめな顔をして、
「えゝ、困ります」と答へた。老人ろうじんあたまから代助を小僧視してゐるうへに、其返事が何時いつでも幼気おさなげを失はない、簡単な、世帯離しよたいばなれをした文句だものだから、馬鹿ばかにするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢかず尋常極まつてゐるので、此奴こいつは手の付け様がないといふ気にもなる。


身体からだは丈夫だね」
「二三年このかた風邪かぜいたこともありません」
あたまわるい方ぢやないだらう。学校の成蹟もなりだつたんぢやないか」
「まあ左様さうです」
それあそんでゐるのは勿体ない。あの何とか云つたね、そら御前おまへの所へく話しにた男があるだらう。おれも一二度逢つたことがある」
「平岡ですか」
「さう平岡。あの人なぞは、あまり出来のい方ぢやなかつたさうだが、卒業すると、すぐ何処どこかへ行つたぢやないか」
「其代り失敗しくじつて、もうかへつてました」
 老人は苦笑を禁じ得なかつた。
「どうして」と聞いた。
つまためはたらくからでせう」
 老人には此意味がわからなかつた。
なにか面白くない事でもつたのかな」と聞き返した。
「其場合々々で当然の事を遣るんでせうけれども、其当然が矢っ張り失敗しくじりになるんでせう」
「はあゝ」と気の乗らない返事をしたが、やがて調子をへて、説き出した。
「若い人がよく失敗しくじるといふが、全く誠実と熱心が足りないからだ。おれも多年の経験で、此年このとしになる迄つてたが、どうしても此二つがないと成功しないね」
「誠実と熱心があるために、却つて遣り損ふこともあるでせう」
「いや、まづないな」
 親爺おやぢあたまうへに、誠者天之道也と云ふ額が麗々と掛けてある。先代の旧藩主に書いて貰つたとか云つて、親爺おやぢは尤も珍重してゐる。代助は此額が甚だ嫌である。第一字が嫌だ。其上文句が気に喰はない。誠は天の道なりのあとへ、人の道にあらずと附け加へたい様な心持がする。
 其昔し藩の財政が疲弊して、始末が付かなくなつた時、整理の任に当つた長井は、藩侯に縁故のある町人を二三人呼び集めて、かたなを脱いで其前にあたまげて、彼等に一時の融通を頼んだ事がある。固よりかへせるか、返せないか、分らなかつたんだから、分らないと真直に自白して、それがために其時成功した。その因縁で此がくを藩主にいてもらつたんである。爾来長井は何時いつでも、之を自分の居間ゐまに掛けて朝夕眺めてゐる。代助は此額の由来を何遍かされたか知れない。
 今から十五六年前に、旧藩主のいへで、月々つき/″\の支出がかさんできて、折角持ち直した経済が又くづれ出した時にも、長井は前年の手腕によつて、再度の整理を委託された。其時長井は自分で風呂のまきを焚いてて、実際の消費だかと帳面づらの消費だかとの差違から調しらべにかゝつたが、終日終夜この事丈に精魂を打ち込んだ結果は、約一ヶ月内に立派な方法を立て得るに至つた。それより以後藩主の家では比較的豊かな生計くらしをしてゐる。
 斯う云ふ過去の歴史を持つてゐて、此過去の歴史以外には、一歩も踏み出して考へる事を敢てしない長井は、なんによらず、誠実と熱心へ持つて行きたがる。
「御前は、どう云ふものか、誠実と熱心が欠けてゐる様だ。それぢや不可ん。だから何にも出来ないんだ」
「誠実も熱心もあるんですが、たゞ人事上に応用出来ないんです」
う云ふ訳で」
 代助は又返答に窮した。代助の考によると、誠実だらうが、熱心だらうが、自分が出来合できあひやつを胸にたくはへてゐるんぢやなくつて、石と鉄と触れて火花ひばなる様に、相手次第で摩擦の具合がうまく行けば、当事者二人ににんの間に起るべき現象である。自分の有する性質と云ふよりは寧ろ精神の交換作用である。だから相手がわるくつてはおこり様がない。
御父おとうさんは論語だの、王陽明だのといふ、きん延金のべがねんで入らつしやるから、左様さういふ事を仰しやるんでせう」
きん延金のべがねとは」
 代助はしばらくだまつてゐたが、漸やく、
延金のべがねの儘るんです」と云つた。長井は、書物癖のある、偏窟な、世慣れない若輩のいひたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘はらず、取り合ふ事を敢てしなかつた。


 それから約四十分程して、老人は着物きもの着換きかえて、はかま穿いて、くるまつて、何処どこかへつた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間きやくまの戸を開けてなか這入はいつた。これ近頃ちかごろになつてて増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠にもとづいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間らんまの周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家にたのんで、色々相談の揚句あげくに成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物ゑまきもの展開てんかいした様な、横長よこなが色彩しきさいを眺めてゐたが、どう云ふものか、此前このまへて見た時よりは、いたく見劣りがする。是ではたのもしくないと思ひながら、猶局部々々にけて吟味してゐると、突然あによめが這入つて来た。
「おや、此所こゝらつしやるの」と云つたが、「一寸ちよいと其所そこいらにわたくしくしが落ちてなくつて」と聞いた。くし長椅子ソーフアあしところにあつた。昨日きのふ縫子ぬひこしてつたら、何所どこかへなくなして仕舞つたんで、さがしにたんださうである。両手であたまを抑へる様にして、くしを束髪の根方ねがたへ押し付けて、上眼うはめで代助を見ながら、
「相変らず茫乎ぼんやりしてるぢやありませんか」と調戯からかつた。
御父おとうさんから御談義をかされちまつた」
「また? 能くしかられるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方あなたもあんまり、かないわ。些とも御父おとうさんの云ふ通りになさらないんだもの」
御父おとうさんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」
「だから猶始末がわるいのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、ちつとも云ふ事を聞かないんだもの」
 代助は苦笑してだまつて仕舞つた。梅子うめこは代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。せいのすらりとした、色の浅黒い、眉のい、唇の薄い女である。
「まあ、御掛おかけなさい。少し話し相手になつてげるから」
 代助は矢っ張り立つた儘、あによめ姿すがたを見守つてゐた。
今日けふは妙な半襟はんえりを掛けてますね」
「これ?」
 梅子はあごちゞめて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。
此間こないだ買つたの」
い色だ」
「まあ、そんな事は、うでもいから、其所そこ御掛おかけなさいよ」
 代助はあによめ正面へ腰を卸した。
「へえけました」
一体いつたい今日けふは何をしかられたんです」
「何をしかられたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父おとうさんの国家社会のために尽すには驚ろいた。何でも十八のとしから今日迄こんにちまでのべつにつくしてるんだつてね」
「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」
「国家社会の為につくして、かね御父おとうさん位儲かるなら、僕もつくしてもい」
「だから遊んでないで、御つくしなさいな。貴方あなたは寐てゐて御金おかねらうとするから狡猾よ」
御金おかねを取らうとした事は、まだりません」
らうとしなくつても、使つかふからおんなじぢやありませんか」
にいさんがなんとか云つてましたか」
にいさんはあきれてるから、何とも云やしません」
「随分猛烈だな。然し御父おとうさんよりにいさんの方がえらいですね」
うして。――あらにくらしい、又あんな御世辞を使つて。貴方あなたはそれがわるいのよ。真面目まじめな顔をしてひとを茶化すから」
左様そんなもんでせうか」
左様そんなもんでせうかつて、ひとの事ぢやあるまいし。すこしや考へて御覧なさいな」
うも此所こゝると、丸で門野かどのおんなじ様になつちまふからこまる」
門野かどのつてなんです」
「なにうちにゐる書生ですがね。ひとに何か云はれると、屹度左様そんなもんでせうか、とか、左様さうでせうか、とか答へるんです」
「あの人が? 余っ程妙なのね」


 代助は一寸ちよつとはなしめて、梅子うめこ肩越かたごしに、窓掛まどかけあひだから、奇麗なそらかす様に見てゐた。遠くに大きなが一本ある。薄茶色うすちやいろを全体に吹いて、やわらかいこづえはじてんつゞく所は、糠雨ぬかあめぼかされたかの如くにかすんでゐる。
い気候になりましたね。何所どこか御花見にでも行きませうか」
「行きませう。行くからおつしやい」
なにを」
御父おとうさまから云はれた事を」
「云はれた事は色々あるんですが、秩序立ちつじよだててかへすのは困るですよ。あたまわるいんだから」
「まだそらつとぼけてらつしやる。ちやんと知つてますよ」
「ぢや、うかゞひませうか」
 梅子は少しつんとした。
貴方あなたは近頃余つ程らずぐちが達者におなりね」
なにねえさんが辟易する程ぢやない。――時に今日けふは大変静かですね。どうしました、小供達は」
「小供は学校です」
 十六七の小間使こまづかひけてかほを出した。あの、旦那様が、奥様に一寸ちよつと電話ぐち迄と取りいだなり、黙つて梅子の返事を待つてゐる。梅子はすぐ立つた。代助も立つた。つゞいて客間きやくまを出やうとすると、梅子は振り向いた。
「あなたは、其所そこらつしやい。少し話しがあるから」
 代助にはあによめのかう云ふ命令的の言葉が何時いつでも面白く感ぜられる。御緩ごゆつくりと見送つた儘、又腰を掛けて、再び例の画を眺めした。しばらくすると、其色がかべの上に塗り付けてあるのでなくつて、自分の眼球めだまなかから飛び出して、かべうへへ行つて、べた/\く様に見えてた。仕舞には眼球めだまから色を出す具合一つで、向ふにある人物樹木が、此方こちらの思ひ通りに変化出来る様になつた。代助はかくして、下手へたな個所々々を悉く塗りへて、とう/\自分の想像しる限りの尤も美くしい色彩に包囲されて、恍惚とすはつてゐた。所へ梅子うめこが帰つてたので、忽ち当り前の自分に戻つて仕舞つた。
 梅子の用事と云ふのを改まつて聞いて見ると、又例の縁談の事であつた。代助は学校を卒業する前から、梅子の御蔭で写真実物色々な細君の候補者に接した。けれども、づれも不合格者ばかりであつた。始めのうちは体裁のにげ口上で断わつてゐたが、二年程前からは、急に図迂づう々々しくなつて、屹度相手にけちを付ける。くちあごの角度がわるいとか、の長さが顔のはゞに比例しないとか、耳の位置が間違まちがつてるとか、必ず妙な非難を持つてる。それが悉く尋常な言草いひぐさでないので、仕舞には梅子も少々考へ出した。是は必竟世話を焼き過ぎるから、付け上つて、人をこまらせるのだらう。当分打遣うつちやつて置いて、向ふから頼み出させるにくはない。と決心して、夫からは縁談の事をついぞくちにしなくなつた。所が本人は一向困つた様子もなく、依然として海のものとも、山のものとも見当が付かない態度で今日迄くらしてた。
 其所そこ親爺おやぢが甚だ因念のふかいある候補者を見付けて、旅行さきから帰つた。梅子は代助のる二三日前に、其話を親爺おやぢから聞かされたので、今日けふの会談は必ずそれだらうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、此日このひ何にもかなかつたのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だといふ了見を起した結果、故意わざと話題を避けたとも取れる。
 此候補者に対して代助は一種特殊な関係をつてゐた。候補者の姓は知つてゐる。けれど名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至つては全く知らない。何故なぜその女が候補者に立つたと云ふ因念になると又能く知つて居る。


 代助のちゝには一人ひとりあにがあつた。直記なほきと云つて、ちゝとはたつた一つ違ひの年上としうへだが、ちゝよりは小柄こがらなうへに、顔付かほつき眼鼻立めはなだちが非常にてゐたものだから、知らない人には往々双子ふたごと間違へられた。其折は父もとくとは云はなかつた。誠之進といふ幼名でとほつてゐた。
 直記なほきと誠之進とは外貌のよく似てゐた如く、気質きだても本当の兄弟であつた。両方に差支のあるときは特別、都合さへ付けば、同じ所につ付き合つて、同じ事をして暮してゐた。稽古も同時同刻に往き返りをする。読書にも一つ燈火ともしびを分つた位したしかつた。
 丁度直記なほきの十八のあきであつた。ある時二人ふたり城下外じやうかはづれの等覚寺といふ寺へおやの使に行つた。これは藩主の菩提寺で、そこにゐる楚水といふ坊さんが、二人ふたりおやとは昵近じつこんなので、用の手紙を、此楚水さんに渡しに行つたのである。用は囲碁の招待か何かで返事にも及ばない程簡略なものであつたが、楚水さんにめられて、色々話してゐるうちにおそくなつて、日の暮れる一時間程前に漸く寺を出た。その日は何か祭のある折で、市中しちうは大分雑沓してゐた。二人ふたりは群集のなかを急いで帰る拍子に、ある横町を曲らうとするかどで、川向ひの方限ほうぎりのなにがしといふものに突き当つた。此なにがし二人ふたりとは、かねてからなかわるかつた。其時なにがしは大分酒気を帯びてゐたと見えて、二言三言ふたことみこといひ争ふうちにかたないて、いきなり斬りけた。斬りけられた方はあにであつた。已を得ず是も腰の物をいて立ち向つたが、相手は平生から極めて評判のわるい乱暴もの丈あつて、酩酊してゐるにも拘はらず、強かつた。だまつてゐれば兄の方が負ける。そこで弟も刀を抜いた。さうして二人ふたりで滅茶苦茶に相手を斬り殺して仕舞つた。
 其ころの習慣として、さむらひさむらひを殺せば、殺した方が切腹をしなければならない。兄弟は其覚悟でうちへ帰つてた。ちゝ二人ふたりを並べて置いて順々に自分で介錯をする気であつた。所がはゝが生憎まつり知己ちかづきうちばれて留守である。父は二人ふたりに切腹をさせる前、もう一遍はゝはしてやりたいと云ふ人情から、すぐはゝを迎にやつた。さうして母のあひだ二人ふたりに訓戒を加へたり、或は切腹する座敷の用意をさせたり可成愚図々々してゐた。
 はゝの客に行つてゐた所は、その遠縁とほえんにあたる高木たかぎといふ勢力家であつたので、大変都合がかつた。と云ふのは、其頃は世のなかうごき掛けた当時で、さむらひおきても昔の様には厳重に行はれなかつた。殊更殺された相手は評判の悪い無頼の青年であつた。ので高木は母とともに長井のいへて、何分の沙汰が公向おもてむきからある迄は、当分其儘にして、手を着けずに置くやうにと、父をさとした。
 高木はそれから奔走を始めた。さうして第一に家老を説き付けた。それから家老を通して藩主を説き付けた。殺されたなにがしおやは又、存外訳のわかつた人で、平生からせがれ行跡ぎやうせきの良くないのを苦に病んでゐたのみならず、斬り付けた当時も、此方こつちから狼藉をしかけたと同然であるといふ事が明瞭になつたので、兄弟を寛大に処分する運動に就ては別段の苦情を持ち出さなかつた。兄弟はしばらく一間ひとまうちに閉ぢ籠つて、謹慎の意を表して後、二人ふたりともひと知れずいへてた。
 三年の後あには京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となつた。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。さうして妻を迎へて、とくといふ一字になつた。其時は自分のいのちを助けてくれた高木はもう死んで、養子の代になつてゐた。東京へ出て仕官の方法でも講じたらと思つて色々勧めて見たが応じなかつた。此養子に子供が二人ふたりあつて、男の方は京都へ出て同志社へ這入はいつた。其所そこを卒業してから、長らく亜米利加に居つたさうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になつてゐる。女の方は県下の多額納税者の所へよめに行つた。代助の細君の候補者といふのは此多額納税者の娘である。
「大変込み入つてるのね。わたし驚ろいちまつた」とあによめが代助に云つた。
御父おとうさんから何返も聞いてるぢやありませんか」
「だつて、何時いつもは御よめはなしないから、い加減に聞いてるのよ」
佐川さがはにそんな娘があつたのかな。僕もつとも知らなかつた」
御貰おもらひなさいよ」
「賛成なんですか」
「賛成ですとも。因念つきぢやありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰ふ方がもらい様だな」
「おや、左様そんなのがあるの」
 代助は苦笑して答へなかつた。


 代助は今読みつたばかりうすい洋書を机の上にけた儘、両ひぢいて茫乎ぼんやり考へた。代助のあたまは最後のまくで一杯になつてゐる。――遠くの向ふにさむさうな樹が立つてゐるうしろに、二つの小さな角燈がおともなくゆらめいて見えた。絞首台は其所そこにある。刑人はくらい所に立つた。木履くつ片足かたあしくなした、さむいと一人ひとりが云ふと、なにを? と一人ひとりが聞きなほした。木履くつくなして寒いとまへのものが同じ事を繰り返した。Mは何処どこにゐるとだれか聞いた。此所こゝにゐるとだれか答へた。あひだに大きな、白い様な、平たいものが見える。湿しめつぽいかぜ其所そこから吹いてる。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文をいたかみと、宣告文を持つた、白い手――手套てぶくろ穿めない――を角燈がらした。読上よみあげんでもからうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もうたつた一人ひとりになつたとKが云つた。さうして溜息ためいきいた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。たつた一人ひとりになつて仕舞つた。……
 海からあがつた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつたくび、飛びしたくちびるうへに咲いた、怖ろしい花の様な血のあはれたしたを積み込んでもとの路へ引き返した。……
 代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所こゝあたまなかで繰り返して見て、ぞつかたすくめた。う云ふ時に、かれが尤も痛切にかんずるのは、万一自分がこんな場にのぞんだら、どうしたら宜からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何いかにも残酷である。彼はせいの慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練みれんに両方に往つたりたりする苦悶を心にゑがき出しながらじつすはつてゐると、脊中せなか一面いちめんかは毛穴けあなごとにむづ/\してほとんどたまらなくなる。
 かれちゝは十七のとき、家中かちう一人ひとりを斬り殺して、それがめ切腹をする覚悟をしたと自分で常に人にかたつてゐる。ちゝの考ではあにの介錯を自分がして、自分の介錯を祖父ぢゞに頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。ちゝが過去をかたたびに、代助はちゝをえらいと思ふより、不愉快な人間にんげんだと思ふ。さうでなければ嘘吐うそつきだと思ふ。嘘吐うそつきの方がまだ余っ程ちゝらしい気がする。
 父許ちゝばかりではない。祖父ぢゞに就ても、こんな話がある。祖父ぢゞが若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、ひと嫉妬ねたみを受けて、ある夜縄手みちを城下へ帰る途中で、だれかに斬り殺された。其時第一に馳けけたものは祖父ぢゞであつた。左の手に提灯をかざして、右の手に抜身ぬきみを持つて、其抜身ぬきみ死骸しがいを叩きながら、軍平ぐんぺいしつかりしろ、きづあさいぞと云つたさうである。
 伯父おぢが京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿やどやに踏み込まれて、伯父は二階のひさしから飛びりる途端、庭石に爪付つまづいて倒れる所をうへから、容赦なくられた為に、顔がなますの様になつたさうである。殺される十日ほど前、夜中やちう合羽かつぱて、かさに雪をけながら、足駄あしだがけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時旅宿やどの二丁程手前で、突然とつぜんうしろから長井直記なほきどのと呼び懸けられた。伯父おぢは振り向きもせず、矢張りかさした儘、旅宿やど戸口とぐちて、格子こうしけてなか這入はいつた。さうして格子をぴしやりとめて、うちから、長井直記なほきは拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。
 代助は斯んな話を聞くたびに、いさましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先につ。度胸を買つてやる前に、なまぐさいにほひ鼻柱はなばしらを抜ける様にこたへる。
 もし死が可能であるならば、それは発作ほつさの絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作ほつさ性の男でない。手もふるへる、足もふるへる。声のふるへる事や、心臓の飛びがる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびにに易くなるのはに見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せてたいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸でちがつてゐるのに驚ろかずにはゐられない。


 代助は机の上の書物を伏せると立ちがつた。縁側えんがは硝子戸がらすど細目ほそめけたあひだからあたゝかい陽気な風が吹き込んでた。さうして鉢植のアマランスの赤いはなびらをふら/\とうごかした。は大きな花のうへに落ちてゐる。代助はこゞんで、花のなかのぞき込んだ。やがて、ひよろ長い雄ずゐいたゞきから、花粉くわふんを取つて、雌蕊しずゐさきへ持つてて、丹念たんねんけた。
ありでもきましたか」と門野かどのが玄関の方からた。はかま穿いてゐる。代助はこゞんだ儘顔をげた。
「もうつてたの」
「えゝ、つてました。なんださうです。明日あした御引移おひきうつりになるさうです。今日けふ是からがらうと思つてた所だとおつしやいました」
だれが? 平岡が?」
「えゝ。――どうもなんですな。大分御いそがしい様ですな。先生た余つ程ちがつてますね。――蟻なら種油たねあぶら御注おつぎなさい。さうしてくるしがつて、穴からる所を一々いち/\殺すんです。何ならころしませうか」
「蟻ぢやない。うして、天気のい時に、花粉をつて、雌蕊しずゐへ塗りけて置くと、今にるんです。ひまだから植木屋からいた通り、つてる所だ」
「なある程。どうも重宝な世のなかになりましたね。――然し盆栽はいもんだ。奇麗で、楽しみになつて」
 代助は面倒臭めんどくさいから返事をせずに黙つてゐた。やがて、
悪戯いたづら好加減いゝかげんすかな」と云ひながら立ちがつて、縁側へ据付すゑつけの、の安楽椅子いすに腰を掛けた。夫れりぽかんと何か考へ込んでゐる。門野かどのつまらなくなつたから、自分の玄関わきの三畳じきへ引き取つた。障けて這入らうとすると、又縁側へ呼びかへされた。
「平岡が今日けふると云つたつて」
「えゝ、る様な御話しでした」
「ぢやつてゐやう」
 代助は外出を見合せた。実は平岡の事が此間このあひだから大分気にかゝつてゐる。
 平岡は此前このぜん、代助を訪問した当時、すでに落ちいてゐられない身分であつた。かれ自身の代助に語つた所によると、地位の心当りが二三ヶ所あるから、差し当り其方面へ運動して見る積りなんださうだが、其二三ヶ所が今どうなつてゐるか、代助は殆んど知らない。代助の方から神保町の宿やどたづねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたにはつた。が、洋服をた儘、部屋へや敷居しきゐの上に立つて、なにせわしい調子で、細君をけてゐた。――案内なしに廊下をつたつて、平岡の部屋のよこた代助には、突然ながら、たしかに左様さう取れた。其時平岡は一寸ちよつと振りいて、やあ君かと云つた。其顔にも容子にも、少しもこゝろよさゝうな所は見えなかつた。部屋のなかから顔を出した細君は代助を見て、蒼白あをじろほゝをぽつと赤くした。代助は何となく席ににくくなつた。まあ這入れと申し訳に云ふのを聞き流して、いや別段用ぢやない。うしてゐるかと思つて一寸ちよつとて見た丈だ。出掛でかけるなら一所に出様でやうと、此方こつちから誘ふ様にしておもてて仕舞つた。
 其時平岡は、早くいへさがして落ち付きたいが、あんまりいそがしいんで、うする事も出来ない、たまに宿やどのものが教へてくれるかと思ふと、まだ人が立ち退かなかつたり、あるひは今かべつてる最中さいちうだつたりする。などと、電車へ乗つて分れる迄諸事苦情づくめであつた。代助も気の毒になつて、そんならいへは、うちの書生にさがさせやう。なに不景気だから、大分いてるのがある筈だ。と請合うけあつて帰つた。
 それから約束通り門野かどのさがしにした。すや否や、門野はすぐ恰好かつこうなのを見付けてた。門野かどのに案内をさせて平岡夫婦に見せると、大抵からうと云ふ事でわかれたさうだが、門野かどの家主いへぬしの方へ責任もあるし、又其所そこが気に入らなければほかさがす考もあるからと云ふので、借りるか借りないか判然はつきりした所を、もう一遍確かめさしたのである。
「君、家主いへぬしの方へはりるつて、断わつてたんだらうね」
「えゝ、帰りにつて、明日あした引越すからつて、云つてました」


 代助は椅子にこしけた儘、あたらしく二度の世帯しよたいを東京に持つ、夫婦の未来を考へた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変つてゐる。かれの経歴は処世の階子段はしごだんを一二段ではづしたと同じ事である。まだ高い所へのぼつてゐなかつた丈が、さひはひと云へば云ふ様なものゝ、世間のに映ずる程、身体からだ打撲だぼくを受けてゐないのみで、其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる。始めて逢つた時、代助はすぐ左様さう思つた。けれども、三年間に起つた自分の方の変化を打算ださんして見て、或は此方こつちこゝろむかふに反響を起したのではなからうかと訂正した。が、其後そのご平岡の旅宿へ尋ねて行つて、座敷へも這入らないで一所にそとた時の、容子から言語動作を眼の前に浮べて見ると、どうしても又最初の判断にもどらなければならなくなつた。平岡は其時かほ中心ちうしんに一種の神経を寄せてゐた。かぜいても、すなんでも、強い刺激を受けさうなまゆまゆ継目つぎめを、はゞからず、ぴくつかせてゐた。さうして、くちにすることが、内容の如何に関はらず、如何にもせわしなく、且つせつなさうに、代助のみゝひゞいた。代助には、平岡の凡てが、恰も肺の強くない人の、重苦おもくるしい葛湯くづゆなか片息かたいきおよいでゐる様に取れた。
「あんなに、あせつて」と、電車へ乗つて飛んで行く平岡の姿すがたを見送つた代助は、くちうちでつぶやいだ。さうして旅宿に残されてゐる細君の事を考へた。
 代助は此細君をつらまへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時いつでも三千代みちよさん/\と、結婚しない前の通りに、本名ほんみようんでゐる。代助は平岡にわかれてから又引き返して、旅宿りよしゆくへ行つて、三千代みちよさんに逢つてはなしをしやうかと思つた。けれども、なんだかけなかつた。あしめて思案しあんしても、今の自分には、行くのがわるいと云ふ意味はちつとも見出みいだせなかつた。けれども、とがめてかれなかつた。勇気をせばかれると思つた。たゞ代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた。それうちへ帰つた。其代り帰つても、かない様な、物足ものたらない様な、妙な心持がした。ので、又そとて酒をんだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことに其晩はしたゝかに飲んだ。
「あの時は、うかしてゐたんだ」と代助は椅子にりながら、比較的ひややかな自己で、自己の影を批判した。
なにか御用ですか」と門野かどのが又た。はかまいで、足袋たびいで、団子だんごの様な素足すあししてゐる。代助はだまつて門野かどのかほを見た。門野かどのも代助の顔を見て、一寸ちよつとあひだ突立つゝたつてゐた。
「おや、御呼およびになつたんぢやないですか。おや、おや」と云つて引込んで行つた。代助は別段可笑おかしいとも思はなかつた。
小母おばさん、御呼およびになつたんぢやないとさ。うも変だと思つた。だから手も何も鳴らないつて云ふのに」といふ言葉が茶のの方できこえた。夫から門野かどのばあさんの笑ふ声がした。
 其時、待ち設けてゐる御客がた。取次とりつぎ門野かどのは意外な顔をして這入つてた。さうして、其顔を代助のそば迄持つてて、先生、奥さんですとさゝやく様に云つた。代助はだまつて椅子を離れて坐敷へ這入つた。


 平岡の細君は、色の白い割にかみの黒い、細面ほそおもて眉毛まみへ判然はつきりうつる女である。一寸ちよつと見ると何所どことなくさみしい感じの起る所が、古版こはんの浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢いろつやがことにくないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助はすこし驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様さうぢやない、始終うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。
 三千代みちよは東京をて一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見てもらつたら、くはわからないが、ことにると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様さうだとすれば、心臓から動脈へが、少しづゝ、後戻あともどりをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為せゐか、一年許りするうちに、案排あんばいに、元気が滅切めつきりよくなつた。色光沢いろつやも殆んどもとの様に冴々さえ/″\して見える日が多いので、当人もよろこんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又血色けつしよくが悪くなりした。然し医者の話によると、今度のは心臓のためではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりはわるくなつてゐない。べんの作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代がぢかに代助にはなした所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配のためぢやないかしらと思つた。
 三千代みちようつくしいせんを奇麗に重ねたあざやかな二重瞼ふたへまぶたを持つてゐる。の恰好は細長い方であるが、ひとみを据ゑてじつと物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼くろめの働らきと判断してゐた。三千代みちよが細君にならない前、代助はよく、三千代みちよう云ふ眼遣めづかひを見た。さうして今でもく覚えてゐる。三千代みちよの顔をあたまなかうかべやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来あがらないうちに、此くろい、湿うるんだ様にぼかされたが、ぽつとる。
 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代みちよは今代助の前にこしを掛けた。さうして奇麗な手をひざうへかさねた。したにした手にも指輪ゆびわ穿めてゐる。うへにした手にも指輪ゆびわ穿めてゐる。うへのは細いきんわくに比較的大きな真珠しんじゆつた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
 三千代みちよかほげた。代助は、突然とつぜん例のみとめて、思はずまたゝきを一つした。
 汽車で着いた明日あくるひ平岡と一所にる筈であつたけれども、つい気分がわるいので、来損きそくなつて仕舞つて、それからは一人ひとりでなくつてはる機会がないので、ついずにゐたが、今日けふは丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間て呉れた時は、平岡が出掛際でかけぎはだつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様なわびをして、
つてゐらつしやればかつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤もこれは此女のもち調子で、代助は却つて其昔をおもした。
「だつて、大変いそがしさうだつたから」
「えゝ、いそがしい事はいそがしいんですけれども――いぢやありませんか。らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」
 代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。いつもなら調戯からかひ半分に、あなたは何かしかられて、かほを赤くしてゐましたね、どんなわるい事をしたんですか位言ひかねない間柄あひだがらなのであるが、代助には三千代の愛嬌が、あとから其場そのばを取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸ちよつとなかつた。


 代助は烟草たばこけて、吸口すひくちくわへた儘、椅子のあたまたせて、くつろいだ様に、
「久しりだから、何か御馳走しませうか」といた。さうしてこゝろのうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた。三千代は、
今日けふ沢山たくさん。さうゆつくりしちやゐられないの」と云つて、むかし金歯きんば一寸ちょつと見せた。
「まあ、いでせう」
 代助は両手をあたまうしろつて行つて、ゆびゆびを組み合せて三千代を見た。三千代はこゞんで帯のあひだから小さな時計をした。代助が真珠の指輪を此女におくりものにする時、平岡は此時計を妻に買つてつたのである。代助は、一つみせ別々べつ/\品物しなものを買つたあと、平岡とつて其所そこ敷居しきゐまたぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄りみちをしてゐたものだから」
と独りごとの様に説明を加へた。
「そんなにいそぐんですか」
「えゝ、たけ早く帰りたいの」
 代助はあたまからはなして、烟草たばこの灰をはたき落した。
三年さんねんのうちに大分だいぶ世帯染しよたいじみちまつた。仕方しかたがない」
 代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処どこかににがい所があつた。
「あら、だつて、明日あした引越ひつこすんぢやありませんか」
 三千代みちよの声は、此時このとき急に生々いき/\きこえた。代助は引越ひつこしの事を丸で忘れてゐた。
「ぢや引越ひつこしてからゆつくりればいのに」
 代助は相手のこゝろよささうな調子に釣り込まれて、此方こつちからも他愛たあいなく追窮した。
「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、ひたひの所へあらはして、一寸ちょつとしたを見たが、やがてほゝげた。それが薄赤くまつて居た。
じつわたくし少し御願おねがひがあつてがつたの」
 かんの鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐ其用事の何であるかを悟つた。実は平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識はんいしきしたで覚悟してゐたのである。
「何ですか、遠慮なく仰しやい」
「少し御金おかね工面くめん出来できなくつて?」
 三千代の言葉ことばは丸で子供の様に無邪気であるけれども、両方のほゝは矢つ張り赤くなつてゐる。代助は、此女に斯んな気恥きはづかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた。
 段々聞いて見ると、明日あした引越をする費用や、新らしく世帯を持つめのかねが入用なのではなかつた。支店の方を引きげる時、向ふへ置きりにしてた借金が三口みくちとかあるうちで、其一口ひとくちを是非片付けなくてはならないのださうである。東京へいたら一週間うちに、どうでもすると云ふかたい約束をしてうへに、少し訳があつて、ほかの様にほうつてけない性質たちのものだから、平岡もいた明日あくるひから心配して、所々奔走してゐるけれども、まだ出来さうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みによこしたと云ふ事がわかつた。
「支店長から借りたと云ふやつですか」
「いゝえ。其方そのほう何時いつ迄延ばして置いても構はないんですが、此方こつちの方をうかしないと困るのよ。東京で運動する方にひゞいてるんだから」
 代助は成程そんな事があるのかと思つた。金高かねだかを聞くと五百円と少し許である。代助はなんだ其位と腹のなかで考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分がかねに不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた。
なんでまた、そんなに借金をしたんですか」
「だからわたくし考へるといやになるのよ。わたくしも病気をしたのが、わるいにはわるいけれども」
「病気の時の費用なんですか」
「ぢやないのよ。薬代くすりだいなんか知れたもんですわ」
 三千代はそれ以上をかたらなかつた。代助もそれ以上を聞く勇気がなかつた。たゞ蒼白あをしろい三千代の顔を眺めて、そのうちに、漠然たる未来の不安を感じた。


 翌日よくじつあさはや門野かどの荷車にぐるまを三台やとつて、新橋の停車場ていしやば迄平岡の荷物にもつ受取うけとりにつた。実はうからいて居たのであるけれども、うちがまだきまらないので、今日けふ迄其儘にしてあつたのである。往復の時間と、向ふで荷物を積み込む時間を勘定して見ると、うしても半日仕事である。早く行かなけりや、に合はないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野かどのは例の調子で、なにわけはありませんと答へた。此男は、時間の考などは、あまりない方だから、斯う簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めて成程と云ふ顔をした。それから荷物を平岡のうちとゞけた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた。
 それから十一時すぎ迄代助は読書してゐた。が不図ダヌンチオと云ふ人が、自分のいへ部屋へやを、青色あをいろ赤色あかいろわかつて装飾してゐると云ふ話を思ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、此二色にほかならんと云ふ点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。
 代助は何故なぜダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈なあかの必要があるだらうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余りい心持はしない。出来得るならば、自分のあたま丈でもいから、みどりのなかに漂はして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女をいた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈がい気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。
 代助は縁側へ出て、にはからさきにはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散つて、今は新芽しんめ若葉わかばの初期である。はなやかなみどりがぱつとかほに吹き付けた様な心持ちがした。さます刺激のそこ何所どこしづんだ調子のあるのを嬉しく思ひながら、鳥打とりうち帽をかむつて、銘仙めいせんの不断の儘もんた。
 平岡の新宅へ来て見ると、もんいて、がらんとしてゐる丈で、荷物のいた様子もなければ、平岡夫婦のてゐる気色も見えない。たゞ車夫体の男が一人ひとり縁側に腰をけて烟草を呑んでゐた。聞いて見ると、先刻さつき一返御出おいでになりましたが、此案排ぢや、どうせ午過ひるすぎだらうつて又御帰りになりましたといふ答である。
「旦那と奥さんと一所にたかい」
「えゝ御一所です」
「さうして一所に帰つたかい」
「えゝ御一所に御帰りになりました」
「荷物もそのうちくだらう。御苦労さま」と云つて、又通りへた。
 神田へたが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人ふたりの事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸ちょつとかほした。夫婦はぜんならべてめしつてゐた。下女げじよぼんつて、敷居にしりを向けてゐる。其うしろから、声を懸けた。
 平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼そのめが血ばしつてゐる。二三日ねむらない所為せゐだと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひかただと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。めるのをそとて、めしを食つて、かみを刈つて、九段のうへ一寸ちょつと寄つて、又帰りに新たくへ行つて見た。三千代は手拭をねえさんかぶりにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、たすきがけで荷物の世話をいてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女もてゐる。平岡は縁側で行李のひもを解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝てつだはないかと云つた。門野かどのは袴をいで、しりを端折つて、かさね箪笥を車夫と一所に坐敷へかゝへ込みながら、先生どうです、此服装なりは、わらつちや不可いけませんよと云つた。


 翌日よくじつ、代助が朝食あさめしぜんむかつて、例の如く紅茶をんでゐると、門野かどのが、あらてのかほひからして茶のへ這入つてた。
昨夕ゆふべ何時いつ御帰おかへりでした。ついつかれちまつて、仮寐うたゝねをしてゐたものだから、ちつとも気が付きませんでした。――てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分ひとわるいな。全体何時ごろなんです、御帰りになつたのは。夫迄それまで何所どこつてらしつた」と平生いつもの調子でもなく※舌しやべ[#「口+堯」、U+5635、71-2]り立てた。代助は真面目まじめで、
「君、すつかり片付迄かたづくまでれたんでせうね」と聞いた。
「えゝ、すつかり片付かたづけちまいました。其代り、うもほねが折れましたぜ。なにしろ、我々の引越ひつこしちがつて、大きな物が色々いろ/\あるんだから。おくさんが坐敷ざしき真中まんなかつて、茫然ぼんやり周囲まはり見回みまはしてゐた様子やうすつたら、――随分可笑おかしなもんでした」
すこ身体からだの具合がわるいんだからね」
「どうも左様さうらしいですね。いろなんだかくないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格はいですね。昨夕ゆふべ一所にに入つて驚ろいた」
 代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人あてで、先達せんだつて送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿あねむこ宛で、タナグラの安いのを見付みつけて呉れといふ依頼である。
 昼過ひるすぎ散歩の出掛でがけに、門野かどのへやのぞいたら又引繰ひつくり返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野かどのの無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕ゆふべつかれないで大変難義したのである。例につて、まくらそばいたたもと時計が、大変大きなおとす。それが気になつたので、手をばして、時計をまくらしたへ押し込んだ。けれどもおとは依然としてあたまなかひゞいてる。其音そのおときながら、つい、うと/\するに、凡てのほかの意識は、全く暗窖あんこううち降下こうかした。が、たゞ独りよるふミシンのはり丈がきざみ足にあたまなかえずとほつてゐた事を自覚してゐた。所が其音そのおと何時いつかりん/\といふ虫のに変つて、奇麗な玄関のわき植込うゑごみの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕ゆふべの夢を此所こゝ辿たどつてて、睡みん覚醒かくせいとのあひだつなぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
 代助は、何事によらず一度いちど気にかゝりすと、何処どこ迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿さ加減の程度を明らかに見積みつもる丈の脳力があるので、自分の気にかゝりかたが猶に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何いかにしてゆめに入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。よる、蒲団へ這入つて、い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所こゝだ、うしてねむるんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間にえて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所こゝだと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍もり返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇くらやみを検査するために蝋燭をともしたり、独楽こまの運動を吟味するため独楽こまおさへる様なもので、生涯られつこない訳になる。とわかつてゐるがばんになると又はつと思ふ。
 此困難は約一年許りで何時いつにか漸く遠退とほのいた。代助は昨夕ゆふべゆめと此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己じこの一部分を切りはなして、其儘の姿すがたとして、知らぬに夢のなかゆづり渡す方がおもむきがあると思つたからである。同時に、此作用は気狂きちがひになる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂きちがひにはなれないと信じてゐたのである。


 それから二三日は、代助も門野かどのも平岡の消息をかずにごした。四日目よつかめ午過ひるすぎに代助は麻布あざぶのあるいへへ園遊会に呼ばれてつた。御客は男女を合せて、大分だいぶたが、正賓と云ふのは、英国の国会議員とか実業家とかいふ、無暗に脊の高い男と、それから鼻眼鏡をかけた其細君とであつた。これはなか々の美人で、日本抔へるには勿体ない位な容色だが、何処どこで買つたものか、岐阜ぎふ出来でき絵日傘ゑひがさを得意にしてゐた。
 尤も其日は大変ない天気で、広い芝生のうへにフロツクで立つてゐると、もうなつたといふ感じが、かたから脊中せなかへ掛けていちゞるしくおこつた位、そら真蒼まつさをとほつてゐた。英国の紳士はかほをしかめてそらて、じつに美くしいと云つた。すると細君がすぐ、ラツヴレイとこたへた。非常にかんたかい声で尤も力を入れた挨拶の仕様であつたので、代助は英国の御世辞は、また格別のものだと思つた。
 代助も二言三言ふたことみこと此細君からはなしかけられた。が三分さんぷんたないうちに、り切れなくなつて、すぐ退却した。あとは、日本服をて、わざと島田につた令嬢と、長らく紐育ニユーヨークで商業に従事してゐたと云ふ某が引き受けた。此某は英語を喋舌しやべる天才を以て自ら任ずる男で、かさず英語会へ出席して、日本人と英語の会話をつて、それから英語で卓上演説をするのを、何よりのたのしみにしてゐる。何か云つては、あとでさも可笑おかしさうに、げら/\わらくせがある。英国人が時によると怪訝けげんかほをしてゐる。代助はあれ丈は已めたらからうと思つた。令嬢も中々うまい。是は米国婦人を家庭教師に雇つて、英語を使ふ事を研究した、ある物持ちの娘である。代助は、顔より言葉の方が達者だと考へながら、つく/″\感心して聞いてゐた。
 代助が此所こゝへ呼ばれたのは、個人的に此所こゝの主人や、此英国人夫婦に関係があるからではない。全く自分のちゝあにとの社交的勢力の余波で、招待状が廻つて来たのである。だから、万遍なく方々へつて、好い加減にあたまげて、ぶら/\してゐた。其中そのうちあにた。
「やあ、たな」と云つた儘、帽子に手も掛けない。
うも、い天気ですね」
「あゝ。結構だ」
 代助も脊のひくい方ではないが、あには一層たかく出来てゐる。其上この五六年来次第に肥満してたので、中々なか/\立派に見える。
うです、彼方あつちつて、ちと外国人とはなしでもしちや」
「いや、真平まつぴらだ」と云つてあに苦笑にがわらひをした。さうして大きなはらにぶらがつてゐる金鎖きんぐさりゆびさきいぢくつた。
うも外国人は調子がいですね。すこすぎる位だ。あゝめられると、天気の方でも是非くならなくつちやならなくなる」
「そんなに天気をめてゐたのかい。へえ。少し暑過あつすぎるぢやないか」
わたしにも暑過あつすぎる」
 誠吾と代助は申し合せた様に、白い手巾ハンケチしてひたひいた。両人ふたりおも絹帽シルクハツトかぶつてゐる。
 兄弟は芝生のはづれの木蔭こかげとまつた。近所にはだれもゐない。向ふの方で余興かなにか始まつてゐる。それを、誠吾は、うちにゐると同じ様な顔をして、遠くから眺めた。
あにの様になると、うちにゐても、客にても同じ心持ちなんだらう。う世のなかに慣れ切つて仕舞つても、楽しみがなくつて、つまらないものだらう」と思ひながら代助は誠吾の様子を見てゐた。
今日けふ御父おとうさんはうしました」
御父おとうさんはくわいだ」
 誠吾は相変らず普通の顔で答へたが、代助の方は多少可笑おかしかつた。
ねえさんは」
「御客の接待掛りだ」
 またあによめあとで不平を云ふ事だらうと考へると、代助は又可笑おかしくなつた。


 代助は、誠吾の始終いそがしがつてゐる様子を知つてゐる。又そのいそがしさの過半は、う云ふ会合から出来上できあがつてゐるといふ事実も心得てゐる。さうして、別にいやかほもせず、一口ひとくちの不平もこぼさず、不規則に酒を飲んだり、ものつたり、女を相手にしたり、してゐながら、何時いつ見てもつかれたたいもなく、さわぐ気色もなく、物外に平然として、年々肥満してくる技倆に敬服してゐる。
 誠吾が待合へ這入つたり、料理茶屋へあがつたり、晩餐にたり、午餐に呼ばれたり、倶楽部に行つたり、新橋に人を送つたり、横浜に人を迎へたり、大磯へ御機嫌伺ひに行つたり、朝から晩迄多勢の集まる所へ顔をして、得意にも見えなければ、失意にも思はれない様子は、う云ふ生活にいて、海月くらげうみたゞよひながら、塩水しほみづからく感じ得ない様なものだらうと代助は考へてゐる。
 其所そこが代助には難有い。と云ふのは、誠吾はちゝちがつて、嘗て小六※[#濁点付き小書き平仮名つ、77-6]かしい説法抔を代助に向つてつた事がない。主義だとか、主張だとか、人生観だとか云ふ窮窟なものは、てんで、これつぱかりくちにしないんだから、あるんだか、いんだか、殆んど要領を得ない。其代り、此窮窟な主義だとか、主張だとか、人生観だとかいふものを積極的せききよくてきこはしてかゝつたためしもない。実に平凡でい。
 だが面白くはない。話し相手としては、あによりもあによめの方が、代助に取つて遥かに興味がある。あにに逢ふと屹度うだいと云ふ。以太利に地震があつたぢやないかと云ふ。土耳古の天子が廃されたぢやないかと云ふ。其外、向ふ島の花はもう駄目になつた、横浜にある外国船の船底ふなぞこ大蛇だいぢやつてあつた、だれが鉄道でかれた、ぢやないかと云ふ。みんな新聞に出た事ばかりである。其代り、当らず障らずの材料はいくらでも持つて居る。いつ迄つてもたねが尽きる様子が見えない。
 さうかと思ふと。時にトルストイと云ふ人は、もう死んだのかね抔と妙な事を聞く事がある。いま日本にほんの小説家ではだれが一番えらいのかねと聞く事もある。要するに文芸には丸で無頓着で且つ驚ろくべく無識であるが、尊敬と軽蔑以上に立つて平気で聞くんだから、代助も返事がしやすい。
 う云ふあにと差しむかひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁あくがなくつて、気楽でい。たゞ朝から晩迄出歩であるいてゐるから滅多につらまへる事が出来できない。あによめでも、誠太郎でも、縫子でも、あに終日しうじつうちに居て、三度の食事を家族と共にかさずふと、却つてめづらしがる位である。
 だから木蔭こかげに立つて、あにかたならべたとき、代助は丁度い機会だと思つた。
にいさん、貴方あなたに少しはなしがあるんだが。何時いつひまはありませんか」
ひま」と繰りかへした誠吾は、なんにも説明せずに笑つて見せた。
明日あしたあさうです」
明日あしたあさはまつてなくつちやならない」
ひるからは」
ひるからは、会社の方に居る事はゐるが、すこし相談があるから、てもゆつくりはなしちやゐられない」
「ぢやばんならからう」
ばんは帝国ホテルだ。あの西洋人夫婦を明日あしたばん帝国ホテルへ呼ぶ事になつてるから駄目だ」
 代助はくちとんがらかして、あにじつと見た。さうして二人ふたりで笑ひ出した。
「そんなにいそぐなら、今日けふぢや、うだ。今日けふならい。久しりで一所にめしでもはうか」
 代助は賛成した。所が倶楽部くらぶへでもくかと思ひのほか、誠吾はうなぎからうと云ひ出した。
絹帽シルクハツトうなぎ屋へ行くのははじめてだな」と代助は逡巡した。
なにかまふものか」
 二人ふたりは園遊会を辞して、くるまに乗つて、金杉橋かなすぎばしたもとにある鰻屋うなぎやあがつた。


 其所そこかはが流れて、やなぎがあつて、古風ないへであつた。くろくなつた床柱とこばしらわきちがだなに、絹帽シルクハツト引繰返ひつくりかへしに、二つならべて置いて見て、代助は妙だなとつた。然しはなした二階のに、たつた二人ふたり胡坐あぐらをかいてゐるのは、園遊会より却つてらくであつた。
 二人ふたり心持こゝろもちに酒をんだ。あにんで、つて、世間話せけんばなしをすれば其ほかに用はないと云ふ態度たいどであつた。代助も、うつかりすると、肝心の事件をわすれさうな勢であつた。が下女が三本目の銚子を置いて行つた時に、始めて用談に取りかゝつた。代助の用談と云ふのは、言ふ迄もなく、此間三千代みちよからたのまれた金策の件である。
 実を云ふと、代助は今日迄まだ誠吾に無心を云つた事がない。尤も学校を出た時少々芸者買をしぎて、其尻をあにになすり付けた覚はある。其時あには叱るかと思ひのほか、さうか、困り者だな、親爺おやぢには内々で置けと云つてあによめとほして、奇麗に借金を払つてくれた。さうして代助には一口ひとくち小言こごとも云はなかつた。代助は其時から、あにきに恐縮して仕舞つた。其後そののち小遣こづかひこまる事はよくあるが、困るたんびにあによめいためて事を済ましてゐた。従つてう云ふ事件に関してあにとの交渉は、まあ初対面の様なものである。
 代助から見ると、誠吾はつるのない薬鑵やくわんと同じことで、何処どこから手を出していかわからない。然しそこが代助には興味があつた。
 代助は世間話せけんばなしていにして、平岡夫婦の経歴をそろ/\はなし始めた。誠吾は面倒な顔色もせず、へえ/\と拍子を取る様に、飲みながら、聞いてゐる。段々進んで三千代がかねりにた一段になつても、矢っ張りへえ/\と合槌を打つてゐる丈である。代助は、仕方なしに、
「で、わたしも気の毒だから、うにか心配して見様つて受合つたんですがね」と云つた。
「へえ。左様さうかい」
うでせう」
御前おまいかね出来できるのかい」
わたしや一文も出来できやしません。りるんです」
だれから」
 代助は始めから此所こゝおとつもりだつたんだから、判然はつきりした調子で、
貴方あなたから借りてかうと思ふんです」と云つて、改めて誠吾のかほを見た。あには矢っ張り普通の顔をしてゐた。さうして、平気に、
「そりや、御しよ」と答へた。
 誠吾の理由を聞いて見ると、義理や人情に関係がないばかりではない、かへかへさないと云ふ損得にも関係がなかつた。たゞ、そんな場合にはほうつて置けばおのづからうかなるもんだと云ふ単純な断定である。
 誠吾は此断定を証明する為めに、色々な例を挙げた。誠吾の門内に藤野と云ふ男が長屋を借りてんでゐる。其藤野が近頃遠縁のものゝ息子むすこたのまれてうちへ置いた。所が其子が徴兵検査で急に国へ帰らなければならなくなつたが、まへ以て国から送つてある学資も旅費も藤野が使つかんでゐると云ふので、一時の繰り合せをたのみにた事がある。無論誠吾がぢかに逢つたのではないが、さいに云ひけてことわらした。夫でも其子そのこは期日迄に国へ帰つて差支なく検査をましてゐる。夫から此藤野の親類の何とか云ふ男は、自分の持つてゐる貸家かしや敷金しききんを、つい使つかつて仕舞つて、借家人しやくやにん明日あす引越すといふ間際になつても、まだ調達が出来ないとか云つて、矢っ張り藤野から泣き付いてた事がある。然し是もことわらした。夫でもべつに不都合はなく敷金は返せてゐる。――まだ其外にもあつたが、まあんな種類の例ばかりであつた。
「そりや、ねえさんがかげまわつてめぐんでゐるにちがひない。ハヽヽヽ。にいさんも余っ程呑気だなあ」
と代助は大きい声を出して笑つた。
なに、そんな事があるものか」
 誠吾は矢張当り前の顔をしてゐた。さうして前にある猪口を取つてくちへ持つて行つた。


 其日誠吾は中々なか/\かねを貸してらうと云はなかつた。代助も三千代みちよが気の毒だとか、可哀想だとか云ふ泣言なきごとは、可成避ける様にした。自分が三千代に対してこそ、さう云ふ心持もあるが、何にも知らないあにを、其所そこれて行くのには一通りでは駄目だと思ふし、と云つて、無暗にセンチメンタルな文句をくちにすれば、あにには馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄する様な気がするので、矢っ張り平生の代助の通り、のらくらした所を、彼方あつちつたり此方こつちたりして、飲んでゐた。飲みながらも、親爺おやぢの所謂熱誠が足りないとは、此所こゝの事だなと考へた。けれども、代助は泣いて人を動かさうとする程、低級趣味のものではないと自信してゐる。凡そ何が気障きざだつて、思はせ振りの、涙や、煩悶や、真面目や、熱誠ほど気障きざなものはないと自覚してゐる。あにには其辺の消息がよくわかつてゐる。だから此手でそこなひでもしやうものなら、生涯自分の価値をおとす事になる。と気がいてゐる。
 代助は飲むに従つて、段々かねとほざかつてた。たゞ互が差し向ひであるが為めに、うまめたと云ふ自覚を、互に持ち得る様な話をした。が茶漬を食ふだんになつて、思ひ出した様に、かねは借りなくつてもいから、平岡を何処どこ使つかつてつて呉れないかとたのんだ。
「いや、さう云ふ人間は御免蒙る。のみならず此不景気ぢや仕様がない」と云つて誠吾はさく/\めしを掻き込んでゐた。
 明日あくるひめた時、代助はとこなかでまづ第一番に斯う考へた。
あにうごかすのは、同じ仲間なかまの実業家でなくつちや駄目だ。単に兄弟けうだいよしみ丈ではうする事も出来ない」
 う考へた様なものゝ、別にあにを不人情と思ふ気は起らなかつた。寧ろその方が当然であると悟つた。此兄が自分の放蕩費を苦情も云はずに弁償して呉れた事があるんだから可笑しい。そんなら自分が今こゝで平岡のためはんして、連借でもしたら、うするだらう。矢っ張りの時の様に奇麗に片付けて呉れるだらうか。あに其所そこ迄考へてゐて、断わつたんだらうか。或は自分がそんな無理な事はしないものと初から安心して借さないのかしらん。
 代助自身の今の傾向から云ふと、到底人のために判なぞを押しさうにもない。自分もさう思つてゐる。けれども、あに其所そこを見抜いてかねを貸さないとすると、一寸ちよつと意外な連帯をして、兄がどんな態度に変るか、試験して見たくもある。――其所そこて、代助は自分ながら、あんまり性質たちが能くないなとこころのうちで苦笑した。
 けれども、唯ひとたしかな事がある。平岡は早晩借用証書を携へて、自分の判を取りにくるに違ない。
 斯う考へながら、代助はとこを出た。門野かどのちやで、胡坐あぐらをかいて新聞を読んでゐたが、かみらして湯殿ゆどのからかへつてる代助を見るや否や、急に坐三昧ゐざんまいなほして、新聞を畳んで蒲団のそばりながら、
うも『煤烟ばいえん』は大変な事になりましたな」と大きな声で云つた。
「君読んでるんですか」
「えゝ、毎朝まいあさんでます」
面白おもしろいですか」
面白おもしろい様ですな。どうも」
んな所が」
んな所がつて。さうあらたまつてかれちや困りますが。何ぢやありませんか、一体に、斯う、現代的の不安がてゐる様ぢやありませんか」
「さうして、肉のにほひがしやしないか」
「しますな。大いに」
 代助はだまつて仕舞つた。


 紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へこしを懸けて、茫然ぼんやりにはながめてゐると、こぶだらけの柘榴ざくろ枯枝かれえだと、灰色はいいろみき根方ねがたに、暗緑あんりよく暗紅あんかうはした様なわかい芽が、一面に吹きしてゐる。代助のにはそれがぱつとえいじた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。
 代助のあたまには今具体的な何物をもとゞめてゐない。恰かも戸外こぐわいの天気の様に、それがしづかにじつはたらいてゐる。が、其底には微塵みじんの如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪ちいずなかで、いくらむしうごいても、乾酪ちいずもとの位置にあるあひだは、気が付かないと同じ事で、代助も此微震びしんには殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射してたびに、椅子のうへで、少しづゝ身体からだの位置をへなければならなかつた。
 代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまりくちにした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。
 代助は露西亜文学にる不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふがはからのみ社会をゑがき出すのを、舶来の唐物とうぶつの様に見傚してゐる。
 理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりととまつて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石をげた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければかつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂大疑現前だいぎげんぜん抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口りこうに生れぎた男である。
 代助は門野かどのめた「煤烟」を読んでゐる。今日けふは紅茶々碗のそばに新聞を置いたなり、けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんなかねに不自由のない男だから、贅沢ぜいたく結果けつくわあゝ云ふ悪戯いたづらをしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程にまづしい人である。それを彼所迄あすこまでして行くには、全く情愛じやうあいの力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子ともこといふ女にも、まことの愛で、已むなく社会のそとに押し流されて行く様子が見えない。彼等をうごかす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人オリヂナルだと思ふ。けれども要吉の特殊人オリヂナルたるに至つては、自分より遥かに上手うはてであると承認した。それで此間このあひだ迄は好奇心にられて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、を通さない事がよくある。
 代助は椅子のうへで、時々とき/″\身をうごかした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、いつもの通り読書どくしよに取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、あるページの中頃までて急にめて頬杖をいた。さうして、そばにあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それからほかの雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉でてゐる。代助は斯う云ふ記事をむと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せるための方便だと解釈する。代助は新聞を放りした。


 午過ひるすぎになつてから、代助は自分が落ち付いてゐないと云ふ事を、漸く自覚しした。はらのなかにちいさなしわが無数に出来できて、其皺そのしわが絶えず、相互さうごの位地と、形状かたちとをへて、一面にうごいてゐる様な気持がする。代助は時々とき/″\斯う云ふ情調の支配を受ける事がある。さうして、此種の経験を、今日迄、単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた。代助は昨日きのふあにと一所にうなぎつたのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行てやうかと思ひしたが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた。婆さんに着物をさして、着換きかへやうとしてゐる所へ、をひの誠太郎がた。帽子を手につた儘、恰好のまるあたまを、代助の頭へ出して、こしけた。
「もう学校は引けたのかい。早過はやすぎるぢやないか」
「ちつともはやかない」と云つて、わらひながら、代助のかほを見てゐる。代助はたゝいてばあさんをんで、
「誠太郎、チヨコレートをむかい」と聞いた。
む」
 代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯からかひだした。
「誠太郎、御前はベースボールばかりるもんだから、此頃このごろ手が大変大きくなつたよ。あたまより手の方が大きいよ」
 誠太郎はにこ/\して、右の手で、まるあたまをぐる/″\でた。実際大きな手をつてゐる。
叔父おぢさんは、昨日きのふ御父おとうさんからおごつてもらつたんですつてね」
「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭おかげ今日けふ腹具合はらぐあひわるくつて不可いけない」
また神経しんけいだ」
神経しんけいぢやない本当だよ。まつたくにいさんの所為せゐだ」
「だつて御父おとうさんは左様さう云つてましたよ」
なんて」
明日あした学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走してもらへつて」
「へえゝ、昨日きのふの御礼にかい」
「えゝ、今日けふおれおごつたから、明日あしたむかふのばんだつて」
「それで、わざ/\つてたのかい」
「えゝ」
あにきの子丈あつて、中々なか/\けないな。だから今チヨコレートをましてるからいぢやないか」
「チヨコレートなんぞ」
まないかい」
む事はむけれども」
 誠太郎の注文をいて見ると、相撲が始まつたら、回向院へれて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助はこゝろよく引き受けた。すると誠太郎はうれしさうなかほをして、突然とつぜん
叔父おぢさんはのらくらして居るけれども実際えらいんですつてね」と云つた。代助も是には一寸ちよつとあきれた。仕方なしに、
えらいのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。
「だつて、ぼく昨夕ゆふべはじめて御父おとうさんからいたんですもの」と云ふ弁解があつた。
 誠太郎の云ふ所によると、昨夕ゆふべあにうちへ帰つてから、ちゝあによめと三人して、代助の合評をしたらしい。小供のいふ事だから、能くわからないが、比較的あたまいので、能く断片的に其時の言葉を覚えてゐる。ちゝは代助を、どうも見込がなささうだと評したのださうだ。あには之に対して、あゝつてゐても、あれで中々わかつた所がある。当分ほうつてくがい。ほうつていても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何かるだらうと弁護したのださうだ。するとあによめがそれに賛成して、一週間許り前占者うらなひしやに見てもらつたら、此人このひとは屹度人のかみに立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。
 代助はうん、それから、と云つて、始終面白さうに聞いて居たが、占者うらなひしやところたら、本当に可笑しくなつた。やがて着物きもの着換きかへて、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡のいへたづねた。


 平岡ひらをかいへは、此十数年来の物価騰れて、中流社会が次第々々にめられてく有様を、住宅じうたくうへく代表してゐる、尤も粗悪な見苦みぐるしきかまへである。とくに代助には左様さう見えた。
 もんと玄関のあひだ一間いつけん位しかない。勝手口かつてぐちも其通りである。さうして裏にも、よこにも同じ様な窮屈ないへてられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹にんで、最低度の資本家が、なけなしの元手もとでを二割乃至三割の高利こうりまはさうと目論もくろんで、あたぢけなくこしらげた、生存競争の記念かたみである。
 今日こんにちの東京市、ことに場末ばすえの東京市には、至る所に此種このしゆいへが散点してゐる、のみならず、梅雨つゆつたのみの如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展はつてんづけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴シンボルとした。
 彼等のあるものは、石油缶せきゆくわんそこはせた四角なうろこで蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中よなかはしらの割れるおとまさないものは一人ひとりもない。彼等の戸には必ず節穴ふしあながある。彼等のふすまは必ずくるひが出ると極つてゐる。資本をあたまなかんで、月々つき/″\あたまから利息を取つて生活しやうと云ふ人間にんげんは、みんなういふ所をりてこもつてゐる。平岡も其一人いちにんである。
 代助は垣根かきねまへを通るとき、先づ其屋根やねいた。さうして、どすぐろい瓦の色が妙にかれの心を刺激した。代助には此ひかりのないつちいたが、いくらでもみづむ様に思はれた。玄関前に、此間このあひだ引越のときにほどいた菰包こもづゝみ藁屑わらくづがまだこぼれてゐた。座敷ざしきとほると、平岡は机のまへすはつて、なが手紙てがみけてゐる所であつた。三千代みちよつぎ部屋へやで簟笥のくわんをかたかた鳴らしてゐた。そばおほきな行李こりけてあつて、なかから奇麗きれい長繻絆ながじゆばんそで半分はんぶんかかつてゐた。
 平岡が、失敬だが鳥渡ちよつとつて呉れと云つたあひだに、代助は行李こり長繻絆ながじゆばんと、時々とき/″\行李こりなかちるほそい手とを見てゐた。ふすまけた儘る様子もなかつた。が三千代の顔はかげになつて見えなかつた。
 やがて、平岡はふでつくえの上へげ付ける様にして、なほした。なんだか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳をあかくしてゐた。も赤くしてゐた。
うだい。此間このあひだ色々いろ/\難有う。其一寸ちよつとれいかうと思つて、まだかない」
 平岡の言葉は言訳いひわけと云はんより寧ろ挑せんの調子を帯びてゐる様にこえた。襯衣シヤツ股引もゝひきけずにすぐ胡坐あぐらをかいた。えりたゞしくあはせないので、胸毛むなげが少しゝゐる。
「まだかないだらう」と代助が聞いた。
「落ち付くどころか、此分このぶんぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かしした。
 代助は平岡が何故なぜこんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分にあたるのぢやない、つまり世間せけんあたるんである、否おのれにあたつてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞはらが立たない丈である。
うちの都合は、どうだい。間取まどりの具合はささうぢやないか」
「うん、まあ、わるくつても仕方しかたがない。気に入つたうちへ這入らうと思へば、かぶでもるより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派なうちはみんな株屋がこしらへるんだつて云ふぢやないか」
左様さうかも知れない。其代り、あゝ云ふ立派なうちが一軒つと、其かげに、どの位沢山なうちつぶれてゐるか知れやしない」
「だからなほいだらう」
 平岡はう云つて大いにわらつた。其所そこ三千代みちよた。先達てはと、かるく代助に挨拶をして、手につた赤いフランネルのくる/\といたのを、すはると共に、まへいて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤※[#小書き平仮名ん、94-8]坊の着物きものなの。こしらへた儘、つい、まだ、ほどかずにあつたのを、今行李こりそこたらつたから、してたんです」と云ひながら、附紐つけひもいて筒袖つゝそでを左右にひらいた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早くこわして雑巾にでもして仕舞へ」


 三千代みちよ小供こども着物きものを膝のうへせた儘、返事もせずしばらく俯向うつむいて眺めてゐたが、
貴方あなたのとおんなじにこしらへたのよ」と云つておつとの方を見た。
これか」
 平岡はかすりあはせしたへ、ネルをかさねて、素肌すはだてゐた。
これはもう不可いかん。あつくて駄目だめだ」
 代助ははじめて、むかし平岡ひらをか当面まのあたりた。
あはせしたにネルをかさねちやもうあつい。繻絆にするとい」
「うん、面倒だからてゐるが」
「洗濯をするから御ぎなさいと云つても、中々なか/\がないのよ」
「いや、もうぐ、おれも少々いやになつた」
 はなしんだ小供こどもの事をとう/\はなれて仕舞つた。さうして、た時よりは幾分か空気に暖味あたゝかみ出来できた。平岡は久し振りに一杯飲まうと云ひした。三千代みちよ支度したくをするから、ゆつくりしてつてれとたのむ様にめて、つぎつた。代助は其後姿うしろすがたを見て、どうかしてかねこしらへてやりたいと思つた。
「君何所どこか奉公ぐちの見当はいたか」と聞いた。
「うん、まあ、ある様ない様なもんだ。ければ当分あそぶ丈の事だ。ゆつくりさがしてゐるうちにはうかなるだらう」
 云ふ事は落ちいてゐるが、代助がくと却つてあせつてさがしてゐる様にしか取れない。代助は、昨日きのふあにと自分の間に起つた問答の結果を、平岡に知らせやうと思つてゐたのだが、此一言を聞いて、しばらく見合せる事にした。何だか、かまへてゐる向ふの体面を、わざと此方こつちから毀損する様な気がしたからである。其上そのうへかねの事にいては平岡からはまだ一言いちげんの相談も受けた事もない。だから表向おもてむき挨拶をする必要もないのである。たゞ、うしてだまつてゐれば、平岡からは、内心で、冷淡なやつだとわるく思はれるにきまつてゐる。けれどもいまの代助はさう云ふ非難に対して、殆んど無感覚である。又実際自分はさう熱烈な人間にんげんぢやないと考へてゐる。三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひまはしてゐた。渡金めつききんに通用させ様とするせつない工面より、真鍮を真鍮でとほして、真鍮相当の侮蔑を我慢する方がらくである。と今は考へてゐる。
 代助が真鍮を以てあまんずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果をたしたといふ様な、小説じみた歴史をつてゐるためではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金めつきを自分で剥がしてたにぎない。代助は此渡金めつきの大半をもつて、親爺おやぢ捺摺なすり付けたものと信じてゐる。其時分じぶん親爺おやぢきんに見えた。多くの先輩がきんに見えた。相当の教育を受けたものは、みなきんに見えた。だから自分の渡金めつきつらかつた。早くきんになりたいとあせつて見た。所が、ほかのものゝ地金ぢがねへ、自分の眼光がぢかにつかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれした。
 代助は同時に斯う考へた。自分が三四年の間に、是迄変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化してゐるだらう。昔しの自分なら、可成平岡によく思はれたい心から、斯んな場合にはあにと喧嘩をしても、ちゝと口論をしても、平岡のために計つたらう、又其はかつた通りを平岡の所へ事々こと/″\しく吹聴したらうが、それを予期するのは、矢っ張り昔しの平岡で、今の彼は左程に友達を重くは見てゐまい。
 それで肝心の話は一二言でめて、あとは色々な雑談に時をごすうちに酒がた。三千代が徳利のしりを持つて御酌をした。


 平岡はふに従つて、段々くちが多くなつてた。此男このをとこはいくら酔つても、なか/\平生を離れない事がある。かと思ふと、大変に元気づいて、調子に一種の悦楽えつらくを帯びてる。さうなると、普通の酒家以上に、能く弁する上に、時としては比較的真面目まじめな問題を持ち出して、相手と議論を上下してたのに見える。代助は其昔し、麦酒ビールびんたがひあひだならべて、よく平岡とたゝかつた事を覚えてゐる。代助に取つて不思議とも思はれるのは、平岡がう云ふ状態に陥つた時が、一番平岡と議論がしやすいと云ふ自覚であつた。又酒を呑んで本音ほんねかうか、と平岡の方からよく云つたものだ。今日こんにち二人ふたりの境界は其時分じぶんとは、大分はなれてた。さうして、其離れて、ちかづくみちを見出しにくい事実を、双方共に腹のなかで心得てゐる。東京へいた翌日あくるひ、三年振りで邂逅した二人ふたりは、其時そのときすでに、二人ふたりともに何時いつたがひそば立退たちのいてゐたことを発見した。
 所が今日けふは妙である。さけしたしめばしたしむ程、平岡がむかしの調子をしてた。うまい局所へ酒がまはつて、刻下こくかの経済や、目前の生活や、又それに伴ふ苦痛やら、不平やら、心の底のさわがしさやらを全然痲痺まひして[#「痲痺して」は底本では「痳痺して」]仕舞つた様に見える。平岡の談話は一躍いちやくしてたかい平面に飛びがつた。
「僕は失敗したさ。けれども失敗してもはたらいてゐる。又是からもはたらくつもりだ。君は僕の失敗したのを見て笑つてゐる。――笑はないたつて、要するに笑つてると同じ事に帰着するんだから構はない。いゝか、君は笑つてゐる。笑つてゐるが、其君そのきみは何もないぢやないか。君は世のなかを、ありまゝで受け取る男だ。言葉を換えて云ふと、意志を発展させる事の出来ない男だらう。意志がないと云ふのはうそだ。人間だもの。其証拠には、始終物足りないにちがひない。僕は僕の意志を現実社会にはたらけて、其現実社会が、僕の意志のために、幾分でも、僕の思ひ通りになつたと云ふ確証を握らなくつちや、生きてゐられないね。そこに僕と云ふものゝ存在の価値かちを認めるんだ。君はたゞ考へてゐる。考へてる丈だから、あたまなかの世界と、あたまそとの世界を別々べつ/\建立こんりうして生きてゐる。此大不調和を忍んでゐる所が、既に無形の大失敗ぢやないか。何故なぜと云つて見給へ。僕のは其不調和をそとした迄で、君のは内に押し込んで置く丈の話だから、外面ぐわいめんに押し掛けた丈、僕の方が本当の失敗のすくないかも知れない。でも僕は君に笑はれてゐる。さうして僕は君を笑ふ事が出来ない。いや笑ひたいんだが、世間から見ると、笑つちや不可いけないんだらう」
なにわらつても構はない。君が僕を笑ふ前に、僕は既に自分を笑つてゐるんだから」
「そりや、うそだ。ねえ三千代みちよ
 三千代みちよ先刻さつきからだまつてすはつてゐたが、おつとから不意に相談を受けた時、にこりと笑つて、代助を見た。
「本当でせう、三千代みちよさん」と云ひながら、代助はさかづきして、酒をけた。
「そりやうそだ。おれの細君が、いくら弁護べんごしたつて、うそだ。尤も君はひとわらつても、自分を笑つても、両方共あたまなかる人だから、うそか本当か其辺はしかとわからないが……」
「冗談云つちや不可いけない」
「冗談ぢやない。全く本気の沙汰であります。そりやむかしきみはさうぢやかつた。昔の君はさうぢやかつたが、今の君は大分ちがつてるよ。ねえ三千代みちよ長井ながゐだれが見たつて、大得意ぢやないか」
なんだか先刻さつきから、そばうかがつてると、貴方あなたの方が余っ程御得意の様よ」
 平岡は大きな声を出してハヽヽと笑つた。三千代みちよかん徳利を持つてつぎの間へつた。


 平岡は膳のうへさかな二口三口ふたくちみくちはしで突つついて、下を向いた儘、むしや/\云はしてゐたが、やがて、どろんとしたを上げて、云つた。――
今日けふは久しりにい心持に酔つた。なあ君。――君はあんまりい心持にならないね。うもしからん。僕がむかしの平岡常次郎になつてるのに、君がむかしの長井代助にならないのはしからん。是非なりたまへ。さうして、大いにつてたまへ。ぼくこれからる。からきみつて呉れたまへ」
 代助は此言葉のうちに、今の自己をむかしかへさうとする真卒な又無邪気な一種の努力をみとめた。さうして、それにうごかされた。けれども一方では、一昨日おとゝひつた麺麭パンを今かへせと強請ねだられる様な気がした。
「君は酒を呑むと、言葉丈酔払つても、あたまは大抵たしかな男だから、僕も云ふがね」
「それだ。それでこそ長井君だ」
 代助は急に云ふのがいやになつた。
「君、あたまたしかかい」と聞いた。
たしかだとも。君さへたしかなら此方こつち何時いつでもたしかだ」と云つて、ちやんと代助の顔を見た。実際自分の云ふ通りの男である。そこで代助が云つた。――
「君はさつきから、はたらかない/\と云つて、大分ぼくを攻撃したが、僕はだまつてゐた。攻撃される通り僕ははたらかないつもりだからだまつてゐた」
何故なぜはたらかない」
何故なぜはたらかないつて、そりや僕がわるいんぢやない。つまりなかわるいのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だからはたらかないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏ぶるひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時いつになつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、そればかりが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行おくゆきけづつて、一等国丈の間口まぐちつちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨ひさんなものだ。うしと競争をするかへると同じ事で、もう君、はらけるよ。其影響はみんな我々個人のうへに反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、あたまに余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日こんにちの、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊こんぱいと、身体の衰弱とは不幸にしてともなつてゐる。のみならず、道徳の敗退はいたいも一所にてゐる。日本国中何所どこを見渡したつて、かゞやいてる断面だんめんは一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其あひだに立つて僕一人ひとりが、何と云つたつて、何をたつて、仕様がないさ。僕は元来なまけものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分からなまけものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなればる事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ちつ丈の刺激も亦いくらでも出来てるだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂ありの儘の世界を、有の儘で受取つて、其うち僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んでほかの人を、此方こつちの考へ通りにするなんて、到底出来できた話ぢやありやしないもの――」
 代助は一寸ちよつといきいだ。さうして、一寸ちよつと窮屈きうくつさうに控えてゐる千代の方を見て、御世辞をつかつた。
三千代みちよさん。どうです、わたしかんがへは。随分呑気のんきいでせう。賛成しませんか」
なんだか厭世の様な呑気のんきの様な妙なのね。わたくしよくわからないわ。けれども、少し胡麻化ごまくわして入らつしやる様よ」
「へええ。何処どこところを」
何処どこところつて、ねえ貴方あなた」と三千代みちよおつとを見た。平岡はもゝうへひぢせて、ひぢの上へあごせてだまつてゐたが、何にも云はずにさかづきを代助の前にした。代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした。


 代助はさかづきくちびるけながら、是からさきはもう云ふ必要がないと感じた。元来が平岡を自分の様に考へなほさせるための弁論でもなし、又平岡から意見されにた訪問でもない。二人ふたりはいつ迄つても、二人ふたりとしてはなれてゐなければならない運命をつてゐるんだと、始めから心付こゝろづいてゐるから、議論は能い加減に引きげて、三千代みちよ仲間なかま入りの出来る様な、普通の社交上の題目に談話を持つてやうと試みた。
 けれども、平岡は酔ふとしつこくなる男であつた。胸毛むなげおく迄赤くなつたむねを突きして、斯う云つた。
「そいつは面白い。大いに面白い。僕見た様に局部にあたつて、現実と悪闘あくとうしてゐるものは、そんな事を考へる余地がない。日本が貧弱ひんじやくだつて、弱虫よはむしだつて、はたらいてるうちは、忘れてゐるからね。世のなか堕落だらくしたつて、世のなかの堕落に気がかないで、其うちに活動するんだからね。君の様な暇人ひまじんから見れば日本の貧乏びんぼうや、僕等の堕落だらくが気になるかも知れないが、それは此社会に用のない傍観者にして始めてくちにすべき事だ。つまり自分の顔を鏡で見る余裕があるから、さうなるんだ。いそがしい時は、自分の顔の事なんか、誰だつて忘れてゐるぢやないか」
 平岡は※舌しやべ[#「口+堯」、U+5635、104-10]つてるうち、自然と此比喩につかつて、大いなる味方を得た様な心持がしたので、其所そこで得意に一段落をつけた。代助は仕方しかたなしに薄笑うすわらひをした。すると平岡はすぐあと附加つけくはへた。
「君はかねに不自由しないから不可いけない。生活にこまらないから、はたらく気にならないんだ。要するにぼつちやんだから、ひんい様なことばつかり云つてゐて、――」
 代助は少々平岡が小憎こにくらしくなつたので、突然中途で相手をさへぎつた。
はたらくのもいが、はたらくなら、生活以上のはたらきでなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭パンを離れてゐる」
 平岡は不思議に不愉快なをして、代助のかほうかゞつた。さうして、
何故なぜ」といた。
何故なぜつて、生活のめの労力は、労力のめの労力でないもの」
「そんな論理学の命題めいだい見た様なものはわからないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」
「つまりめの職業は、誠実にや出来にくいと云ふ意味さ」
「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」
「猛烈にははたらけるかも知れないが誠実にははたらきにくいよ。ためはたらきと云ふと、つまりふのと、はたらくのと何方どつちが目的だと思ふ」
「無論ふ方さ」
「夫れ見給へ。ふ方が目的ではたらく方が方便なら、やすい様に、はたらきかたあはせて行くのが当然だらう。さうすりや、何をはたらいたつて、又どうはたらいたつて、構はない、只麺麭パンが得られゝばいと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、うも。夫で一向差支ないぢやないか」
「ではごく上品な例で説明してやらう。古臭ふるくさはなしだが、ある本でんな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人のこしらへたものをつて見るとすこぶ不味まづかつたんで、大変小言こごとを云つたさうだ。料理人の方では最上の料理をはして、しかられたものだから、其次そのつぎからは二流もしくは三流の料理を主人しゆじんにあてがつて、始終められたさうだ。此料理人を見給へ。生活のために働らく事は抜目ぬけめのない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のためにはたらく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」
「だつて左様さうしなければ解雇されるんだから仕方があるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやるはたらきでなくつちや、真面目まじめな仕事は出来できるものぢやないんだよ」
「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢやます/\る義務がある。なあ三千代」
「本当ですわ」
「何だかはなしが、もとへ戻つちまつた。是だから議論は不可いけないよ」と云つて、代助はあたまいた。議論はそれで、とう/\御仕舞になつた。


 代助は風呂ふろ這入はいつた。
「先生、うです、御燗おかんは。もう少しさせませうか」と門野かどの突然とつぜん入りぐちからかほした。門野かどのう云ふ事にはく男である。代助は、じつつかつた儘、
結構けつこう」と答へた。すると、門野かどのが、
「ですか」と云ひてゝ、茶のの方へ引きかへした。代助は門野かどのの返事のし具合に、いたく興味をつて、独りにや/\と笑つた。代助にはひとの感じ得ない事を感じる神経がある。それがため時々とき/″\苦しいおもひもする。ある時、友達の御親爺おやぢさんが死んで、葬式のともに立つたが、不図其友達が装束をて、青竹をいて、ひつぎのあとへいて行く姿すがたを見て可笑おかしくなつて困つた事がある。又ある時は、自分のちゝから御談義を聞いてゐる最中に、何の気もなくちゝの顔を見たら、急に吹きしたくなつて弱りいた事がある。自宅に風呂をはない時分には、つい近所の銭湯せんとうに行つたが、其所そこ一人ひとり骨骼こつかくの逞ましい三助さんすけがゐた。是が行くたんびに、おくから飛びしてて、ながしませうと云つては脊中せなかこする。代助は其奴そいつからだをごし/\られるたびに、どうしても、埃及人エジプトじんられてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。
 まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓しんぞうの鼓動を、増したり、へらしたり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験するくせのある代助は、ためしにつて見たくなつて、一日いちじつに二三回位怖々こわ/″\ながらためしてゐるうちに、うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。
 湯のなかに、しづかにつかつてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸のうへへ持つて行つたが、どん/\と云ふいのちおとを二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひして、すぐながしへりた。さうして、其所そこ胡坐あぐらをかいた儘、茫然と、自分のあしを見詰めてゐた。すると其あしが変になり始めた。どうも自分の胴からえてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所そこに無作法によこたはつてゐる様に思はれてた。さうなると、今迄は気がかなかつたが、じつに見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃むらびて、あをすぢ所々ところ/″\はびこつて、如何にも不思議な動物である。
 代助は又に這入つて、平岡の云つた通り、全たくひまがありぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯からて、鏡に自分の姿をうつした時、又平岡の言葉を思ひした。幅のあつい西洋髪剃かみそりで、あごと頬をだんになつて、其するどいが、かゞみうらひらめく色が、一種むづがゆい様な気持をおこさした。これ烈敷はげしくなると、高い塔の上から、遥かのした見下みおろすのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃りおはつた。
 茶のけ様とする拍子に、
うも先生はうまいよ」と門野かどのばあさんにはなしてゐた。
なにうまいんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野かどのは、
「やあ、もう御上おあがりですか。早いですな」と答へた。此挨拶では、もう一遍、何がうまいんだと聞かれもしなくなつたので、其儘書斎へかへつて、椅子いすこしを掛けて休息してゐた。
 休息しながら、あたまが妙な方面に鋭どくはたらしちや、身体からだの毒だから、と旅行でもしやうかと思つて見た。ひとつは近来持ちあがつた結婚問題をけるに都合がいとも考へた。すると又平岡の事が妙に気にかゝつて、転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた。それを能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢っ張り三千代みちよの事が気にかかるのである。代助は其所そこ迄押してても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。


 代助が三千代みちよあひになつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生のころであつた。代助は長井の関係から、当時交際社会の表面にあらはれてた、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合いろあひから云ふと、もつと地味ぢみで、気持きもちから云ふと、もう少ししづんでゐた。其頃、代助の学友に菅沼すがぬまと云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合つきあつてゐた。三千代みちよ其妹そのいもとである。
 此菅沼すがぬまは東京近県のもので、学生になつた二年目のはる、修業のためと号して、くにから妹をれてると同時に、今迄の下宿を引きはらつて、二人ふたりしていへを持つた。其時いもとくにの高等女学校を卒業したばかりで、としたしか十八とか云ふはなしであつたが、派出な半襟をけて、肩上かたあげをしてゐた。さうして程なくある女学校へかよはじめた。
 菅沼のいへ谷中やなか清水町しみづちようで、にはのない代りに、椽側へると、上野のもりふるすぎたかく見えた。それがまた、さびてつの様に、すこぶあやしいいろをしてゐた。その一本は殆んどかつて、うへの方には丸裸まるはだか骨許ほねばかり残つた所に、夕方ゆふがたになると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣にはわか画家ゑかきんでゐた。くるまもあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居すまゐであつた。
 代助は其所そこく遊びにつた。始めて三千代みちよつた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つてた。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶をつてる丈であつた。其くせ狭いうちだから、となりへやにゐるより外はなかつた。代助は菅沼とはなしながら、となりへやに三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳にかなかつた。
 三千代みちよくちしたのは、どんな機会はづみであつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つてない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説にいた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦くちしてからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人ふたりはすぐ心安こゝろやすくなつて仕舞つた。
 平岡も、代助の様に、よく菅沼すがぬまうちあそびにた。あるときは二人ふたりつて、た事もある。さうして、代助と前後して、三千代みちよと懇意になつた。三千代は兄と此二人ふたり食付くつついて、時々池のはた抔を散歩した事がある。
 四人よつたりは此関係で約二年やくにねん足らずごした。すると菅沼すがぬまの卒業するとしはる菅沼すがぬまはゝと云ふのが、田舎いなかからあそびにて、しばらく清水しみづ町にとまつてゐた。此はゝは年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日寐起ねおきする例になつてゐたんだが、其時は帰る前日ぜんじつからねつだして、全くうごけなくなつた。それが一週間の後窒扶斯ちふすと判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護のため附添つきそひとして一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶりかへして、とう/\死んで仕舞つた。そればかりではない。窒扶斯ちふすが、見舞にあにに伝染して、是も程なくくなつた。くににはたゞ父親ちゝおや一人ひとりのこつた。
 それがはゝの死んだ時も、菅沼すがぬまの死んだ時もて、始末をしたので、生前に関係のふかかつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代をれて国へ帰る時は、娘とともに二人ふたりの下宿を別々にたづねて、暇乞いとまごひかた/″\礼をべた。
 其年そのとしの秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其あひだに立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式につらなつて貰つたのだが、身体からだうごかして、三千代みちよの方をまとめたものは代助であつた。
 結婚してもなく二人ふたりは東京を去つた。国にちゝは思はざるある事情のために余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代みちよ何方どつちかと云へば、いま心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付おちついてゐられる様にしてりたい気がする。代助はもう一返あによめに相談して、此間このあひだかねを調達する工面をして見やうかと思つた。又三千代みちよに逢つて、もう少し立ち入つた事情をくわしく聞いて見やうかと思つた。


 けれども、平岡へ行つた所で、三千代が無暗にあらざら※舌しやべ[#「口+堯」、U+5635、112-13]らす女ではなし、よしんばうして、そんなかねる様になつたかの事情を、詳しくき得たにした所で、夫婦ふうふはらなかなんぞは容易にさぐられる訳のものではない。――代助の心の底を能く見詰めてゐると、かれの本当に知りたい点は、却つて此所こゝに在ると、自から承認しなければならなくなる。だから正直を云ふと、何故なにゆへかねが入用であるかを研究する必要は、もう既に通り越してゐたのである。実は外面の事情は聞いてもかなくつても、三千代にかねを貸して満足させたい方であつた。けれども三千代の歓心を買ふ目的を以て、其手段としてかねこしらへる気は丸でなかつた。代助は三千代に対して、それ程政略的な料簡を起す余裕をつてゐなかつたのである。
 其上そのうへ平岡の留守へ行きてゝ、今日こんにち迄の事情を、特に経済の点に関して丈でも、充分聞き出すのは困難である。平岡がうちにゐる以上は、詳しいはなしの出来ないのは知れ切つてゐる。出来ても、それを一から十迄に受ける訳には行かない。平岡は世間的な色々の動機から、代助に見栄みえを張つてゐる。見栄みえの入らない所でも一種の考から沈黙を守つてゐる。
 代助は、兎も角もまづあによめに相談して見やうと決心した。さうして、自分ながら甚だ覚束ないとは思つた。今迄あによめにちび/\、無心を吹き掛けた事は何度もあるが、う短兵急にいため付けるのは始めてゞである。然し梅子は自分の自由になる資産をいくらかつてゐるから、或は出来ないとも限らない。それで駄目なら、又高利でもりるのだが、代助はまだ其所そこ迄には気が進んでゐなかつた。たゞ早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わり切れない位なら、一層いつそ此方こつちから進んで、直接に三千代みちよを喜ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆んど理窟を離れて、あたまなかひそんでゐた。
 生暖なまあたゝかいかぜく日であつた。くもつた天気が何時迄いつまで無精ぶせうそら引掛ひつかゝつて、中々なか/\れさうにない四時過からうちて、あに宅迄たくまで電車で行つた。青山あをやま御所のすこし手前迄ると、電車の左側ひだりがはちゝあに綱曳つなびきいそがしてとほつた。挨拶あいさつをするひまもないうちにちがつたから、向ふは元より気がかずにぎ去つた。代助はつぎの停留所でりた。
 あにいへの門を這入ると、客間きやくまでピアノのおとがした。代助は一寸ちよつと砂利のうへに立ちどまつたが、すぐ左へ切れて勝手ぐちの方へ廻つた。其所そこには格子のそとに、ヘクターと云ふ英国産の大きな犬が、大きなくちを革ひもしばられててゐた。代助の足音をくや否や、ヘクターは毛の長いみゝふるつて、まだらかほを急にげた。さうして尾をうごかした。
 入口いりぐちの書生部屋を覗き込んで、敷居のうへに立ちながら、二言三言ふたことみこと愛嬌を云つたあと、すぐ西洋の方へて、けると、あによめがピヤノの前に腰を掛けて両手をうごかして居た。其傍そのそばぬひ子がそでの長い着物をて、例のかみを肩迄掛けてつてゐた。代助はぬひ子のかみを見るたんびに、ブランコにつた縫子の姿すがたを思ひす。くろかみと、淡紅色ときいろのリボンと、それから黄色い縮緬ちりめんの帯が、一時いちじに風に吹かれてくうに流れるさまを、あざやかにあたまなかに刻み込んでゐる。
 母子おやこは同時にり向いた。
「おや」
 縫子の方は、だまつてけてた。さうして、代助の手をぐい/\引張ひつぱつた。代助はピヤノのそばた。
「如何なる名人がらしてゐるのかと思つた」
 梅子は何にも云はずに、ひたいに八の字をせて、笑ひながら手を振り振り、代助の言葉を遮ぎつた。さうして、むかふからう云つた。
「代さん、此所こゝところ一寸ちよつとつてせてください」
 代助はだまつてあによめと入れかはつた。を見ながら、両方のゆびをしばらく奇麗にはたらかしたあと
うだらう」と云つて、すぐ席を離れた。


 それから三十分程のあひだ母子おやこしてかはる/″\楽器の前にすはつては、一つところを復習してゐたが、やがて梅子が、
「もうしませう。彼方あつちつて、御飯ごはんでもたべませう。叔父おぢさんもゐらつしやい」と云ひながら立つた。部屋のなかはもう薄暗うすぐらくなつてゐた。代助は先刻さつきから、ピヤノのおとを聞いて、あによめめいの白い手のうごく様子を見て、さうして時々とき/″\は例の欄間らんまながめて、三千代みちよの事も、かねりる事も殆んど忘れてゐた。部屋をる時、振り返つたら、紺青こんじやうなみくだけて、白く吹きかへす所だけが、くらなか判然はつきり見えた。代助は此大濤おほなみうへ黄金色こがねいろくもみねを一面にかした。さうして、其くもみねをよく見ると、真裸まはだか女性によせう巨人きよじんが、かみみだし、身をおどらして、一団となつて、れ狂つてゐるやうに、うまく輪廓をらした。代助は※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ルキイルをくもに見立てた積で此図を注文したのである。彼は此くもの峰だか、又巨大な女性だか、殆んど見分けのかない、かたまり脳中のうちう髣髴ほうふつして、ひそかにうれしがつてゐた。が偖出来あがつて、かべなかめ込んでみると、想像したよりは不味まづかつた。梅子と共に部屋をときは、此※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ルキイルは殆んど見えなかつた。紺青こんじやうの波は固より見えなかつた。たゞ白いあはの大きなかたまり薄白うすじろく見えた。
 居間ゐまにはもう電燈がいてゐた。代助は其所そこで、梅子と共に晩食ばんしよくました。子供二人ふたりたくを共にした。誠太郎にあに部室へやからマニラを一本つてさして、それかしながら、雑談をした。やがて、小供こども明日あした下読したよみをする時間だと云ふので、はゝから注意を受けて、自分の部屋へやへ引きつたので、あとは差しむかひになつた。
 代助は突然例のはなしち出すのも、変なものだと思つて、関係のない所からそろ/\進行を始めた。先づちゝあに綱曳つなつぴきくるまいそがして何所どこへ行つたのだとか、此間このあひだにいさんに御馳走になつたとか、あなたは何故なぜ麻布の園遊会へなかつたのだとか、御父おとうさんの漢詩は大抵法螺ほらだとか、色々いろいろ聞いたり答へたりしてるうちに、一つ新しい事実を発見した。それはほかでもない。ちゝあにが、近来目につ様に、いそがしさうに奔走し始めて、此四五日は碌々ろく/\るひまもない位だと云ふ報知である。全体何がはじまつたんですと、代助は平気なかほで聞いて見た。すると、あによめも普通の調子で、さうですね、なにはじまつたんでせう。御父おとうさんも、にいさんもわたくしにはなんにもおつしやらないから、らないけれどもと答へて、代さんは、それよりか此間このあひだ御嫁およめさんをと云ひ掛けてゐる所へ、書生が這入つてた。
 今夜こんやおそくなる、もし、だれだれたらなんとかる様に云つて呉れと云ふ電話をつたへた儘、書生は再びつた。代助は又結婚問題にはなしもどると面倒だから、時にねえさん、ちつとねがひがあつてたんだが、とすぐ切り出して仕舞つた。
 梅子うめこは代助の云ふ事を素直すなほいてた。代助は凡てを話すに約十分許をついやした。最後に、
「だから思ひ切つて貸してください」と云つた。すると梅子は真面目まじめな顔をして、
「さうね。けれども全体何時いつかへす気なの」と思ひもらぬ事を問ひ返した。代助はあごさきゆびつまんだ儘、じつとあによめ気色けしきうかゞつた。梅子うめこは益真面目まじめかほをして、又斯う云つた。
「皮肉ぢやないのよ。おこつちや不可いけませんよ」
 代助は無論おこつてはゐなかつた。たゞ姉弟けうだいからういふ質問を受けやうと予期してゐなかつた丈である。今更かへだの、もらう積りだのと布衍ふえんすればする程馬鹿になるばかりだから、あまんじて打撃を受けてゐた丈である。梅子は漸やく手に余る弟を取つて抑えた様な気がしたので、あとが大変云ひやすかつた。――


「代さん、あなたは不断ふだんからわたくしを馬鹿にして御出おいでなさる。――いゝえ、厭味いやみを云ふんぢやない、本当の事なんですもの、仕方がない。さうでせう」
こまりますね、左様さう真剣しんけん詰問きつもんされちや」
ござんすよ。胡魔化ごまくわさないでも。ちやんとわかつてるんだから。だから正直に左様さうだと云つて御仕舞なさい。左様さうでないと、あとはなせないから」
 代助はだまつてにや/\わらつてゐた。
「でせう。そら御覧なさい。けれども、それが当り前よ。ちつともかまやしません。いくらわたしが威張つたつて、貴方あなたかなひつこないのは無論ですもの。わたし貴方あなたとは今迄どほりの関係で、御互ひに満足なんだから、文句はありやしません。そりやそれいとして、貴方あなた御父おとうさんも馬鹿にして入らつしやるのね」
 代助はあによめの態度の真卒な所が気に入つた。それで、
「えゝ、少しは馬鹿にしてゐます」と答へた。すると梅子はも愉快さうにハヽヽヽと笑つた。さうして云つた。
にいさんも馬鹿にして入らつしやる」
にいさんですか。にいさんは大いに尊敬してゐる」
うそおつしやい。ついでだから、みんなけて御仕舞しまひなさい」
「そりや、或点あるてんでは馬鹿にしない事もない」
「それ御らんなさい。あなたは一家族ぢう悉く馬鹿にして入らつしやる」
「どうも恐れ入りました」
「そんな言訳いひわけはどうでもいんですよ。貴方あなたから見れば、みんな馬鹿にされる資格があるんだから」
「もう、さうぢやありませんか。今日けふ中中なかなかきびしいですね」
「本当なのよ。それ差支さしつかへないんですよ。喧嘩もなにおこらないんだから。けれどもね、そんなにえら貴方あなたが、何故なぜわたしなんぞから御金おかねりる必要があるの。可笑おかしいぢやありませんか。いえ、揚足あげあしを取ると思ふと、はらが立つでせう。左様そんなんぢやありません。それ程えら貴方あなたでも、御金おかねがないと、わたし見た様なものにあたまげなけりやならなくなる」
「だからさつきからあたまげてゐるんです」
「まだ本気で聞いてゐらつしやらないのね」
「是がわたしの本気な所なんです」
「ぢや、それも貴方あなたえらい所かも知れない。然しだれ御金おかねがなくつて、今の御友達をすくつてげる事が出来なかつたら、うなさる。いくらえらくつても駄目ぢやありませんか。無能力な事は車屋くるまやおんなしですもの」
 代助は今迄あによめが是程適切な異見を自分に向つて加へ得やうとは思はなかつた。実はかねの工面を思ひ立つてから、自分でも此弱点を冥々のうちに感じてゐたのである。
「全く車屋ですね。だからねえさんにたのむんです」
「仕方がないのね、貴方あなたは。あんまり、偉過えらすぎて。一人ひとりで御かねを御んなさいな。本当の車屋ならして上げない事もないけれども、貴方あなたにはいやよ。だつてあんまりぢやありませんか。月々つき/″\にいさんや御父おとうさんの厄介になつたうへに、ひとぶん迄自分に引受けて、貸してやらうつて云ふんだから。だれたくはないぢやありませんか」
 梅子の云ふ所は実に尤もである。然し代助は此もつともを通り越して、気がかずにゐた。振り返つて見ると、うしろの方にあねあにちゝがかたまつてゐた。自分も後戻あともどりをして、世間並せけんなみにならなければならないと感じた。うちる時、あによめから無心を断わられるだらうとは気遣きづかつた。けれどもそれめに、大いにはたらいて、自から金を取らねばならぬといふ決心は決して起し得なかつた。代助は此事件を夫程重くは見てゐなかつたのである。


 梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。所が代助には梅子のはらがよくわかつてゐた。わかればわかる程激する気にならなかつた。そのうち話題はかねを離れて、再び結婚にもどつてた。代助は最近の候補者に就て、此間このあひだから親爺おやぢに二度程なやまされてゐる。親爺おやぢの論理は何時いついても昔し風に甚だ義理かたいものであつたが、其代り今度は左程権柄づくでもなかつた。自分のいのちおやあたひとの血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、もらつて呉れと云ふんである。さうすれば幾分か恩がかへせると云ふんである。要するに代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋のたない主張であつた。尤も候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた事丈は慥かである。だからちゝの云ふ事の当否は論弁のかぎりにあらずとして、もらへばもらつてもかまはないのである。代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚けつこんに対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない。佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許であるが、夫丈でも沢山な様な気がする。――尤も写真は大分美くしかつた。――従つて、貰ふとなれば、左様さう面倒な条件を持ち出す考も何もない。たゞ、貰ひませうと云ふ確答がなかつた丈である。
 その不明晰な態度を、ちゝに評させると、丸で要領を得てゐない鈍物同様の挨拶振になる。結婚を生死のあひだよこたはる一大要件と見傚して、あらゆる他の出来事を、これに従属させる考のあによめから云はせると、不可思議になる。
「だつて、貴方あなただつて、生涯一人ひとりでゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、い加減な所でめて仕舞つたらうです」と梅子はすこれつたさうに云つた。
 生涯一人ひとりでゐるか、或はめかけを置いてくらすか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。たゞいまの彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味をてなかつた事はたしかである。是は、彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ないのと、彼のあたまが普通以上にするどくつて、しかも其するどさが、日本現代の社会状況のために、幻像イリユージヨン打破の方面にむかつて、今日迄多く費やされたのと、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐるのとに帰着するのである。が代助は其所そこ迄解剖して考へる必要は認めてゐない。たゞ結婚に興味がないと云ふ、自己にあきらかな事実をにぎつて、それに応じて未来を自然にばして行く気でゐる。だから、結婚を必要事件と、初手から断定して、何時いつか之を成立させ様とあせる努力を、不自然であり、不合理であり、且つあまりに俗臭を帯びたものと解釈した。
 代助は固よりんな哲理フヒロソフヒーあによめに向つて講釈する気はない。が、段々押しつめられると、苦しまぎれに、
「だが、ねえさん、僕はうしてもよめもらはなければならないのかね」とく事がある。代助は無論真面目まじめつもりだけれども、あによめの方ではあきれて仕舞ふ。さうして、自分を茶にするのだと取る。梅子は其晩代助に向つて、平生いつも手続てつゞきかへしたあとで、んな事を云つた。
「妙なのね、そんなにいやがるのは。――いやなんぢやないつて、くちではおつしやるけれども、もらはなければ、いやなのとおんなしぢやありませんか。それぢやだれきなのがあるんでせう。其方そのかたの名をおつしやい」
 代助は今迄よめの候補者としては、たゞの一人もいたをんなあたまなかに指名してゐた覚がなかつた。が、いまう云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。つゞいて、だから先刻さつき云つたかねを貸してください、といふ文句がおのづからあたまなか出来上できあがつた。――けれども代助はたゞ苦笑してあによめの前にすはつてゐた。


 代助があによめに失敗して帰つたは、大分だいぶけてゐた。彼はからうじて青山の通りで、最後さいごの電車をつらまえた位である。それにも拘はらずかれの話してゐるあひだには、ちゝあにも帰つてなかつた。尤も其間そのあひだに梅子は電話ぐちへ二返呼ばれた。然し、あによめの様子に別段変つたところもないので、代助は此方こつちから進んで何にも聞かなかつた。
 其夜そのよ雨催あめもよひそらが、地面ぢめんおなじ様ないろに見えた。停留所の赤い柱のそばに、たつた一人ひとりつて電車を待ち合はしてゐると、とほむかふから小さい火のたまがあらはれて、それが一直線に暗いなか上下うへしたれつつ代助の方にちかづいて来るのが非常に淋しく感ぜられた。り込んで見ると、だれも居なかつた。くろ着物きものた車掌と運転手のあひだはさまれて、一種のおとうづまつてうごいて行くと、うごいてゐるくるまそと真暗まつくらである。代助は一人ひとりあかるいなかに腰をけて、どこ迄も電車に乗つて、ついりる機会がない迄引つ張りまはされる様な気がした。
 神楽坂かぐらざかへかゝると、ひつそりとしたみちが左右の二階家にかいやはさまれて、細長ほそながまへふさいでゐた。中途迄のぼつてたら、それが急に鳴りした。代助はかぜむねに当る事と思つて、立ちまつてくらのきを見上げながら、屋根からそらをぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。と障子と硝子がらすおとが、見る/\はげしくなつて、あゝ地震だと気がいた時は、代助の足は立ちながら半ばすくんでゐた。其時代助は左右の二階さかうづむべく、双方から倒れてる様に感じた。すると、突然右側みぎかはくゞをがらりとけて、小供をいた一人ひとりの男が、地震だ/\、大きな地震だと云つてて来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。
 うちいたら、婆さんも門野かどのも大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人ふたりとも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置しやうかと思案して見た。然し分別をらす迄には至らなかつた。ちゝあにの近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡をめた。さうしてねむりに入つた。
 其明日そのあくるひの新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社のかねを使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝかずが大分多くなつてて、世間ではこれを大疑獄の様に囃してる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らししたので、日本政府も英国へ対する申訳に手をくだしたのだとあつた。
 日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をしたあとの半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。
 代助は自分のちゝあにの関係してゐる会社に就ては何事なにごとも知らなかつた。けれども、いつんな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、ちゝあにもあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜い吟味をされたなら、両方共拘引にあたひする資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、ちゝあにの財産が、彼等の脳力と手腕丈で、だれが見てももつともと認める様に、つくげられたとはうけがはなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞもらつた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。ちゝあにの如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室むろを造つて、こしらげたんだらうと代助は鑑定してゐた。


 代助はう云ふ考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかつた。ちゝあにの会社に就ても心配をする程正直ではなかつた。たゞ三千代の事丈が多少気に掛つた。けれども、徒手てぶらで行くのが面白くないんで、其うちの事とはらなかで料簡をさだめて、日々にち/\読書に耽つて四五日すごした。不思議な事に其後そのご例のかねの件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云つてなかつた。代助はこゝろのうちに、あるひは三千代が又一人ひとりで返事をきにる事もあるだらうと、じつ心待こゝろまちに待つてゐたのだが、其甲斐はなかつた。
 仕舞にアンニユイを感じした。何処どこか遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内をさがして、芝居でも見やうと云ふ気を起した。神楽坂から外濠そとぼり線へ乗つて、御茶のみづるうちに気がかはつて、森川丁にゐる寺尾といふ同窓の友達を尋ねる事にした。此男は学校を出ると、教師はいやだから文学を職業とすると云ひ出して、ほかのものゝ留めるにも拘らず、危険な商買をやり始めた。やり始めてから三年になるが、未だに名声もあがらず、窮々きう/\云つて原稿生活を持続してゐる。自分の関係のある雑誌に、なんでもいから書けとせまるので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一ヶ月の間雑誌屋の店頭にさらされたぎり、永久人間世界から何処どこかへ、運命の為めに持つて行かれて仕舞つた。それぎり代助は筆を執る事を御免蒙つた。寺尾は逢ふたんびに、もつと書け書けと勧める。さうして、おれを見ろと云ふのが口癖くちくせであつた。けれどもほかひとくと、寺尾ももう陥落かんらくするだらうと云ふ評判であつた。大変露西亜ものがすきで、ことに人が名前を知らない作家がすきで、なけなしのぜにを工面しては新刊ものを買ふのが道楽であつた。あまり気焔が高かつた時、代助が、文学者も恐露病に罹つてるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評ひやかし返した事がある。すると寺尾は真面目まじめかほをして、戦争は何時いつでもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちやつまらんぢやないか。矢っ張り恐露病に罹つてる方が、卑怯でも安全だ、と答へて矢っ張り露西亜文学を鼓吹してゐた。
 玄関から座敷へ通つて見ると、寺尾は真中まんなかへ一貫ばりの机を据ゑて、頭痛がすると云つて鉢巻はちまきをして、腕まくりで、帝国文学の原稿をいてゐた。邪魔ならまたると云ふと、帰らんでもいゝ、もう今朝けさから五五ごご、二円五十銭丈かせいだからと云ふ挨拶であつた。やがて鉢巻はちまきはづして、はなしはじめた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒し始めた。代助はそれを面白く聞いてゐた。然し腹の中では、寺尾の事をだれめないので、其対抗運動として、自分の方ではひとけなすんだらうと思つた。ちと、左様さう云ふ意見を発表したらいぢやないかと勧めると、左様さうかないよと笑つてゐる。何故なぜと聞き返しても答へない。しばらくして、そりや君の様に気楽にくらせる身分なら随分云つて見せるが――なにしろふんだからね。どうせ真面目まじめな商買ぢやないさ。と云つた。代助は、それで結構だ、しつかりり玉へと奨励した。すると寺尾は、いやちつとも結構ぢやない。どうかして、真面目まじめになりたいと思つてゐる。どうだ、君ちつとかねして僕を真面目まじめにする了見はないかといた。いや、君が今の様な事をして、それ真面目まじめだと思ふ様になつたら、其時借してやらうと調戯からかつて、代助は表へた。
 本郷の通り迄たが惓怠アンニユイの感は依然としてもとの通りである。何処どこをどうあるいても物足りない。と云つて、ひとうちたづねる気はもうない。自分を検査して見ると、身体からだ全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へつて、今度は伝通院前迄た。車中でられるたびに、五尺何寸かある大きな胃ぶくろなかで、くさつたものが、なみを打つ感じがあつた。三時過ぎにぼんやりうちかへつた。玄関で門野が、
先刻さつきたくから御使おつかいでした。手紙は書斎の机のうへに載せて置きました。受取は一寸ちよつとわたくしいてわたしてきました」と云つた。


 手紙てがみ古風こふう状箱じようばこうちにあつた。その赤塗あかぬりおもてには名宛なあてなにかないで、真鍮しんちうくわんとほした観世撚かんじんよりふうくろすみを着けてあつた。代助はつくえうへ一目ひとめ見て、此手紙のぬしあによめだとすぐさとつた。あによめう云ふ旧式な趣味があつて、それが時々とき/″\おもはぬ方角へてくる。代助ははさみさき観世撚かんじんより結目むすびめつつきながら、面倒な手数てかずだと思つた。
 けれどもなかにあつた手紙てがみは、状箱とは正反対に、簡単な言文一致で用をすましてゐた。此間このあひだわざ/\れた時は、御依頼おたのみ通り取りはからひかねて、御気の毒をした。あとから考へて見ると、其時そのとき色々無遠慮な失礼を云つた事が気にかゝる。どうかわるつてくださるな。其代り御金おかねげる。もつともみんなと云ふわけには行かない。二百円丈都合してげる。からそれをすぐ御友達おともだちの所へ届けて御上おあげなさい。是はにいさんには内所ないしよだから其積そのつもりでゐなくつては不可いけない。奥さんの事も宿題にするといふ約束だから、よく考へて返事をなさい。
 手紙てがみなかき込めて、二百円の小切手が這入はいつてゐた。代助は、しばらく、それをながめてゐるうちに、梅子うめこまない様な気がしてた。此あひだばんかへりがけに、むかふから、ぢや御金おかねらないのといた。して呉れと切りんでたのんだ時は、あゝ手痛てきびしく跳ね付けてきながら、いざ断念して帰る段になると、却つて断わつた方から、掛念けねんがつて駄目だめしてた。代助はそこに女性によしやうの美くしさとよはさとを見た。さうして其弱さに付け入る勇気を失つた。此うつくしい弱点をもてあそぶにえなかつたからである。えゝりません、うかなるでせうと云つてわかれた。それを梅子はひやゝかな挨拶と思つたにちがひない。其ひやゝかな言葉が、梅子の平生の思ひ切つた動作どうさうらに、何処どこにか引つかゝつてゐて、とう/\此手紙になつたのだらうと代助は判断した。
 代助はすぐ返事を書いた。さうして出来る丈あたゝかい言葉を使つて感謝の意を表した。代助がう云ふ気分になる事はあにに対してもない。ちゝに対してもない。世間一般に対しては固よりない。近来は梅子に対してもあまりおこらなかつたのである。
 代助はすぐ三千代の所へ出掛け様かと考へた。じつを云ふと、二百円は代助に取つて中途半端ちうとはんぱたかであつた。是丈これだけ呉れるなら、一層いつそ思ひ切つて、此方こつち強請ねだつた通りにして、満足を買へばいゝにと云ふ気もた。が、それは代助のあたまが梅子を離れて三千代の方へいた時の事であつた。そのうへ、女は如何いかに思ひ切つた女でも、感情上中途半端ちうとはんぱなものであると信じてゐる代助には、それが別段不平にも思へなかつた。いな女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる所置よりも、同情の弾力性を示してゐる点に於て、こゝろよいものと考へてゐた。だから、もし二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて、ちゝであつたとすれば、代助は、それを経済的中途半端ちうとはんぱと解釈して、却つて不愉快な感に打たれたかも知れないのである
 代助は晩食ばんめしはずに、すぐ又おもてへ出た。五軒町から江戸川のへりつたつて、かはむかふへ越した時は、先刻さつき散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じてゐなかつた。坂をのぼつて伝通院の横へると、細く高い烟突が、てらてらあひだから、きたないけむを、くもの多いそらいてゐた。代助はそれをて、貧弱な工業が、生存のために無理に呼吸いき見苦みぐるしいものと思つた。さうして其ちかくにむ平岡と、此烟突とを暗々あん/\うちに連想せずにはゐられなかつた。う云ふ場合には、同情の念より美醜の念がさきに立つのが、代助のつねであつた。代助は此瞬間に、三千代の事を殆んど忘れて仕舞つた位、そらる憐れな石炭のけむりに刺激された。
 平岡ひらをかの玄関の沓脱くつぬぎには女の穿かさね草履がぎ棄てゝあつた。格子をけると、奥の方から三千代がすそらしてた。其時あがぐち二畳にじやうほとんどくらかつた。三千代みちよは其くらなかすはつて挨拶をした。始めはだれたのか、よくわからなかつたらしかつたが、代助のこえくや否や、何方どなたかと思つたら……と寧ろ低い声で云つた。代助は判然はつきり見えない三千代の姿を、常よりはうつくしく眺めた。


 平岡ひらをか不在ふざいであつた。それをいた時、代助ははなしてゐやすい様な、又はなしてゐにくい様な変な気がした。けれども三千代の方はつねの通り落ちいてゐた。洋燈ランプけないで、くらへやて切つた儘二人ふたりすはつてゐた。三千代は下女も留守だと云つた。自分も先刻さつき其所そこ迄用たして、今帰つて夕食ゆふめしを済ました許りだと云つた。やがて平岡の話がた。
 予期した通り、平岡は相変らず奔走してゐる。が、此一週間程は、あんまりそとなくなつた。つかれたと云つて、よくうちてゐる。でなければさけむ。ひとたづねてれば猶む。さうしておこる。さかんにひとを罵倒する。のださうである。
むかしちがつて気があらくなつてこまるわ」と云つて、三千代みちよは暗に同情を求める様子であつた。代助はだまつてゐた。下女がかへつてて、勝手ぐちでがた/\おとをさせた。しばらくすると、胡摩竹ごまだけだいいた洋燈ランプを持つてた。ふすまめるとき、代助のかほぬすむ様に見て行つた。
 代助はふところから例の小切手ぎつてした。二つにれたのを其儘三千代の前に置いて、奥さん、と呼びけた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてゞあつた。
先達せんだつ御頼おたのみかねですがね」
 三千代は何にも答へなかつた。たゞげて代助を見た。
じつは、すぐにもと思つたんだけれども、此方こつちの都合がかなかつたものだから、ついおそくなつたんだが、うですか、もう始末はきましたか」と聞いた。
 其時三千代は急に心細さうなひくい声になつた。さうしてえんずる様に、
まだですわ。だつて、片付かたづく訳がいぢやありませんか」と云つた儘、※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつてじつと代助を見てゐた。代助はれた小切手を取りげて二つにひらいた。
「是丈ぢや駄目だめですか」
 三千代は手をばして小切手を受取うけとつた。
「難有う。平岡が喜びますわ」としづかに小切手をたゝみうへいた。
 代助はかねを借りてた由来を、極ざつと説明して、自分はういふ呑気な身分の様に見えるけれども、何か必要があつて、自分以外の事に、手をさうとすると、丸で無能力になるんだから、そこはわるく思つて呉れない様にと言訳を付け加へた。
「それは、わたくしも承知してゐますわ。けれども、こまつて、うする事も出来できないものだから。つい無理を御願して」と三千代は気の毒さうにわびを述べた。代助はそこで念を押した。
それ丈で、うか始末がきますか。もしうしてもかなければ、もう一遍工面くめんして見るんだが」
「もう一遍いつぺん工面するつて」
「判をして高い利のつく御金おかねりるんです」
「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ちす様に云つた。「それこそ大変よ。貴方あなた
 代助は平岡の今苦しめられてゐるのも、其起りは、性質たちわるかねり始めたのが転々てん/\して祟つてゐるんだと云ふ事をいた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家としてとほつてゐたのだが、三千代が産後さんご心臓がわるくなつて、ぶら/\しすと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、夫程それほど烈しくもなかつたので、三千代はたゞ交際つきあひやむを得ないんだらうとあきらめてゐたが、仕舞にはそれが段々かうじて、程度ほうづが無くなる許なので三千代も心配をする。すれば身体からだわるくなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんぢやない。わたくしわるいんですと三千代はわざ/\断わつた。けれども又淋しいかほをして、めて小供でも生きてゐて呉れたらさぞかつたらうと、つく/″\考へた事もありましたと自白した。
 代助は経済問題の裏面に潜んでゐる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方こつちからふのを控えた。帰りがけに、
「そんなによはつちや不可いけない。むかしの様に元気に御成おなんなさい。さうしてちつと遊びに御いでなさい」と勇気をつけた。
本当ほんとね」と三千代は笑つた。彼等はたがひむかしたがひかほうへに認めた。平岡はとう/\帰つてなかつた。


 中二日なかふつかいて、突然平岡がた。其は乾いたかぜほがらかなそらいて、あをいものがうつる、つねよりはあつい天気であつた。あさの新聞に菖蒲の案内がてゐた。代助の買つた大きな鉢植の君子蘭くんしらんはとう/\縁側でつて仕舞つた。其代り脇差わきざし程もはゞのあるみどりが、くきを押し分けてながびてた。ふるくろずんだまゝ、日にひかつてゐる。其一枚が何かの拍子に半分はんぶから折れて、くきを去る五寸ばかりところで、急にするどさがつたのが、代助には見苦しく見えた。代助ははさみつて椽に出た。さうして其んだ手前てまへから、つて棄てた。時に厚いくちが、急に煮染にじむ様に見えて、しばらく眺めてゐるうちに、ぽたりと椽におとがした。切口きりくちあつまつたのは緑色みどりいろの濃いおもしるであつた。代助は其香そのにほひがうと思つて、みだれるなかに鼻をつ込んだ。椽側のしたゝりは其儘にして置いた。立ちがつて、たもとから手帛ハンケチして、はさみいてゐる所へ、門野かどのが平岡さんが御出おいでですとしらせてたのである。代助は其時平岡のことも三千代の事も、丸であたまなかに考へてゐなかつた。たゞ不思議な緑色みどりいろ液体えきたいに支配されて、比較的世間せけんに関係のない情調のもとうごいてゐた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えて仕舞つた。さうして、何だか逢ひたくない様な気持がした。
此方こつちへ御とほし申しませうか」と門野から催促された時、代助はうんと云つて、座敷へ這入つた。あとからせきみちびかれた平岡を見ると、もう夏の洋服をてゐた。えり白襯衣しろしやつあたらしいうへに、流行の編襟飾あみえりかざりけて、浪人とはだれにも受け取れない位、ハイカラに取りつくろつてゐた。
 はなして見ると、平岡の事情は、依然として発展してゐなかつた。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日うしてあそんであるく。それでなければ、うちてゐるんだと云つて、大きな声をして笑つて見せた。代助もそれがからうと答へたなり、あとあたらず障らずの世間話せけんばなし時間じかんつぶしてゐた。けれども自然にる世間ばなしといふよりも、寧ろある問題を回避するため世間話せけんばなしだから、両方共に緊張きんちようはらそこかんじてゐた。
 平岡は三千代の事も、かねの事もくちさなかつた。したがつて三日前みつかまへ代助がかれの留守宅を訪問した事に就ても何もかたらなかつた。代助も始めのうちは、わざと、その点にれないですましてゐたが、何時いつつても、平岡の方で余所よそ々々しく構へてゐるので、却つて不安になつた。
「実は二三日まへ君のところへ行つたが、君は留守だつたね」と云ひ出した。
「うん。左様さうだつたさうだね。其節は又難有う。御かげさまで。――なに、君を煩はさないでもうかなつたんだが、彼奴あいつがあまり心配しすぎて、つい君に迷惑を掛けてまない」と冷淡な礼を云つた。それから、
「僕も実は御礼にやうなものだが、本当の御礼には、いづれ当人がるだらうから」と丸で三千代と自分を別物べつものにした言分いひぶんであつた。代助はたゞ、
「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答へた。はなしは是で切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味をたない方面にすべつてつた。すると、平岡が突然、
「僕はことによると、もう実業はめるかも知れない。実際内幕うちまくを知れば知る程いやになる。其上此方こつちて、少し運動をして見て、つくづく勇気がなくなつた」と心底しんそこかららしい告白をした。代助は、一口ひとくち
「それは、左様さうだらう」と答へた。平岡はあまり此返事の冷淡なのに驚ろいた様子であつた。が、又あとをけた。
「先達ても一寸ちよつとはなしたんだが、新聞へでも這入らうかと思つてる」
くちがあるのかい」と代助がき返した。
いまひとつある。多分出来できさうだ」
 た時は、運動しても駄目だから遊んでゐると云ふし、今は新聞にくちがあるから出様と云ふし、少し要領をいでゐるが、追窮するのも面倒だと思つて、代助は、
「それも面白からう」と賛成の意を表して置いた。


 平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子にを寄せて、敷居しきゐうへに立つてゐた。門野かどのも御附合つきあひに平岡の後姿うしろすがたながめてゐた。が、すぐくちした。
「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装なりぢや、すこうちの方が御粗末すぎる様です」
左様さうでもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。
まつたく、服装なり丈ぢやわからない世のなかになりましたからね。何処どこの紳士かと思ふと、どうもへんちきりんなうち這入はいつてますからね」と門野かどのはすぐあとを付けた。
 代助は返事もずに書斎へ引き返した。椽側にれた君子らんみどりしたゝりがどろ/\になつて、干上ひあがかゝつてゐた。代助はわざと、書斎と座敷ざしき仕切しきりつて、一人ひとりへやのうちへ這入はいつた。来客にせつしたあとしばらくは、独坐どくざふけるが代助のくせであつた。ことに今日けふの様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。
 平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。だれに逢つてもんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体にすぎなかつた。大地だいちは自然につゞいてゐるけれども、其上にいへてたら、忽ち/\ぎれになつて仕舞つた。いへなかにゐる人間にんげんも亦れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
 代助と接近してゐた時分の平岡は、人にいてもらふ事をよろこぶひとであつた。いまでも左様さうかも知れない。が、ちつともそんなかほをしないから、わからない。否、つとめて、ひとの同情をしりぞける様に振舞ふるまつてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふさとりか、何方どつちかに帰着する。
 平岡に接近してゐた時分の代助は、ひとためく事のきな男であつた。それが次第々々にけなくなつた。かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実はむしこれぎやくにして、かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫あつぱくけて、其重したうなる、劇烈な生存競争場裏に立つひとで、しんによくひとために泣き得るものに、代助はいまかつ出逢であはなかつた。
 代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪けんをの念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念がきざしてゐると判じた。昔しの代助も、時々とき/″\わが胸のうちに、斯う云ふかげを認めて驚ろいた事があつた。其時は非常にかなしかつた。いまは其かなしみも殆んどうすがれて仕舞つた。だから自分で黒いかげじつと見詰めて見る。さうして、これがまことだと思ふ。やむを得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。
 う云ふ意味の孤独のそこおちいつて煩悶するには、代助のあたまはあまりに判然はつきりすぎてゐた。彼はこの境遇を以て、現代人のむべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、いまの自分のまなこに訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果にすぎないと見傚した。けれども、同時に、両人ふたりあひだよこたはる一種の特別な事情のため、此隔離が世間並せけんなみよりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代みちよの結婚であつた。三千代みちよを平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時にくゆる様な薄弱な頭脳づのうではなかつた。今日こんにちに至つて振り返つて見ても、自分の所作しよさは、過去をらすあざやかな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人ににんの前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前にあたまげなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故なぜ三千代をもらつたかと思ふ様になつた。代助は何処どこかしらで、何故なぜ三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。
 代助は書斎にこもつて一日いちにち考へにしづんでゐた。晩食ばんしよくの時、門野が、
「先生今日けふ一日いちにち御勉強ですな。どうです、と御散歩になりませんか。今夜こんや寅毘沙とらびしやですぜ。演芸館で支那人ちやんの留学生が芝居をつてます。どんな事をる積ですか、つて御覧なすつたらうです。支那人ちやんてえやつは、臆面がないから、なんでもる気だから呑気なもんだ。……」と一人ひとり喋舌しやべつた。


 代助はまたちゝからばれた。代助には其用事が大抵わかつてゐた。代助は不断ふだんから成るべくちゝけてはない様にしてゐた。此頃このごろになつては猶更おくかなかつた。ふと、叮嚀な言葉を使つかつて応対してゐるにも拘はらず、はらなかでは、ちゝ侮辱ぶじよくしてゐる様な気がしてならなかつたからである。
 代助は人類の一人いちにんとして、たがひはらなかで侮辱する事なしには、たがひに接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯つなみと心得てゐた。
 このふたつの因数フアクトーは、何処どこかで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於て肩をならべる日のる迄は、此平衡は日本に於てられないものと代助は信じてゐた。さうして、ゝるは、到底日本の上をらさないものとあきらめてゐた。だからこの窮地に陥つた日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはたゞあたまなかに於て、罪悪を犯さなければならない。さうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつゝあるかを、互に黙知しつゝ、談笑しなければならない。代助は人類の一人いちにんとして、かゝる侮辱を加ふるにも、又加へらるゝにも堪へなかつた。
 代助のちゝの場合は、一般にくらべると、やゝ特殊的傾向を帯びる丈に複雑であつた。彼は維新前の武士に固有な道義本位の教育を受けた。此教育は情意行為の標準を、自己以外の遠い所に据ゑて、事実の発展によつて証明せらるべき手近てぢかまことを、眼中がんちうに置かない無理なものであつた。にもかゝはらず、ちゝは習慣に囚へられて、いまだに此教育に執着してゐる。さうして、一方には、劇烈な生活慾に冒され易い実業に従事した。父は実際に於て年々此生活慾のために腐蝕されつゝ今日に至つた。だから昔の自分と、今の自分の間には、大いな相違のあるべき筈である。それをちゝは自認してゐなかつた。むかしの自分が、昔通むかしどほりの心得で、今の事業を是迄に成しげたとばかり公言する。けれども封建時代にのみ通用すべき教育の範囲をせばめる事なしに、現代の生活慾を時々刻々にたして行ける訳がないと代助は考へた。もし双方を其儘に存在させ様とすれば、これを敢てする個人は、矛盾のために大苦痛をけなければならない。もし内心に此苦痛を受けながら、たゞ苦痛の自覚丈あきらかで、何のための苦痛だか分別が付かないならば、それは頭脳のにぶい劣等な人種である。代助は父に対するごとに、ちゝは自己を隠蔽いんぺいする偽君子ぎくんしか、もしくは分別の足らない愚物ぐぶつか、何方どつちかでなくてはならない様な気がした。さうして、う云ふ気がするのがいやでならなかつた。
 と云つて、ちゝは代助の手際で、うする事も出来ない男であつた。代助にはあきらかに、それがわかつてゐた。だから代助はいまかつちゝを矛盾の極端迄追ひめた事がなかつた。
 代助は凡ての道徳の出立点しつたつてんは社会的事実より外にないと信じてゐた。始めからあたまの中に硬張こわばつた道徳を据ゑ付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展させ様とする程、本末を誤つた話はないと信じてゐた。従つて日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた。彼等は学校で昔し風の道徳を教授してゐる。それでなければ一般欧洲人に適切な道徳を呑み込ましてゐる。此劇烈なる生活慾に襲はれた不幸な国民から見れば、迂遠の空談にぎない。此迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見るときむかしの講釈を思ひ出して笑つて仕舞ふ。でなければ馬鹿にされた様な気がする。代助に至つては、学校のみならず、現に自分のちゝから、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、あたまなかに起した。代助はそれをうらめしく思つてゐる位であつた。
 代助は此前このまへ梅子に礼を云ひに行つた時、梅子から一寸ちよつとおくへ行つて、挨拶をしてゐらつしやいと注意された。代助は笑ひながら御とうさんはゐるんですかとそらとぼけた。ゐらつしやるわと云ふ確答を得た時でも、今日けふはちといそぐからさうと帰つてた。


 今日けふはわざ/\其為そのためたのだから、いやでも応でもちゝに逢はなければならない。相変らず、ない玄関の方から廻つて座敷へると、めづらしくあにの誠吾が胡坐あぐらをかいて、さけを呑んでゐた。梅子もそばすはつてゐた。あには代助を見て、
うだ、一盃らないか」と、前にあつた葡萄酒のびんを持つてつて見せた。なかにはまだ余程這入つてゐた。梅子は手をたゝいて洋盞コツプを取り寄せた。
てゝ御らんなさい。どの位ふるいんだか」と一杯いだ。
「代助にわかるものか」と云つて、誠吾は弟のくちびるのあたりをながめてゐた。代助は一口ひとくちんでさかづきしたおろした。さかなの代りに薄いウエーファーが菓子ざらにあつた。
うまいですね」と云つた。
「だから時代をてゝ御覧なさいよ」
時代じだいがあるんですか。えらいものを買ひ込んだもんだね。かへりに一本いつぽんもらつてかう」
「御生憎様、もう是限これぎりなの。到来物とうらいものよ」と云つて梅子は椽側へて、ひざうへちたウエーフアーのはたいた。
にいさん、今日けふうしたんです。大変気楽さうですね」と代助がいた。

今日けふは休養だ。此間中このあひだぢううもいそがすぎて降参したから」と誠吾は火の消えた葉巻はまきくちに啣えた。代助は自分のそばにあつた燐寸まつちつてつた。
だいさん貴方あなたこそ気楽ぢやありませんか」と云ひながら梅子が椽側からかへつてた。
ねえさん歌舞伎座へきましたか。まだなら、つて御覧なさい。面白いから」
貴方あなたもうつたの、驚ろいた。貴方あなたっ程なまけものね」
なまけものはくない。勉強の方向が違ふんだから」
おしの強い事ばかり云つて。ひとの気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾はあかまぶたをして、ぽかんと葉巻はまきけむいてゐた。
「ねえ、貴方あなた」と梅子が催促した。誠吾はうるささうに葉巻はまきゆびまたへ移して、
「今のうち沢山たんと勉強してもらつて置いて、いま此方こつちが貧乏したら、すくつてもらふ方がいぢやないか」と云つた。梅子は、
「代さん、あなた役者になれて」と聞いた。代助は何にも云はずに、洋盞コツプを姉の前にした。梅子もだまつて葡萄酒の壜を取りげた。
にいさん、此間中このあひだぢうは何だか大変いそがしかつたんだつてね」と代助は前へ戻つて聞いた。
「いや、もう大弱りだ」と云ひながら、誠吾は寐転ねころんで仕舞つた。
なにか日糖事件に関係でもあつたんですか」と代助が聞いた。
「日糖事件に関係はないが、いそがしかつた」
 あにの答は何時いつでも此程度以上に明瞭になつた事がない。実は明瞭に話したくないんだらうけれども、代助の耳には、夫が本来の無頓着で、話すのが臆怯なためと聞える。だから代助はいつでもらくに其返事のなか這入はいつてゐた。
「日糖もつまらないことになつたが、あゝなる前にうか方法はないもんでせうかね」
うさなあ。実際なかの事は、なにうなるんだかわからないからな。――うめ今日けふ直木なほきに云ひけて、ヘクターを少し運動させなくつちや不可いけないよ。あゝ大食おほぐひをして寐てばかりゐちや毒だ」と誠吾はねむさうなまぶたゆびでしきりにこすつた。代助は、
いよ/\おくつて御父おとうさんにしかられてるかな」と云ひながら又洋盞コツプあによめの前へした。梅子はわらつてさけいだ。
よめの事か」と誠吾がいた。
「まあ、うだらうと思ふんです」
もらつてくがいゝ。さう老人としよりに心配さしたつて仕様があるものか」と云つたが、今度はもつと判然はつきりした語勢で、
「気をけないと不可いかんよ。少し低気圧がてゐるから」と注意した。代助はち掛けながら、
「まさか此間中このあひだぢうの奔走からきた低気圧ぢやありますまいね」と念を押した。あには寐転んだ儘、
なんとも云へないよ。斯う見えて、我々も日糖の重役と同じ様に、何時いつ拘引されるかわからない身体からだなんだから」と云つた。
「馬鹿な事をおつしやるなよ」と梅子がたしなめた。
「矢っ張りぼくののらくらが持ちたした低気圧なんだらう」と代助は笑ひながら立つた。


 廊下づたひに中庭なかにはして、おくて見ると、ちゝ唐机とうづくえまへすはつて、唐本とうほんてゐた。ちゝは詩がすきで、ひまがあると折々支那人の詩集をんでゐる。然し時によると、それが尤も機嫌のわるい索引さくいんになる事があつた。さう云ふときは、いかに神経のふつくら出来あがつたあにでも、成るべく近寄ちかよらない事にしてゐた。是非かほあはせなければならない場合には、誠太郎か、縫子か、何方どつち引張ひつぱつちゝまへる手段をつてゐた。代助も椽側迄て、そこに気がいたが、夫程それほどの必要もあるまいと思つて、座敷をひととほり越して、ちゝの居に這入つた。
 父はまづ眼鏡めがねはづした。それを読み掛けた書物のうへに置くと、代助の方に向きなほつた。さうして、たゞ一言ひとこと
たか」と云つた。其語調は平常よりも却つておだやかな位であつた。代助はひざうへに手を置きながら、あに真面目まじめな顔をして、自分をかついたんぢやなからうかと考へた。代助はそこで又にがい茶をませられて、しばらく雑談に時をうつした。今年ことし芍薬しやくやくが早いとか、茶摘歌ちやつみうたいてゐるとねむくなる時候だとか、何所どことかに、大きなふぢがあつて、其花の長さが四尺らずあるとか、はなし好加減いゝかげんな方角へ大分だいぶ長くびてつた。代助はまた其方そのほうが勝手なので、いつ迄もばす様にと、あとからあとけてつた。ちゝも仕舞には持てあまして、とう/\、時に今日けふ御前を呼んだのはと云ひ出した。
 代助はそれからあとは、一言ひとことくちかなくなつた。只謹んで親爺おやぢの云ふことをいてゐた。ちゝも代助からう云ふ態度に出られると、長いあひだ自分一人ひとりで、講義でもする様に、べて行かなくてはならなかつた。然し其半分以上は、過去を繰り返す丈であつた。が代助はそれを、始めて聞くと同程度の注意を払つていてゐた。
 ちゝなが談義のうちに、代助は二三のあたらしい点もみとめた。その一つは、御前は一体是からさきうする料簡なんだと云ふ真面目な質問であつた。代助は今迄ちゝからの注文ばかり受けてゐた。だから、其注文を曖昧にはづす事にれてゐた。けれども、斯う云ふ大質問になると、さうくちから出任でまかせに答へられない。無暗な事を云へば、すぐちゝおこらして仕舞ふからである。と云つて正直を自白すると、二三年間ちゝあたまを教育したうへでなくつては、通じない理窟になる。何故なぜと云ふと、代助は今此大質問に応じて、自分の未来を明瞭に道破いひやぶる丈の考も何も有つてゐなかつたからである。彼はそれが自分に取つては尤もな所だと思つてゐた。から、ちゝが、其通りをいて、成程と納得する迄には、大変な時間がかゝる。或は生涯つうじつこないかも知れない。ちゝの気に入る様にするのは、何でも、国家のためとか、天下のためとか、景気のい事を、しかも結婚と両立しない様な事を、べて置けばむのであるが、代助は如何に、自己を侮辱する気になつても、是ばかりは馬鹿気ばかげてゐて、くちへ出す勇気がなかつた。そこで已を得ないから、実は色々計画もあるが、いづれ秩序てゝて、御相談をする積であると答へた。答へたあとで、実に滑稽だと思つたが仕方がなかつた。
 代助はつぎに、独立の出来る丈の財産がしくはないかと聞かれた。代助は無論しいと答へた。すると、ちゝが、では佐川のむすめもらつたらからうと云ふ条件をけた。其財産は佐川のむすめが持つてるのか、又はちゝれるのか甚だ曖昧であつた。代助はすこし其点に向つて進んで見たが、遂に要領を得なかつた。けれども、それを突き留める必要がないと考へてめた。
 つぎに、一層いつそ洋行する気はないかと云はれた。代助はいでせうと云つて賛成した。けれども、これにも、矢っ張り結婚が先決問題としてて来た。
「そんなに佐川の娘を貰ふ必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。するとちゝかほあかくなつた。


 代助はちゝおこらせる気は少しもなかつたのである。かれの近頃の主義として、ひとと喧嘩をするのは、人間にんげんの堕落の一範鋳はんちうになつてゐた。喧嘩けんくわの一部分として、ひとおこらせるのは、おこらせる事自身よりは、おこつたひと顔色かほいろが、如何に不愉快にわがえいずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命をきづつける打撃にほかならぬと心得てゐた。かれは罪悪に就ても彼れ自身に特有な考をつてゐた。けれども、それがために、自然の儘に振舞ひさへすれば、ばつを免かれ得るとは信じてゐなかつた。人をつたものゝ受くるばつは、られたひとにくからる血潮であるとかたしんじてゐた。ほとばしる血の色を見て、きよい心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助は夫程神経の鋭どい男であつた。だからかほいろを赤くしたちゝを見た時、妙に不快になつた。けれども此罪を二重に償ふために、ちゝの云ふ通りにしやうと云ふ気はちつとも起らなかつた。かれは、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払ふ男であつたからである。
 其時ちゝすこぶる熱した語気で、づ自分のとしを取つてゐる事、子供の未来が心配になる事、子供によめたせるのはおやの義務であると云ふ事、よめの資格其他に就ては、本人よりもおやの方が遥かに周到な注意を払つてゐると云ふ事、ひとの親切は、其当時にこそ余計な御世話に見えるが、あとになると、もう一遍うるさくかん渉して貰ひたい時機がるものであるといふ事を、非常に叮嚀にいた。代助は慎重な態度で、いてゐた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許だくの意を表さなかつた。するとちゝはわざとおさえた調子で、
「ぢや、佐川はめるさ。さうしてだれでも御前のすきなのをもらつたらいだらう。だれもらひたいのがあるのか」と云つた。是はあによめの質問と同様であるが、代助は梅子うめこたいする様に、たゞ苦笑くしやうばかりしてはゐられなかつた。
べつにそんな貰ひたいのもありません」とあきらかな返事をした。するとちゝは急に肝の発した様な声で、
「ぢや、すこしは此方こつちの事も考へて呉れたらからう。何もさう自分の事ばかり思つてゐないでも」と急調子に云つた。代助は、突然ちゝが代助を離れて、かれ自身の利害に飛び移つたのに驚ろかされた。けれども其驚ろきは、論理なき急劇の変化のうへそゝがれた丈であつた。
貴方あなたにそれ程御都合がい事があるなら、もう一遍考へて見ませう」と答へた。
 父は益機嫌をわるくした。代助は人と応対してゐる時、うしても論理を離れる事の出来ない場合がある。それめ、よくひとから、相手をり込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云ふと、かれ程人をり込める事の嫌な男はないのである。
「何もおれの都合ばかりで、よめを貰へと云つてやしない」とちゝまへの言葉を訂正した。「そんなに理窟を云ふなら、参考のため、云つて聞かせるが、御前おまへはもう三十だらう、三十になつて、普通のものが結婚をしなければ、世間せけんではなんと思ふか大抵わかるだらう。そりやいまむかしと違ふから、独身も本人の随意だけれども、独身のためおやや兄弟が迷惑めいわくしたり、はては自分の名誉に関係くわんけいする様な事が出来しつたいしたりしたらうする気だ」
 代助はたゞ茫然としてちゝかほを見てゐた。ちゝの点に向つて、自分を刺した積りだか、代助には殆んどわからなかつたからである。しばらくして、
「そりやわたくしのことだからすこしは道楽もしますが……」と云ひかけた。ちゝはすぐそれさへぎつた。
「そんなことぢやない」
 二人ふたり夫限それぎりしばらくくちかずにゐた。ちゝは此沈黙を以て代助に向つて与へた打撃の結果と信じた。やがて、言葉をやわらげて、
「まあ、よく考へて御覧」と云つた。代助ははあと答へて、ちゝへや退しりぞいた。座敷へあにさがしたが見えなかつた。あによめはと尋ねたら、客間きやくまだと下女が教へたので、つて戸をけて見ると、縫子のピヤノの先生がてゐた。代助は先生に一寸ちよつと挨拶をして、梅子うめこ戸口とぐちした。
「あなたはぼくの事を何か御父おとうさんに讒訴しやしないか」
 梅子はハヽヽヽと笑つた。さうして、
「まあ御這入んなさいよ。丁度い所だから」と云つて、代助を楽器のそば迄引張つてつた。


 あり座敷ざしきがる時候になつた。代助は大きなはちへ水をつて、其なか真白まつしろなリリー、オフ、ゼ、※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レーをくきごとけた。むらがるこまかい花が、い模様のふちかくした。はちうごかすと、はなこぼれる。代助はそれをおほきな字引じびきうへせた。さうして、其そばまくらいて仰向あほむけに倒れた。くろあたまが丁度はちかげになつて、花からにほひが、い具合にはなかよつた。代助は其香そのにほひぎながら仮寐うたゝねをした。
 代助は時々とき/″\尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それがはげしくなると、晴天から日光につこうの反射にさへ堪へ難くなる事があつた。さう云ふ時には、成る世間せけんとの交渉を稀薄にして、あさでもひるでも構はずる工夫をした。其手段には、極めてあわい、甘味あまみかるい、はなをよく用ひた。まぶたぢて、ひとみちる光線を謝絶して、静かにはなあな丈で呼吸こきうしてゐるうちに、枕元まくらもとはなが、次第にゆめほうへ、さわぐ意識をいて行く。是が成功すると、代助の神経がうまかはつた様に落ち付いて、世間せけんとの連絡れんらくが、前よりは比較的らくに取れる。
 代助はちゝばれてから二三日のあひだにはすみに咲いた薔薇ばらはなあかいのを見るたびに、それが点々てん/\としてしてならなかつた。其時は、いつでも、手水鉢てみづばちそばにある、擬宝珠ぎぼしゆうつした。其には、放肆ほうししろしまが、三筋みすぢ四筋よすぢながみだれてゐた。代助が見るたびに、擬宝珠ぎぼしゆびて行く様に思はれた。さうして、それと共にしろしまも、自由に拘束なく、びる様な気がした。柘榴ざくろはなは、薔薇ばらよりも派出はでに且つ重苦おもくるしく見えた。みどりあひだにちらり/\とひかつて見える位、強い色をしてゐた。従つてこれも代助の今の気分には相応うつらなかつた。
 彼のいまの気分は、彼に時々とき/″\おこごとく、総体のうへに一種の暗調を帯びてゐた。だからあまりにあかすぎるものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた。擬宝珠ぎぼしゆも長く見詰めてゐると、すぐいやになる位であつた。
 其上そのうへかれは、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれした。其不安は人と人とのあひだに信仰がない源因からおこる野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼はかみに信仰を置く事をよろこばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質たちであつた。けれども、相互さうごに信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱げだつする為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、かみのある国では、人がうそくものとめた。然し今の日本は、かみにもひとにも信仰のない国柄くにがらであるといふ事を発見した。さうして、かれは之をいつに日本の経済事情に帰着せしめた。
 四五日前、彼は掏摸すりと結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人ひとり二人ふたりではなかつた。他の新聞のしるす所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様におちいるかも知れないさうである。代助は其記事を読んだとき、たゞ苦笑した丈であつた。さうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思つた。
 代助が父につて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞちゝに信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張りちゝを尤もだとうけがふ積りだつたからである。
 代助は平岡に対しても同様の感じを抱いてゐた。然し平岡に取つては、それが当然な事であると許してゐた。たゞ平岡をく気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。けれども其兄に対しても矢張り信仰はち得なかつた。あによめは実意のある女であつた。然しあによめは、直接生活の難関にあたらない丈、それ丈あによりも近付きやすいのだと考へてゐた。
 代助は平生から、此位に世のなか打遣うちやつてゐた。だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。それが、う云ふ具合か急にうごした。代助は之を生理上の変化から起るのだらうとさつした。そこである人が北海道からつてたと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レーのたばいて、それを悉くみづなかひたして、其下そのしたたのである。


 一時間いちぢかんのち、代助は大きな黒いいた。其は、しばらくのあひだ一つところとゞまつて全くうごかなかつた。あしてゐた時の姿勢を少しもくづさずに、丸で死人しにんのそれの様であつた。其時一匹のくろありが、ネルのえりを伝はつて、代助の咽喉のどちた。代助はすぐ右の手をうごかして咽喉のどおさへた。さうして、ひたひしわせて、ゆびまたはさんだちいさな動物を、はなうへ迄持つてながめた。其時蟻はもう死んでゐた。代助は人指指ひとさしゆびさきいた黒いものを、親指おやゆびつめむかふはぢいた。さうしてがつた。
 ひざ周囲まはりに、まだ三四匹しひき這つてゐたのを、うすい象牙の紙小刀ペーパーナイフで打ち殺した。それから手をたゝいてひとんだ。
「御目ざめですか」と云つて、門野かどのた。
「御茶でもれてませうか」といた。代助は、はだかつたむねあはせながら、
きみぼくの寐てゐるうちに、だれやしなかつたかね」と、しづかな調子で尋ねた。
「えゝ、御出おいででした。平岡の奥さんが。よく御ぞんじですな」と門野かどのは平気に答へた。
何故なぜおこさなかつたんだ」
あんまり御休おやすみでしたからな」
「だつて御客おきやくなら仕方しかたがないぢやないか」
 代助の語勢は少し強くなつた。
「ですがな。平岡の奥さんのほうで、おこさない方がいつて、おつしやつたもんですからな」
「それで、奥さんは帰つて仕舞つたのか」
「なにかへつて仕舞つたと云ふ訳でもないんです。一寸ちよつと神楽坂かぐらざか買物かひものがあるから、それをまして又るからつて、云はれるもんですからな」
「ぢや又るんだね」
「さうです。じつは御目覚めざめになる迄つてゐやうかつて、此座敷迄あがつてられたんですが、先生のかほを見て、あんまりてゐるもんだから、こいつは、容易にきさうもないと思つたんでせう」
「またつたのかい」
「えゝ、まあうです」
 代助は笑ひながら、両手で寐起ねおきかほでた。さうして風呂場へかほを洗ひにつた。あたまらして、椽側えんがはかへつてて、にはながめてゐると、まへよりは気分が大分だいぶ晴々せい/\した。くもつたそらつばめが二飛んでゐるさまが大いに愉快に見えた。
 代助は此前このまへ平岡の訪問を受けてから、心待こゝろまちに、あとから三千代のるのをつてゐた。けれども、平岡ひらをか言葉ことばついに事実としてあらはれてなかつた。特別の事情があつて、三千代みちよがわざとないのか、又は平岡がはじめから御世辞を使つかつたのか、疑問であるが、それがため、代助はこゝろ何処どこかに空虚くうきよを感じてゐた。然しかれこの空虚くうきよな感じを、一つの経験として日常生活中に見出みいだした迄で、其原因をどうするの、うするのと云ふ気はあまりなかつた。此経験自身のおくのぞき込むと、それ以上にくらかげがちらついてゐる様に思つたからである。
 それでかれすゝんで平岡を訪問するのをけてゐた。散歩のときかれあしは多く江戸川の方角にいた。さくらる時分には、夕暮ゆふぐれかぜかれて、よつつのはし此方こちらからむかふわたり、むかふから又此方こちらわたり返して、長いどてふ様にあるいた。が其さくらはとくにちつて仕舞つて、いまは緑蔭の時節になつた。代助は時々とき/″\はし真中まんなかつて、欄干に頬杖を突いて、しげなかを、真直まつすぐとほつてゐる、みづひかりながつくしてる。それから其ひかりほそくなつたさきほうに、高く聳える目白台のもり見上みあげる。けれども橋をむかふわたつて、小石川のさかのぼる事はやめにしてかへる様になつた。あるときかれ大曲おほまがりの所で、電車をおりる平岡のかげを半町程手前からみとめた。かれたしか左様さうちがひないと思つた。さうして、すぐ揚場あげばの方へき返した。
 かれは平岡の安否あんぴにかけてゐた。まだ坐食ゐぐひの不安な境遇にるにちがひないとは思ふけれども、或はの方面かへ、生活の行路こうろを切り開く手掛りが出来できたかも知れないとも想像して見た。けれども、それをたしかめるために、平岡ひらをかあとを追ふ気にはなれなかつた。彼は平岡にめんするときの、原因不明な一種の不快を予想する様になつた。と云つて、たゞ三千代のためにのみ、平岡の位地を心配する程、平岡をにくんでもゐなかつた。平岡のためにも、矢張り平岡の成功を祈る心はあつたのである。


 斯んなふうに、代助は空虚なるわがこゝろ一角いつかくいだいて今日こんにちに至つた。いま先方さきがたかど野をんでくゝまくらせて、午寐ひるねむさぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつたあたまを、出来できるならば、あをいろいた、ふかみづなかしづめたい位に思つた。それ程かれいのちするどく感じぎた。従つてあつあたまを枕へけた時は、平岡も三千代も、彼に取つて殆んど存在してゐなかつた。彼は幸にしてすゞしい心持にた。けれども其おだやかなねむりのうちに、だれかすうとて、又すうとつた様な心持がした。ましてがつても其感じがまだ残つてゐて、あたまからぬぐひ去る事が出来なかつた。それで門野を呼んで、てゐるあひだだれはしないかといたのである。
 代助は両手をひたひてゝ、たかそらを面白さうにつてまはつばめの運動を椽側から眺めてゐたが、やがて、それがぐるしくなつたので、へやなか這入はいつた。けれども、三千代みちよが又たづねてると云ふ目前の予期が、すでに気分の平調をおかしてゐるので、思索も読書も殆んど手にかなかつた。代助は仕舞に本棚ほんだななかから、大きな画帖をしてて、膝のうへひろげて、はじめた。けれども、それも、たゞゆびさきで順々にけてく丈であつた。一つ画を半分はんぶんとはあぢはつてゐられなかつた。やがてブランギンのところた。代助は平生から此装飾画家に多大の趣味を有つてゐた。かれつねの如くかゞやきを帯びて、一度ひとたびは其うへちた。それは何処どこかのみなとの図であつた。背景にふねほばしらを大きくいて、其あまつた所に、際立きはだつて花やかなそらくもと、蒼黒あをぐろみづの色をあらはしたまへに、裸体らたいの労働者が四五人ゐた。代助は是等の男性の、山の如くに怒らした筋肉の張り具合や、彼等のかたからへかけて、肉塊にくくわい肉塊にくくわいが落ち合つて、其間にうづの様なたにつくつてゐる模様を見て、其所そこにしばらく肉のちからの快感を認めたが、やがて、画帖をけた儘、はなしてみゝてた。すると勝手の方で婆さんの声がした。それから牛乳配達が空壜あきびんを鳴らして急ぎ足に出て行つた。うちのうちが静かなので、鋭どい代助の聴神経には善くこたへた。
 代助はぼんやりかべを見詰めてゐた。門野かどのをもう一返んで、三千代が又くる時間を、云ひ置いて行つたかうか尋ねやうと思つたが、あまり愚だからはゞかつた。そればかりではない、ひとの細君がたづねてるのを、それ程待ち受ける趣意がないと考へた。又それ程待ち受ける位なら、此方こちらから何時いつでもつてはなしをすべきであると考へた。此矛盾の両面を双対そうたいに見た時、代助は急に自己の没論理に恥ぢざるを得なかつた。彼の腰は半ば椅子を離れた。けれども彼はこの没論理の根底に横はる色々いろ/\因数フアクターを自分でく承知してゐた。さうして、いまの自分につては、この没論理の状態が、唯一の事実であるから仕方しかたないと思つた。且、此事実と衝突する論理は、自己に無関係な命題めいだいつなはして出来あがつた、自己の本体を蔑視する、形式に過ぎないと思つた。さう思つて又椅子へこしを卸した。
 それから三千代のる迄、代助はどんな風にときすごしたか、殆んど知らなかつた。おもてに女の声がしたとき、彼はむね一鼓動いつこどうを感じた。彼は論理に於て尤も強い代りに、心臓の作用に於て尤も弱い男であつた。彼が近来おこれなくなつたのは、まつたあたま御蔭おかげで、はらてる程自分を馬鹿にすることを、理智りちゆるさなくなつたからである。が其他の点に於ては、尋常以上に情しよの支配を受けるべく余儀なくされてゐた。取次とりつぎ門野かどの足音あしおとてゝ、書斎の入口いりぐちにあらはれた時、血色けつしよくのいゝ代助のほゝかすかに光沢つやうしなつてゐた。門野かどのは、
此方こつちにしますか」と甚だ簡単に代助の意向をたしかめた。座敷ざしきへ案内するか、書斎で逢ふかと聞くのが面倒だから、めて仕舞つたのである。代助はうんと云つて、入口いりぐちに返事をつてゐた門野かどのを追ひはらふ様に、自分でつてつて、椽側へくびした。三千代は椽側と玄関げんくわん継目つぎめの所に、此方こちらいてためらつてた。


 三千代のかほ此前このまへつたときよりは寧ろ蒼白あをしろかつた。代助にあごまねかれて書斎の入口いりぐち近寄ちかよつた時、代助は三千代のいきはづましてゐることに気が付いた。
うかしましたか」といた。
 三千代はなににも答へずにへやなか這入はいつた。セルの単衣ひとへしたに襦袢をかさねて、に大きな白い百合ゆりはなを三本ばかりげてゐた。其百合そのゆりをいきなり洋卓テーブルうへげる様にいて、其よこにある椅子いすこしおろした。さうして、つたばかりの銀杏がへしを、かまはず、椅子いすけて、
「あゝくるしかつた」と云ひながら、代助の方を見てわらつた。代助は手をたゝいてみづを取りせ様とした。三千代はだまつて洋卓テーブルうへした。其所そこには代助の食後しよくごうがひをする硝子がらす洋盃コツプがあつた。なかみづ二口許ふたくちばかり残つてゐた。
「奇麗なんでせう」と三千代がいた。
此奴こいつ先刻さつきぼくが飲んだんだから」と云つて、洋盃コツプげたが、※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちうちよした。代助のすはつてゐる所から、みづてやうとすると、障子のそと硝子戸がらすどが一枚邪魔をしてゐる。門野かどのは毎朝椽側の硝子戸がらすどを一二枚宛けないで、もととほりにほうつて置くくせがあつた。代助はせきつて、椽へて、みづにはけながら、門野かどのんだ。今ゐたかど野は何処どこへ行つたか、容易に返事をしなかつた。代助はすこしまごついて、又三千代みちよところへ帰つてて、
いますぐつてげる」と云ひながら、折角けた洋盃コツプを其儘洋卓テーブルの上にいたなり、勝手の方へて行つた。ちやを通ると、門野かどのは無細工な手をしてすゞ茶壺ちやつぼから玉露をつましてゐた。代助の姿すがたを見て、
「先生、今ぢきです」と言訳いひわけをした。
「茶はあとでもい。みづるんだ」と云つて、代助は自分で台所へた。
「はあ、左様さうですか。がるんですか」と茶壺ちやつぼを放りして門野もいてた。二人ふたり洋盃コツプさがしたが一寸ちよつと見付みつからなかつた。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買ひに行つたといふ答であつた。
「菓子がなければ、早く買つてけばいのに」と代助は水道のせんねぢつて湯呑に水をあふらせながら云つた。
「つい、小母をばさんに、御客さんのる事を云つて置かなかつたものですからな」と門野かどのは気の毒さうにあたまいた。
「ぢや、君が菓子をかひけばいのに」と代助は勝手かつてながら、門野かどのあたつた。門野かどのはそれでも、まだ、返事をした。
「なに菓子のほかにも、まだ色々いろ/\かひ物があるつて云ふもんですからな。あしわるし天気はくないし、せばいんですのに」
 代助はり向きもせず、書斎へもどつた。敷居しきゐを跨いで、なかへ這入るや否や三千代のかほを見ると、三千代は先刻さつきすけいてつた洋盃コツプを膝のうへに両手で持つてゐた。其洋盃コツプなかには、代助がにはけたと同じ位にみづ這入はいつてゐた。代助は湯呑をつたまゝ、茫然として、三千代のまへつた。
うしたんです」といた。三千代はいつもの通り落ち付いた調子で、
難有ありがたう。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と答へて、リリー、オフ、ゼ、※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レーのけてあるはちかへりみた。代助は此大鉢おほはちなかに水を八分目はちぶんめつて置いた。つま楊枝位なほそくき薄青うすあをいろが、みづなかそろつてゐるあひだから、陶器やきものの模様がほのかにいて見えた。
何故なぜあんなものを飲んだんですか」と代助はあきれていた。
「だつてどくぢやないでせう」と三千代は手につた洋盃コツプを代助の前へして、かしてせた。
どくでないつたつて、もし二日ふつか三日みつかつたみづだつたらうするんです」
「いえ、先刻さつきた時、あのそばかほつて行つていで見たの。其時、たつた今其鉢そのはちみづを入れて、おけからうつしたばかりだつて、あのかたが云つたんですもの。大丈夫だわ。にほひね」
 代助はだまつて椅子へこしを卸した。果してためはちの水を呑んだのか、又は生理上の作用にうながされて飲んだのか、追窮する勇気もなかつた。よし前者ぜんしやとした所で、詩をてらつて、小説の真似なぞをした受売うけうりの所作とは認められなかつたからである。そこで、たゞ、
「気分はもうくなりましたか」といた。


 三千代のほゝに漸やく色がた。たもとから手帛ハンケチを取りして、くちあたりきながらはなしはじめた。――大抵は伝通院前から電車へつて本郷迄買物かひものるんだが、ひとに聞いて見ると、本郷の方は神楽坂かぐらざかくらべて、うしても一割か二割ものたかいと云ふので、此間このあひだから一二度此方こつちの方へて見た。此前このまへはづであつたが、ついおそくなつたのでいそいでかへつた。今日けふは其つもりはやうちた。が、御息おやすちうだつたので、又とほり迄行つて買物かひものましてかへけにる事にした。ところが天気模様がわるくなつて、藁店わらだながりけるとぽつ/\した。かさつてなかつたので、れまいと思つて、ついいそぎたものだから、すぐ身体からださわつて、いきくるしくなつて困つた。――
「けれども、れつこになつてるんだから、おどろきやしません」と云つて、代助を見てさみしいわらかたをした。
「心臓のほうは、まだ悉皆すつかりくないんですか」と代助は気の毒さうなかほで尋ねた。
悉皆すつかりくなるなんて、生涯駄目ですわ」
 意味の絶望な程、三千代の言葉はしづんでゐなかつた。ほそゆびそらして穿めてゐる指環ゆびわを見た。それから、手帛ハンケチを丸めて、又たもとへ入れた。代助はせた女のひたひの、かみつらなる所を眺めてゐた。
 すると、三千代は急に思ひした様に、此間このあひだ小切手こぎつての礼をした。其時そのとき何だか少しほゝを赤くした様に思はれた。視感の鋭敏な代助にはそれがわかつた。彼はそれを、貸借たいしやくに関係した羞恥しうち血潮ちしほとのみ解釈かいしやくした。そこではなしをすぐ他所よそそらした。
 先刻さつき三千代がげて這入はいつ百合ゆりの花が、依然として洋卓テーブルうへつてゐる。あまたるいつよ二人ふたりあひだに立ちつゝあつた。代助は此重苦おもくるしい刺激を鼻のさきに置くに堪へなかつた。けれども無断むだんで、取りける程、三千代にたいして思ひ切つた振舞が出来できなかつた。
此花このはなうしたんです。かつたんですか」といた。三千代はだまつて首肯うなづいた。さうして、
にほひでせう」と云つて、自分のはなを、はなびらそばつてて、ふんといで見せた。代助は思はずあし真直まつすぐつて、うしろの方へらした。
「さうそばいぢや不可いけない」
「あら何故なぜ
何故なぜつて理由もないんだが、不可いけない」
 代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。
貴方あなた此花このはな御嫌おきらひなの?」
 代助は椅子のあしなゝめに立てゝ、身体からだうしろのばした儘、答へをせずに、微笑して見せた。
「ぢや、つてなくつてもかつたのに。つまらないわ、まはみちをして。御まけあめられそくなつて、いきらして」
 あめは本当につて来た。雨滴あまだれが樋にあつまつて、流れるおとがざあときこえた。代助は椅子から立ちがつた。まへにある百合のたばを取りげて、根元ねもとくゝつた濡藁ぬれわら※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしつた。
「僕に呉れたのか。そんなら早くけやう」と云ひながら、すぐ先刻さつき大鉢おほはちなかんだ。くきながすぎるので、みづねて、しさうになる。代助はしたゝくきまたはちからいた。さうして洋卓テーブル引出ひきだしから西洋はさみして、ぷつり/\と半分はんぶん程の長さにめた。さうして、大きなはなを、リリー、オフ、ゼ、※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)レーのむらがるうへかした。
「さあこれい」と代助ははさみ洋卓テーブルうへに置いた。三千代は此不思議に無作法にけられた百合を、しばらく見てゐたが、突然とつぜん
「あなた、何時いつから此花が御きらひになつたの」と妙な質問をかけた。
 昔し三千代のあにがまだきてゐる時分、ある日なにかのはづみに、長い百合ゆりつて、代助が谷中やなかいへたづねた事があつた。其時そのとき彼は三千代にあやしげな花瓶はないけの掃除をさして、自分で、大事さうに買つてはなけて、三千代にも、三千代のあににも、とこ向直むきなほつてながめさした事があつた。三千代はそれを覚えてゐたのである。
貴方あなただつて、はなけていで入らしつたぢやありませんか」と云つた。代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した。


 そのうちあめます/\ふかくなつた。いへつゝんで遠いおときこえた。門野かどのて、すこさむい様ですな、硝子戸がらすどめませうかといた。硝子戸がらすどあひだ二人ふたりかほそろえてにはの方をてゐた。あをことごとれて、しづかな湿しめが、硝子越がらすごしに代助のあたまんでた。なかいてゐるものは残らず大地だいちうへに落ちいた様に見えた。代助はひさりでわれかへつた心持がした。
あめですね」と云つた。
ちつともかないわ、わたし草履ざうり穿いてたんですもの」
 三千代は寧ろうらめしさうに樋から雨点あまだれながめた。
かへりにはくるまを云ひけてげるからいでせう。ゆつくりなさい」
 三千代はあまりゆつく出来できさうな様子も見えなかつた。まともに、代助の方を見て、
貴方あなたも相変らず呑気のんきな事をおつしやるのね」とたしなめた。けれども其眼元めもとにはわらひかげうかんでゐた。
 今迄三千代のかげかくれてぼんやりしてゐた平岡のかほが、此時あきらかに代助のこゝろひとみうつつた。代助は急に薄暗うすくらがりからものに襲はれた様な気がした。三千代は矢張り、はながたい黒いかげを引きつてあるいてゐる女であつた。
「平岡君はうしました」とわざと何気なにげなくいた。すると三千代の口元くちもと心持こゝろもちしまつて見えた。
「相変らずですわ」
「まだなんにも見付めつからないんですか」
「その方はまあ安心なの。来月らいげつから新聞の方が大抵出来るらしいんです」
「そりやかつた。ちつとも知らなかつた。そんなら当分夫でいぢやありませんか」
「えゝ、まあ難有いわ」と三千代は低い声で真面目まじめに云つた。代助は、其時三千代を大変可愛かあいく感じた。引きつゞいて、
彼方あつちほうは差しあためられる様な事もないんですか」といた。
彼方あつちほうつて――」とすこ逡巡ためらつてゐた三千代は、きうかほあからめた。
わたし、実は今日けふそれ御詫おわびあがつたのよ」と云ひながら、一度俯向うつむいた顔を又げた。
 代助は少しでも気不味きまづい様子を見せて、此上にも、女のやさしい血潮をうごかすに堪えなかつた。同時に、わざとむかふの意を迎へる様な言葉をけて、相手を殊更に気の毒がらせる結果を避けた。それで静かに三千代の云ふ所を聴いた。
 先達せんだつての二百円は、代助から受取うけとるとすぐ借銭しやくせんの方へまははずであつたが、あたらしくうちつたため色々いろ/\入費がかゝつたので、つい其方の用を、あのうちで幾分かべんじたのがはじまりであつた。あとはと思つてゐると、今度こんどは毎日の活計くらしはれした。自分ながら心持こゝろもちはしなかつたけれども、仕方しかたなしにこまるとは使つかひ、こまるとは使つかひして、とう/\荒増あらましくして仕舞つた。尤もさうでもしなければ、夫婦は今日こんにちうしてらしてはけなかつたのである。今から考へて見ると、一層いつその事ければいなりに、うかうか工面くめんいたかも知れないが、なまじい、手元てもとつたものだから、くるまぎれに、急場きうばはして仕舞つたので、肝心の証書を入れた借銭しやくせんの方は、いまだに其儘にしてある。是はむしろ平岡のわるいのではない。全く自分のあやまちである。
わたし本当ほんとうまない事をしたと思つて、後悔してゐるのよ。けれども拝借するときは、決して貴方あなただましてうそつもりぢやなかつたんだから、堪忍かんにんして頂戴」と三千代は甚だくるしさうに言訳いひわけをした。
うせ貴方あなたげたんだから、使つかつたつて、だれも何とも云ふ訳はないでせう。やくにさへてばそれいぢやありませんか」と代助はなぐさめた。さうして貴方あなたといふ字をことさらにおもく且つゆるひゞかせた。三千代はたゞ、
わたしそれで漸く安心したわ」と云つた丈であつた。
 雨がしきりなので、かへるときには約束通りくるまを雇つた。さむいので、セルのうへへ男の羽織をせやうとしたら、三千代は笑つてなかつた。


 何時いつにか、ひとの羽織をあるく様になつた。二三日、うち調物しらべものをして庭先にはさきよりほかながめなかつた代助は、冬帽をかぶつておもてへ出てて、急に暑さを感じた。自分もセルをがなければならないと思つて、五六町あるくうちに、あはせひと二人ふたり出逢であつた。左様さうかと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃コツプにして、つめたさうなものを飲んでゐた。代助は其時誠太郎を思ひした。
 近頃代助はもとよりも誠太郎がきになつた。ほか人間にんげんはなしてゐると、人間にんげんかははなす様で歯痒はがゆくつてならなかつた。けれども、かへりみて自分を見ると、自分は人間中にんげんちうで、尤も相手を歯痒はがゆがらせる様にこしらえられてゐた。是も長年ながねん生存競争の因果いんぐわさらされたばちかと思ふと余り難有い心持はしなかつた。
 此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間このあひだ浅草の奥山おくやまへ一所にれてつた結果である。あの一図な所はよく、あによめの気性を受けいでゐる。然しあにの子丈あつて、一図なうちに、何処どこせまらない鷹揚おほような気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふのたましひが遠慮なく此方こつちながんでるから愉快である。実際代助は、昼夜ちうやの区別なく、武装をいたことのない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。
 誠太郎は此春このはるから中学校へ行きした。すると急に脊丈せたけびてる様に思はれた。もう一二年すると声がかはる。それからさきんな径路けいろを取つて、生長するかわからないが、到底人間にんげんとして、生存するためには、人間にんげんからきらはれると云ふ運命に到着するにちがひない。其時そのときかれおだやかに人の目にかない服装なりをして、乞食こじきの如く、何物をか求めつゝ、ひといちをうろついてあるくだらう。
 代助は堀ばたた。此間このあひだむかふの土手にむら躑躅つゝぢが、団団だんだんと紅はくの模様を青いなかに印してゐたのが、丸で跡形あとかたもなくなつて、のべつに草がい茂つてゐる高い傾斜のうへに、大きなまつが何十本となく並んで、何処どこ迄もつゞいてゐる。そらは奇麗にれた。代助は電車でんしやつて、うちへ行つて、あによめ調戯からかつて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急にいやになつて、此松このまつながら、草臥くたびれる所迄堀端ほりばたつたつて行く気になつた。
 新見付しんみつけると、むかふからたり、此方こつちからつたりする電車がになりしたので、ほり横切よこぎつて、招魂社のよこから番町へた。そこをぐる/\まはつてあるいてゐるうちに、かく目的なしにあるいてゐることが、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつてあるくものは賤民だと、かれは平生から信じてゐたのであるけれども、此場合にかぎつて、其賤民の方がえらい様な気がした。まつたく、又アンニユイに襲はれたと悟つて、かへりだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音そのおとが甚しく金属きんぞく性の刺激を帯びてゐて、大いに代助のあたまこたへた。
 いへもん這入はいると、今度は門野かどのが、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。それでも代助の足音あしおといて、ぴたりとめた。
「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へた。代助は何にも答へずに、帽子を其所そこけた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子をめ切つた。つゞいて湯呑ゆのみに茶をいで持つてた門野が、
めときますか。あつかありませんか」といた。代助はたもとから手帛ハンケチしてひたひを拭いてゐたが、矢っ張り、
めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子をめてて行つた。代助はくらくしたへやのなかに、十分許じつぷんばかりぽかんとしてゐた。
 彼はひとうらやむ程光沢つや皮膚ひふと、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉をつた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福をけてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐いきがひがあると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人たにんの倍以上に価値をつてゐた。彼のあたまは、彼の肉体と同じくたしかであつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々とき/″\あたま中心ちうしんが、大弓だいきうまとの様に、二重にぢうもしくは三重さんぢうにかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日けふあさから左様そんな心持がした。


 代助が黙然もくねんとして、自己じこは何のため此世このよなかうまれてたかを考へるのはう云ふ時であつた。彼は今迄何遍も此大問題をとらへて、かれ眼前がんぜんに据ゑ付けて見た。其動機どうきは、たんに哲学上の好奇心からこともあるし、又世間せけんの現象が、あまりに複雑ふくざつ色彩しきさいを以て、かれあたまを染めけやうとあせるからる事もあるし、又最後には今日こんにちの如くアンニユイの結果としてる事もあるが、其都度つど彼は同じ結論に到着した。然し其結論は、此問題の解決ではなくつて、寧ろ其否定と異ならなかつた。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかつた。これと反対に、うまれた人間にんげんに、始めてある目的が出来できるのであつた。最初から客観的にある目的をこしらえて、それを人間にんげんに附着するのは、其人間にんげんの自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間にんげんの目的は、生れた本人が、本人自身に作つたものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。
 此根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。あるきたいからあるく。するとあるくのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、あるいたり、かんがへたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てゝ、活動するのは活動の堕落になる。従つて自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、みづから自己存在の目的を破壊したも同然である。
 だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望ぐわんもう嗜欲きよくが起るたびごとに、是等の願望ぐわんもう嗜欲きよくを遂行するのを自己の目的として存在してゐた。二個の相容れざる願望ぐわんもう嗜欲きよくが胸に闘ふ場合も同じ事であつた。たゞ矛盾からる一目的の消耗と解釈してゐた。これをせんめると、彼は普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐたのである。さうして、他をいつはらざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得てゐた。
 此主義を出来る丈遂行するかれは、其遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲はれて、自分は今何のために、こんな事をしてゐるのかと考へす事がある。彼が番町を散歩しながら、何故なぜ散歩しつゝあるかと疑つたのは正にこれである。
 其時かれは自分ながら、自分の活力の充実してゐない事に気がつく。餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、みづから其行動の意義を中途で疑ふ様になる。彼はこれをアンニユイとなづけてゐた。アンニユイにかゝると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じてゐた。彼の行為の中途に於て、なにためと云ふ、冠履顛倒の疑を起させるのは、アンニユイにほかならなかつたからである。
 かれつたへやなかで、一二度あたまを抑えてうごかして見た。彼はむかしから今日こんにち迄の思索家の、しばしばかへした無意義な疑義を、又脳裏のうり拈定ねんていするに堪えなかつた。その姿すがたのちらりと眼前がんぜんおこつた時、またかと云ふ具合に、すぐり棄てゝ仕舞つた。同時に彼は自己の生活力の不足を劇しく感じた。従つて行為其物を目的として、円満に遂行する興味もたなかつた。彼はたゞ一人ひとり荒野こうやうちつた。茫然としてゐた。
 彼は高尚な生活欲の満足を冀ふ男であつた。又ある意味に於て道義欲の満足を買はうとする男であつた。さうして、ある点へると、此二つのものが火花ひばならして切りむす関門くわんもんがあると予想してゐた。それで生活欲を低い程度にめて我慢してゐた。彼のへやは普通の日本間にほんまであつた。これと云ふ程の大した装飾もなかつた。彼に云はせると、がくさへ気のいたものは掛けてなかつた。色彩しきさいとしてく程にうつくしいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云ふ位であつた。かれは今此書物のなかに、茫然としてすはつた。やゝあつて、これほど寐入ねいつた自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をうかしなければならぬと、思ひながら、へやなかをぐる/\見廻みまはした。それから、又ぽかんとしてかべながめた。が、最後さいごに、自分を此薄弱な生活から救ひ得る方法は、たゞ一つあると考へた。さうしてくちうちで云つた。
「矢つ張り、三千代さんにはなくちや不可いかん」


 彼は足の進まない方角へ散歩にたのを悔いた。もう一遍出直でなほして、平岡のもとかうかと思つてゐる所へ、森川町から寺尾がた。新らしい麦藁むぎわら帽をかぶつて、閑静な薄い羽織を着て、あつい/\と云つて赤いかほいた。
なんだつて、今時分いまじぶんたんだ」と代助は愛想あいそもなく云ひ放つた。彼と寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際してゐたのである。
「今時分じぶんが丁度訪問にい刻限だらう。きみ、又昼寐ひるねをしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可いかん。君は一体何のためうまれてたのだつたかね」と云つて、寺尾は麦藁むぎわら帽で、しきりに胸のあたりへかぜおくつた。時候はまだ夫程暑くないのだから、此所作は頗る愛嬌を添へた。
「何のためうまれてやうと、余計な御世話だ。それより君こそ何しにたんだ。又「此所こゝ十日許とほかばかりあひだ」ぢやないか、かねの相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なくさきことわつた。
「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾は已を得ず答へた。けれども別段感情を害した様子も見えなかつた。実を云ふと、此位な言葉は寺尾に取つて、少しも無礼とは思へなかつたのである。代助はだまつて、寺尾のかほを見てゐた。それは、むなしいかべを見てゐるより以上の何等の感動をも、代助に与へなかつた。
 寺尾はふところからきたない仮綴かりとぢの書物をした。
「是をやくさなけりやならないんだ」と云つた。代助は依然としてだまつてゐた。
ふにこまらないと思つて、さう無精ぶせうかほをしなくつてからう。もう少し判然はんぜんとしてれ。此方こつち生死せいしたゝかひだ」と云つて、寺尾は小形こがたの本をとん/\と椅子いすかどで二返たゝいた。
何時いつ迄に」
 寺尾は、書物のページをさら/\とつて見せたが、断然たる調子で、
「二週間」と答へたあとで、「うでもうでも、夫迄に片付かたづけなけりや、へないんだから仕方がない」と説明した。
えらいきほひだね」と代助はひやかした。
「だから、本郷からわざ/\つてたんだ。なに、かねりなくてもい。――せば猶いが――それより少しわからない所があるから、相談しやうとおもつて」
「面倒だな。僕は今日けふあたまわるくつて、そんな事はつてゐられないよ。い加減に訳して置けばかまはないぢやないか。どうせ原稿料はページで呉れるんだらう」
「なんぼ、ぼくだつて、さう無責任な翻訳は出来できないだらうぢやないか。誤訳でも指摘されるとあとから面倒だあね」
「仕様がないな」と云つて、代助は矢っ張り横着な態度を維持してゐた。すると、寺尾は、
「おい」と云つた。「冗談ぢやない、君の様に、のらくら遊んでるひとは、たまには其位な事でも、しなくつちや退屈で仕方がないだらう。なに、僕だつて、ほんく読めるひとの所へく気なら、わざ/\君の所迄やしない。けれども、んなひときみちがつて、みんないそがしいんだからな」とすこしも辟易した様子を見せなかつた。代助は喧嘩をするか、相談に応ずるか何方どつちかだと覚悟をめた。彼の性質として、う云ふ相手を軽蔑する事は出来るが、おこける気はせなかつた。
「ぢや成るべくすこしに仕様ぢやないか」とことわつて置いて、符号マークけてある所丈を見た。代助は其書物の梗概さへ聞く勇気がなかつた。相談を受けた部分にも曖昧あいまいな所は沢山あつた。寺尾は、やがて、
「やあ、難有う」と云つて本を伏せた。
わからない所はどうする」と代助がいた。
「なにどうかする。――だれいたつて、さう善くわかりやしまい。第一時間じかんがないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如くてんから極めてゐた。
 相談がむと、寺尾は例によつて、文学談を持ちした。不思議な事に、さうなると、自己の翻訳とはちがつて、いつもの通り非常に熱心になつた。代助は現今の文学者の公けにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだらうと考へて、寺尾の矛盾を可笑おかしく思つた。けれども面倒だから、くちへはさなかつた。
 寺尾の御蔭で、代助は其日とう/\平岡へ行きはぐれて仕舞つた。


 晩食ばんめしとき、丸善から小包こづゝみとゞいた。はしいてけて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。代助はそれをわきしたかゝんで、書斎へ帰つた。一冊づゝ順々に取りげて、くらいながら二三ページはぐる様にとほしたが何処どこも彼の注意をく様な所はなかつた。最後の一冊に至つては、其名前さへ既に忘れてゐた。いづ其中そのうち読む事にしやうと云ふ考で、一所にまとめた儘、立つて、本棚のうへかさねて置いた。椽側からそとうかゞうと、奇麗なそらが、高いいろうしなひかけて、となり梧桐ごとう一際ひときはく見えるうへに、うすつきてゐた。
 そこへ門野かどのが大きな洋燈ランプを持つて這入はいつてた。それには絹縮きぬちゞみやうに、たてみぞつた青いかさけてあつた。門野かどのはそれを洋卓テーブルうへいて、又椽側へたが、出掛でがけに、
「もう、そろ/\ほたるる時分ですな」と云つた。代助は可笑をかしかほをして、
「まだやしまい」と答へた。すると門野かどのは例の如く、
左様さうでしやうか」と云ふ返事をしたが、すぐ真面目まじめな調子で、「ほたるてえものは、むかし大分だいぶ流行はやつたもんだが、近来はあまり文士がたさわがない様になりましたな。う云ふもんでせう。ほたるだのからすだのつて、此頃このごろぢやついぞ見た事がない位なもんだ」と云つた。
左様さうさ。う云ふわけだらう」と代助もそらつとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野かどのは、
「矢っ張り、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでせう」と云ひ終つて、みづから、えへゝゝと、洒落しやれの結末をつけて、書生部屋へ帰つて行つた。代助もつゞいて玄関迄た。門野は振返ふりかへつた。
「また御出掛でかけですか。よござんす。洋燈ランプわたくしが気をけますから。――小母をばさんが先刻さつきからはらいたいつてたんですが、なにたいした事はないでせう。御緩ごゆつくり」
 代助はもんた。江戸川迄ると、かはみづがもうくらくなつてゐた。彼は固より平岡をたづねる気であつた。から何時いつもの様に川辺かはべりつたはないで、すぐはしわたつて、金剛寺坂こんごうじざかあがつた。
 実を云ふと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢つてゐた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取つた時であつた。それには、第一に着京以来御世話になつて難有いと云ふ礼が述べてあつた。それから、――其後そのご色々朋友や先輩の尽力を辱うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分もつて見たい様な気がする。然し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断ではよろしくあるまいと思つて、一応御相談をすると云ふ意味があとに書いてあつた。代助は、其当時そのとうじ平岡から、あにの会社に周旋してくれと依頼されたのを、其儘にして、断わりもせず今日こんにちほうつて置いた。ので、其返事をうながされたのだと受取つた。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡すぎると云ふ考もあつたので、翌日よくじつ向いてつて、色々あにの方の事情を話して当分、此方こつちは断念して呉れる様に頼んだ。平岡は其時そのとき、僕も大方おほかた左様さうだらうと思つてゐたと云つて、妙なをして三千代の方をた。
 いま一遍は、愈新聞の方がまつたから、一晩ひとばんゆつくきみみたい。何日いくかて呉れといふ平岡の端書はがきいた時、折悪く差支が出来たからと云つて散歩の序に断わりにつたのである。其時平岡は座敷の真中まんなか引繰ひつくかへつててゐた。昨夕ゆふべどこかのくわいて、飲みごした結果けつくわだと云つて、赤いをしきりにこすつた。代助を見て、突然とつぜん人間にんげんうしても君の様に独身でなけりや仕事は出来ない。僕も一人ひとりなら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代はつぎで、こつそり仕事しごとをしてゐた。
 三遍目さんべんめには、平岡の社へ出た留守をたづねた。其時は用事も何もなかつた。約三十分許り椽へこしけてはなした。
 それから以後は可成小石川の方面へ立ちまはらない事にして今夜こんやに至たのである。代助は竹早町へあがつて、それを向ふへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云ふ軒燈のすぐ前へた。格子のそとから声をかけると、洋燈ランプを持つて下女がた。が平岡は夫婦とも留守であつた。代助は出先でさきも尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗つて、本郷迄て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入つて、麦酒ビールをぐい/\飲んだ。


 翌日よくじつめると、依然としてのうの中心から、半径はんけいちがつたえんが、あたま二重にぢうに仕切つてゐる様な心持がした。う云ふ時に代助は、あたま内側うちがは外側そとがはが、しつことなつた切りみ細工で出来上できあがつてゐるとしか感じ得られないくせになつてゐた。それ自分じぶん自分じぶんあたまつてみて、二つのものをぜやうとつとめたものである。かれいままくらうへかみけたなり、みぎの手をかためて、みゝうへを二三度たゝいた。
 代助はゝる脳髄のうずいの異状を以て、かつてさけとがに帰した事はなかつた。彼は小供のときからさけに量を得た男であつた。いくらんでも、左程平常を離れなかつた。のみならず、一度いちど熟睡さへすれば、あとは身体からだに何の故障も認める事が出来できなかつた。かつて何かのはづみに、あにみをやつて、三合入さんごういりの徳利を十三本倒した事がある。其翌日あくるひ代助は平気な顔をして学校へた。あに二日ふつかあたまいたいと云つてにがつてゐた。さうして、これを年齢としちがひだと云つた。
 昨夕ゆふべ飲んだ麦酒ビールこれくらべるとおろかなものだと、代助はあたまたゝきながら考へた。さいはひに、代助はいくらあたま二重にぢうになつても、脳の活動にくるひを受けた事がなかつた。時としては、たゞあたま使つかふのが臆劫になつた。けれども努力さへすれば、充分複雑な仕事に堪えるといふ自信があつた。だから、んな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神にわるい影響を与へるものとしては、悲観する余地がなかつた。始めて、こんな感覚があつた時は驚ろいた。二遍目は寧ろ新奇な経験としてよろこんだ。このごろは、此経験が、多くの場合に、精神気力の低落ていらくともなふ様になつた。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になつた。代助にはそこが不愉快だつた。
 とこうへがつて、彼は又あたまつた。朝食あさめしの時、門野かどの今朝けさの新聞に出てゐたへびわしたゝかひの事をはなし掛けたが、代助は応じなかつた。門野は又はじまつたなと思つて、茶のた。勝手の方で、
小母をばさん、さうはたらいちやわるいだらう。先生の膳は僕が洗つて置くから、彼方あつちつてやすんで御出おいで」とばあさんをいたはつてゐた。代助は始めてばあさんの病気の事を思ひした。なにやさしい言葉でも掛ける所であつたが、面倒だと思つてめにした。
 食刀ナイフくや否や、代助はすぐ紅茶々碗をつて書斎へ這入はいつた。時計を見るともう九時すぎであつた。しばらく、にはながめながら、茶をすゝばしてゐると、門野かどのて、
「御たくから御迎おむかひが参りました」と云つた。代助はうちからむかひを受けるおぼえがなかつた。聞きかへして見ても、門野かどの車夫しやふがとか何とか要領を得ない事を云ふので、代助はあたまを振り/\玄関へて見た。すると、そこにあにくるまかつと云ふのがゐた。ちやんと、護謨ごむ輪のくるまを玄関へ横付よこづけにして、叮嚀に御辞義をした。
かつ御迎おむかへつてなんだい」とくと、かつは恐縮の態度で、
「奥様がくるまつて、むかひつていつて、御仰おつしやいました」
なにか急用でも出来できたのかい」
 かつもとより何事なにごとも知らなかつた。
御出おいでになればわかるからつて――」と簡潔に答へて、言葉ことばの尻をむすばなかつた。
 代助は奥へ這入はいつた。ばあさんを呼んで着物きものを出させやうと思つたが、腹の痛むものを使つかふのがいやなので、自分で簟笥の抽出ひきだしまはして、急いで身支度みじたくをして、かつくるまに乗つてた。
 其日そのひかぜが強くいた。かつくるしさうに、まへほうこゞんでけた。つてゐた代助は、二重のあたまがぐる/\回転するほど、かぜに吹かれた。けれども、おとひゞきもない車輪しやりんが美くしくうごいて、意識に乏しい自分を、半睡の状態でちうはこんで行く有様が愉快であつた。青山あをやまうちへ着く時分には、きた頃とはちがつて、気色きしよくが余程晴々してた。


 なにことおこつたのかと思つて、あがけに、書生部屋をのぞいて見たら、直木なほきと誠太郎がたつた二人ふたりで、白砂糖しろざとうけたいちごつてゐた。
「やあ、御馳走だな」と云ふと、直木は、すぐずまひをなほして、挨拶をした。誠太郎はくちびるふちらしたまゝ、突然、
叔父おぢさん、おくさんは何時いつもらふんですか」といた。直木はにや/\してゐる。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、
今日けふ何故なぜ学校がつこうかないんだ。さうしてあさぱらからいちごなんぞをつて」と調戯からかふ様に、しかる様に云つた。
「だつて今日けふは日曜ぢやありませんか」と誠太郎は真面目まじめになつた。
「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。
 直木は代助のかほを見てとう/\笑ひした。代助も笑つて、座敷へた。そこにはだれも居なかつた。え立てのたゝみうへに、丸い紫檀の刳抜盆くりぬきぼんが一つてゐて、なかに置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様ぐわけてあつた。からんとしたひろい座敷へあさみどりにはからし込んで、すべてがしづかに見えた。戸外そとかぜは急に落ちた様に思はれた。
 座敷を通りけて、あに部屋へやほうたら、ひとかげがした。
「あら、だつて、それぢやあんまりだわ」と云ふあによめの声が聞えた。代助はなかへ這入つた。なかにはあにあによめと縫子がゐた。あに角帯かくおび金鎖きんぐさりけて、近頃流行る妙なの羽織をて、此方こちらいて立つてゐた。代助の姿すがたを見て、
「そらた。ね。だから一所にれてつて御貰おもらひよ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固よりわからなかつた。すると、梅子が代助の方に向き直つた。
「代さん、今日けふ貴方あなた、無論ひまでせう」と云つた。
「えゝ、まあひまです」と代助は答へた。
「ぢや、一所に歌舞伎座へつて頂戴」
 代助はあによめの此言葉を聞いて、あたまなかに、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日けふ平常いつもの様に、あによめ調戯からかふ勇気がなかつた。面倒だから、平気なかほをして、
「えゝよろしい、きませう」と機嫌きげんよく答へた。すると梅子は、
「だつて、貴方あなたは、最早もう、一遍たつて云ふんぢやありませんか」とき返した。
「一遍だらうが、二遍だらうが、ちつともかまはない。きませう」と代助は梅子を見て微笑した。
貴方あなたも余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽をかんじた。
 あには用があると云つて、すぐつた。四時頃用がんだら芝居の方へ回る約束なんださうである。それ迄自分と縫子丈で見てゐたらささうなものだが、梅子はそれいやだと云つた。そんなら直木を連れてけとあにから注意された時、直木は紺絣こんがすりて、はかま穿いて、六づかしくすはつてゐて不可いけないと答へた。それで仕方がないから代助を迎ひにつたのだ、と、是はあに出掛でがけの説明であつた。代助は少々理窟に合はないと思つたが、たゞ、左様さうですかと答へた。さうして、あによめまく相間あひまはなし相手がほしいのと、それからいざと云ふときに、色々いろ/\用を云ひ付けたいものだから、わざ/\自分を呼びせたに違ないと解釈した。
 梅子と縫子は長い時間を御粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になつて、両人ふたりそばいてゐた。さうして時々は、面白半分はんぶんひやかしも云つた。縫子からは叔父おぢさん随分だわを二三度繰りかへされた。
 ちゝ今朝けさ早くからて、うちにゐなかつた。何処どこへ行つたのだか、あによめは知らないと云つた。代助は別に知りたい気もなかつた。たゞ父のゐないのが難有かつた。此間このあひだの会見以後、代助は父とはたつた二度程しかかほを合せなかつた。それも、ほんの十分か十五分にぎなかつた。話が込み入りさうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしてゐた。ちゝは座敷の方へて、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなつた。おれの顔さへ見ればげ支度をすると云つておこつた。とあによめかゞみの前で夏帯なつおびの尻を撫でながら代助に話した。
「ひどく、信用をおとしたもんだな」
 代助は斯う云つて、あによめ縫子ぬひこ蝙蝠傘かはほりがさげて一足ひとあし先へ玄関へた。車はそこに三挺ならんでゐた。


 代助はかぜを恐れて鳥打とりうち帽をかぶつてゐた。かぜは漸くんで、強いくも隙間すきまからあたまうへらした。さきく梅子と縫子はかさひろげた。代助は時々とき/″\かうひたひまへかざした。
 芝居のなかでは、あによめぬひ子も非常に熱心な観客けんぶつであつた。代助は二返所為せゐといひ、此三四日来さんよつからいの脳の状態からと云ひ、左様さう一図に舞台ばかりに気をられてゐるわけにもかなかつた。堪えず精神に重苦しいあつさを感ずるので、屡団扇うちはにして、かぜえりからあたまおくつてゐた。
 まく合間あひまに縫子が代助の方をいて時々とき/″\妙な事をいた。何故なぜあの人はたらひで酒を飲むんだとか、何故なぜ坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひした。それには、日本の脚本が、あまりに突飛なすぢんでゐるので、らくに見物が出来ないといてあつた。代助は其時そのとき、役者の立場たちばから考へて、なにもそんなひとに見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言こごとを、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野かどのに話した。門野は依然として、左様そんなもんでせうかなと云つてゐた。
 小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕しゆわんに就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いにはなしつた。時々とき/″\かほ見合みあはして、黒人くらうとの様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもうあきてゐた。まく途中とちうでも、双眼鏡で、彼方あつちを見たり、此方こつちを見たりしてゐた。双眼鏡のむかふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方むかふでも眼鏡めがねさき此方こつちへ向けてゐた。
 代助の右隣みぎどなりには自分と同年輩の男が丸髷にいつた美くしい細君を連れててゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付ちかづきのある芸者によく似てゐると思つた。左隣ひだりどなりには男づれ四人許よつたりばかりゐた。さうして、それが、ことごとく博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又となりに、ひろい所を、たつた二人ふたりせん領してゐるものがあつた。その一人ひとりは、あにと同じ位な年恰好としかつこうで、たゞしい洋服をてゐた。さうして金縁きんぶち眼鏡めがねを掛けて、物をるときには、あごまへして、心持こゝろもち仰向あほむくせがあつた。代助はこの男を見たとき、何所どこ見覚みおぼえのある様な気がした。が、ついに思ひさうとつとめても見なかつた。其伴侶つれわかい女であつた。代助はまだ廿はたちになるまいと判定した。羽織をないで、普通よりは大きくひさしして、多くはあご襟元えりもとへぴたりとけてすはつてゐた。
 代助はくるしいので、何返なんべんせきつて、うしろの廊下へて、せまそらを仰いだ。あにたら、あによめと縫子を引きわたしてはやく帰りたい位に思つた。一ぺんは縫子をれて、其所等そこいらをぐる/\運動してあるいた。仕舞にはと酒でも取りせてまうかと思つた。
 あに日暮ひくれとすれ/\にた。大変おそかつたぢやありませんかと云つた時、帯のあひだから、金時計をして見せた。実際六時少しまはつた許であつた。あには例の如く、平気なかほをして、方々見回みまはしてゐた。が、めしふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々なか/\かへつてなかつた。しばらくして、代助は不図振りかへつたら、一軒いてとなりの金縁きんぶち眼鏡めがねを掛けた男の所へ這入つて、はなしをしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方ではわらひ顔を一寸ちよつと見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目まじめに向き直つた。代助はあによめ其人そのひとの名をかうと思つたが、あにひとあつまる所へさへ出れば、何所どこへでもかくの如く平気に這入り込む程、世間せけんひろい、又世間せけんを自分のいへの様に心得てゐる男であるから、気にもけずにだまつてゐた。
 するとまくの切れ目に、あに入口いりぐちかへつてて、代助一寸ちよつといと云ひながら、代助を其金縁きんぶちの男の席へ連れてつて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合ひきあはした。金縁きんぶちの紳士は、わかい女を顧みて、私のめいですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時そのとき兄が、佐川さんの令嬢だとくちへた。代助は女の名を聞いたとき、うまけられたとはらなかで思つた。が何事も知らぬものゝ如くよそほつて、好加減いゝかげんはなしてゐた。するとあによめ一寸ちよつと自分の方を振りいた。


 五六ぷんして、代助はあにともに自分の席にかへつた。佐川のむすめを紹介される迄は、あにの見え次第げる気であつたが、いまでは左様さう不可いかなくなつた。あまり現金に見えては、却つてくない結果を引きおこしさうな気がしたので、苦しいのを我慢してすはつてゐた。あにも芝居に就ては全たく興味がなささうだつたけれども、例の如く鷹揚に構えて、黒いあたまいぶす程、葉巻はまきをゆらした。時々とき/″\評をすると、縫子ぬひこあのまく綺麗きれいだらう位の所であつた。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問も掛けず、一言の批評も加へなかつた。代助には其すました様子が却つて滑稽に思はれた。彼は今日こんにちあによめの策略にかゝつた事が時々とき/″\あつた。けれども、たゞの一返もはらてた事はなかつた。今度こんどの狂言も、平生ならば、退屈まぎらしの遊戯程度に解釈して、笑つて仕舞たかも知れない。夫許そればかりではない。もし自分が結婚する気なら、却つて、此狂言を利用して、みづから人巧的に、御目出度おめでたい喜劇きげきを作りげて、生涯自分をあざけつて満足する事も出来た。然し此姉このあね迄が、いまの自分を、ちゝあにと共謀して、漸々ぜん/\窮地にいざなつてくかと思ふと、流石さすがに此所作しよさをたゞの滑稽として、観察する訳にはかなかつた。代助は此先このさきあによめが此事件をう発展させる気だらうと考へて、少々弱つた。うちのものゝうちで、あによめが一番んな計画に興味をもつてゐたからである。もしあによめが此方面に向つて代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族かぞくのものと疎遠にならなければならないと云ふ恐れが、代助のあたま何処どこかにひそんでゐた。
 芝居の仕舞になつたのは十一時ちかくであつた。そとて見ると、風は全くんだが、つきほしえないしづかな晩を、電燈が少し許り照らしてゐた。時間がおそいので茶屋でははなしをするひまもなかつた。三人のむかひてゐたが、代助はついくるまあつらへて置くのを忘れた。面倒だと思つて、あによめすゝめしりぞけて、茶屋の前から電車に乗つた。数寄屋すきや橋でえ様と思つて、くろみちなかに、待ちはしてゐると、小供をおぶつたかみさんが、退儀たいぎさうにむかふから近つてた。電車はむかがはを二三度とほつた。代助と軌道レールあひだには、つちいしんだものが、たかい土手の様にはさまつてゐた。代助ははじめて間違まちがつた所につてゐる事を悟つた。
「御神さん、電車へ乗るなら、此所こゝぢや不可いけない。向側むかふがはだ」と教へながらあるした。神さんは礼を云つていてた。代助は手探てさぐりでもする様に、くらい所を好加減いゝかげんあるいた。十四五けんひだりの方へ濠際ほりぎは目標めあてたら、漸く停留所ていりうじよの柱が見付みつかつた。神さんは其所そこで、神田橋の方へいて乗つた。代助はたつた一人ひとり反対の赤坂ゆきへ這入つた。
 くるまなかでは、ねむくてられない様な気がした。られながらも今夜の睡眠が苦になつた。かれは大いに疲労して、白昼はくちうの凡てに、惰気だきを催うすにも拘はらず、知られざる何物なにものかの興奮のために、静かなほしいまゝにする事が出来ない事がよくあつた。かれ脳裏のうりには、今日けふ日中につちうに、かはる/″\あとを残した色彩が、ときの前後とかたちの差別を忘れて、一度にらついてゐた。さうして、それがなにの色彩であるか、何の運動であるかたしかにわからなかつた。かれねむつて、うちかへつたら、またヰスキーのちからを借りやうと覚悟した。
 かれこの取り留めのない花やかな色調しきちやうの反照として、三千代の事を思ひ出さざるを得なかつた。さうして其所そこにわが安住の地を見出みいだした様な気がした。けれども其安住の地は、あきらかには、かれに映じてなかつた。たゞ、かれのこゝろの調子全体で、それをみとめた丈であつた。従つてかれは三千代の顔や、容子や、言葉や、夫婦の関係くわんけいや、病気や、身分みぶん一纏ひとまとめにしたものを、わが情調にしつくり合ふ対象として、発見したに過ぎなかつた。


 翌日よくじつ代助は但馬にゐる友人から長い手紙を受取つた。此友人は学校を卒業すると、すぐ国へかへつたぎり、今日迄こんにちまでついぞ東京へた事のない男であつた。当人は無論やまなかくらす気はなかつたんだが、おやの命令でやむを得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである。それでも一年許いちねんばかりあひだは、もう一返親父おやぢけて、東京へると云つて、うるさい程手紙をこしたが、此頃は漸く断念したとえて、大した不平がましい訴もしない様になつた。いへところ旧家きうかで、先祖からち伝へた山林を年々り出すのが、おもな用事になつてゐるよしであつた。今度こんどの手紙には、かれの日常生活の模様が委しくいてあつた。それから、一ヶ月前町長にげられて、年俸を三百円頂戴する身分になつた事を、面白半分おもしろはんぶん、殊更に真面目まじめな句調で吹聴してた。卒業してすぐ中学の教師になつても、此三倍はもらへると、自分と他の友人との比較がしてあつた。
 此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都ざいのある財産家からよめもらつた。それは無論おやの云ひつけであつた。すると、少時しばらくして、すぐ子供が生れた。女房の事はもらつた時よりほかに何も云つてないが、子供の生長おいたちには興味があると見えて、時々とき/″\代助の可笑おかしくなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、此子供に対して、満足しつゝある友人の生活を想像した。さうして、此子供のために、彼の細君に対する感想が、もらつた当時に比べて、どの位変化したかを疑つた。
 友人は時々とき/″\あゆしたのや、柿のしたのを送つてくれた。代助は其返礼に大概は新らしい西洋の文学書をつた。すると其返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評が屹度あつた。けれども、それが長くはつゞかなかつた。仕舞には受取うけとつたと云ふ礼状さへこさなかつた。此方こつちからわざ/\問ひ合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云はうと思つて、ついおそくなつた。実はまだまない。白状すると、ひまがないと云ふより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云へば、読んでもわからなくなつたのである。といふ返事がた。代助はそれから書物をめて、其代りに新らしい玩具おもちやつておくる事にした。
 代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向をつてゐた此旧友が、当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色ねいろしてゐると云ふ事実を、せつに感じた。さうして、いのちいと震動しんどうから二人ふたりひゞきつまびらかに比較した。
 かれ理論家セオリストとして、友人の結婚けつこんうけがつた。やまなかんで、たにを相手にしてゐるものは、おやの取りめた通りのつまを迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。かれは同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ちきたすものと断定した。其原因を云へば、都会は人間にんげんの展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提このぜんていからこの結論に達するためう云ふ径路を辿たどつた。
 彼は肉体と精神に於ての類別を認める男であつた。さうして、あらゆるの種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた。あらゆるの種類に接触して、其たびごとに、甲から乙に気を移し、乙から丙に心をうごかさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞であると断定した。かれこれを自家の経験にちようして争ふべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力アツトラクシヨンに於て、悉く随縁臨機ずいえんりんきに、測りがたき変化をけつゝあるとの結論に到着した。それを引きばすと、既婚きこん一対いつついは、双方ともに、流俗に所謂いはゆる不義インフイデリチの念におかされて、過去から生じた不幸を、始終めなければならない事になつた。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を撰んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取りえるかわからないではないか。普通の都会人は、よりすくなき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助はかはらざる愛を、いまの世にくちにするものを偽善家ぎぜんかの第一位にいた。
 此所こゝ迄考へた時、代助のあたまなかに、突然三千代みちよ姿すがたうかんだ。其時そのとき代助はこの論理中に、ある因数フアクターかぞへ込むのを忘れたのではなからうかとうたぐつた。けれども、其因数フアクターうしても発見はつけんする事が出来できなかつた。すると、自分が三千代に対する情あひも、此論理ろんりによつて、たゞ現在的げんざいてきのものにぎなくなつた。かれあたままさにこれを承認した。然しかれハートは、慥かに左様さうだとかんずる勇気がなかつた。


 代助はあによめの肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだあひだがあつた。凡ての娯楽には興味を失つた。読書をしても、自己のかげを黒い文字のうへに認める事が出来できなくなつた。落付おちついて考へれば、考へははちすいとを引く如くにるが、出たものを纏めてると、ひとおそろしがるものばかりであつた。仕舞には、斯様かやうに考へなければならない自分がこわくなつた。代助は蒼白あをしろく見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させるために、しばらく旅行しやうと決心した。始めはちゝの別荘に行くつもりであつた。然し、是は東京から襲はれる点に於て、牛込に居るとたいした変りはないと思つた。代助は旅行案内を買つてて、自分のくべきさき調しらべて見た。が、自分の行くべきさき天下中てんかぢう何処どこにもい様な気がした。しかし、代助は無理にも何処どこかへかうとした。それには、支度を調とゝのへるにくはないと極めた。代助は電車に乗つて、銀座ぎんざた。ほがらかにかぜの往来をわたる午後であつた。新橋の勧工一回ひとまはりして、広い通りをぶら/\と京橋の方へくだつた。其時そのとき代助のには、向ふがはいへが、芝居の書割かきわりの様にひらたく見えた。あをそらは、屋根やねうへにすぐけられてゐた。
 代助は二三の唐物ひやかして、入用いりやうしな調とゝのへた。其中そのなかに、比較的たかい香水があつた。資生堂で練歯磨ねりはみがきを買はうとしたら、わかいものが、しくないと云ふのに自製のものをして、しきりすゝめた。代助はかほをしかめてみせた。紙包かみゞつみわきしたかゝへた儘、銀座のはづれ迄つてて、其所そこから大根河岸だいこんがしまはつて、鍛冶橋かじばしを丸のうちこゝろざした。あてもなく西にしの方へあるきながら、これも簡便な旅行と云へるかも知れないと考へた揚句あげく草臥くたびれてくるまをと思つたが、何処どこにも見当みあたらなかつたので又電車へつて帰つた。
 うちもん這入はいると、玄関に誠太郎のらしいくつが叮嚀にならべてあつた。門野かどのいたら、へえ左様さうです、先方さつきからつて御出おいでですといふこたへであつた。代助はすぐ書斎へた。誠太郎は、代助のすはる大きな椅子いすこしけて、洋卓テーブルまへで、アラスカ探検たんけん記を読んでゐた。洋卓テーブルうへには、蕎麦饅そばまん頭と茶ぼんが一所に乗つてゐた。
「誠太郎、何だい、ひとのゐない留守るすて、御馳走だね」と云ふと、誠太郎は、笑ひながら、先づアラスカ探検記をポツケツトへ押し込んで、せきつた。
其所そこるなら、ゐてもかまはないよ」と云つても、かなかつた。
 代助は誠太郎をつらまえて、いつもの様に調戯からかした。誠太郎は此間このあひだ代助が歌舞伎でした欠伸あくびかずを知つてゐた。さうして、
叔父おぢさんは何時いつ奥さんをもらふの」と、又先達せんだつてと同じ様な質問を掛けた。
 此誠太郎は、ちゝ使つかひたのであつた。其口上は、明日あしたの十一時迄に一寸ちよつとて呉れと云ふのであつた。代助はさう/\ちゝあにに呼びけられるが面倒であつた。誠太郎に向つて、半分おこつた様に、
なんだい、ひどいぢやないか。用も云はないで、無暗むやみひとを呼びつけるなんて」と云つた。誠太郎は矢っ張りにや/\してゐた。代助はそれぎりはなしほかへそらして仕舞つた。新聞に出てゐる相撲の勝負が、二人ふたりの題目のおもなるものであつた。
 晩食ばんめしつてけと云ふのを学校の下調があると云つて辞退して誠太郎は帰つた。帰る前に、
「それぢや、叔父おぢさん、明日あしたないんですか」といた。代助は已を得ず、
「うむ。うだかわからない。叔父おぢさんは旅行するかも知れないからつて、帰つてさう云つて呉れ」と云つた。
何時いつ」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日けふ明日あすのうちと答へた。誠太郎はそれで納得して、玄関迄出てつたが、沓脱くつぬぎりながら振り返つて、突然
何処どこへ入らつしやるの」と代助を見上みあげた。代助は、
何処どこつて、まだわかるもんか。ぐる/\まはるんだ」と云つたので、誠太郎は又にや/\しながら、格子を出た。


 代助は其夜そのよすぐたうと思つて、グラツドストーンのなか門野かどのに掃さして、携帯品をすこんだ。門野かどのすくなからざる好奇心を以て、代助の革鞄かばんながめてゐたが、
すこ手伝てつだひませうか」と突立つたまゝ聞いた。代助は、
「なに、わけはない」と断わりながら、一旦め込んだ香水のびんして、封被ふうひいで、せんいて、はなてゝいで見た。門野はすこし愛想をつかした様な具合で、自分の部屋へ引き取つた。二三ぷんすると又て、
「先生、くるま左様さう云つときますかな」と注意した。代助はグラツドストーンを前へ置いて、かほげた。
左様さう、少しつて呉れ給へ」
 にはを見ると、生垣いけがき要目かなめいたゞきに、まだ薄明うすあかるい日足ひあしがうろついてゐた。代助はそとのぞきながら、是から三十分のうちに行くさきめやうと考へた。何でも都合のよささうな時かんる汽車に乗つて、其汽車の持つて行く所へりて、其所そこ明日あしたらして、らしてゐるうちに、又新らしい運命が、自分をさらひにるのを待つつもりであつた。旅費は無論充分でなかつた。代助の旅装に適した程の宿泊とまりつゞけるとすれば、一週間もたない位であつた。けれども、さう云ふ点になると、代助は無頓着であつた。いよ/\となれば、うちからかねを取りせる気でゐた。それから、本来が四辺しへん風気ふうきを換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であつた。興に乗れば、荷持にもちを雇つて、一日いちにちあるいてもいと覚悟した。
 彼は又旅行案内をひらいて、細かい数字を丹念たんねんに調べしたが、少しも決定のはこび近寄ちかよらないうちに、又三千代の方にあたますべつてつた。まへにもう一遍様子を見て、それから東京をやうと云ふ気が起つた。グラツドストーンは今夜中こんやぢうに始末をけて、明日あす朝早あさはやげてかれる様にして置けば構はない事になつた。代助は急ぎ足で玄関迄た。其おとを聞きけて、門野かどのも飛びした。代助は不断着ふだんぎの儘、掛釘かけくぎから帽子を取つてゐた。
「又御出掛でかけですか。何か御買物おかひものぢやありませんか。わたくしければつてませう」と門野かどのおどろいたやうに云つた。
今夜こんやめだ」と云ひはなした儘、代助はそとた。そとはもうくらかつた。うつくしいそらほしがぽつ/\かげして行く様に見えた。心持こゝろもちかぜたもといた。けれどもながあしを大きく動かした代助は、二三町もあるかないうちに額際ひたひぎはあせを覚えた。彼はあたまから鳥打をつた。黒いかみ夜露よつゆに打たして、時々とき/″\帽子をわざとつてあるいた。
 平岡のいへの近所へると、くら人影ひとかげ蝙蝠かはほりの如くしづかに其所そこ此所こゝうごいた。粗末な板塀いたべい隙間すきまから、洋燈ランプが往来へうつつた。三千代みちよ其光そのひかりしたで新聞をんでゐた。今頃いまごろ新聞を読むのかといたら、二返目だと答へた。
「そんなにひまなんですか」と代助は座蒲団を敷居の上にうつして、椽側へ半分身体からだしながら、障子へ倚りかゝつた。
 平岡は居なかつた。三千代みちよいま湯からかへつた所だと云つて、団扇さへひざそばに置いてゐた。平生いつもほゝに、心持こゝろもちあたゝかい色をして、もう帰るでせうから、ゆつくりしてゐらつしやいと、茶のへ茶を入れにつた。髪は西洋風に結つてゐた。
 平岡は三千代の云つた通りには中々なか/\帰らなかつた。何時いつでも斯んなにおそいのかと尋ねたら、笑ひながら、まあんな所でせうと答へた。代助は其わらひなか一種いつしゆさみしさを認めて、たゞして、三千代のかほじつと見た。三千代は急に団扇うちはを取つてそでしたあほいだ。
 代助は平岡の経済の事が気にかゝつた。正面から、此頃このごろは生活費には不自由はあるまいと尋ねて見た。三千代は左様さうですねと云つて、又前の様なわらかたをした。代助がすぐ返事をしなかつたものだから、
貴方あなたには、左様さう見えて」と今度は向ふから聞きなほした。さうして、手に持つた団扇うちはを放りして、からたての奇麗なほそゆびを、代助の前にひろげて見せた。其ゆびには代助のおくつた指環ゆびわも、ほか指環ゆびわ穿めてゐなかつた。自分の記念を何時いつでも胸にゑがいてゐた代助には、三千代みちよの意味がよくわかつた。三千代は手を引きめると同時に、ぽつと赤い顔をした。
「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云つた。代助は憐れな心持がした。


 代助は其九時頃平岡のいへした。するまへ、自分の紙入かみいれなかるものをして、三千代にわたした。其時は、はらなかで多少の工夫くふうついやした。かれ何気なにげなく懐中物くわいちうものむねところけて、なかにある紙幣を、勘定もせずにつかんで、これげるから御使おつかひなさいと無雑作に三千代のまへした。三千代は、下女をはゞかる様な低い声で、
「そんな事を」と、かへつて両手をぴたりと身体からだけて仕舞つた。代助は然し自分の手をめなかつた。
「指環を受取うけとるなら、これを受取つても、同じ事でせう。紙の指環ゆびわだと思つて御貰ひなさい」
 代助は笑ひながら、斯う云つた。三千代はでも、あんまりだからとまだ※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇した。代助は、平岡に知れるとしかられるのかと聞いた。三千代はしかられるか、められるか、あきらかにわからなかつたので、矢張り愚図々々してゐた。代助は、しかられるなら、平岡にだまつてゐたらからうと注意した。三千代はまだ手をさなかつた。代助は無論したものを引きめるわけかなかつた。やむを得ず、すこし及びごしになつて、てのひらを三千代のむねそばつてつた。同時に自分のかほも一尺ばかりの距離に近寄ちかよせて、
「大丈夫だから、御取おとんなさい」としつかりしたひくい調子で云つた。三千代はあごえりなかうづめる様にあとへ引いて、無言の儘右の手を前へした。紙幣は其うへに落ちた。其時三千代は長い睫毛まつげを二三度打ち合はした。さうして、てのひらに落ちたものをおびあひだはさんだ。
「又る。平岡君によろしく」と云つて、代助はおもてた。まちを横断して小路こうぢくだると、あたりは暗くなつた。代助はうつくしいゆめを見た様に、くらつてあるいた。彼は三十分と立たないうちに、吾家わがいへ門前もんぜんた。けれどももんくゞる気がしなかつた。かれは高いほしいたゞいて、しづかな屋敷町やしきまちをぐる/\徘徊した。自分では、夜半迄あるきつゞけてもつかれる事はなからうと思つた。兎角とかくするうち、又自分のいへの前へた。なかしづかであつた。門野かどのばあさんは茶の世間話せけんばなしをしてゐたらしい。
「大変おそうがしたな。明日あした何時なんじの汽車で御ちですか」と玄関へあがるやいなとひけた。代助は、微笑しながら、
明日あしたも御めだ」とこたへて、自分のへや這入はいつた。そこにはとこがもういてあつた。代助は先刻さつきせんいた香水を取つて、括枕くゝりまくらうへ一滴いつてきらした。それでは何だか物足ものたりなかつた。びんつたまゝつてへや四隅よすみつて、そこに一二滴づゝりかけた。斯様かやうきようじたあと白地しろぢ浴衣ゆかた着換きかえて、あたらしい小掻巻かいまきしたやすらかな手足てあしよこたへた。さうして、薔薇ばらのするねむりいた。
 めた時は、高いが椽に黄金色ごんしよくの震動を射込んでゐた。枕元まくらもとには新聞が二枚揃えてあつた。代助は、門野が何時いつ、雨戸をいて、何時いつ新聞をつてたか、まるで知らなかつた。代助はながのびを一つしてあがつた。風呂場で身体からだいてゐると、門野かどのすこ狼狽うろたへた容子でつてて、
青山あをやまから御兄おあにいさんが御見えになりました」と云つた。代助は今直いますぐむねを答へて、奇麗に身体からだつた。座敷はまだ掃除が出来てゐるか、ゐないかであつたが、自分で飛びす必要もないと思つたから、急ぎもせずに、いつもの通り、かみを分けてそりあてて、悠々と茶の間へかへつた。そこでは流石さすがにゆつくりと膳につく気もなかつた。立ちながら紅茶を一杯すゝつて、タヱルで一寸ちよつと口髭くちひげこすつて、それを、其所そこへ放り出すと、すぐ客間へて、
「やあにいさん」と挨拶をした。あにれいごとく、いろ葉巻はまきの、の消えたのを、ゆびまたはさんで、平然として代助の新聞をんでゐた。代助のかほを見るや否や、
此室このへやは大変にほひがする様だが、御前おまへあたまかい」と聞いた。
ぼくあたまの見えるまへからでせう」とこたへて、昨夜ゆふべの香水の事をはなした。あには、落ち付いて、
「はゝあ、大分洒落しやれた事をやるな」と云つた。


 あには滅多に代助の所へた事のない男であつた。たまにれば必ずなくつてならない用事を持つてゐた。さうして、用をますとさつさと帰つて行つた。今日けふ何事なにごとおこつたにちがひないと代助は考へた。さうして、それは昨日きのふ誠太郎を好加減いゝかげん胡魔化ごまくわしてかへした反響だらうと想像した。五六ぷん雑談をしてゐるうちに、あにはとう/\う云ひした。
昨夕ゆふべ誠太郎がかへつてて、叔父おぢさんは明日あしたから旅行するつて云ふはなしだから、た」
「えゝ、じつ今朝けさ六時ごろからやうと思つてね」と代助はうその様な事を、至極冷静にこたへた。あにも真面目な顔をして、
「六時に立てる位な早起はやおきの男なら、今時分じぶんわざわざ青山あをやまからつてやしない」と云つた。改めて用事を聞いて見ると、矢張り予想のとほ肉薄にくはくの遂行に過ぎなかつた。即ち今日けふ高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞ふるまふ筈だから、代助にも列席しろと云ふちゝの命令であつた。あにかたる所によると、昨夕ゆふべ誠太郎の返事を聞いて、ちゝは大いに機嫌を悪くした。梅子は気をんで、代助のたない前につて、旅行をばさせると云ひした。あにはそれをめたさうである。
「なに彼奴あいつ今夜中こんやぢうつものか、今頃いまごろ革鞄かばんの前へすはつて考へ込んでゐるぐらゐのものだ。明日あしたになつて見ろ、ほうつて置いてもつてるからつて、おれねえさんを安心させたのだよ」と誠吾は落付おちつき払つてゐた。代助は少し忌々いま/\しくなつたので、
「ぢや、ほうつて置いて御覧なさればいのに」と云つた。
ところをんなと云ふものは、気のみぢかいもので、御父おとうさんにわるいからつて、今朝けさきるや否や、おれをせびるんだからね」と誠吾は可笑おかしい様なかほもしなかつた。むしろ迷惑さうに代助をながめてゐた。代助は行くとも、行かないとも決答を与へなかつた。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないでかへして仕舞ふ勇気もなかつた。其上そのうへ午餐を断つて、旅行するにしても、もう自分の懐中くわいちうあてにするわけにはかなかつた。矢張り、兄とかあによめとか、もしくはちゝとか、いづれ反対派のだれかをいためなければ、身動みうごきれない位地にゐた。そこで、かずはなれずに、高木たかぎと佐川のむすめの評判をした。高木には十年程まへに一遍つたぎりであつたが、妙なもので、何処どこかに覚があつて、此間このあひだ歌舞伎座でいたときは、はてなと思つた。これに反して、佐川のむすめの方は、つい先達せんだつて、写真を手にしたばかりであるのに、実物にせつしても、丸で聯想がうかばなかつた。写真は奇体なもので、先づ人間を知つてゐて、その方から、写真の誰彼だれかれめるのは容易であるが、そのぎやくの、写真から人間にんげんを定める方は中々なか/\六づかしい。これを哲学にすると、からせいすのは不可能だが、せいからに移るのは自然の順序であると云ふ真理に帰着する。
わたし左様さう考へた」と代助が云つた。あには成程と答へたが別段感心した様子もなかつた。葉巻はまきみぢかくなつて、口髭くちひげが付きさうなのを無暗にくわえて、
「それで、必ずしも今日けふ旅行する必要もないんだらう」といた。
 代助はないと答へざるを得なかつた。
「ぢや、今日けふめしひにてもいんだらう」
 代助は又いと答へないわけかなかつた。
「ぢや、おれはこれから、一寸ちよつと他所わきまはるから、間違まちがひのない様にてくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据ゑたから、うでも構はないといふ気で、先方に都合のい返事を与へた。するとあにが突然、
「一体うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか。いぢやないかもらつたつて。さうごのみをする程女房に重きを置くと、何だか元禄げんろく時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間にんげんは男女に限らず非常に窮屈なこひをした様だが、左様さうでもなかつたのかい。――まあ、どうでもいから、成る年寄としよりおこらせない様につてくれ」と云つて帰つた。
 代助は座敷へもどつて、しばらく、あにの警句を咀嚼してゐた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない。だから、結婚をすゝめるほうでも、おこらないで放つて置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合のい結論を得た。


 あにの云ふところによると、佐川の娘は、今度ひさぶり叔父おぢれられて、見物かた/″\上京したので、叔父の商用が済み次第又れられてくにへ帰るのださうである。ちゝが其機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害をむすけやうと企だてたのか、又は先達せんだつての旅行さきで、此機会をも自発的にこしらえて帰つてたのか、どつちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかつた。自分はたゞ是等のひとと同じ食卓しよくたくで、うまさうに午餐ごさんあぢはつて見せれば、社交上の義務は其所そこに終るものと考へた。もしそれより以上に、何等の発展が必要になつた場合には、其時に至つて、始めて処置をけるよりほかみちはないと思案した。
 代助は婆さんをんで着物きものさした。面倒だと思つたが、敬意を表するために、紋付もんつきの夏羽織をた。袴は一重のがなかつたから、うちつて、ちゝあにかのを穿く事にめた。代助は神経質なわりに、子供の時からの習慣で、人中ひとなかるのを余りにしなかつた。宴会とか、招待とか、送別とかいふ機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えてゐた。其なかには伯爵とか子爵とかいふ貴公子もまじつてゐた。彼はんなひと仲間入なかまいりをして、其仲間なかまなりの交際つきあひに、損もとくも感じなかつた。言語げんご動作は何処どこても同じであつた。外部ぐわいぶから見ると、其所そこが大変能くあにの誠吾に似てゐた。だから、よくらない人は、此兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じてゐた。
 代助が青山にいた時は、十一時五分前であつたが、御客はまだてゐなかつた。あにもまだかへらなかつた。あによめ丈がちやんと支度をして、座敷にすはつてゐた。代助のかほを見て、
「あなたも、随分乱暴ね。ひといて旅行するなんて」と、いきなりり込めた。梅子は場合によると、決して論理ロジツクち得ない女であつた。此場合にも、自分が代助をいた事には丸で気がいてゐない挨拶の仕方しかたであつた。それが代助には愛嬌に見えた。で、すぐそこへすはり込んで梅子の服装の品評を始めた。ちゝは奥にゐるといたが、わざとかなかつた。ひられたとき、
「今に御客さんがたら、僕がおくへ知らせに行く。其時挨拶をすればからう」と云つて、矢っ張り平常へいぜいの様な無駄口むだくちたゝいてゐた。けれども佐川の娘に関しては、一言もくちらなかつた。梅子はなんとかして、はなし其所そこへ持つて行かうとした。代助には、それがあきらかに見えた。だから、なほそらとぼけてかたきを取つた。
 其うち待ち設けた御客がたので、代助は約束通りすぐちゝの所へらせにつた。ちゝは、あんのじよう、
左様さうか」とすぐ立ちがつた丈であつた。代助に小言こごとを云ふひまなにかつた。代助は座敷へ引きかへしてて、袴を穿いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこでことごとく顔を合はせた。ちゝと高木とが第一にはなしを始めた。梅子はおもに佐川の令嬢の相手になつた。そこへあに今朝けさの通りの服装なりで、のつそりと這入つてた。
「いや、うもおそくなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振りかへつて、
大分だいぶはやかつたね」とちいさな声を掛けた。
 食堂には応接しつつぎを使つた。代助はいたあひだから、しろい卓布のかど際立きはだつたいろを認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸ちよつと席を立つて、つぎ入口いりぐちのぞきに行つた。それはちゝに、食卓の準備が出来あがつたむねを知らせるためであつた。
「ではうぞ」とちゝは立ちがつた。高木も会釈して立ちがつた。佐川の令嬢も叔父おぢいで立ちがつた。代助は其時、女の腰からしたの、比較的に細くながい事を発見した。食卓では、ちゝと高木が、真中まんなかに向き合つた。高木の右に梅子が坐つて、ちゝの左に令嬢が席をめた。女同志が向き合つた如く、誠吾と代助も向き合つた。代助は五味台クルエツト、スタンドなかに、少しなゝめれた位地から令嬢のかほを眺める事になつた。代助は其ほゝの肉と色が、いちぢるしくうしろの窓からす光線の影響を受けて、鼻のさかひ暗過くらすぎるかげを作つた様に思つた。其代り耳に接した方は、あきらかに薄紅うすくれなゐであつた。殊に小さい耳が、の光をとほしてゐるかの如くデリケートに見えた。皮膚ひふとは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きなを有したゐた。此二つの対照からはなやかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であつた。


 食卓しよくたくは、人数にんず人数にんずだけに、左程大きくはなかつた。部屋のひろさに比例して、むしすぎる位であつたが、純白じゆんぱくな卓布を、取り集めた花でつゞつて、其中そのなか肉刀ナイフ肉匙フオークいろえてかゞやいた。
 卓上の談話はおもに平凡な世間ばなしであつた。はじめのうちは、それさへあまり興味がらない様に見えた。ちゝう云ふ場合には、よく自分のきな書画骨董のはなしを持ちすのをつねとしてゐた。さうしてけば、いくらでも、くらからしてて、きやくまへならべたものである。ちゝ御蔭おかげで、代助は多少斯道このみち好悪こうおてる様になつてゐた。あにも同様の原因から、画家の名前位は心得てゐた。たゞし、此方このほう掛物かけものまへに立つて、はあ仇英きうえいだね、はあ応挙だねと云ふ丈であつた。面白おもしろかほもしないから、面白い様にも見えなかつた。それから真偽しんぎの鑑定のために、虫眼鏡むしめがねなどをはさない所は、誠吾も代助も同じ事であつた。ちゝの様に、こんななみむかしひとかないものだから、法にかなつてゐない抔といふ批評は、双方共に、未だ嘗て如何なる画に対しても加へた事はなかつた。
 ちゝかはいた会話くわいわ色彩しきさいへるため、やがてきな方面の問題にれて見た。所が一二言いちにげんで、高木はさう云ふことまるで無頓着な男であるといふ事がわかつた。ちゝは老巧のひとだから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかつた。ちゝやむを得ず、高木にんな娯楽があるかをたしかめた。高木は特別に娯楽をたないよしを答へた。ちゝは万事休すといふ体裁で、高木を誠吾と代助に托して、しばらく談話の圏外にた。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋やどややら、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行つた。さうして、其中そのうちに自然令嬢の演ずべき役割をこしらえた。令嬢はたゞ簡単に、必要な言葉丈を点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移つた。最後にエマーソンやホーソーンの名がた。代助は、高木にう云ふ種類の知識があるといふ事を確めたけれども、たゞ確めた丈で、それより以上に深入ふかいりもしなかつた。従つて文学談は単に二三の人名と書名に終つて、少しも発展しなかつた。
 梅子は固よりはじめからえずくちうごかしてゐた。其努力のおもなるものは、無論自分の前にゐる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあつた。令嬢は礼義上から云つても、梅子の間断かんだんなき質問に応じない訳に行かなかつた。けれども積極的に自分から梅子のこゝろうごかさうとつとめた形迹は殆んどなかつた。たゞものを云ふときに、少しくびよこげるくせがあつた。それすらも代助にはこびるとは解釈出来できなかつた。
 令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、はじめはことを習つたが、後にはピヤノにえた。※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)イオリンも少し稽古けいこしたが、此方このほうは手の使つかかたが六※[#濁点付き小書き平仮名つ、218-1]かしいので、まあらないと同じである。芝居は滅多に行つた事がなかつた。
先達せんだつての歌舞伎座は如何いかゞでした」と梅子がいた時、令嬢は何とも答へなかつた。代助にはそれが劇をかいしないと云ふより、劇を軽蔑してゐる様に取れた。それだのに、梅子はつゞけて、同じ問題にいて、甲の役者はうだの、乙の役者はなんだのと評しした。代助は又あによめが論理をはづしたと思つた。仕方がないから、横合よこあひから、
「芝居は御嫌ひでも、小説は御読みになるでせう」といて芝居の話を已めさした。令嬢は其時始めて、一寸ちよつと代助の方を見た。けれども答は案外に判然はつきりしてゐた。
「いえ小説も」
 令嬢の答を待ち受けてゐた、主客はみんな声をして笑つた。高木は令嬢のために説明の労を取つた。その云ふ所によると、令嬢の教育を受けたミスなんとか云ふ婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒ピユリタンの様に仕込まれてゐるのださうであつた。だから余程時代おくれだと、高木は説明のあとから批評さへけ加へた。其時は無論だれも笑はなかつた。耶蘇教に対して、あまり好意をつてゐないちゝは、
「それは結構だ」とめた。梅子は、さう云ふ教育の価値を全くかいする事が出来できなかつた。にも拘はらず、
「本当にね」と趣味にかなはない不得要領の言葉を使つかつた。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与へない様に、すぐ問題を易えた。
「ぢや英語は御上手でせう」
 令嬢はいゝえと云つて、心持顔を赤くした。


 食事しよくじんでから、主客しゆかくは又応接もどつて、はなしはじめたが、蝋燭ろうそくした様に、あたらしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノのふたけて、
なにか一つ如何いかゞですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。
「ぢや、代さん、皮切かはきりに何か御り」と今度は代助に云つた。代助はひとに聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟くさく、しつこくなるばかりだから、
「まあ、ふたけて御置おおきなさい。いまるから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事をはなしつゞけてゐた。
 一時間程してきやくかへつた。四人よつたりかたを揃へて玄関迄た。奥へ這入る時、
「代助はまだかへるんぢやなからうな」とちゝが云つた。代助はみんなから一足ひとあしおくれて、鴨居かもゐうへに両手がとゞく様なのびを一つした。それから、ひとのゐない応接と食堂を少しうろ/\して座敷へて見ると、あにあによめが向きつて何かはなしをしてゐた。
「おい、すぐかへつちや不可いけない。御父おとうさんが何か用があるさうだ。おく御出おいで」とあにはわざとらしい真面目まじめな調子で云つた。梅子は薄わらひをしてゐる。代助はだまつてあたまいた。
 代助は一人ひとりちゝへやへ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、あに夫婦を引張つてかうとした。それがうまく成功しないので、とう/\其所そこすはり込んで仕舞つた。所へ小間使こまづかひて、
「あの、若旦那様に一寸ちよつとおくいらつしやる様に」と催促した。
「うん、いまく」と返事をして、それから、あに夫婦にういふ理窟を述べた。――自分一人ひとりちゝふと、ちゝがあゝ云ふ気象の所へ持つてて、自分がこんな図法螺づぼらだから、殊によると大いに老人としよりおこらして仕舞ふかも知れない。さうすると、あに夫婦だつて、あとから面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方そのほうが却つて迷惑になる訳だから、骨惜ほねおしみをせずに今一寸ちよつと一所につて呉れたらからう。
 あには議論が嫌なおとこなので、んだくだらないと云はぬばかりの顔をしたが、
「ぢや、さあ行かう」と立ちがつた。梅子も笑ひながらすぐにつた。三人して廊下を渡つてちゝへやつて、何事なにごとおこらなかつたかの如く着坐した。
 そこでは、梅子が如才じよさいなく、代助の過去にちゝ小言こごとばない様な手加減てかげんをした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へつてつた。梅子は佐川の令嬢を大変大人おとなしさうなだとめた。是にはちゝあにも代助も同意を表した。けれども、あには、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふうたがひてた。代助は其うたがひにも賛成した。ちゝあによめだまつてゐた。そこで代助は、あの大人おとなしさは、羞恥はにか性質せいしつ大人おとなしさだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。ちゝはそれもうだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。あには東京だつて、御前おまへた様なのばかりはゐないと云つた。此時ちゝ厳正げんせいかほをして灰吹はいふきたゝいた。つぎに、容色きりようだつて十人なみよりいぢやありませんかと梅子が云つた。是にはちゝあにも異議はなかつた。代助も賛成のむねを告白した。四人はそれから高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方そのほうはすぐ方付かたづいて仕舞つた。不幸にしてだれも令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅ものがたい地味なひとだと云ふ丈は、ちゝ三人さんにんの前で保証した。ちゝはそれを同県下の多額納税議員の某からたしかめたのださうである。最後に、佐川家の財産に就てもはなした。その時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎がしつかりしてゐて安全だと云つた。
 令嬢の資格がほゞさだまつた時、ちゝは代助に向つて、
「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、うするかね位の程度ではなかつた。代助は、
左様さうですな」と矢っ張りらない答をした。ちゝはじつと代助を見てゐたが、段々だん/\しわの多いひたひくもらした。あには仕方なしに、
「まあ、もう少しく考へて見るがい」と云つて、代助のために余裕をけて呉れた。


 四日程よつかほどしてから、代助は又ちゝの命令で、高木の出立しつたつを新橋迄見送つた。其日そのひねむい所を無理に早くおこされて、寐足ねたらないあたまかぜかした所為せゐか、停車場にころかみの毛のなか風邪かぜいた様な気がした。待合所まちあひじよ這入はいるや否や、梅子から顔色かほいろくないと云ふ注意を受けた。代助はなんにも答へずに、帽子をいで、時々とき/″\れたあたまを抑えた。仕舞にはあさ奇麗きれいけたかみがもぢや/\になつた。
 プラツトフオームで高木は突然代助に向つて、
うです此汽車で、神戸迄遊びに行きませんか」と勧めた。代助はたゞ難有うと答へた丈であつた。いよ/\汽車の間際まぎはに、梅子はわざと、窓際まどぎは近寄ちかよつて、とくに令嬢の名を呼んで、
ちかうちに又是非入らつしやい」と云つた。令嬢はまどのなかで、叮嚀に会釈したが、窓のそとへは別段の言葉もきこえなかつた。汽車を見送つて、又改札場を出た四人よつたりは、それぎり離れ/″\になつた。梅子は代助を誘つて青山へ連れて行かうとしたが、代助はあたまを抑えて応じなかつた。
 くるまに乗つてすぐ牛込へかへつて、それなり書斎へ這入つて、仰向あほむけに倒れた。門野かどの一寸ちよつと其様子をのぞきにたが、代助の平生を知つてゐるので、言葉も掛けず、椅子にけてある羽織丈をかゝへてて行つた。
 代助はながら、自分の近き未来をうなるものだらうと考へた。うして打遣うちやつて置けば、是非共よめもらはなければならなくなる。よめはもう今迄いままで大分だいぶことわつてゐる。此上ことわれば、愛想をかされるか、本当におこされるか、何方どつちかになるらしい。もし愛想をかされて、結婚勧誘をこれかぎり断念してもらへれば、それに越した事はないが、おこられるのは甚だ迷惑である。と云つて、進まぬものをもらひませうと云ふのは今代人こんだいじんとして馬鹿気てゐる。代助はこのヂレンマのあひだ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。
 彼は父とちがつて、当初からある計画を拵らえて、自然を其計画通りに強ひる古風なひとではなかつた。彼は自然を以て人間のこしらえた凡ての計画よりも偉大なものと信じてゐたからである。だからちゝが、自分の自然にさからつて、ちゝの計画通りを強ひるならば、それは、去られたつまが、離縁状をたてに夫婦の関係を証拠てやうとすると一般であると考へた。けれども、そんな理窟を、ちゝに向つてべる気は、丸でなかつた。ちゝ理攻りぜめにする事は困難中の困難であつた。其困難を冒した所で、代助に取つては何等の利益もなかつた。其結果はちゝの不興を招く丈で、理由を云はずに結婚を拒絶するのと撰む所はなかつた。
 かれちゝあにあによめ三人さんにんうちで、ちゝの人格に尤もうたがひいた。今度の結婚にしても、結婚其物が必ずしもちゝの唯いつの目的ではあるまいと迄推察した。けれどもちゝの本意が何処どこにあるかは、もとよりあきらかに知る機会を与へられてゐなかつた。彼は子として、ちゝの心意を斯様かやうに揣摩する事を、不徳義とは考へなかつた。従つて自分丈が、多くの親子おやこのうちで、尤も不幸なものであると云ふ様な考は少しも起さなかつた。たゞ是がため、今日こんにち迄の程度より以上に、ちゝと自分のあひだへだたつてさうなのを不快に感じた。
 彼は隔離の極端として、父子ふし絶縁の状態を想像して見た。さうして其所そこに一種の苦痛をみとめた。けれども、其苦痛は堪え得られない程度のものではなかつた。むしろそれから生ずる財源の杜絶とぜつの方が恐ろしかつた。
 もし馬鈴薯ポテトー金剛石ダイヤモンドより大切になつたら、人間にんげんはもう駄目であると、代助は平生から考へてゐた。向後ちゝいかりに触れて、万一金銭きんせん上の関係が絶えるとすれば、かれいやでも金剛石ダイヤモンドを放り出して、馬鈴薯ポテトーかぢり付かなければならない。さうして其つぐなひには自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。
 彼は寐ながら、何時いつ迄も考へた。けれども、彼のあたま何時いつ迄も何処どこへも到ちやくする事が出来なかつた。彼は自分の寿命をめる権利を持たぬ如く、自分の未来をも極め得なかつた。同時に、自分の寿命に、大抵の見当をけ得る如く、自分の未来にも多少のかげを認めた。さうして、徒らに其影を捕捉しやうと企てた。


 其時代助の脳の活動は、夕闇ゆふやみを驚ろかす蝙蝠かはほりの様な幻像をちらり/\とすにぎなかつた。其羽搏はばたきひかりけててゐるうちに、あたまゆかからがつて、ふわ/\する様に思はれてた。さうして、何時いつにかかるねむりおちいつた。
 すると突然だれみゝはたで半鐘を打つた。代助は火事と云ふ意識さへまだおこらないさきました。けれどもきもせずにてゐた。かれゆめんなおとるのは殆んど普通であつた。あるときはそれが正気に返つたあと迄もひゞいてゐた。五六日まへかれは、かれいへの大いにれる自覚と共にねむりやぶつた。其ときかれあきらかに、かれしたうごたゝみさまを、かたこしの一部にかんじた。彼は又ゆめに得た心臓の鼓動を、めたあとつたへる事が屡あつた。そんな場合には聖徒セイントの如く、むねに手をてゝ、けたまゝ、じつと天井を見詰めてゐた。
 代助は此時も半鐘のおとが、じいんとみゝそこで鳴りつくして仕舞ふ迄よこになつてつてゐた。それからきた。ちやて見ると、自分のぜんうへ簀垂すだれけて、火鉢のそばに据ゑてあつた。柱時計はもう十二時まはつてゐた。ばあさんは、めしましたあとえて、下女部屋で御はちうへひぢいて居眠ゐねむりをしてゐた。門野かどの何処どこつたかかげさへ見えなかつた。
 代助は風呂場へ行つて、あたまらしたあと、ひとちやぜんに就いた。そこで、さみしい食事をすまして、ふたゝび書斎に戻つたが、久しりに今日けふは少し書見をしやうと云ふ心組こゝろぐみであつた。
 かねてけてある洋書を、しをりはさんである所でけて見ると、前後の関係を丸で忘れてゐた。代助の記憶につてう云ふ現象は寧ろめづらしかつた。かれは学校生活の時代から一種の読書家であつた。卒業ののちも、衣食のわづらひなしに、講読の利益を適意に収め得る身分みぶんほこりにしてゐた。一ページとほさないで、を送ることがあると、習慣上なにとなく荒癈の感を催ふした。だから大抵な事故があつても、成るべく都合して、活字にしたしんだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。
 代助は今茫然として、烟草たばこくゆらしながら、み掛けたページを二三枚あとへつて見た。そこにんな議論があつて、それがつゞくのか、あたまこしらえるため一寸ちよつと骨を折つた。其努力ははしけから桟橋へ移る程らくではなかつた。ちがつた断面の甲に迷付まごついてゐるものが、急に乙に移るべく余儀なくされた様であつた。代助はそれでも辛抱して、約二時間程ページうへさらしてゐた。が仕舞にとう/\堪え切れなくなつた。かれんでゐるものは、活字の集合あつまりとして、ある意味を以て、かれあたまえいずるにはちがひないが、かれの肉やまはる気色は一向見えなかつた。かれは氷嚢を隔てゝ、こほりいた時の様に物足らなく思つた。
 彼は書物をせた。さうして、こんな時に書物をむのは無理だと考へた。同時にもう安息する事も出来なくなつたと考へた。かれの苦痛は何時いつものアンニユイではなかつた。なにるのがものういと云ふのとはちがつて、なになくてはゐられないあたまの状態であつた。
 彼は立ちがつて、ちやて、畳んである羽織を又引掛ひつかけた。さうして玄関にぎ棄てた下駄を穿いてす様に門をた。時は四時頃であつた。神楽坂かぐらざかりて、あてもなく、いた第一の電車につた。車掌に行先ゆくさきを問はれたとき、くちから出任でまかせの返事をした。紙入かみいれけたら、三千代につた旅行費の余りが、三折みつをり深底ふかぞこの方にまだ這入つてゐた。代助は乗車券を買つたあとで、札の数を調べて見た。
 かれは其晩を赤坂のある待合でらした。其所そこで面白いはなしいた。あるわかくて美くしい女が、去る男と関係して、其種そのたね宿やどした所が、愈子をむ段になつて、なみだこぼしてかなしがつた。あとから其訳を聞いたら、こんなとしで子供をませられるのはなさけないからだと答へた。此女は愛をもつぱらにする時機が余り短かぎて、親子おやこの関係が容赦もなく、若いあたまうへを襲つてたのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論堅気かたぎの女ではなかつた。代助は肉のと、れいの愛にのみおのれを捧げて、其他を顧みぬ女の心理状体として、此話を甚だ興味あるものと思つた。


 翌日よくじつになつて、代助はとう/\又三千代にひに行つた。其時かれはらなかで、先達せんだついてかねの事を、三千代が平岡に話したらうか、はなさなかつたらうか、もしはなしたとすればんな結果を夫婦のうへに生じたらうか、それが気掛きがゝりだからと云ふ口実をこしらえた。彼は此気掛きがゝりが、自分をつて、じつと落ちかれない様に、東西に引張回ひつぱりまはした揚句、ついに三千代の方にけるのだと解釈した。
 代助はいへまへに、昨夕ゆふべ肌着はだぎ単衣ひとへも悉くあらためてあらたにした。そとは寒暖計の度盛どもりの日をふてあがころであつた。あるいてゐると、湿しめつぽい梅雨つゆが却つて待ちとほしい程さかんにつた。代助は昨夕ゆふべの反動で、此陽気な空気のなかちる自分のくろかげになつた。ひろつば夏帽なつぼうかぶりながら、早く雨季うきに入ればいと云ふ心持があつた。其雨季うきはもう二三にち眼前がんぜんせまつてゐた。かれあたまはそれを予報するかの様に、どんよりとおもかつた。
 平岡のうちまへた時は、くもつたあたまあつく掩ふかみ根元ねもと息切いきれてゐた。代助はいへに入るまへづ帽子をいだ。格子にはしまりがしてあつた。物音ものおと目的めあてうらまはると、三千代は下女と張物はりものをしてゐた。物置ものおきよこけた張板はりいた中途ちうとから、ほそくびを前へして、こゞみながら、苦茶くちや々々になつたものを丹念に引きばしつゝあつた手をめて、代助をた。一寸ちよつとなんとも云はなかつた。代助も、しばらくはたゞつてゐた。漸くにして、
「又ました」と云つたとき、三千代はれた手をつて、馳け込む様に勝手からがつた。同時におもてまはれとで合図をした。三千代は自分で沓脱くつぬぎりて、格子のしまりはづしながら、
じんだから」と云つた。今迄いままで日のとほんだ空気のしたで、うごかしてゐた所為せゐで、ほゝところほてつて見えた。それが額際ひたひぎは何時いつもの様に蒼白あをしろかはつてゐるあたりに、あせが少し煮染にじした。代助は格子のそとから、三千代のきわめて薄手うすでな皮膚を眺めて、戸のくのを静かにつた。三千代は、
「御待遠さま」と云つて、代助をいざなふ様に、一足ひとあしよこ退いた。代助は三千代とすれ/\になつてうち這入はいつた。座敷ざしきて見ると、平岡の机のまへに、むらさきの座蒲団がちやんとゑてあつた。代助はそれを見た時一寸ちよつといやな心持がした。つちれないにはいろ黄色きいろひかる所に、ながい草が見苦しくえた。
 代助は又いそがしい所を、邪魔にて済まないといふ様な尋常な云訳いひわけを述べながら、此無趣味なにはを眺めた。其時三千代をこんなうちへ入れてくのは実際気の毒だといふ気がおこつた。三千代はみづいぢりで爪先つまさきすこしふやけたひざうへかさねて、あまり退屈たいくつだから張物はりものをしてゐた所だと云つた。三千代の退屈といふ意味は、おつとが始終そとてゐて、単調な留守居の時間を無聊に苦しむと云ふ事であつた。代助はわざと、
「結構な身分みぶんですね」とひやかした。三千代は自分の荒涼なむねうちを代助に訴へる様子もなかつた。だまつて、つぎつてつた。用簟笥のくわんひゞかして、あかい天鵞絨でつたさいはこつてた。代助のまへすはつて、それをけた。なかには昔し代助のつた指環がちやんと這入はいつてゐた。三千代は、たゞ
でせう、ね」と代助に謝罪する様に云つて、すぐ又立つてつぎつた。さうして、なかはゞかる様に、記念の指環をそこ/\に用簟笥に仕舞つてもとの坐に戻つた。代助は指環に就ては何事もかたらなかつた。にはの方を見て、
「そんなにひまなら、にはくさでもつたら、うです」と云つた。すると今度は三千代の方がだまつて仕舞つた。それが、少時しばらくつゞいたあとで代助は又あらためて聞いた。
此間このあひだの事を平岡君にはなしたんですか」
 三千代はひくこえで、
「いゝえ」と答へた。
「ぢや、だ知らないんですか」と聞き返した。
 其時三千代の説明には、話さうと思つたけれども、此頃平岡はついぞ落ちいてうちにゐた事がないので、ついはなしそびれてだ知らせずにゐると云ふ事であつた。代助は固より三千代の説明をうそとは思はなかつた。けれども、五分ごふんひまさへあればおつとはなされる事を、今日けふ迄それなりにてあるのは、三千代のはらなかに、何だかはなにくあるわだかまりがあるからだと思はずにはゐられなかつた。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のあるひとにして仕舞つたと代助は考へた。けれどもそれは左程に代助の良心をすには至らなかつた。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡も此結果に対して明かにせめわかたなければならないと思つたからである。


 代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た。三千代は例によつて多くを語る事をこのまなかつた。然し平岡の妻に対する仕打しうちが結婚当時と変つてゐるのはあきらかであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時すでにそれを見抜いた。それから以後あらたまつて両人ふたりはらなかを聞いたことはないが、それが日毎にくない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた。夫婦のあひだに、代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此疎隔そかくが起つたとすれば、代助は此方面に向つて、もつと注意深く働らいたかも知れなかつた。けれども代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた。彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、おつとの精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括したうへで、平岡はもらふべからざるひともらひ、三千代はとつからざるひととついだのだと解決した。代助は心のうちいたく自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼のために周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心をうごかすがために、平岡がさいから離れたとは、うしても思ひ得なかつた。
 同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方ではいなみ切れなかつた。三千代が平岡にとつまへ、代助と三千代の間柄あひだがらは、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらくくとしても、かれは現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた。彼は病気に冒された三千代をたゞのむかしの三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供をくなした三千代をたゞのむかしの三千代よりは気の毒に思つた。彼はおつとの愛を失ひつゝある三千代をたゞのむかしの三千代よりは気の毒に思つた。かれは生活難に苦しみつゝある三千代をたゞのむかしの三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦のあひだを、正面から永久に引きはなさうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。
 三千代ののあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた。平岡が自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へまはさない事は、三千代の口吻でたしかであつた。代助は此点丈でもまづうかしなければなるまいと考へた。それで、
ひとわたしが平岡君につて、能く話して見やう」と云つた。三千代は淋しいかほをして代助を見た。うまく行けば結構だが、そくなへば益三千代の迷惑になるばかりだとは代助も承知してゐたので、強ひて左様さうしやうとも主張しかねた。三千代は又立つてつぎから一封いつぷうの書状をつてた。書状は薄青うすあをい状袋へ這入つてゐた。北海道にゐるちゝから三千代へあてたものであつた。三千代は状袋のなかから長い手紙をして、代助に見せた。
 手紙にはむかふの思はしくない事や、物価の高くて活計くらしにくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へたいが都合はつくまいかと云ふ事や、――凡て憐れな事ばかりいてあつた。代助は叮嚀に手紙をき返して、三千代にわたした。其時三千代はなかなみだめてゐた。
 三千代の父はかつて多少の財産ととなへらるべき田畠の所有者であつた。日露戦争の当時、人のすゝめに応じて、株に手を出して全くそくなつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つたのである。其後そのごの消息は、代助もいま此手紙を見せられる迄一向知らなかつた。親類はあれどもきが如しだとは三千代のあにが生きてゐる時分よく代助に語つた言葉であつた。はたして三千代は、ちゝと平岡ばかりを便たよりに生きてゐた。
貴方あなたうらやましいのね」とまたゝきながら云つた。代助はそれを否定する勇気に乏しかつた。しばらくしてから又、
なんだつて、まだおくさんを御貰おもらひなさらないの」と聞いた。代助は此とひにも答へる事が出なかつた。


 しばらく黙然もくねんとして三千代の顔を見てゐるうちに、女のほゝからいろが次第に退しりぞいてつて、普通よりはに付く程蒼白あをしろくなつた。其時そのとき代助は三千代と差向さしむかひで、より長くすはつてゐる事の危険に、始めて気がいた。自然の情あひからながれる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆つて、じゆん縄のらつみ超えさせるのは、いま二三ぷんうちにあつた。代助は固よりそれよりさきすゝんでも、猶素知そしらぬかほ引返ひきかへる、会話の方を心得こゝろえてゐた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちにる男女の情話が、あまりに露骨ろこつで、あまりに放肆で、且つあまりに直線的に濃厚なのを平生からあやしんでゐた。原語で読めば兎に角、日本には訳し得ぬ趣味のものと考へてゐた。従つて彼は自分と三千代との関係を発展させるために、舶来の台詞せりふを用ひる意志は毫もなかつた。すくなくとも二人ふたりあひだでは、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所そこに、甲の位地から、知らぬに乙の位置にすべり込む危険がひそんでゐた。代助はからうじて、今一歩いまいつぽと云ふきはどい所で、踏みとゞまつた。帰る時、三千代みちよは玄関迄送つてて、
さむしくつて不可いけないから、又て頂戴」と云つた。下女はまだうら張物はりものをしてゐた。
 おもてた代助は、ふら/\と一丁程あるいた。ところげたといふ意識があるべき筈であるのに、かれこゝろにはさう云ふ満足がちつともかつた。と云つて、もつと三千代と対座してゐて、自然のめいずるがまゝに、話し尽して帰ればかつたといふ後くわいもなかつた。かれは、彼所あすこで切りげても、五分十分の後切り上げても、必竟は同じ事であつたと思ひ出した。自分と三千代との現在の関係は、此前このまへ逢つた時、既に発展してゐたのだと思ひ出した。否、其前逢つた時既に、と思ひした。代助は二人ふたりの過去を順次にさかのぼつて見て、いづれの断面だんめんにも、二人ふたりの間にもえる愛のほのほを見出さない事はなかつた。必竟は、三千代が平岡にとつぐ前、すでに自分にとついでゐたのも同じ事だと考へ詰めた時、彼は堪えがたきおもいものを、むねなかまれた。かれその重量のために、あしがふらついた。いへに帰つた時、門野かどのが、
「大変かほいろわるい様ですね、うかなさいましたか」と聞いた。代助は風呂場へつて、あをひたひから奇麗にあせき取つた。さうして、長くぎた髪を冷水にひたした。
 それから二日ふつか程代助は全く外出しなかつた。三日目の午後、電車につて、平岡を新聞社に尋ねた。彼は平岡に逢つて、三千代のために充分はなしをする決心であつた。給仕に名刺をわたして、ほこりだらけの受付うけつけつてゐるあひだかれはしばしばたもとから手帛ハンケチして、鼻を掩ふた。やがて、二階の応接へ案内された。其所そこは風とほしのわるい、あつい、陰気なせまい部屋であつた。代助は此所こゝ烟草たばこを一本かした。編輯室といた戸口とぐちが始終いて、ひとたり這入はいつたりした。代助のひにた平岡も其戸口とぐちからあらはれた。先達て夏服なつふくて、相変らず奇麗なカラとカフスをけてゐた。いそがしさうに、
「やあ、しばらく」と云つて代助のまへつた。代助も相手にそゝのかされた様に立ちがつた。二人ふたりちながら一寸ちよつとはなしをした。丁度編輯のいそがしいときゆつくりうする事も出来なかつた。代助は改めて平岡の都合を聞いた。平岡はポツケツトから時計をして見て、
「失敬だが、もう一時間程しててくれないか」と云つた。代助は帽子を取つて、又くらほこりだらけの階段をりた。表へると、それでもすゞしい風が吹いた。
 代助はあてもなく、其所そこいらを逍遥ぶらついた。さうして、愈平岡と逢つたら、どんな風にはなしさうかと工夫した。代助の意は、三千代に刻下の安慰を、少しでも与へたいためほかならなかつた。けれども、それために、却つて平岡の感情をがいする事があるかも知れないと思つた。代助は其悪結果の極端として、平岡と自分の間に起り得る破裂をさへ予想した。然し、其時はんな具合にして、三千代を救はうかと云ふ成あんはなかつた。代助は三千代と相対あひたいづくで、自分等じぶんら二人ふたりあひだをあれ以上にうかする勇気をたなかつたと同時に、三千代のために、なにかしなくては居られなくなつたのである。だから、今日けふの会見は、理知の作用からた安全の策と云ふよりも、寧ろ情の旋風つむじまれた冒険のはたらきであつた。其所そこに平生の代助と異なる点があらはれてゐた。けれども、代助自身はそれに気が付いてゐなかつた。一時間ののちかれは又編輯室の入口いりぐちに立つた。さうして、平岡と一所に新聞社の門を出た。


 裏通りを三四丁た所で、平岡がさきへ立つて或家あるいへ這入はいつた。座敷ざしきのき釣忍つりしのぶかゝつて、せまにはが水で一面にれてゐた。平岡は上衣うはぎいで、すぐ胡坐あぐらをかいた。代助は左程あついとも思はなかつた。団扇は手にした丈でんだ。
 会話は新聞社内の有様ありさまから始まつた。平岡はいそがしい様で却つてらくな商買でいと云つた。其語気には別に負惜まけおしみの様子も見えなかつた。代助は、それは無責任だからだらうと調戯からかつた。平岡は真面目になつて、弁解をした。さうして、今日こんにちの新聞事業程競争の烈しくて、機敏なあたまを要するものはないと云ふ理由わけを説明した。
「成程たゞふでが達者な丈ぢや仕様があるまいよ」と代助は別に感服した様子を見せなかつた。すると、平岡はう云つた。
「僕は経済方面の係りだが、単にそれ丈でも中々なか/\面白い事実ががつてゐる。ちと、君のうちの会社の内幕うちまくでもいて御覧に入れやうか」
 代助は自分の平生の観察から、んな事を云はれて、驚ろく程ぼんやりしてはなかつた。
くのも面白おもしろいだらう。其代り公平に願ひたいな」と云つた。
「無論うそかないつもりだ」
「いえ、ぼくあにの会社ばかりでなく、一列一体いちれついつたいに筆誅して貰ひたいと云ふ意味だ」
 平岡は此時邪気のあるわらかたをした。さうして、
「日糖事件丈ぢや物足ものたりないからね」と奥歯に物のはさまつた様に云つた。代助はだまつて酒を飲んだ。はなしは此調子で段々はずみをうしなふ様に見えた。すると平岡は、実業界の内状に関聯するとでも思つたものか、何かの拍子に、ふと、日清戦争の当時、大倉組におこつた逸話を代助に吹聴した。その時、大倉組は広島で、軍隊用の食料品として、何百頭かの牛を陸軍に納める筈になつてゐた。それを毎日まいにちなん頭かづつ、納めて置いては、よるになると、そつと行つてぬすしてた。さうして、知らぬ顔をして、翌日あくるひ同じうしを又納めた。役人は毎日々々同じ牛を何遍もつてゐた。が仕舞に気が付いて、一遍受取つた牛には焼印を押した。所がそれを知らずに、又ぬすした。のみならず、それを平気に翌日あくるひ連れてつたので、とう/\露見ろけんして仕舞つたのださうである。
 代助は此話このはなしを聞いた時、その実社会に触れてゐる点に於て、現代的滑稽の標本だと思つた。平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義のひとを、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水のいへまへうしろに巡査が二三人づゝ昼夜張番はりばんをしてゐる。一時は天幕てんとを張つて、其なかからねらつてゐた。秋水が外出すると、巡査があとを付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へたと、それからそれへと電話がかゝつて東京市中大騒ぎである。新宿しんじゆく警察署では秋水一人ひとりため月々つき/″\百円使つかつてゐる。同じ仲間なかま飴屋あめやが、大道で飴細工あめざいくこしらえてゐると、白服しろふくの巡査が、あめまへはなして、邪魔になつて仕方しかたがない。
 是も代助のみゝには、真面目まじめひゞきを与へなかつた。
「矢っ張り現代的滑稽の標本ぢやないか」と平岡は先刻さつきの批評をかへしながら、代助をいどんだ。代助はさうさと笑つたが、此方面にはあまり興味がないのみならず、今日けふ平生いつもの様に普通の世間ばなしをする気でないので、社会主義の事はそれなりにして置いた。先刻さつき平岡の呼ばうと云ふ芸者を無理に已めさしたのも是がためであつた。
じつきみはなしたい事があるんだが」と代助はついに云ひした。すると、平岡は急に様子を変へて、落ちかないを代助のうへそゝいだが、卒然そつぜんとして、
「そりや、僕もうから、うかするつもりなんだけれども、いまの所ぢや仕方しかたがない。もうすこし待つて呉れ玉へ。其代り君のにいさんや御父おとつさんの事も、うしてかずにゐるんだから」と代助には意表な返事をした。代助は馬鹿馬鹿しいと云ふより、寧ろ一種の憎悪ぞうおを感じた。
きみ大分だいぶかはつたね」とひやゝかに云つた。
きみかはつたごとかはつちまつた。れちや仕方しかたがない。だから、もうすこし待つてたまへ」と答へて、平岡はわざとらしいわらかたをした。


 代助は平岡の言語げんご如何いかんかゝはらず、自分の云ふ事丈は云はうとめた。なまじい、借金の催促にたんぢやない抔と弁明べんめいすると、又平岡が其うらくのがしやくだから、向ふの疳違かんちがひは、疳違かんちがひかまはないとしていて、此方こつち此方こつちを進める態度たいどた。けれども第一にこまつたのは、平岡の勝手もとの都合を、三千代のうつたへによつてつたとしては、三千代に迷惑めいわくかゝるかも知れない。と云つて、問題が其所そこれなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方しかたなしに迂回うくわいした。
きみは近来う云ふ所へ大分だいぶ頻繁ひんぱんはいりをするとえて、うちのものとは、みんな御馴染なじみだね」
きみの様に金回かねまはりがくないから、さう豪遊も出来ないが、交際つきあひだから仕方がないよ」と云つて、平岡は器用な手付てつきをして猪口ちよくくちけた。
「余計な事だが、それでうちほうの経済は、収支つぐなふのかい」と代助は思ひ切つて猛進した。
「うん。まあ、加減かげんにやつてるさ」
 斯う云つた平岡は、急に調子をおとして、きわめて気のない返事をした。代助は夫限それぎりめなくなつた。やむを得ず、
不断ふだん今頃いまごろもううちかへつてゐるんだらう。此間このあひだ僕がたづねた時は大分だいぶおそかつた様だが」と聞いた。すると、平岡は矢張やはり問題を回避くわいひする様な語気で、
「まあ帰つたり、かへらなかつたりだ。職業がう云ふ不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云つた。
「三千代さんはさむしいだらう」
「なに大丈夫だ。彼奴あいつ大分だいぶかはつたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其ひとみうちあやしい恐れを感じた。ことによると、此夫婦の関係はもともどせないなと思つた。もし此夫婦が自然のおのきりかれるとすると、自分の運命はかへしのかない未来をまへに控えてゐる。夫婦が離れゝば離れる程、自分じぶんと三千代はそれ丈接近しなければならないからである。代助は即座そくざ衝動しやうどうごとくに云つた。――
「そんな事が、あらうはづがない。いくら、かはつたつて、そりやたゞとしつた丈の変化だ。成るべくかへつて三千代さんに安慰を与へてれ」
「君はさう思ふか」と云ひさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、たゞ、
「思ふかつて、だれだつて左様さう思はざるを得んぢやないか」と半ばくちから出任でまかせに答へた。
「君は三千代を三年まへの三千代と思つてるか。大分だいぶ変つたよ。あゝ、大分だいぶかはつたよ」と平岡は又ぐいとんだ。代助はおぼえずむねの動を感じた。
おんなじだ、ぼくの見る所では全くおんなじだ。すこしもかはつてゐやしない」
「だつて、僕はうちへ帰つても面白おもしろくないから仕方がないぢやないか」
「そんなはづはない」
 平岡はを丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸がせまつた。けれども、罪あるものが雷火らいくわに打たれた様な気は全たくなかつた。彼は平生にも似ず論理に合はない事をたゞ衝動的に云つた。然しそれはの前にゐる平岡のためだと固く信じてうたがはなかつた。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便たよりに、自分を三千代から永く振りはなさうとする最後のこゝろみを、半ば無意識的につた丈であつた。自分と三千代の関係を、平岡からかくための、糊塗策ことさくとは毫も考へてゐなかつた。代助は平岡に対して、左程に不信な言動げんどうを敢てするには、あまりに高尚であると、優に自己を評価してゐた。しばらくしてから、代助は又平生の調子にかへつた。
「だつて、君がさうそとばかりてゐれば、自然かねる。従つてうちの経済もうまく行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」
 平岡は、白襯衣しろしやつそでうで中途ちうとまくげて、
「家庭か。家庭もあまりくださつたものぢやない。家庭をおもく見るのは、きみの様な独身ものかぎる様だね」と云つた。


 此言葉ことばいたとき、代助は平岡がにくくなつた。あからさまに自分のはらなかを云ふと、そんなに家庭がきらひなら、きらひでよし、其代り細君をつちまふぞと判然はつきり知らせたかつた。けれども二人ふたりの問答は、其所そこくには、まだ中中なかなかあひだがあつた。代助はもう一遍ほかの方面から平岡の内部に触れて見た。
きみが東京へたてに、僕は君から説教されたね。なにれつて」
「うん。さうして君の消極な哲学をかされて驚ろいた」
 代助は実際平岡が驚ろいたらうと思つた。その時の平岡は、熱病にかゝつた人間にんげんの如く行為アクシヨンかはいてゐた。彼は行為アクシヨンの結果として、富を冀つてゐたか、もしくは名誉、もしくは権勢を冀つてゐたか。それでなければ、活動としての行為アクシヨン其物を求めてゐたか。それは代助にもわからなかつた。
「僕の様に精神的に敗残した人間は、已を得ず、あゝ云ふ消極な意見も出すが。――元来意見があつて、ひとがそれにのつとるのぢやない。ひとがあつて、其人そのひとてきした様な意見がるのだから、ぼくの説はぼく丈に通用する丈だ。決して君の身の上を、あの説で、うしやうのうしやうのと云ふ訳ぢやない。僕はあの時の君の意気に敬服してゐる。きみはあの時自分で云つた如く、全く活動の人だ。是非共活動してもらひたい」
「無論大いにつもりだ」
 平岡のこたへはたゞ此一句ぎりであつた。代助ははらなかくびかたむけた。
「新聞でつもりかね」
 平岡は一寸ちよつと※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちうちよした。が、やがて、判然はつきり云ひはなつた。――
「新聞にゐるうちは、新聞でつもりだ」
「大いに要領を得てゐる。僕だつて君の一生涯の事を聞いてゐるんぢやないから、返事はそれで沢山だ。然し新聞で君に面白い活動が出来るかね」
出来できつもりだ」と平岡は簡明な挨拶をした。
 はなし此所こゝ迄来ても、たゞ抽象的に進んだ丈であつた。代助は言葉のうへでこそ、要領を得たが、平岡の本体を見届ける事はちつとも出来できなかつた。代助は何となく責任のある政府委員か弁護士を相手にしてゐる様な気がした。代助は此時思ひ切つた政略的な御世辞を云つた。それには軍神広瀬中佐の例が出て来た。広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加はつて斃れたため、当時のひとから偶像アイドル視されて、とう/\軍神と迄崇められた。けれども、四五年後の今日こんにちに至つて見ると、もう軍神広瀬中佐の名をくちにするものも殆んどなくなつて仕舞つた。英雄ヒーロー流行はやりすたりはこれ程急劇なものである。と云ふのは、多くの場合に於て、英雄ヒーローとは其時代に極めて大切なひとといふ事で、名前丈はえらさうだけれども、本来は甚だ実際的なものである。だから其大切な時機を通り越すと、世間は其資格を段々奪ひにかゝる。露西亜と戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だらうが、平和こく復のあかつきには、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人りんじんに対して現金げんきんである如く、英雄ヒーローに対しても現金である。だから、う云ふ偶像にも亦常に新陳代謝や生存競争が行はれてゐる。さう云ふ訳で、代助は英雄ヒーローなぞにかつがれたい了見は更にない。が、もし茲に野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的のけんの力よりも、永久的の筆の力で、英雄ヒーローになつた方が長持ながもちがする。新聞は其方面の代表的事業である。
 代助は此所こゝべて見たが、元来が御世辞のうへに、云ふ事があまり書生らしいので、自分の内心には多少滑稽に取れる位、気が乗らなかつた。平岡は其返事に、
「いや難有う」と云つた丈であつた。別段腹を立てた様子も見えなかつたが、ちつとも感激してゐないのは、此返事でも明かであつた。
 代助は少々平岡を低く見過ぎたのにぢ入つた。実は此側このがはから、かれの心をうごかして、うまあぶらつた所を、中途からころがして、もとの家庭へすべり込ませるのが、代助の計画であつた。代助は此迂遠で、又尤も困難の方法の出立点から、程遠からぬ所で、蹉跌さてつして仕舞つた。


 其夜そのよ代助は平岡と遂に愚図々々でわかれた。会見の結果から云ふと、何のために平岡を新聞社にたづねたのだか、自分にもわからなかつた。平岡の方から見れば、猶更左様さうであつた。代助は必竟なにしに新聞社迄出掛てたのか、帰る迄ついに問ひめづに済んで仕舞つた。
 代助は翌日よくじつになつてひとり書斎で、昨夕ゆふべ有様ありさま何遍なんべんとなくあたまなかり返した。二時かんも一所にはなしてゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目まじめであつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其真面目まじめは、単に動機どうき真面目まじめで、くちにした言葉は矢張好加減いゝかげん出任でまかせに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許うそばかりと云つてもかつた。自分で真面目まじめだと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、もとより真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へおとし込まうと、たくらんでかゝつた、打算ださん的のものであつた。従つて平岡をうする事も出来なかつた。
 もし思ひ切つて、三千代を引合ひきあひして、自分の考へ通りを、遠慮なく正面からべ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺ゆすぶる事が出来た。もつとかれの肺腑に入る事が出来た。にちがひない。其代りそこなへば、三千代に迷惑がかゝつてる。平岡と喧嘩になる。かも知れない。
 代助は知らず/\のあひだに、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もしう云ふ態度で平岡にあたりながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡にゆだねて置けない程の不安があるならば、それは論理のゆるさぬ矛盾を、厚顔こうがんに犯してゐたと云はなければならない。
 代助はむかしひとが、頭脳づのうの不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、みづからはかたひとためと信じて、いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りにうごかし得たのをうらやましく思つた。自分のあたまが、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕ゆふべの会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼はひとから、ことに自分のちゝから、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。かれの解剖によると、事実はうであつた。人間にんげんは熱誠を以てあたつて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠をてらつて、己れを高くする山師やましに過ぎない。だからかれの冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果にはほかならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、そのあまりに、狡黠ずるくつて、不真面目ふまじめで、大抵は虚偽きよぎを含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。
 此所こゝで彼はいつのヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬむかしに返るか。何方どつちかにしなければ生活の意義を失つたものとひとしいと考へた。其他のあらゆる中途半端ちうとはんぱの方法は、いつはりはじまつて、いつはりおはるよりほかに道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。
 かれは三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人のおきてに背くこひは、其こひぬしの死によつて、始めて社会からみとめられるのが常であつた。かれは万一の悲劇を二人ふたりの間にゑがいて、覚えず慄然とした。
 かれは又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉するひとにならなければまなかつた。かれは其手段として、ちゝあによめから勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚をうけがふ事が、凡ての関係をあらたにするものと考へた。


 自然の児にならうか、又意志のひとにならうかと代助はまよつた。かれかれの主義として、弾力性のない硬張こわばつた方針のもとに、寒暑にさへすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛そくばくするの愚を忌んだ。同時にかれは、かれの生活が、一大断案を受くべき危機にたつして居る事を切に自覚した。
 かれは結婚問題について、まあく考へて見ろと云はれて帰つたぎり、いまだに、それを本気に考へるひまつくらなかつた。帰つた時、まあ今日けふ虎口ここうのがれて難有ありがたかつたと感謝したぎり、放りして仕舞つた。ちゝからはまだなんとも催促されないが、此二三日は又青山へ呼びされさうな気がしてならなかつた。代助は固よりされる迄なにも考へずにゐる気であつた。び出されたら、ちゝ顔色かほいろと相談の上、又何とか即席に返事を拵らえる心ぐみであつた。代助はあながちちゝを馬鹿にする了見ではなかつた。あらゆる返事は、う云ふ具合に、相手と自分を商量して、臨機に湧いてるのが本当だと思つてゐた。
 もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前迄押しめられた様な気もちがなかつたなら、代助はちゝに対して無論さう云ふ所置を取つたらう。けれども、代助は今相手の顔色かほいろ如何いかんに拘はらず、手に持つたさいげなければならなかつた。うへになつたが、平岡に都合がわるからうと、ちゝの気に入らなからうと、賽をげる以上は、天の法則通りになるよりほか仕方しかたはなかつた。賽を手につ以上は、又さいが投げられつくられたる以上は、さいめるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、はらのうちでさだめた。ちゝあにあによめも平岡も、決断の地平線上にはなかつた。
 彼はたゞかれの運命に対してのみ卑怯であつた。此四五日はてのひらせたさいながらした。今日けふもまだにぎつてゐた。早く運命が戸外そとからて、其を軽くはたいて呉れればいとおもつた。が、一方いつぽうでは、まだにぎつてゐられると云ふ意識が大層うれしかつた。
 門野かどの時々とき/″\書斎へた。たびに代助は洋卓デスクの前にじつとしてゐた。
ちつと散歩にでも御出おいでになつたら如何いかゞです。左様さう御勉強ぢや身体からだわるいでせう」と云つた事が一二度あつた。成程顔色かほいろくなかつた。夏向なつむきになつたので、門野かどのを毎日かして呉れた。代助は風呂場に行くたびに、ながあひだかゞみを見た。ひげい男なので、すこし延びると、自分には大層見苦しく見えた。さわつて、ざら/\すると猶不愉快だつた。
 めしは依然として、普通の如くつた。けれども運動の不足と、睡眠の不規則と、それから、脳の屈托とで、排泄機能に変化を起した。然し代助はそれを何とも思はなかつた。生理状態は殆んど苦にするいとまのない位、一つ事をぐる/\まはつて考へた。それが習慣になると、終局なく、ぐる/\まはつてゐる方が、らつそとへ飛びす努力よりも却つて楽になつた。
 代助は最後に不決断の自己嫌悪けんおに陥つた。已を得ないから、三千代と自分の関係を発展させる手段として、佐川の縁談を断らうかと迄考へて、覚えず驚ろいた。然し三千代と自分の関係を絶つ手段として、結婚を許諾して見様かといふ気は、ぐる/\回転してゐるうちに一度もなかつた。
 縁談をことわる方は単独にも何遍となく決定が出来た。たゞ断つたあと、其反動として、自分をまともに三千代のうへあびせかけねばまぬ必然の勢力が来るに違ないと考へると、其所そこに至つて、又恐ろしくなつた。
 代助はちゝからの催促を心待に待つてゐた。しかしちゝからは何の便たよりもなかつた。三千代にもう一遍逢はうかと思つた。けれども、それ程の勇気もなかつた。
 一番仕舞に、結婚は道徳の形式に於て、自分と三千代を遮断するが、道徳の内容に於て、何等の影響を二人ふたりうへに及ぼしさうもないと云ふ考が、段々代助の脳裏に勢力を得てた。既に平岡にとついだ三千代に対して、こんな関係が起り得るならば、此上このうへ自分に既婚者の資格を与へたからと云つて、同様の関係がつゞかない訳には行かない。それをつゞかないと見るのはたゞ表向の沙汰で、心を束縛そくばくする事の出来できない形式は、いくらかさねても苦痛を増す許である。と云ふのが代助の論法であつた。代助は縁談を断るより外にみちはなくなつた。


 う決心した翌日よくじつ、代助は久しりにかみつてひげつた。梅雨つゆに入つて二三日すさまじくつた揚句なので、地面ぢめんにも、の枝にも、ほこりらしいものはことごとくしつとりとしづまつてゐた。いろは以前よりうすかつた。くもから、落ちてる光線は、下界げかい湿しめのために、半ば反射力を失つた様に柔らかに見えた。代助は床屋とこやかゞみで、わが姿すがたうつしながら、例の如くふつくらしたほゝでゝ、今日けふから愈積極的生活に入るのだと思つた。
 青山へて見ると、玄関にくるまが二台程あつた。供待ともまちの車夫は蹴込けこみかゝつて眠つた儘、代助の通り過ぎるのを知らなかつた。座敷には梅子が新聞しんぶんひざうへせて、み入つたにはみどりをぼんやり眺めてゐた。是もぽかんとむさうであつた。代助はいきなり梅子うめこの前へすはつた。
御父おとうさんはますか」
 あによめは返事をする前に、一応代助の様子を、試験官ので見た。
「代さん、少しせた様ぢやありませんか」と云つた。代助は又ほゝでて、
「そんな事もいだらう」と打ち消した。
「だつて、色沢いろつやわるいのよ」と梅子はせて代助のかほのぞんだ。
には所為せゐだ。青葉あをばうつるんだ」とには植込うゑごみの方を見たが、「だから貴方あなただつて、あをいですよ」とつゞけた。
わたし、此二三にち具合がくないんですもの」
道理どうりでぽかんとしてるとおもつた。うかしたんですか。風邪かぜですか」
なんだか知らないけれど生欠許なまあくびばかて」
 梅子はう答へて、すぐ新聞をひざからおろすと、手を鳴らして、小間使こまづかひを呼んだ。代助は再びちゝざい不在ふざいたしかめた。梅子は其とひをもう忘れてゐた。聞いて見ると、玄関にあつた車は、ちゝきやくつてたものであつた。代助はながゝらなければ、きやくの帰る迄たうと思つた。あによめ判然はつきりしないから、風呂場へつて、みづで顔をいてると云つて立つた。下女がにほひのするくづちまきを、ふかさらに入れてつてた。代助はちまきの尾をぶらげて、しきりにいでた。
 うめ子がすゞしい眼付めつきになつて風呂場から帰つた時、代助はちまきひとつを振子ふりこの様にりながら、今度は、
にいさんはうしました」と聞いた。梅子はすぐ此陳腐な質問に答へる義務がないかの如く、しばらく椽ばなつて、にはながめてゐたが、
「二三日のあめで、こけいろ悉皆すつかりこと」と平生に似合はぬ観察をして、もとせきかへつた。さうして、
にいさんがうしましたつて」と聞きなほした。代助はさきの質問を繰り返した時、あによめは尤も無頓着な調子で、
うしましたつて、例の如くですわ」と答へた。
「相変らず、留守がちですか」
「えゝ、えゝ、あさばんも滅多にうちに居た事はありません」
ねえさんはそれさむしくはないですか」
今更いまさらあらたまつて、そんなこといたつて仕方しかたがないぢやありませんか」と梅子は笑ひした。調戯からかふんだと思つたのか、あんまり小供染みてゐると思つたのか殆んど取り合ふ気色けしきはなかつた。代助も平生の自分をり返つて見て、真面目まじめんな質問をけた今の自分を、寧ろ奇体に思つた。今日こんにちあにあによめの関係を長いあひだ目撃してゐながら、ついぞ其所そこには気がかなかつた。あによめも亦代助の気がく程物足りない素振そぶりは見せた事がなかつた。
世間せけんの夫それんでくものかな」と独言ひとりごとの様に云つたが、別に梅子の返事を予期する気もなかつたので、代助はむかふかほも見ず、たゞ畳のうへに置いてある新聞しんぶんおとした。すると梅子は忽ち、
なんですつて」とり込む様に云つた。代助のが、其調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、
「だから、貴方あなたが奥さんを御貰おもらひなすつたら、始終うちばかりゐて、たんと可愛かあいがつて御上おあげなさいな」と云つた。代助は始めて相手が梅子であつて、自分が平生の代助でなかつた事を自覚した。それで成るべく不断ふだんの調子をさうとつとめた。


 けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、其謝絶にいで起るべき、三千代と自分の関係にばかりそゝがれてゐた。従つて、いくら平生の自分に帰つて、梅子の相手になる積でも、梅子の予期してゐない、変つた音色ねいろが、時々とき/″\会話のなかに、思はず知らずた。
「代さん、貴方あなた今日けふうかしてゐるのね」と仕舞に梅子が云つた。代助はもとよりあによめの言葉を側面そくめんらして受ける法をいくらでも心得てゐた。然るに、それをるのが、軽薄の様で、又面倒な様で、今日けふいやになつた。かへつて真面目まじめに、何処どこへんか教へて呉れとたのんだ。梅子は代助のとひが馬鹿気てゐるので妙な顔をした。が、代助がます/\たのむので、では云つてげませうと前置をして、代助のうかしてゐる例を挙げ出した。梅子は勿論わざと真面目まじめを装つてゐるものと代助を解釈した。其中そのなかに、
「だつて、にいさんが留守勝るすがちで、嘸御さむしいでせうなんて、あんまり思遣おもひやりが好過よすぎる事をおつしやるからさ」と云ふ言葉があつた。代助は其所そこへ自分をはさんだ。
「いや、僕の知つたをんなに、左様さう云ふのが一人ひとりあつて、じつは甚だ気の毒だから、ついほかをんな心持こゝろもちいて見たくなつて、うかゞつたんで、決してひやかしたつもりぢやないんです」
「本当に? そり一寸ちよいとなんてえかたなの」
「名前はにくいんです」
「ぢや、貴方あなたが其旦那に忠告をして、奥さんをもつと可愛かわいがるやうにして御あげになればいのに」
 代助は微笑した。
ねえさんも、さう思ひますか」
「当り前ですわ」
「もし其おつとが僕の忠告をかなかつたら、うします」
「そりや、うも仕様がないわ」
ほうつてくんですか」
ほうつてかなけりや、うなさるの」
「ぢや、其細君はおつとたいして細君の道をまもる義務があるでせうか」
「大変理責りぜめなのね。そりや旦那の不親切の度合どあひにもるでせう」
「もし、其細君にきな人があつたらうです」
「知らないわ。馬鹿らしい。きな人がある位なら、始めつから其方そつちつたらいぢやありませんか」
 代助はだまつて考へた。しばらくしてから、ねえさんと云つた。梅子は其深い調子に驚ろかされて、あらためて代助のかほを見た。代助は同じ調子でなほ云つた。
ぼく今度こんど縁談えんだんことわらうとおもふ」
 代助の巻烟草まきたばこつた手がすこふるへた。梅子は寧ろ表情をうしなつた顔付かほつきをして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。
「僕は今迄結婚問題に就いて、貴方あなたに何返となく迷惑を掛けたうへに、今度こんども亦心配してもらつてゐる。ぼくももう三十だから、貴方あなたの云ふ通り、大抵な所で、御勧め次第になつていのですが、少し考があるから、この縁談もまあめにしたい希望です。御父おとうさんにも、にいさんにもまないが、仕方しかたがない。なにも当人が気に入らないと云ふ訳ではないが、ことわるんです。此間御父おとうさんによく考へて見ろと云はれて、大分考へて見たが、矢っ張りことわる方がい様だからことわります。じつ今日けふは其用で御父おとうさんにひにたんですが、いま御客おきやくの様だから、ついでと云つては失礼だが、貴方あなたにも御話おはなしをして置きます」
 梅子は代助の様子が真面目なので、何時いつもの如く無駄くちも入れずに聞いてゐたが、聞き終つた時、始めて自分の意見を述べた。それがきわめて簡単かんたんな且つきわめて実際的な短かい句であつた。
「でも、御父おとうさんは屹度御困りですよ」
御父おとうさんには僕がぢかに話すから構ひません」
「でも、はなしがもう此所こゝすゝんでゐるんだから」
「話が何所どこ迄進んでゐやうと、僕はまだもらひますと云つた事はありません」
「けれども判然はつきりもらはないとも仰しやらなかつたでせう」
「それを今云ひにた所です」
 代助と梅子はむかつたなり、しばらくだまつた。


 代助の方では、もう云ふことを云ひくした様な気がした。すくなくとも、これよりすゝんで、梅子に自分を説明しやうといふ考は丸でかつた。梅子はかたるべきことくべきこと沢山たくさんつてゐた。たゞそれ咄嗟とつさあひだに、まへ問答もんどうつながりく、くちなかつたのである。
貴方あなたらないに、縁談がれ程すゝんだのか、わたしにもわからないけれど、だれにしたつて、貴方あなたが、さう的確きつぱり御断おことわりなさらうとは思ひけないんですもの」と梅子はやうやくにして云つた。
何故なぜです」と代助はひやゝかにいていた。梅子は眉をうごかした。
何故なぜですつていたつて、理窟ぢやありませんよ」
「理窟でなくつてもかまはないからはなしてください」
貴方あなたの様にさう何遍ことわつたつて、つまおんなじ事ぢやありませんか」と梅子は説明した。けれども、其意味がすぐ代助のあたまにはひゞかなかつた。不可解ふかかいげて梅子を見た。梅子は始めて自分の本意を布衍しにかつた。
「つまり、貴方あなただつて、何時いつか一度は、御奥さんをもらつもりなんでせう。いやだつて、仕方がないぢやありませんか。其様さう何時迄いつまでも我儘を云つた日には、御父おとうさんにまない丈ですわ。だからね。うせだれつてつてもに入らない貴方あなたなんだから、つまりだれたしたつておんなじだらうつて云ふ訳なんです。貴方あなたにはんなひとを見せても駄目なんですよ。世のなか一人ひとりも気に入る様なものは生きてやしませんよ。だから、奥さんと云ふものは、はじめから気に入らないものと、あきらめて貰ふより外に仕方がないぢやありませんか。だからわたし達が一番いと思ふのを、だまつてもらへば、夫で何所どこ彼所かしこも丸くおさまつちまふから、――だから、御父おとうさんが、殊によると、今度こんどは、貴方あなたに一から十迄相談して、なにさらないかも知れませんよ。御父おとうさんから見ればそれが当り前ですもの。さうでも、なくつちや、きてるうちに、貴方あなたおくさんの顔を見る事は出来ないぢやありませんか」
 代助は落ち付いてあによめの云ふ事をいてゐた。梅子うめこの言葉が切れても、容易にくちうごかさなかつた。反駁はんぱくをする日には、はなしが段々込み入るばかりで、此方こちらの思ふ所は決して、梅子の耳へ通らないと考へた。けれども向ふの云ひぶんうけがふ気は丸でなかつた。実際問題として、双方がこまる様になるばかりと信じたからである。それで、あによめに向つて、
貴方あなたおつしやる所も、一理あるが、わたしにもわたしの考があるから、まあ打遣うちやつていてください」と云つた。其調子には梅子うめこの干渉を面倒がる気色けしきが自然と見えた。すると梅子はだまつてゐなかつた。
「そりやだいさんだつて、小供ぢやないから、一人前いちにんまへの考の御有おありな事は勿論ですわ。わたしなんぞのらない差出口さしでぐちは御迷惑でせうから、もう何にも申しますまい。然し御とうさんの身になつて御覧なさい。月々つき/″\の生活費は貴方あなたると云ふ丈今でもしてらつしやるんだから、つまり貴方あなたは書生時代よりも余計御父おとうさんの厄介になつてるわけでせう。さうして置いて、世話になる事は、もとより世話になるが、年を取つて一人前いちにんまへになつたから、云ふ事はもとの通りにはかれないつて威張つたつて通用しないぢやありませんか」
 梅子は少し激したと見えて猶も云ひ募らうとしたのを、代助が遮つた。
「だつて、女房を持てば此うへ猶御とうさんの厄介にらなくつちやらないでせう」
いぢやありませんか、御父おとうさんが、其方そのほういと仰しやるんだから」
「ぢや、御父おとうさんは、いくら僕の気に入らない女房でも、是非たせる決心なんですね」
「だつて、貴方あなたいたのがあればですけれども、そんなのは日本中さがしてあるいたつていんぢやありませんか」
うして、それわかります」
 梅子ははりの強いを据ゑて、代助を見た。さうして、
貴方あなたは丸で代言人の様な事を仰しやるのね」と云つた。代助は蒼白あをじろくなつたひたひあによめそばせた。
ねえさん、わたしいた女があるんです」とひくい声で云ひ切つた。


 代助は今迄冗談に斯んな事を梅子に向つて云つた事が能くあつた。梅子も始めはそれを本気に受けた。そつと手をまはして真相を探つて見た抔といふ滑稽もあつた。事実が分つて以後は、代助の所謂いた女は、梅子に対して一向利目きゝめがなくなつた。代助がそれを云ひしても、丸で取り合はなかつた。でなければ、茶化してゐた。代助の方でもそれで平気であつた。然し此場合丈はかれに取つて、全く特別であつた。顔付かほつきと云ひ、眼付めつきと云ひ、声のひくそここもちからと云ひ、此所こゝ迄押しせまつてた前後の関係と云ひ、凡ての点から云つて、梅子をはつと思はせない訳に行かなかつた。あによめは此みじかを、ひらめく懐剣の如くに感じた。
 代助はおびあひだから時計を出して見た。ちゝの所へてゐる客は中々なか/\帰りさうにもなかつた。そらは又くもつてた。代助は一旦引きげて又あらためて、ちゝはなしけに出直でなほす方が便宜だとかんがへた。
「僕は又ます。出直でなほして御父おとうさんに御目にかゝる方がいでせう」と立ちにかかつた。梅子は其あひだに回復した。梅子は飽く迄人の世話を焼く実意のある丈に、物を中途でげる事の出来ない女であつた。おさえる様に代助をめて、女の名を聞いた。代助は固より答へなかつた。梅子は是非にと逼つた。代助はそれでも応じなかつた。すると梅子は何故なぜ其女をもらはないのかと聞きした。代助は単純にもらへないから、もらはないのだと答へた。梅子は仕舞に涙を流した。ひとの尽力をいたと云つて恨んだ。何故なぜはじめから打ち明けて話さないかと云つて責めた。かと思ふと、気の毒だと云つて同情して呉れた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事もかたらなかつた。梅子はとう/\を折つた。代助のいよ/\帰ると云ふ間際まぎはになつて、
「ぢや、貴方あなたからぢか御父おとうさんに御話おはなしなさるんですね。それ迄はわたくしだまつてゐた方がいでせう」と聞いた。代助はだまつてゐてもらふ方がいか、はなしてもらふ方がいか、自分にもわからなかつた。
左様さうですね」と※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちうちよしたが、「どうせ、ことわりにるんだから」と云つてあによめかほた。
「ぢや、はなす方が都合がささうだつたらはなしませう。もし又るい様だつたら、何にも云はずに置くから、貴方あなたはじめから御話おはなしなさい。それいでせう」と梅子は親切に云つて呉れた。代助は、
何分なにぶんよろしく」とたのんでそとた。かどて、四谷よつやからあるつもりで、わざと、しほゆきの電車につた。練兵場のよこを通るとき、おもくもが西で切れて、梅雨つゆにはめづらしいせき陽が、真赤まつかになつてひろはら一面いちめんらしてゐた。それがむかふくるまあたつて、まはたび鋼鉄はがねの如くひかつた。くるまは遠いはらなかちいさく見えた。はらくるまちいさくえる程、ひろかつた。の様に毒々しくつた。代助は此光けいなゝめにながら、かぜつて電車に持つてかれた。おもあたまなかがふら/\した。終点迄た時は、精神が身体からだおかしたのか、精神の方が身体からだに冒されたのか、いやな心持がして早く電車をりたかつた。代助はあめの用心に持つた蝙蝠傘かうもりがさを、杖の如く引きつてあるいた。
 あるきながら、自分じぶん今日けふみづから進んで、自分の運命の半分はんぶんを破壊したのも同じ事だと、心のうちにつぶやいだ。今迄はちゝあによめを相手に、好い加減な間隔かんかくを取つて、柔らかに自我をとほしてた。今度は愈本性をあらはさなければ、それを通し切れなくなつた。同時に、此方面に向つて、在来の満足をもとめ得る希望は少なくなつた。けれども、まだ逆戻りをする余地はあつた。たゞ、それには又ちゝを胡魔化す必要が出て来るに違なかつた。代助は腹の中で今迄のわれを冷笑した。彼はうしても、今日けふの告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかつた。さうして、それから受ける打撃の反動として、思ひ切つて三千代の上に、かぶさる様に烈しくはたらき掛けたかつた。
 彼は此次このつぎちゝに逢ふときは、もう一歩いつぽあとへ引けない様に、自分の方をこしらえて置きたかつた。それで三千代と会見する前に、又ちゝから呼び出される事を深く恐れた。彼は今日けふあによめに、自分の意思をちゝはなはなさないの自由を与へたのを悔いた。今夜こんやにもはなされれば、明日あしたあさばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢つて己れを語つて置く必要が出来る。然しよるだから都合がよくないと思つた。


 角上つのかみりた時、かつた。士官学校のまへ真直まつすぐ濠端ほりばたて、二三町ると砂土原さどはら町へがるべき所を、代助はわざと電車みちいてあるいた。かれれいごとくにうちへ帰つて、一夜いちやを安閑と、書斎のなかくらすに堪えなかつたのである。ほりへだてゝ高い土手のまつが、のつゞくかぎくろならんでゐるそこの方を、電車がしきりにとほつた。代助はかるはこが、軌道レールうへを、苦もなくすべつてつては、又すべつてかへる迅速な手際てぎはに、軽快の感じを得た。其代り自分とおなみちを容赦なく往来ゆきゝする外濠線そとぼりせんくるまを、常よりは騒々しくにくんだ。牛込見附みつけとき、遠くの小石川のもりに数点の灯影ひかげみとめた。代助は夕飯ゆふめしふ考もなく、三千代のゐる方角へいてあるいてつた。
 約二十分の後、かれは安藤坂をあがつて、伝通院の焼跡やけあとの前へた。大きな木が、左右からかぶさつてゐるあひだを左りへけて、平岡のいへそばると、板塀いたべいから例の如くしてゐた。代助はへいもとせて、じつと様子をうかゞつた。しばらくは、何のおともなく、いへのうちは全くしづかであつた。代助はもんくゞつて、格子のそとから、たのむと声をけて見様かと思つた。すると、椽側にちかく、ぴしやりとすねたゝおとがした。それから、ひとが立つて、おくへ這入つて行く気色けしきであつた。やがて話声はなしごえきこえた。なんの事かく聴き取れなかつたが、声はたしかに、平岡と三千代であつた。話声はなしごえはしばらくでんで仕舞つた。すると又足音が椽側迄近付ちかづいて、どさりと尻をおろおとが手に取る様にきこえた。代助はそれなりへいそば退しりぞいた。さうしてもとみちとは反対の方角にあるした。
 しばらくは、何処どこあるいてゐるか夢中であつた。其間そのあひだ代助のあたまには今見た光景ばかりが煎りく様に踊つてゐた。それが、少し衰へると、今度は自己の行為に対して、云ふべからざる汚辱の意味を感じた。彼は何の故に、ゝる下劣な真似をして、恰かも驚ろかされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。かれくら小路こみちに立つて、世界がいまよるに支配されつゝある事を私かによろこんだ。しかも五月雨さみだれの重い空気にとざされて、あるけばあるく程、窒息ちつそくする様な心持がした。神楽坂上かぐらざかうへた時、急にがぎら/\した。つゝむ無数のひとと、無数のひかりあたまを遠慮なくいた。代助はげる様に藁店わらだなあがつた。
 うちへ帰ると、門野かどのが例の如く漫然まんぜんたる顔をして、
大分だいぶ遅うがしたな。御飯ごはんはもう御済おすみになりましたか」と聞いた。
 代助はめししくなかつたので、らないよしを答へて、門野かどのかへす様に、書斎から退しりぞけた。が、二三ぷんたない内に、又手を鳴らして呼びした。
うちから使つかひやしなかつたかね」
「いゝえ」
 代助は、
「ぢや、よろしい」と云つたぎりであつた。門野かどのは物足りなさうに入口いりぐちに立つてゐたが、
「先生は、なんですか、御宅おたく御出おいでになつたんぢやかつたんですか」
何故なぜ」と代助はづかしい顔をした。
「だつて、御出掛でかけになるとき、そんな御話おはなしでしたから」
 代助は門野かどのを相手にするのが面倒になつた。
うちへは行つたさ。――うちから使つかひなければそれで、いぢやないか」
 門野かどの不得ふとく要領に、
「はあ左様さうですか」と云ひはなして出て行つた。代助は、ちゝがあらゆる世界に対してよりも、自分に対して、性急であるといふ事を知つてゐるので、ことによると、帰つたあとからすぐ使つかひでもこしはしまいかと恐れてたゞしたのであつた。門野が書生部屋へ引き取つたあとで、明日あしたは是非共三千代に逢はなければならないと決心した。
 其夜代助はながら、う云ふ手段で三千代に逢はうかと云ふ問題を考へた。手紙を車夫に持たせてうちへ呼びにれば、る事はるだらうが、すで今日けふあによめとの会談が済んだ以上は、明日あしたにも、あにあによめために、向ふから襲はれないともかぎらない。又平岡のうちへ行つて逢ふ事は代助に取つて一種の苦痛があつた。代助は已を得ず、自分にも三千代にも関係のない所で逢ふよりほかに道はないと思つた。
 夜半から強く雨が降りした。つてある蚊帳かやが、却つて寒く見える位なおとがどう/\といへつゝんだ。代助は其おとうちに夜のけるのをつた。


 あめ翌日よくじつれなかつた。代助は湿しめつぽい椽側につて、くら空模様そらもやうながめて、昨夕ゆふべの計画を又えた。かれは三千代を普通の待合抔へ呼んで、話をするのが不愉快であつた。むなくんば、あをそらしたと思つてゐたが、此天気ではそれも覚束なかつた。と云つて、平岡のいへ出向でむく気は始めからかつた。彼はうしても、三千代を自分のうちれてるよりほかに道はないとめた。門野かどのが少し邪魔になるが、はなしのし具合では書生部屋に洩れない様にも出来できると考へた。
 ひるすこまへ迄は、ぼんやりあめながめてゐた。午飯ひるめしますや否や、護謨ごむ合羽かつぱを引き掛けて表へ出た。なか神楽坂下かぐらざかした青山あをやまうちへ電話をけた。明日あす此方こつちから行くつもりであるからと、機先きせんを制していた。電話ぐちへはあによめあらはれた。先達せんだつての事は、まだちゝはなさないでゐるから、もう一遍よくかんがへ直して御覧なさらないかと云はれた。代助は感謝の辞と共に号鈴ベルらして談話を切つた。次に平岡の新聞社の番号を呼んで、かれの出社の有無をたしかめた。平岡はしやてゐると云ふ返事を得た。代助はあめいて又さかのぼつた。花屋はなやへ這入つて、大きな白百合しろゆりはなを沢山つて、それげて、うちかへつた。はなれた儘、ふたつの花瓶くわへいけてした。まだあまつてゐるのを、此間このあひだはちみづつて置いて、くきを短かく切つて、はぱ/\ほうり込んだ。それから、机に向つて、三千代へ手紙をいた。文句はきわめて短かいものであつた。たゞ至急御目にかゝつて、御話おはなししたい事があるからて呉れろと云ふ丈であつた。
 代助は手をつて、門野かどのんだ。門野かどのはなを鳴らしてあらはれた。手紙を受取りながら、
「大変にほひですな」と云つた。代助は、
くるまを持つてつて、せてるんだよ」とねんした。門野かどのあめなかりつけの帳場迄つた。
 代助は、百合ゆりはなながめながら、部屋をおゝふ強いなかに、のこりなく自己を放擲ほうてきした。彼はこの嗅覚の刺激のうちに、三千代みちよの過去を分明ふんみように認めた。その過去にははなすべからざる、わがむかしかげけむりの如くまつはつてゐた。彼はしばらくして、
今日けふはじめて自然しぜんむかしに帰るんだ」とむねなかで云つた。う云ひ得た時、彼は年頃としごろにない安慰を総身そうしんに覚えた。何故なぜもつと早くかへる事が出来なかつたのかと思つた。はじめから何故なぜ自然に抵抗したのかと思つた。彼はあめなかに、百合ゆりなかに、再現さいげんむかしのなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。其生命の裏にも表にも、慾得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。さうして凡てがブリスであつた。だから凡てがうつくしかつた。
 やがて、ゆめからめた。此一刻いつこくブリスから生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助のあたまおかしてた。かれくちびるいろうしなつた。かれは黙然として、われわが手をながめた。つめの甲のそこに流れてゐる血潮ちしほが、ぶる/\ふるへる様に思はれた。かれつて百合ゆりはなそばへ行つた。くちびるはなびらく程近くつて、強いまでいだ。かれはなからはなくちびるうつして、あませて、失心してへやなかに倒れたかつた。かれはやがて、腕をんで、書斎と座敷ざしきあひだつたりたりした。かれの胸は始終鼓動を感じてゐた。かれ時々とき/″\椅子のかどや、洋卓デスクの前へまつた。それから又あるした。かれこゝろの動揺は、かれをして長く一所いつしよとゞまる事を許さなかつた。同時に彼は何物をか考へるために、無暗むやみところに立ちまらざるを得なかつた。
 其内そのうちに時は段々うつつた。代助は断えず置時計のはりを見た。又のぞく様に、のきからそとあめを見た。あめは依然として、そらから真直まつすぐつてゐた。そらまへよりも稍くらくなつた。かさなるくもひとところうづいて、次第しだいに地面のうへへ押しせるかと怪しまれた。其時あめひかくるまもんからうちへ引き込んだ。おとが、あめあつして代助のみゝに響いた時、彼は蒼白あをしろほゝに微笑をもらしながら、みぎの手をむねてた。


 三千代は玄関から、門野かどのれられて、廊下づたひに這入つてた。銘仙めいせん紺絣こんがすりに、唐草からくさ模様の一重ひとえ帯をめて、此前とは丸でちがつた服装なりをしてゐるので、一目ひとめ見た代助には、あたらしいかんじがした。いろは不断の通りくなかつたが、座敷の入口いりぐちで、代助とかほあはせた時、まゆくちもぴたりと活動を中止した様にかたくなつた。敷居しきゐつてゐるあひだは、あしうごけなくなつたとしか受取れなかつた。三千代はもとより手紙を見た時から、何事をか予期してた。其予期のうちには恐れと、よろこびと、心配とがあつた。車からりて、座敷へ案内される迄、三千代の顔はその予期の色をもつてみなぎつてゐた。三千代の表情はそこで、はたとまつた。代助の様子は三千代に夫丈の打衝シヨツクを与へる程に強烈であつた。
 代助は椅子の一つをゆびさした。三千代は命ぜられた通りに腰を掛けた。代助は其向そのむかふに席をめた。二人ふたりは始めて相対した。然しやゝ少時しばらくは二人ふたりとも、くちひらかなかつた。
なにか御用なの」と三千代は漸くにして問ふた。代助は、たゞ、
「えゝ」と云つた。二人ふたり夫限それぎりで、又しばらくあめおとを聴いた。
なにか急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、
「えゝ」と云つた。双方共何時いつもの様に軽くは話し得なかつた。代助は酒の力を借りて、己れを語らなければならない様な自分を恥ぢた。彼は打ち明けるときは、必ず平生の自分でなければならないものとかねて覚悟をしてた。けれども、改たまつて、三千代に対して見ると、はじめて、一滴いつてきの酒精がこひしくなつた。ひそかにつぎつて、いつものヰスキーを洋盃コツプかたむけ様かと思つたが、遂に其決心に堪えなかつた。彼は青天白日のもとに、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己のまことでないと信じたからである。よひと云ふ牆壁を築いて、其掩護に乗じて、自己を大胆にするのは、卑怯で、残酷で、相手に汚辱を与へる様な気がしてならなかつたからである。彼は社会の習慣に対しては、徳義的な態度を取る事が出来なくなつた、其代り三千代に対しては一点も不徳義な動機をたくわへぬ積であつた。否、かれをして卑吝ひりんに陥らしむる余地が丸でない程に、代助は三千代を愛した。けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れをかたむける事が出来なかつた。二度かれた時に猶※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇した。三度目には、やむを得ず、
「まあ、ゆつくりはなしませう」と云つて、巻烟草まきたばこに火をけた。三千代のかほは返事をばされるたびわるくなつた。
 雨は依然として、ながく、みつに、物におとを立てゝつた。二人ふたりは雨のために、雨の持ちきたおとために、世間せけんから切り離された。同じいへに住む門野からも婆さんからも切り離された。二人ふたりは孤立の儘、白百合のなかに封じ込められた。
先刻さつき表へて、あの花を買つてました」と代助は自分の周囲をかへりみた。三千代のは代助にいてへやなか一回ひとまはりした。其あとで三千代は鼻から強くいきひ込んだ。
にいさんと貴方あなた清水しみづ町にゐた時分の事を思ひさうと思つて、成るべく沢山買つてました」と代助が云つた。
にほひですこと」と三千代はひるがへる様にほころびた大きな花瓣はなびらながめてゐたが、それからはなして代助に移した時、ぽうとほゝを薄赤くした。
「あの時分の事を考へると」と半分云つてめた。
「覚えてゐますか」
「覚えてゐますわ」
貴方あなたは派手な半襟をけて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立きたてだつたんですもの。ぢきめて仕舞つたわ」
此間このあひだ百合の花を持つてくださつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」
「あら、気が付いて。あれは、あの時ぎりなのよ」
「あの時はあんな髷に結ひたくなつたんですか」
「えゝ、気迷きまぐれに一寸ちよいとつて見たかつたの」
「僕はあのまげを見て、むかしを思ひ出した」
「さう」と三千代はづかしさうにうけがつた。
 三千代が清水町にゐた頃、代助と心安くくちを聞く様になつてからの事だが、始めてくにから出てた当時のかみの風を代助からめられた事があつた。其時三千代は笑つてゐたが、それを聞いたあとでも、決して銀杏返しには結はなかつた。二人ふたりは今も此事をよく記臆してゐた。けれども双方共くちしては何も語らなかつた。


 三千代のあにと云ふのはむしろ豁達な気性で、懸隔かけへだてのない交際振つきあひぶりから、友達ともだちにはひどく愛されてゐた。ことに代助は其親友であつた。此あには自分が豁達である丈に、妹の大人おとなしいのを可愛かあいがつてゐた。国から連れてて、一所にうちつたのも、妹を教育しなければならないと云ふ義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情あひと、現在自分のそばに引きけて置きたい欲望とからであつた。かれは三千代を呼ぶ前、既に代助に向つて其旨をけた事があつた。其時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以て此計画を迎へた。
 三千代がてから後、あにと代助とは益したしくなつた。何方どつちが友情の歩を進めたかは、代助自身にもわからなかつた。あにが死んだあとで、当時を振り返つて見る毎に、代助はこの親密のうちに一種の意味を認めない訳に行かなかつた。あには死ぬ時迄それを明言しなかつた。代助も敢て何事をも語らなかつた。くして、相互のおもはくは、相互の間の秘密として葬られて仕舞つた。あには在生中に此意味をひそかに三千代にらした事があるかどうか、其所そこは代助も知らなかつた。代助はたゞ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得た丈であつた。
 代助は其頃から趣味の人として、三千代のあにに臨んでゐた。三千代のあには其方面に於て、普通以上の感受性を持つてゐなかつた。深いはなしになると、正直にわからないと自白して、余計な議論をけた。何処どこからか arbiterアービター elegantiarumエレガンシアルム と云ふ字を見付出みつけだしてて、それを代助の異名の様に濫用したのは、其頃の事であつた。三千代はとなりの部屋でだまつてあにと代助のはなしを聞いてゐた。仕舞にはとう/\ arbiterアービター elegantiarumエレガンシアルム と云ふ字を覚えた。ある時其意味をあにに尋ねて、驚ろかれた事があつた。
 あには趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待つて啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来る丈与へる様に力めた。代助も辞退はしなかつた。あとから顧みると、みづから進んで其任に当つたと思はれる痕迹もあつた。三千代は固よりよろこんでかれの指導を受けた。三人は斯くして、ともえの如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、ともえめぐるに従つて次第にせばまつてた。つい三巴みつどもえ一所いつしよつて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つがけたため、残る二つは平衡を失なつた。
 代助と三千代は五年のむかしを心置なく語り始めた。語るに従つて、現在の自己が遠退いて、段々と当時の学生時代に返つてた。二人ふたりの距離は又もとの様に近くなつた。
「あの時にいさんがくならないで、だ達者でゐたら、今頃いまごろわたくしうしてゐるでせう」と三千代は、其時をこひしがる様に云つた。
にいさんが達者でゐたら、べつひとになつてる訳ですか」
「別なひとにはなりませんわ。貴方あなたは?」
「僕も同じ事です」
 三千代は其時、少したしなめる様な調子で、
「あらうそ」と云つた。代助はふかを三千代のうへに据ゑて、
「僕は、あの時もいまも、少しもちがつてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくはを相手から離さなかつた。三千代は忽ち視線をらした。さうして、なかば独りごとの様に、
「だつて、あの時から、もうちがつてゐらしつたんですもの」と云つた。
 三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過ひくすぎた。代助はえて行くかげまへる如くに、すぐ其尾をとらえた。
ちがやしません。貴方あなたにはたゞ左様さう見える丈です。左様さうえたつて仕方がないが、それは僻目ひがめだ」
 代助の方は通例よりも熱心に判然はつきりしたこえで自己を弁護する如くに云つた。三千代の声は益ひくかつた。
僻目ひがめでも何でもくつてよ」
 代助はだまつて三千代の様子をうかゞつた。三千代は始めから、せてゐた。代助には其長い睫毛まつげふるへるさまが能く見えた。


「僕の存在には貴方あなたが必要だ。うしても必要だ。ぼくは夫丈の事を貴方あなたはなしたいためにわざ/\貴方あなたんだのです」
 代助の言葉には、普通の愛人あいじんの用ひる様なあま文彩あやふくんでゐなかつた。彼の調子は其言葉と共に簡単で素朴であつた。寧ろ厳粛の域にせまつてゐた。たゞ夫丈それだけの事をかたために、急用として、わざ/\三千代を呼んだ所が、玩具おもちや詩歌しかに類してゐた。けれども、三千代は固より、斯う云ふ意味での俗を離れた急用を理解し得る女であつた。其上世間せけんの小説に青春せいしゆん時代の修辞には、多くの興味を持つてゐなかつた。代助の言葉が、三千代の官能にはなやかな何物をも与へなかつたのは、事実であつた。三千代がそれに渇いてゐなかつたのも事実であつた。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代のこゝろに達した。三千代はふるへる睫毛まつげあひだから、涙をほゝうへに流した。
「僕はそれを貴方あなたに承知してもらひたいのです。承知してください」
 三千代は猶いた。代助に返事をするどころではなかつた。たもとから手帛ハンケチしてかほてた。濃いまゆの一部分と、ひたひ生際はえぎは丈が代助のに残つた。代助は椅子を三千代の方へり寄せた。
「承知してくださるでせう」とみゝはたで云つた。三千代は、まだかほを蔽つてゐた。しやくり上げながら、
あんまりだわ」と云ふ声が手帛ハンケチなかで聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白がおそ過ぎたと云ふ事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へとつぐ前に打ち明けなければならない筈であつた。彼はなみだなみだあひだをぼつ/\つゞる三千代の此一語を聞くに堪えなかつた。
「僕は三四年前に、貴方あなた左様さう打ち明けなければならなかつたのです」と云つて、然としてくちぢた。三千代は急に手帛ハンケチかほからはなした。まぶたあかくなつたを突然代助のうへ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつて、
「打ちけてくださらなくつてもいから、何故なぜ」と云ひけて、一寸ちよつと※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちうちよしたが、思ひ切つて、「何故なぜてゝ仕舞つたんです」と云ふや否や、又手帛ハンケチかほてゝ又いた。
ぼくわるい。堪忍してください」
 代助は三千代の手頸てくびつて、手帛ハンケチかほからはなさうとした。三千代はさからはうともしなかつた。手帛ハンケチは膝のうへに落ちた。三千代は其ひざうへを見たまゝかすかな声で、
「残酷だわ」と云つた。小さい口元くちもとにくふるふ様に動いた。
「残酷と云はれても仕方がありません。其代り僕は夫丈それだけばつけてゐます」
 三千代は不思議なをしてかほげたが、
うして」といた。
貴方あなたが結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身どくしんでゐます」
「だつて、それ貴方あなたの御勝手ぢやありませんか」
「勝手ぢやありません。もらはうと思つても、もらへないのです。それから以後、うちのものから何遍結婚を勧められたかわかりません。けれども、みんな断つて仕舞ひました。今度こんども亦一人ひとりことわりました。其結果僕と僕のちゝとのあひだうなるかわかりません。然しうなつても構はない、ことわるんです。貴方あなたが僕に復讐ふくしうしてゐるあひだことわらなければならないんです」
「復讐」と三千代は云つた。此二字を恐るゝものゝ如くにはたらかした。「わたくしは是でも、よめつてから、今日こんにち一日いちにちも早く、貴方あなたが御結婚なさればいと思はないでらした事はありません」と稍あらたまつた物のぶりであつた。然し代助はそれに耳を貸さなかつた。
「いや僕は貴方あなた何所どこ迄も復讐してもらひたいのです。それが本望なのです。今日けふうやつて、貴方あなたを呼んで、わざ/\自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方あなたから復讐ふくしうされてゐる一部分としか思やしません。僕は是で社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はさう生れて人間にんげんなのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方あなたの前に懺悔ざんげする事が出来れば、夫で沢山なんです。是程嬉しい事はないと思つてゐるんです」


 三千代はなみだなかはじめて笑つた。けれども一言ひとことくちへはさなかつた。代助は猶己れを語るひまを得た。――
「僕は今更こんな事を貴方あなたに云ふのは、残酷だと承知してゐます。それが貴方あなたに残酷に聞えれば聞える程僕は貴方あなたに対して成功したも同様になるんだから仕方がない。其上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きてゐる事が出来なくなつた。つまり我儘わがまゝです。だからあやまるんです」
「残酷では御座いません。だからあやまるのはもうして頂戴」
 三千代の調子は、此時急に判然はつきりした。しづんではゐたが、前に比べると非常に落ちいた。然ししばらくしてから、又
「たゞ、もう少し早く云つてくださると」と云ひ掛けて涙ぐんだ。代助は其時斯う聞いた。――
「ぢや僕が生涯だまつてゐた方が、貴方あなたには幸福だつたんですか」
左様さうぢやないのよ」と三千代は力を籠めて打ち消した。「わたくしだつて、貴方あなた左様さう云つてくださらなければ、生きてゐられなくなつたかも知れませんわ」
 今度は代助の方が微笑した。
それぢや構はないでせう」
かまはないより難有いわ。たゞ――」
「たゞ平岡にまないと云ふんでせう」
 三千代は不安らしく首肯うなづいた。代助は斯う聞いた。――
「三千代さん、正直に云つて御覧。貴方あなたは平岡を愛してゐるんですか」
 三千代は答へなかつた。見るうちに、顔の色が蒼くなつた。くちかたくなつた。凡てが苦痛の表情であつた。代助は又聞いた。
「では、平岡は貴方あなたを愛してゐるんですか」
 三千代は矢張りいてゐた。代助は思ひ切つた判断を、自分の質問しつもんの上に与へやうとして、既に其言葉がくち出掛でかゝつた時、三千代は不意に顔をげた。其顔には今見た不安も苦痛も殆んど消えてゐた。なみださへ大抵はかはいた。ほゝいろは固より蒼かつたが、くちびるしかとして、動く気色けしきはなかつた。其間そのあひだから、低く重い言葉が、つながらない様に、一字づゝた。
「仕様がない。覚悟をめませう」
 代助は脊中せなかからみづかぶつた様にふるへた。社会から逐ひはなたるべき二人ふたりたましひは、たゞ二人ふたりむかひ合つて、たがひを穴のく程眺めてゐた。さうして、すべてにさからつて、たがひを一所に持ちたした力をたがひおそおののいた。
 しばらくすると、三千代は急に物に襲はれた様に、手をかほてて泣きした。代助は三千代のさまを見るにしのびなかつた。ひぢいてひたひ五指ごしうらかくした。二人ふたりは此態度をくづさずに、恋愛の彫刻の如く、じつとしてゐた。
 二人ふたりは斯うじつとしてゐるうちに、五十年をのあたりにちゞめた程の精神のきん張を感じた。さうしてそのきん張と共に、二人ふたりが相並んで存在してると云ふ自覚を失はなかつた。彼等は愛のけいと愛のたまものとを同時にけて、同時に双方を切実に味はつた。
 しばらくして、三千代は手帛ハンケチを取つて、涙を奇麗にいたが、しづかに、
わたくしもう帰つてよ」と云つた。代助は、
「御帰りなさい」と答へた。
 雨は小降こぶりになつたが、代助は固より三千代をひとり返す気はなかつた。わざとくるまを雇はずに、自分で送つてた。平岡の家迄いて行く所を、江戸川の橋のうへわかれた。代助は橋の上に立つて、三千代が横町をまがる迄見送みおくつてゐた。それからゆつくり歩をめぐらしながら、はらなかで、
「万事終る」と宣告した。
 雨は夕方んで、に入つたら、雲がしきりにんだ。其うち洗つた様な月がた。代助はひかりびる庭の濡葉ぬれはを長いあひだ椽側からながめてゐたが、仕舞に下駄を穿いてしたりた。固より広い庭でないうへ立木たちきかずが存外多いので、代助のあるせきはたんとかつた。代助は其真中まんなかに立つて、おほきなそらを仰いだ。やがて、座敷から、昼間ひるま買つた百合ゆりの花を取つてて、自分の周囲まはりき散らした。白い花瓣くわべん点々てん/\として月のひかりえた。あるものは、木下やみほのめいた。代助は何をするともなく其あひだかゞんでゐた。
 寐る時になつて始めて座敷へがつた。へやなかは花のにほひがまだ全くけてゐなかつた。


 三千代に逢つて、云ふべき事を云つて仕舞つた代助は、逢はない前に比べると、余程心の平和に接近し易くなつた。然し是は彼の予期する通りにつた迄で、別に意外の結果と云ふ程のものではなかつた。
 会見の翌日彼は永らく手に持つてゐたさいを思ひ切つてげた人の決心を以て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日きのふから一種の責任を帯びねば済まぬになつたと自覚した。しかもそれみづから進んで求めた責任にちがいなかつた。従つて、それを自分のに負ふて、苦しいとは思へなかつた。そのおもみに押されるがため、却つて自然とあしが前に出る様な気がした。彼はみづから切り開いた此運命の断片をあたませて、ちゝと決戦すべき準備を整へた。ちゝあとにはあにがゐた、あによめがゐた。是等と戦つたあとには平岡がゐた。是等を切りけても大きな社会があつた。個人の自由と情実を毫も斟酌してれない器械の様な社会があつた。代助には此社会が今全然暗黒に見えた。代助は凡てと戦ふ覚悟をした。
 彼は自分で自分の勇気と胆力に驚ろいた。彼は今日迄、熱烈を厭ふ、危きに近寄り得ぬ、勝負事ぶごとを好まぬ、用心深い、太平の好紳士と自分を見傚してゐた。徳義上重大な意味の卑怯はまだ犯した事がないけれども、臆病と云ふ自覚はどうしてもかれの心から取り去る事が出来なかつた。
 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其なかのある号で、Mountainマウンテン Accidentsアクシデンツ と題する一篇につて、かつてこゝろおどろかした。それには高山をのぼる冒険者の、怪我あやまちが沢山にならべてあつた。登山の途中雪崩ゆきなだれにされて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年に氷河のさきへ引かゝつてた話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きなひら岩を越すとき、肩から肩の上へさるの様にかさなり合つて、最上の一人の手がいはの鼻へ掛かるや否や、いはくづれて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男のそばを遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何いくつとなく載せてあつた間に、錬瓦れんぐわかべ程急な山腹さんぷくに、蝙蝠かうもりの様にひ付いた人間にんげんを二三ヶ所点綴した挿画さしゑがあつた。其時代助は其絶壁のよこにある白い空間のあなたに、ひろそらや、遥かのたにを想像して、おそろしさから眩暈めまひを、あたまなかに再げんせずには居られなかつた。
 代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。けれどもみづから其場に臨んで見ると、ひるむ気は少しもなかつた。ひるんで猶予する方が彼に取つては幾倍の苦痛であつた。
 彼は一日いちじつも早くちゝに逢つてはなしをしたかつた。万一の差支を恐れて、三千代がた翌日、又電話を掛けて都合を聞き合せた。ちゝは留守だと云ふ返事を得た。つぎの日又問ひ合せたら、今度は差支があると云つてことわられた。其次には此方こちらから知らせる迄はるに及ばんといふ挨拶であつた。代助は命令通りひかえてゐた。其間あによめからもあにからも便たよりは一向なかつた。代助は始めはうちのものが、自分に出来る丈長い、反省再考の時間を与へるための策略ではあるまいかと推察して、平気に構へてゐた。三度の食事もうまつた。よるも比較的やすらかな夢を見た。あめ晴間はれまには門野かどのを連れて散歩を一二度した。然しうちからは使つかひ手紙てがみなかつた。代助は絶壁ぜつぺきの途中で休息する時間の長過ぎるのにやすからずなつた。仕舞に思ひ切つて、自分の方から青山へ出掛でかけて行つた。あには例の如く留守であつた。あによめは代助をて気の毒さうな顔をした。が、例の事件に就ては何にもかたらなかつた。代助の来意をいて、ではわたし一寸ちよつとおくつて御父おとうさんの御都合をうかゞつてませうと云つて立つた。梅子の態度は、ちゝの怒りから代助をかばう様にも見えた。又彼を疎外する様にもれた。代助は両方のいづれだらうかとわづらつて待つてゐた。待ちながらも、うせ覚悟の前だと何遍もくちのうちで繰り返した。
 奥から梅子が出て来る迄には、大分ひまかゝつた。代助を見て、又気の毒さうに、今日けふは御都合がわるいさうですよと云つた。代助は仕方なしに、何時いつたらからうかと尋ねた。固よりれいやうな元気はなく悄然とした問ひ振りであつた。梅子は代助の様子に同情の念を起した調子で、二三日中に屹度自分が責任を以て都合のい時日を知らせるから今日けふは帰れと云つた。代助が内玄関をる時、梅子はわざと送つてて、
今度こんだこそ能く考へて入らつしやいよ」と注意した。代助は返事もせずにもんた。


 帰る途中とちうも不愉快でたまらなかつた。此間このあひだ三千代につて以後、味はう事を知つた心の平和を、ちゝあによめの態度で幾分か破壊されたと云ふ心持が路々みち/\募つた。自分は自分の思ふ通りをちゝげる、ちゝちゝの考へを遠慮なく自分に洩らす、それで衝突する、衝突の結果はどうあらうとも潔よく自分で受ける。是が代助の予期であつた。ちゝ仕打しうちかれの予期以外に面白くないものであつた。其仕打はちゝの人格を反射する丈夫丈多く代助を不愉快にした。
 代助はみちすがら、なにくるしんで、ちゝとの会見を左迄に急いだものかと思ひした。元来がちゝの要求に対する自分の返事に過ぎないのだから、便宜は寧ろ、是を待ち受けるちゝの方にあるべき筈であつた。其ちゝがわざとらしく自分を避ける様にして、面会をばすならば、それは自己の問題を解決する時間が遅くなると云ふ不結果を生ずる外になにも起り様がない。代助は自分の未来に関する主要な部分は、もう既に片付かたづけて仕舞つたつもりでゐた。彼はちゝから時日を指定して呼びされる迄は、うちの方の所置を其儘にして放つて置く事に極めた。
 彼はいへに帰つた。ちゝに対しては只薄暗うすぐらい不愉快のかげあたまに残つてゐた。けれども此影は近き未来に於て必ず其くらさを増してくるべき性質のものであつた。其他には眼前に運命の二つの潮流を認めた。一つは三千代と自分が是から流れて行くべき方向を示してゐた。一つは平岡と自分を是非共一所にき込むべきすさまじいものであつた。代助は此間このあひだ三千代につたなりで、片片かたかたの方は捨てゝある。よしこれから三千代のかほを見るにした所で、――また長いあひだ見ずにゐる気はなかつたが、――二人ふたりの向後取るべき方針に就て云へば、当分は一歩も現在状態より踏み出す了見は持たなかつた。此点に関して、代助は我ながら明瞭な計画をこしらえてゐなかつた。平岡と自分とを運び去るべき将来に就ても、彼はたゞ何時いつ何事なにごとにでも用意ありと云ふ丈であつた。無論彼はを見て、積極的に働らき掛ける心組はあつた。けれども具体的な案は一つも準備しなかつた。あらゆる場合に於て、彼の決して仕損しそんじまいと誓つたのは、凡てを平岡に打ち明けると云ふ事であつた。従つて平岡と自分とで構成すべき運命の流はくろく恐ろしいものであつた。一つの心配は此恐ろしい暴風あらしなかから、如何にして三千代をすくひ得べきかの問題であつた。
 最後に彼の周囲を人間のあらんかぎつゝむ社会に対しては、彼は何の考も纏めなかつた。事実として、社会は制裁の権を有してゐた。けれども動機行為の権は全く自己の天分から湧いてるより外に道はないと信じた。かれは此点に於て、社会と自分との間には全く交渉のないものと認めて進行する気であつた。
 代助はかれちいさな世界の中心に立つて、かれの世界を斯様に観て、一順其関係比例をあたまの中で調べた上、
からう」と云つて、又いへを出た。さうして一二丁あるいて、乗りけの帳場迄て、奇麗ではやさうなやつを択んで飛びつた。何処どこへ行くあてもないのを好加減な町を名指なざして二時間程ぐる/\乗りまはしてかへつた。
 翌日も書斎のなかで前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応くまなく見渡したあと
よろしい」と云つてそとへ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\あるいて帰つた。
 三日目にも同じ事をり返した。が、今度は表へるや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へた。三千代は二人ふたりあひだに何事もおこらなかつたかの様に、
何故なぜそれから入らつしやらなかつたの」といた。代助は寧ろ其落ち付きはらつた態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据ゑてあつた蒲団を代助の前へ押しつて、
なんでそんなに、そわ/\してらつしやるの」と無理に其上そのうへすはらした。
 一時間ばかり話してゐるうちに、代助のあたまは次第におだやかになつた。くるまへ乗つて、あてもなく乗りまはすより、三十分でもいから、早く此所こゝへ遊びにればかつたと思ひ出した。帰るとき代助は、
「又ます。大丈夫だから安心してらつしやい」と三千代を慰める様に云つた。三千代はたゞ微笑した丈であつた。


 其夕方ゆふがた始めてちゝからの報知しらせに接した。其時代助は婆さんの給仕でめしつてゐた。茶碗を膳のうへへ置いて、門野かどのから手紙を受取つて読むと、明朝何時迄に御いでの事といふ文句があつた。代助は、
「御役所風だね」と云ひながら、わざと端書はがき門野かどのに見せた。門野かどのは、
青山あをやま御宅おたくからですか」と叮嚀に眺めてゐたが、別に云ふ事がないものだから、おもてを引つ繰り返して、
うもなんですな。むかしひとは矢っ張り手蹟い様ですな」と御世辞を置きりにして出て行つた。婆さんは先刻さつきからこよみはなしをしきりにてゐた。みづのえだのかのとだの、八朔だの友引ともびきだの、つめる日だの普請をする日だのと頗るうるさいものであつた。代助は固よりうはそらいてゐた。婆さんは又門野かどのしよくの事をたのんだ。十五円でもいから何方どつかしてつて呉れないかと云つた。代助は自分ながら、んな返事をしたかわからない位気にもめなかつた。たゞこゝろのうちでは、門野どころか、このおれあやしい位だと思つた。
 食事しよくじを終るや否や、本郷から寺尾がた。代助は門野のかほを見て暫らく考へてゐた。門野かどのは無雑作に、
ことわりますか」と聞いた。代助は此間から珍らしくあるくわいを一二回欠席した。来客もはないでむと思ふ分は両度程謝絶した。
 代助は思ひ切つて寺尾に逢つた。寺尾は何時いつもの様に、血眼ちまなこになつて、何かさがしてゐた。代助は其様子を見て、例の如く皮肉で持ち切る気にもなれなかつた。翻訳だらうが焼き直しだらうが、生きてゐるうちは何処どこ迄もる覚悟だから、寺尾の方がまだ自分より社会のらしく見えた。自分がもし失脚して、彼と同様の地位に置かれたら、果しての位の仕事に堪えるだらうと思ふと、代助は自分に対して気の毒になつた。さうして、自分が遠からず、かれよりもひどく失脚するのは、殆んど未発の事実の如くたしかだと諦めてゐたから、彼は侮蔑のを以て寺尾を迎へる訳には行かなかつた。
 寺尾は、此間の翻訳を漸くの事で月末迄に片付けたら、本屋の方で、都合が悪いから秋迄出版を見合せると云ひ出したので、すぐ労力をかねに換算する事が出来ずに、困つた結果つてたのであつた。では書肆と契約なしに手をけたのかとくと、全く左様さうでもないらしい。と云つて、本屋の方が丸で約束を無した様にも云はない。要するに曖昧であつた。たゞ困つてゐる事丈は事実らしかつた。けれどもう云ふ手違てちがひに慣れいた寺尾は、別に徳義問題として誰にも不満をいだいてゐる様には見えなかつた。失敬だとかしからんと云ふのは、たゞくち先許さきばかりで、はらなかの屈托は、全然めしにくに集注してゐるらしかつた。
 代助は気の毒になつて、当座の経済に幾分の補助を与へた。寺尾は感謝の意を表して帰つた。帰る前に、実は本屋からも少しは前借はしたんだが、それはとくむかし使つかつて仕舞つたんだと自白した。寺尾の帰つたあとで、代助はあゝ云ふのも一種の人格だと思つた。たゞう楽に活計くらしてゐたつて決してれる訳のものぢやない。今の所謂文壇が、あゝ云ふ人格を必要と認めて、自然に産み出した程、今の文壇は悲しむべき状況のもとに呻吟してゐるんではなからうかと考へて茫乎ぼんやりした。
 代助は其晩そのばん自分の前途をひどく気に掛けた。もしちゝから物質的に供給の道をとざされた時、彼は果して第二の寺尾になり得る決心があるだらうかをうたぐつた。もし筆を執つて寺尾の真似さへ出来なかつたなら、彼は当然餓死すべきである。もし筆をらなかつたら、彼は何をする能力があるだらう。
 彼はけて時々とき/″\蚊帳かやそといてある洋燈ランプを眺めた。夜中よなか燐寸マツチつて烟草たばこかした。寐返りを何遍も打つた。固より苦しい程暑い晩ではなかつた。雨が又ざあ/\とつた。代助は此雨のおと付くかと思ふと、又雨のおとで不意にました。夜は半醒半睡のうちに明け離れた。


 定刻ていこくになつて、代助は出掛でかけた。足駄穿あしだばき雨傘あまがさげて電車につたが、一方のまどつてあるうへに、革紐かはひもにぶらがつてゐるひとが一杯なので、しばらくするとむねがむかついて、あたまおもくなつた。睡眠不足が影響したらしく思はれるので、を窮屈にばして、自分のうしろ丈をはなつた。雨は容赦なく襟から帽子にけた。二三分ののちとなりひとの迷惑さうなかほに気がいて、又もとの通りに硝子窓がらすまどげた。硝子がらす表側おもてがはには、はぢけたあめたまたまつて、往来が多少ゆがんで見えた。代助はくびからうへげて外面そとけながら、いくたびか自分のすつた。然し何遍こすつても、世界の恰好が少し変つてたと云ふ自覚が取れなかつた。硝子がらすとほしてなゝめに遠方をかして見るときは猶左様さういふ感じがした。
 弁慶橋べんけいばしで乗りえてからは、人もまばらに、雨も小降こぶりになつた。あたまらくれた世のなかを眺める事が出来できた。けれども機嫌きげんわるちゝかほが、色々な表情を以てかれの脳髄を刺戟した。想像の談話さへあきらかに耳にひゞいた。
 玄関をあがつて、奥へ通るまへに、例の如く一応あによめに逢つた。あによめは、
「鬱陶しい御天気ぢやありませんか」と愛想よく自分で茶を汲んで呉れた。然し代助は飲む気にもならなかつた。
御父おとうさんが待つて御出おいででせうから、一寸ちよつとつてはなしをしてませう」と立ちけた。あによめは不安らしいかほをして、
「代さん、らう事なら、年寄としよりに心配を掛けない様になさいよ。御父おとうさんだつて、もうながい事はありませんから」と云つた。代助は梅子のくちから、こんな陰気な言葉をくのは始めてであつた。不意に穴倉あなぐらちた様な心持がした。
 ちゝは烟草盆を前に控えて、俯向うつむいてゐた。代助の足音をいてもかほげなかつた。代助はちゝまへて、叮嚀に御辞儀をした。さだめて六づかしい眼付めつきをされると思ひの外、ちゝは存外おだやかなもので、
るのに御苦労だつた」といたはつて呉れた。其時始めて気がいて見ると、ちゝほゝ何時いつにかぐつとけてゐた。元来がにくの多い方だつたので、此変化が代助には余計目立つて見えた。代助は覚えず、
うかさいましたか」と聞いた。
 ちゝおやらしいいろ一寸ちよつとかほうごかした丈で、別に代助の心配をものにする様子もなかつたが、少時しばらくはなしてゐるうちに、
おれ大分だいぶとしを取つてな」と云ひした。其調子が何時いつものちゝとは全くちがつてゐたので、代助は最前あによめの云つた事を愈重く見なければならなくなつた。
 ちゝとし所為せゐで健康の衰へたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助にらした。けれども今は日露戦争後の商工業膨脹の反動を受けて、自分の経営にかゝる事業が不景気の極端に達してゐる最中さいちうだから、此難関をぎ抜けたうへでなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分已を得ずに辛抱してゐるより外に仕方がないのだと云ふ事情を委しく話した。代助はちゝの言葉を至極尤もだと思つた。
 ちゝは普通の実業なるものゝ困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者のこゝろの苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主ぢぬしの、一見地味ぢみであつて、其実自分等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事を述べた。さうして、此比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させやうと力めた。
「さう云ふ親類が一軒位あるのは、大変な便利で、且つ此際このさい甚だ必要ぢやないか」と云つた。代助は、ちゝとしては寧ろ露骨過ぎる此政略的結婚の申しいでに対して、今更驚ろく程、始めからちゝを買ひ被つてはゐなかつた。最後の会見に、ちゝが従来の仮面かめんいでかつたのを、寧ろこゝろよく感じた。彼自身かれじしんも、んな意味の結婚を敢てし得る程度の人間にんげんだとみづか見積みつもつてゐた。
 其上そのうへちゝに対して何時いつにない同情があつた。其かほ、其こえ、其代助を動かさうとする努力、凡てに老後の憐れを認める事が出来た。代助はこれをも、父の策略とは受取り得なかつた。わたくしうでもう御座いますから、貴方あなたの御都合のい様に御めなさいと云ひたかつた。


 けれども三千代と最後の会見くわいけんげた今更いまさらちゝの意にかなふ様な当座の孝行は代助には出来かねた。彼は元来が何方付どつちつかずの男であつた。だれの命令も文字通りに拝承した事のない代りには、だれの意見にもむきに抵抗した試がなかつた。解釈のしやうでは、策士の態度とも取れ、優柔の生れつきとも思はれる遣口やりくちであつた。かれ自身さへ、此二つの非難のいづれをいた時に、左様さうかも知れないと、はらなかくびひねらぬわけにはかなかつた。然し其原因の大部分は策略でもなく、優柔でもなく、寧ろかれに融通のふたつのいてゐて、双方を一時にる便宜を有してゐたからであつた。かれは此能力の為に、今日迄一図にものに向つて突進する勇気をくぢかれた。即かず離れず現状に立ちすくんでゐる事がしば/\あつた。此現状維持の外観が、思慮の欠乏から生ずるのでなくて、却つて明白な判断に本いて起ると云ふ事実は、かれが犯すべからざる敢為の気象を以て、彼の信ずる所を断行した時に、彼自身にも始めてわかつたのである。三千代の場合は、即ち其適例てきれいであつた。
 彼は三千代の前に告白したおのれを、ちゝの前で白紙にしやうとはおもいたらなかつた。同時にちゝに対しては、しんから気の毒であつた。平生の代助が此際に執るべき方針は云はずしてあきらかであつた。三千代との関係を撤回する不便なしに、父に満足を与へるための結婚を承諾するにほかならなかつた。代助はくして双方を調和する事が出来できた。何方付どつちつかずに真中まんなかつて、煮え切らずに前進する事は容易であつた。けれども、いまかれは、不断ふだんの彼とはおもむきを異にしてゐた。再び半身を埒外らつぐわいぬきんでて、余人と握手するのは既におそかつた。彼は三千代に対する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念はなかあたまの判断からた。半ばこゝろの憧憬からた。二つのものが大きななみの如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生れ変つた様にちゝの前につた。
 かれは平生の代助の如く、成る可く口数くちかずかずにひかえてゐた。ちゝから見れば何時いつもの代助と異なる所はなかつた。代助の方では却つてちゝかはつてゐるのに驚ろいた。実は此間から幾度いくたびも会見を謝絶されたのも、自分がちゝの意志に背くおそれがあるからちゝの方でわざと、ばしたものと推してゐた。今日けふつたら、定めてにがい顔をされる事と覚悟をめてゐた。ことによれば、あたまからしかばされるかも知れないと思つた。代助には寧ろ其方そのほうが都合がかつた。三いちは、ちゝ暴怒ぼうどに対する自己の反動を、心理的に利用して、判然きつぱりことわらうと云ふ下心したごゝろさへあつた。代助はちゝの様子、ちゝの言葉つかひ、父の主意、凡てが予期に反して、自分の決心をにぶらせる傾向にたのを心苦しく思つた。けれども彼は此心苦こゝろぐるしさにさへ打ち勝つべき決心をたくはへた。
貴方あなたおつしやる所は一々いち/\御尤もだと思ひますが、わたくしには結婚を承諾する程の勇気がありませんから、ことわるより外に仕方がなからうと思ひます」ととう/\云つて仕舞つた。其時ちゝはたゞ代助のかほを見てゐた。やゝあつて、
「勇気がるのかい」と手につてゐた烟管きせるたゝみうへほうした。代助は膝頭ひざがしらを見詰めてだまつてゐた。
「当人が気に入らないのかい」と父が又いた。代助は猶返事をしなかつた。彼は今迄ちゝに対しておのれの四半分も打ちけてはゐなかつた。その御かげちゝと平和の関係を漸く持続してた。けれども三千代の事丈は始めから決してかくす気はなかつた。自分のあたまうへに当然落ちかゝるべき結果を、策でける卑怯が面白くなかつたからである。彼はたゞ自白の期に達してゐないと考へた。従つて三千代の名は丸でくちへはさなかつた。ちゝは最後に、
「ぢやなんでも御前おまへの勝手にするさ」と云つてにがかほをした。
 代助も不愉快であつた。然し仕方がないから、礼をしてちゝまへ退がらうとした。ときにちゝは呼びめて、
おれの方でも、もう御前おまへの世話はせんから」と云つた。座敷へ帰つた時、梅子は待ち構へた様に、
うなすつて」と聞いた。代助は答へ様もなかつた。


 翌日あくるひめても代助の耳のそこにはちゝの最後の言葉がつてゐた。かれは前後の事情から、平生以上のおもみを其内容に附着しなければならなかつた。すくなくとも、自分丈では、ちゝから受ける物質的の供給がもう絶えたものと覚悟する必要があつた。代助の尤も恐るゝ時期は近づいた。ちゝの機嫌を取りもどすには、今度の結婚を断るにしても、あらゆる結婚に反対してはならなかつた。あらゆる結婚に反対しても、ちゝ首肯うなづかせるに足る程の理由を、明白に述べなければならなかつた。代助に取つては二つのうちいづれも不可能であつた。人生に対する自家の哲学フヒロソフヒーの根本に触れる問題に就いて、ちゝを欺くのは猶更不可能であつた。代助は昨日きのふの会見を回顧して、凡てが進むべき方向に進んだとしか考へ得なかつた。けれども恐ろしかつた。自己が自己に自然な因果を発展させながら、其因果のおもみを脊中せなかしよつて、高い絶壁のはじ迄押し出された様な心持であつた。
 かれは第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思つた。けれどもかれあたまなかには職業と云ふ文字がある丈で、職業其物は体を具えてあらはれてなかつた。彼は今日迄如何なる職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業を想ひうかべて見ても、たゞ其上そのうへ上滑うはすべりにすべつて行く丈で、なかみ込んで内部から考へる事は到底出来なかつた。彼には世間がひらたい複雑な色分いろわけの如くに見えた。さうしてかれ自身は何等のいろを帯びてゐないとしか考へられなかつた。
 凡ての職業を見渡したのちかれは漂泊者のうへて、そこでまつた。彼はあきらかに自分の影を、犬とひとさかいまよ乞食こつじきむれなかに見いだした。生活の堕落は精神の自由を殺す点に於て彼の尤も苦痛とする所であつた。彼は自分の肉体に、あらゆる醜穢しうえり付けたあと、自分のこゝろの状態が如何に落魄するだらうと考へて、ぞつと身振みぶるひをした。
 此落魄のうちに、彼は三千代を引張りまはさなければならなかつた。三千代は精神的に云つて、既に平岡の所有ではなかつた。代助は死に至る迄彼女かのをんなに対して責任を負ふ積であつた。けれども相当の地位をつてゐる人の不実ふじつと、零落れいらくの極に達した人の親切とは、結果に於てたいした差違はないと今更ながら思はれた。死ぬ迄三千代に対して責任を負ふと云ふのは、ふ目的があるといふ迄で、つた事実には決してなれなかつた。代助は惘然もうぜんとして黒内障そこひかゝつた人の如くに自失した。
 かれは又三千代をたづねた。三千代は前日ぜんじつの如くしづかいてゐた。微笑ほゝえみ光輝かゞやきとにちてゐた。春風はるかぜはゆたかに彼女かのをんなまゆを吹いた。代助は三千代がおのれを挙げて自分に信頼してゐる事を知つた。其証拠を又のあたりに見た時、かれ愛憐あいれんの情と気の毒の念に堪えなかつた。さうして自己を悪漢の如くに呵責かしやくした。思ふ事は全く云ひそびれて仕舞つた。帰るとき、
「又都合してうちませんか」と云つた。三千代はえゝと首肯うなづいて微笑した。代助は身をられる程つらかつた。
 代助は此間このあひだから三千代を訪問するごとに、不愉快ながら平岡のない時をえらまなければならなかつた。始めはそれを左程にも思はなかつたが、近頃では不愉快と云ふよりも寧ろ、行きにくい度が日毎に強くなつてた。其上そのうへ留守の訪問がかさなれば、下女に不審を起させる恐れがあつた。気の所為せゐか、茶をはこぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付めつきをして、見られる様でならなかつた。然し三千代は全く知らぬ顔をしてゐた。すくなくとも上部うはべ丈は平気であつた。
 平岡との関係に就ては、無論詳しく尋ねる機会もなかつた。たま一言二言ひとことふたことそれとなく問を掛けて見ても、三千代は寧ろ応じなかつた。たゞ代助の顔をれば、見てゐる其間そのあひだ丈のうれしさにおぼつくすのが自然の傾向であるかの如くに思はれた。前後を取りかこむ黒い雲が、今にもせまつて来はしまいかと云ふ心配は、かげではいざ知らず、代助のまへにはかげさへ見せなかつた。三千代は元来神経質の女であつた。昨今の態度は、うしても此女の手際ではないと思ふと、三千代の周囲の事情が、まだ夫程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなつたのだと解釈せざるを得なかつた。
「すこし又話したい事があるからください」と前よりは稍真面目に云つて代助は三千代と別れた。


 中二日なかふつかいて三千代がる迄、代助のあたまは何等のあたらしいみちを開拓し得なかつた。かれあたまなかには職業の二字が大きな楷書かいしよで焼きけられてゐた。それを退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踊りくるつた。それが影をかくすと、三千代の未来がすさまじく荒れた。かれあたまには不安の旋風つむじが吹き込んだ。三つのものがともえの如く瞬時のやすみなく回転した。其結果として、彼の周囲が悉く回転しだした。かれふねに乗つたひとと一般であつた。回転するあたまと、回転する世界のなかに、依然として落ち付いてゐた。
 青山あをやまうちからは何の消息もなかつた。代助は固よりそれを予期してゐなかつた。彼はつとめて門野を相手にして他愛ない雑談にふけつた。門野は此暑さに自分の身体からだを持ち扱つてゐる位、用のない男であつたから、頗る得意に代助の思ふ通りくちうごかした。それでも話し草臥くたびれると、
「先生、将棋はうです」抔と持ち掛けた。夕方ゆふがたにはにはに水をつた。二人ふたり跣足はだしになつて、手桶を一杯づゝつて、無分別に其所等そこいららしてあるいた。門野かどのとなりの梧桐の天辺てつぺんみづにして御目にかけると云つて、手桶の底を振りげる拍子に、すべつて尻持をいた。白粉草おしろいそうが垣根のそばで花を着けた。手水鉢のかげえた秋海棠の葉がいちゞるしく大きくなつた。梅雨つゆは漸く晴れて、昼はくもみねの世界となつた。強いは大きなそらとほす程焼いて、そら一杯の熱を地上に射り付ける天気となつた。
 代助はに入つてあたまうへの星ばかりながめてゐた。あさは書斎に這入つた。二三日は朝から蝉の声がきこえる様になつた。風呂場へ行つて、度々たび/\あたまひやした。すると門野がもうい時分だと思つて、
うも非常な暑さですな」と云つて、這入つてた。代助はう云ふうはそらの生活を二日程おくつた。三日目の日盛ひざかりに、彼は書斎のなかから、ぎら/\するそらいろ見詰みつめて、うへからおろほのほいきいだ時に、非常に恐ろしくなつた。それはかれの精神が此猛烈なる気候から永久の変化を受けつゝあると考へたためであつた。
 三千代は此暑このあつさおかして前日ぜんじつやくんだ。代助は女のこえを聞き付けた時、自分で玄関迄飛びした。三千代はかさをつぼめて、風呂敷づゝみを抱へて、格子のそとつてゐた。不断着ふだんぎまゝうちたと見えて、質素しつそ白地しろぢ浴衣ゆかたたもとから手帛はんけちを出しけた所であつた。代助は其姿そのすがた一目ひとめ見た時、運命が三千代の未来を切りいて、意地悪く自分の眼の前に持つてた様に感じた。われ知らず、笑ひながら、
馳落かけおちでもしさうな風ぢやありませんか」と云つた。三千代はおだやかに、
「でも買物をした序でないとあがにくいから」と真面目な答をして、代助のあといて奥迄這入つてた。代助はすぐ団扇をした。照り付けられた所為せゐで三千代のほゝが心持よくかゞやいた。何時いつものつかれた色は何処どこにも見えなかつた。なかにもわかつや宿やどつてゐた。代助は生々いき/\した此美くしさに、自己の感覚を溺らして、しばらくは何事も忘れて仕舞つた。が、やがて、此美くしさを冥々のうちに打ち崩しつゝあるものは自分であると考へしたらかなしくなつた。彼は今日けふも此うつくしさの一部分を曇らすために三千代を呼んだにちがひなかつた。
 代助は幾たびか己れを語る事を※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇した。自分の前に、これ程幸福に見える若い女を、まゆ一筋ひとすぢにしろ心配のためうごかさせるのは、代助から云ふと非常な不徳義であつた。もし三千代に対する義務の心が、彼の胸のうちにするどく働らいてゐなかつたなら、彼はそれから以後の事情を打ち明ける事の代りに、先達ての告白を再び同じへやのうちに繰り返して、単純なる愛の快感のもとに、一切いつさいを放擲して仕舞つたかも知れなかつた。
 代助は漸くにして思ひ切つた。
其後そのご貴方あなたと平岡との関係は別に変りはありませんか」
 三千代は此問を受けた時でも、依然として幸福であつた。
「あつたつて、かまはないわ」
貴方あなたは夫程僕を信用してゐるんですか」
「信用してゐなくつちや、うして居られないぢやありませんか」
 代助は目映まぼしさうに、あつかゞみの様な遠いそらながめた。


「僕には夫程信用される資格がなささうだ」と笑しながら答へたが、あたまなか焙炉ほいろの如く火照ほてつてゐた。然し三千代は気にもからなかつたと見えて、何故なぜともき返さなかつた。たゞ簡単に、
「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。代助は真面目まじめになつた。
「僕は白状するが、実を云ふと、平岡君よりたよりにならない男なんですよ。買ひ被つてゐられると困るから、みんなはなして仕舞ふが」と前置まへおきをして、それから自分とちゝとの今日迄の関係を詳しくべたうへ
「僕の身分みぶんは是からさきうなるかわからない。すくなくとも当分は一人前いちにんまへぢやない。半人前にもなれない。だから」と云ひよどんだ。
「だから、うなさるんです」
「だから、僕の思ふ通り、貴方あなたに対して責任が尽せないだらうと心配してゐるんです」
「責任つて、んな責任なの。もつと判然はつきりおつしやらなくつちやわからないわ」
 代助は平生から物質的状況に重きを置くの結果、たゞ貧苦が愛人の満足にあたひしないと云ふ事丈を知つてゐた。だからとみが三千代に対する責任の一つと考へたのみで、それよりほかに明らかな観念は丸で持つてゐなかつた。
「徳義上の責任ぢやない、物質上の責任です」
「そんなものはしくないわ」
しくないとつたつて、是非必要になるんです。是からさき僕が貴方あなたんなあたらしい関係に移つて行くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」
「解決者でもなんでも、今更いまさら左様そんな事を気にしたつて仕方がないわ」
くちではさうも云へるが、いざと云ふ場合になると困るのはに見えてゐます」
 三千代は少しいろへた。
いま貴方あなた御父様おとうさま御話おはなしうかゞつて見ると、うなるのは始めからわかつてるぢやありませんか。貴方あなただつて、其位な事はうから気がいていらつしやる筈だと思ひますわ」
 代助は返事が出来なかつた。あたまを抑えて、
「少し脳がうかしてゐるんだ」とひとごとの様に云つた。三千代は少しなみだぐんだ。
「もし、それが気になるなら、わたくしの方はうでも御座ござんすから、御父様おとうさまなか直りをなすつて、今迄通り御交際つきあひになつたらいぢやありませんか」
 代助は急に三千代の手頸てくびにぎつてそれをる様に力を入れて云つた。――
「そんな事をなら始めから心配をしやしない。たゞ気の毒だから貴方あなたあやまるんです」
あやまるなんて」と三千代は声をふるはしながらさへぎつた。「わたくし源因もと左様さうなつたのに、貴方あなたあやまらしちやまないぢやありませんか」
 三千代は声をてゝ泣いた。代助は慰撫なだめる様に、
「ぢや我慢しますか」といた。
「我慢はしません。当りまへですもの」
「是からさきまだ変化がありますよ」
「ある事は承知してゐます。んな変化があつたつて構やしません。わたくし此間このあひだから、――此間このあひだからわたくしは、もしもの事があれば、死ぬ積で覚悟をめてゐるんですもの」
 代助は慄然りつぜんとしておののいた。
貴方あなたこれからさきどうしたらいと云ふ希望はありませんか」と聞いた。
「希望なんかいわ。なんでも貴方あなたの云ふ通りになるわ」
「漂はく――」
「漂泊でもいわ。死ねとおつしやれば死ぬわ」
 代助は又ぞつとした。
此儘このまゝでは」
此儘このまゝでも構はないわ」
「平岡君は全く気がいてゐない様ですか」
「気がいてゐるかも知れません。けれどもわたくしもう度胸を据ゑてゐるから大丈夫なのよ。だつて何時いつころされたつていんですもの」
「さう死ぬの殺されるのとやすつぽく云ふものぢやない」
「だつて、ほうつていたつて、ながく生きられる身体からだぢやないぢやありませんか」
 代助はかたくなつて、すくむが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里ヒステリ発作ほつさおそはれた様に思ひ切つていた。


 一仕切ひとしきりつと、発作ほつさは次第におさまつた。あといつもの通りしづかな、しとやかな、奥行おくゆきのある、うつくしい女になつた。眉のあたりが殊にはれ/″\しく見えた。其時代助は、
「僕が自分で平岡君に逢つて解決をけても御座ござんすか」といた。
「そんな事が出来て」と三千代は驚ろいた様であつた。代助は、
「出来るつもりです」としつかり答へた。
「ぢや、うでも」と三千代が云つた。
「さうしませう。二人ふたりが平岡君をあざむいて事をするのはくない様だ。無論事実を能く納得出来できる様にはなす丈です。さうして、僕のわるい所はちやんとあやまる覚悟です。其結果は僕の思ふ様にかないかも知れない。けれども間違まちがつたつて、そんな無暗な事は起らない様にするつもりです。中途半端ちうとはんぱにしてゐては、御互も苦痛だし、平岡君に対してもわるい。たゞ僕が思ひ切つて左様さうすると、あなたが、さぞ平岡君に面目なからうと思つてね。其所そこが御気の毒なんだが、然し面目ないと云へば、僕だつて面目ないんだから。自分の所為に対しては、如何に面目なくつても、徳義上の責任を負ふのが当然だとすれば、ほかに何等の利益がないとしても、御互の間にあつた事丈は平岡君に話さなければならないでせう。其上今の場合では是からの所置をける大事の自白なんだから、猶更必要になると思ひます」
「能くわかりましたわ。うせ間違まちがへば死ぬ積なんですから」
「死ぬなんて。――よし死ぬにしたつて、是からさきくらゐあひだがあるか――又そんな危険がある位なら、なんで平岡君に僕から話すもんですか」
 三千代は又泣きした。
「ぢやあやまります」
 代助はの傾くのをつて三千代をかへした。然し此前の時の様におくつてはかなかつた。一時間程書斎の中で蝉の声をいてくらした。三千代に逢つて自分の未来を打ち明けてから、気分が薩張りした。平岡へ手紙をいて、会見の都合を聞き合せ様として、筆を持つて見たが、急に責任の重いのが苦になつて、拝啓以後を書きつゞける勇気が出なかつた。卒然、襯衣しやつ一枚になつて素足で庭へした。三千代が帰る時は正体なく午睡ひるねをしてゐた門野かどのが、
「まだ早いぢやありませんか。日が当つてゐますぜ」と云ひながら、坊主あたまを両手で抑えて椽端にあらはれた。代助は返事もせずに、庭の隅へもぐり込んで竹の落葉おちばを前の方へ掃きした。門野かどのも已を得ず着物きものいでりてた。
 狭い庭だけれども、つちかはいてゐるので、たつぷり濡らすには大分だいぶん骨が折れた。代助はうでいたいと云つて、好加減いゝかげんにして足をいてあがつた。烟草たばこいて、椽側に休んでゐると、門野が其姿をて、
「先生心臓の鼓動が少々くるやしませんか」としたから調戯からかつた。
 晩には門野かどのれて、神楽坂の縁日へ掛けて、秋草あきくさを二鉢三鉢買つてて、つゆりるのきそとならべていた。夜は深くそらたかかつた。星のいろしげひかつた。
 代助は其晩わざと雨戸あまどかずにた。用心と云ふ恐れがかれあたまには全くかつた。彼は洋燈ランプして、蚊帳かやなかひと寐転ねころびながら、くらい所から暗いそらかして見た。あたまなかにはひるの事があざやかにかゞやいた。もう二三にちのうちには最後の解決が出来できると思つて幾たびむねおどらせた。が、そのうちおほいなるそらと、大いなるゆめのうちに、吾知らず吸収された。
 翌日のあさ彼は思ひ切つて平岡へ手紙をした。たゞ、内々で少し話したい事があるが、君の都合を知らせてもらひたい。此方こつち何時いつでも差支ない。と書いた丈だが、かれはわざとそれを封書にした。状袋ののり湿めして、赤い切手をとんとつた時には、愈クライシスに証券を与へた様な気がした。彼は門野かどのに云ひ付けて、此運命の使つかひを郵便ばこげ込ました。手わたしにする時、少し手先がふるへたが、渡したあとでは却つて茫然として自失した。三年前三千代と平岡のあひだつて斡旋あつせんの労を取つた事を追想すると丸で夢の様であつた。


 翌日よくじつは平岡の返事を心待こゝろまちらした。其あくる日もあてにして終日しうじつうちにゐた。三日みつか四日よつかつた。が、ひら岡からは何の便たよりもなかつた。其中そのうち例月れいげつの通り、青山あをやまかねもらひに行くべきた。代助の懐中くわいちうは甚だ手薄てうすになつた。代助は此前ちゝつた時以後、もううちからは補助を受けられないものと覚悟をめてゐた。今更平気なかほをして、のそ/\出掛でかけて行く了見は丸でなかつた。なに二ヶ月や三ヶ月は、書物か衣類を売り払つてもうかなるとはらなかたかくゝつて落ちいてゐた。ことの落着次第ゆつくり職業をさがすと云ふ分別もあつた。かれは平生からひとのよく口癖くちくせにする、人間は容易なことで餓死するものぢやない、うにかなつて行くものだと云ふ半諺はんことわざの真理を、経験しない前からしんした。
 五日いつか目にあつさおかして、電車へつて、平岡の社迄出掛でかけて行つて見て、平岡は二三日出社しないと云ふ事がわかつた。代助は表へ出て薄汚うすぎたない編輯局の窓を見上みあげながら、あしを運ぶ前に、一応電話で聞きあはすべき筈だつたと思つた。先達ての手紙は、果して平岡の手に渡つたかどうか、それさへうたがはしくなつた。代助はわざと新聞社宛でそれをしたからである。帰りに神田へまはつて、買ひつけの古本ふるほん屋に、売払ひたい不用の書物があるから、てくれろとたのんだ。
 其ばんみづつ勇気もせて、ぼんやり、白い網襯衣あみしやつた門野の姿すがたながめてゐた。
「先生今日けふ御疲おつかれですか」と門野かどの馬尻ばけつを鳴らしながら云つた。代助の胸は不安ふあんされて、あきらかな返事もなかつた。夕食ゆふめしのとき、めしあぢは殆んどなかつた。み込む様に咽喉のどとほして、はしげた。門野かどのを呼んで、
「君、平岡の所へ行つてね、先達せんだつての手紙は御覧になりましたか。御覧になつたら、御返事を願ひますつて、返事を聞いてて呉れ玉へ」とたのんだ。猶要領を得ぬおそれがありさうなので、先達てこれ/\の手紙を新聞社の方へ出して置いたのだと云ふ事迄説明してかした。
 門野かどのしたあとで、代助は椽側にて、椅子に腰をけた。門野かどのの帰つた時は、洋燈ランプして、くらなかじつとしてゐた。門野かどのくらがりで、
つて参りました」と挨拶をした。「平岡さんは御居おゐでゞした。手紙は御覧になつたさうです。明日あしたあさくからといふ事です」
左様さうかい、御苦労さま」と代助は答へた。
じつはもつと早くるんだつたが、うちに病人が出来たんでおそくなつたから、よろしく云つてくれろと云はれました」
「病人?」と代助は思はずかへした。門野かどのくらなかで、
「えゝ、何でも奥さんが御悪おわるい様です」と答へた。門野のてゐる白地の浴衣ゆかた丈がぼんやり代助のつた。よるあかりは二人ふたりの顔を照らすには余り不充分であつた。代助はけてゐる椅子の肱掛ひぢかけを両手でにぎつた。
「余程わるいのか」と強く聞いた。
うですか、能くわかりませんが。なんでもさうかるさうでもない様でした。然し平岡さんが明日あした御出おいでになられる位なんだから、たいしたことぢやないでせう」
 代助は少し安心した。
「何だい。病気は」
「ついおとしましたがな」
 二人ふたりの問答はそれえた。門野かどのくらい廊下を引き返して、自分の部屋へ這入つた。しづかに聞いてゐると、しばらくして、洋燈ランプかさをホヤにつけるおとがした。門野は灯火あかりけたと見えた。
 代助はなかに猶じつとしてゐた。じつとしてゐながら、むねがわく/\した。にぎつてゐる肱掛ひぢかけに、手からあぶらた。代助は又手を鳴らして門野を呼び出した。門野かどののぼんやりした白地しろぢが又廊下のはづれにあらはれた。
「まだ暗闇くらやみですな。洋燈ランプけますか」と聞いた。代助は洋燈ランプことわつて、もう一度いちど、三千代の病気を尋ねた。看護婦の有無やら、平岡の様子やら、新聞社を休んだのは、細君の病気のためだか、うだか、と云ふ点に至る迄、考へられる丈問ひ尽した。けれども門野の答は必竟前と同じ事を繰り返すのみであつた。でなければ、好加減なあてずつぽうに過ぎなかつた。それでも、代助には一人ひとりで黙つてゐるよりもこらやすかつた。


 まへ門野かどのが夜中投函から手紙を一本してた。代助は暗いうちでそれを受取うけとつた儘、べつに見様ともしなかつた。門野かどのは、
御宅おたくからの様です。灯火あかりつてませうか」とうながす如くに注意した。
 代助は始めて洋燈ランプを書斎に入れさして、其下そのしたで、状袋の封をつた。手紙は梅子から自分にてた可なり長いものであつた。――
「此間から奥さんの事で貴方あなたさぞ御迷惑なすつたらう。此方こつちでも御父おとう様始めにいさんや、わたくしは随分心配をしました。けれども其甲斐もなく先達て御いでとき、とう/\御父おとうさんに断然御ことわりなすつた御様子、甚だ残念ながら、今では仕方がないとあきらめてゐます。けれども其節御父様は、もう御前の事は構はないから、其積でゐろと御怒りなされた由、あとで承りました。其のちあなたが御出おいでにならないのも、全く其ためぢやなからうかと思つてゐます。例月のものをげるにはうかとも思ひましたが、矢張り御いでにならないので、心配してゐます。御父さんは打遣うちやつて置けと仰います。兄さんは例の通り呑気で、困つたら其うちるだらう。其時親爺おやぢによくあやまらせるがい。もしない様だつたら、おれの方から行つてよく異見してやると云つてゐます。けれども、結婚の事は三人とももう断念してゐるんですから、其点では御迷惑になる様な事はありますまい。尤も御父さんはおこつて御いでの様子です。私の考では当分むかしの通りになる事は、六づかしいと思ひます。それを考へると、貴方あなたが入らつしやらない方が却つて貴方あなたためいかも知れません。たゞ心配になるのは月々げる御かねの事です。貴方あなたの事だから、さう急に自分で御かねを取る気遣はなからうと思ふと、差し当り御困りになるのが眼の前に見える様で、御気の毒でたまりません。で、私の取計で例月分を送つてげるから、御受取の上は是で来月迄持ちこたへて入らつしやい。其うちには御父さんの御機嫌もなほるでせう。又にいさんからも、さう云つて頂く積です。わたくしをりがあれば、御わびをしてげます。それ迄は今迄通り遠慮して入らつしやる方がう御座います。……」
 まだあとが大分あつたが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかつた。代助はなかに這入つてゐた小切手を引きいて、手紙丈をもう一遍よく読み直したうへ、丁寧に元の如くに巻き収めて、無言の感謝を改めてあによめに致した。梅子よりと書いた字は寧ろ拙であつた。手紙の体の言文一致なのは、かねて代助の勧めた通りを用ひたのであつた。
 代助は洋燈ランプの前にある封筒を、猶つくづくとながめた。ふる寿じゆ命が又一ヶ月びた。おそかれ早かれ、自己を新たにする必要のある代助には、あによめの志は難有いにもせよ、却つて毒になるばかりであつた。たゞ平岡と事を決する前は、麺麭パンために働らく事をうけがはぬ心を持つてゐたから、あによめ贈物おくりものが、此際このさい糧食としてことに彼にはたつとかつた。
 其晩も蚊帳へ這入はいる前にふつと、洋燈ランプした。雨戸あまど門野かどのてにたから、故障も云はずに、其まゝにして置いた。硝子戸がらすどだから、戸越とごしにもそらは見えた。たゞ昨夕ゆふべよりくらかつた。くもつたのかと思つて、わざ/\椽側迄て、かす様にしてのきを仰ぐと、ひかるものがすぢを引いてなゝめにそらを流れた。代助は又蚊帳かやまくつて這入つた。寐付ねつかれないので団扇をはたはた云はせた。
 いへの事は左のみ気にからなかつた。職業もなるが儘になれと度胸を据ゑた。たゞ三千代の病気と、其源因と其結果が、ひどく代助のあたまなやました。それから平岡との会見の様子も、様々さま/″\に想像して見た。それも一方ひとかたならずかれの脳髄を刺激した。平岡は明日あしたの朝九時ごろあんまり暑くならないうちにるといふ伝言であつた。代助は固より、平岡に向つてう切りさう抔と形式的の文句を考へるをとこではなかつた。話す事は始めからきまつてゐて、話す順序は其時の様次第だから、決して心配にはならなかつたが、たゞ成る可く穏かに自分の思ふ事が向ふに徹する様にしたかつた。それで過度の興奮を忌んで、一夜の安静を切に冀つた。成るべく熟睡じゆくすいしたいと心掛けてまぶたを合せたが、生憎眼が冴えて昨夕ゆふべよりは却つて苦しかつた。其うち夏の夜がぽうとしらわたつてた。代助はたまりかねて跳ね起きた。跣足はだしで庭先へ飛び下りて冷たいつゆを存分に踏んだ。夫から又椽側の籐椅子に倚つて、日のを待つてゐるうちに、うと/\した。


 門野かどの寐惚ねぼまなここすりながら、雨戸あまどけにた時、代助ははつとして、此仮睡うたゝねからめた。世界の半面はもう赤いあらはれてゐた。
「大変御早うがすな」と門野が驚ろいて云つた。代助はすぐ風呂場へ行つて水をびた。朝飯あさめしはずに只紅茶を一杯飲んだ。新聞を見たが、殆んど何がいてあるかわからなかつた。読むに従つて、んだ事がむらがつて消えてつた。たゞ時計の針ばかりが気になつた。平岡がる迄にはまだ二時間あまりあつた。代助は其あひだうしてらさうかと思つた。じつとしてはゐられなかつた。けれども何をしても手にかなかつた。めて此二時間をぐつと寐込んで、けて見ると、自分の前に平岡がてゐる様にしたかつた。
 仕舞に何か用事を考へさうとした。不図机のうへせてあつた梅子の封筒がいた。代助は是だと思つて、強いて机の前にすはつて、あによめへ謝状をいた。成るべく叮嚀に書く積であつたが、状袋へ入れて宛名迄したゝめて仕舞つて、時計を眺めると、たつた十五分程しかつてゐなかつた。代助はせきいた儘、やすからぬくうに据ゑて、あたまなかで何かさがす様に見えた。が、急に起つた。
「平岡がたら、すぐかへるからつて、すこたして置いて呉れ」と門野かどのに云ひいて表へた。強い日が正面から射竦ゐすくめる様な勢で、代助のかほつた。代助はあるきながらえずまゆうごかした。牛込見附を這入つて、飯田町をけて、九段坂下ざかしたて、昨日きのふつた古本屋ふるほんやて、
昨日きのふ不要のほんを取りにて呉れとたのんで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積で」と断つた。帰りには、暑さが余りひどかつたので、電車で飯田橋へまはつて、それから揚場あげば筋違すぢかひ毘沙門前びしやもんまへた。
 うちの前には車が一台いちだいりてゐた。玄関にはくつが揃へてあつた。代助は門野かどのの注意を待たないで、平岡のてゐる事を悟つた。あせいて、着物きものあらての浴衣ゆかたに改めて、座敷へた。
「いや、御使おつかひで」と平岡が云つた。矢張り洋服をて、される様に扇を使つた。
うもあつい所を」と代助もおのづから表立おもてだつた言葉づかひをしなければならなかつた。
 二人ふたりはしばらく時候の話をした。代助はすぐ三千代の様子を聞いて見たかつた。然しそれがう云ふものか聞きにくかつた。其内そのうち通例の挨拶もんで仕舞つた。はなしは呼び寄せた方から、切り出すのが順当であつた。
「三千代さんは病気だつてね」
「うん。それしやほうも二三日やすませられた様な訳で。つい君の所へ返事を出すのも忘れて仕舞つた」
「そりやうでも構はないが。三千代さんはそれ程わるいのかい」
 平岡は断然たる答を一言葉ひとことばでなし得なかつた。さう急にうのうのといふ心配もない様だが、決してかるい方ではないといふ意味を手短かにべた。
 此前あつさかりに、神楽坂へ買物に出た序に、代助の所へ寄つた明日あくるひあさ、三千代は平岡の社へ出掛でかける世話をしてゐながら、とつおつと襟飾えりかざりを持つた儘卒倒した。平岡も驚ろいて、自分の支度したくは其儘に三千代を介抱した。十分の後三千代はもう大丈夫だから社へ出てれと云ひした。口元くちもとには微笑の影さへ見えた。よこにはなつてゐたが、心配するほどの様子もないので、もしわるい様だつたら医者を呼ぶ様に、必要があつたら社へ電話を掛ける様に云ひ置いて平岡は出勤した。其晩はおそく帰つた。三千代は心持がわるいといつてさきてゐた。んな具合かといても、判然はつきりした返事をしなかつた。翌日朝起きて見ると三千代の色沢いろつやが非常にくなかつた。平岡は寧ろ驚ろいて医者を迎へた。医者は三千代の心臓を診察して眉をひそめた。卒倒は貧血のためだと云つた。随分強い神経衰弱にかゝつてゐると注意した。平岡はそれから社をやすんだ。本人は大丈夫だから出てれろと頼む様に云つたが、平岡はかなかつた。看護をしてから二日目ふつかめばんに、三千代みちよなみだを流して、是非あやまらなければならない事があるから、代助の所へ行つて其訳を聞いて呉れろとおつとに告げた。平岡は始めてそれを聞いた時には、本当にしなかつた。のう加減かげんわるいのだらうと思つて、し/\と気休きやすめを云つて慰めてゐた。三日目みつかめにも同じ願が繰り返された。其時平岡は漸やく三千代の言葉に一種の意味をみとめた。すると夕方ゆふがたになつて、門野が代助から出した手紙の返事をきにわざ/\小石川迄つてた。
「君の用事と三千代の云ふ事と何か関係があるのかい」と平岡は不思議さうに代助を見た。


 平岡の話は先刻さつきから深い感動を代助に与へてゐたが、突然此思はざるとひとき、代助はぐつとつまつた。平岡の問は実に意表に、無邪気に、代助のむねこたへた。かれ何時いつになくすこ赤面せきめんして俯向うつむいた。然しふたゝびかほげた時は、平生の通り静かなわるびれない態度を回復してゐた。
「三千代さんのきみあやまる事と、僕の君に話したい事とは、恐らく大いなる関係があるだらう。或はおんなじ事かも知れない。僕はうしても、それを君に話さなければならない。話す義務があると思ふからはなすんだから、今日迄の友誼にめんじて、こゝろよく僕に僕の義務をはたさして呉れ給へ」
「何だい。あらたまつて」と平岡は始めて眉をたゞした。
「いや前置をすると言訳らしくなつて不可いけないから、僕も成る可くなら卒直に云つて仕舞ひたいのだが、少し重大な事件だし、それに習慣に反したきらひもあるので、若し中途で君に激されて仕舞ふと、甚だ困るから、是非仕舞迄君にいて貰ひたいと思つて」
「まあ何だい。其はなしと云ふのは」
 好奇心と共に平岡のかほが益真面目まじめになつた。
「其代り、みんなはなしたあとで、僕はんな事を君から云はれても、矢張り大人しく仕舞迄聞く積だ」
 平岡は何にも云はなかつた。たゞ眼鏡めがねの奥から大きなを代助のうへに据ゑた。そとはぎら/\する日がり付けて、椽側迄射返いかへしたが、二人ふたりは殆んど暑さを度外に置いた。
 代助は一段声をひそめた。さうして、平岡夫婦が東京へてから以来、自分と三千代との関係がんな変化を受けて、今日に至つたかを、詳しく語りした。平岡はかたくちびるむすんで代助の一語一句にみゝを傾けた。代助は凡てを語るに約一時間余を費やした。其間に平岡から四遍程極めて単簡な質問を受けた。
「ざつとう云ふ経過だ」と説明の結末をけた時、平岡はたゞうなる様にふか溜息ためいきを以て代助に答へた。代助は非常につらかつた。
「君の立場たちばから見れば、僕は君を裏切りした様に当る。しからん友達ともだちだと思ふだらう。左様さう思れても一言いちごんもない。まない事になつた」
「すると君は自分のした事をわるいと思つてるんだね」
「無論」
わるいと思ひながら今日こんにち迄歩を進めてたんだね」と平岡は重ねていた。語気は前よりも稍切迫してゐた。
左様さうだ。だから、此事このことに対して、君の僕等に与へやうとする制裁は潔よく受ける覚悟だ。今のはたゞ事実を其儘に話した丈で、君の処分の材料にする考だ」
 平岡は答へなかつた。しばらくしてから、代助の前へ顔を寄せて云つた。
「僕の毀損された名誉が、回復出来る様な手段が、世のなかにあり得ると、君は思つてゐるのか」
 今度は代助の方が答へなかつた。
「法律や社会の制裁は僕には何にもならない」と平岡は又云つた。
「すると君は当事者とうじしや丈のうちで、名誉を回復する手段があるかと聞くんだね」
左様さうさ」
「三千代さんの心機を一転して、きみもとよりも倍以上に愛させる様にして、其上僕を蛇蝎の様ににくませさへすれば幾分かつぐなひにはなる」
それが君の手際で出来るかい」
「出来ない」と代助は云ひ切つた。
「すると君はわるいと思つた事を今日迄発展さして置いて、猶其わるいと思ふ方針によつて、極端押して行かうとするのぢやないか」
「矛盾かも知れない。然しそれは世間のおきてと定めてある夫婦関係と、自然の事実として成りがつた夫婦関係とが一致しなかつたと云ふ矛盾なのだから仕方がない。僕は世間の掟として、三千代さんのおつとたる君にあやまる。然し僕の行為其物に対しては矛盾も何も犯してゐない積だ」


「ぢや」と平岡は稍声を高めた。「ぢや、僕等二人ふたりは世間のおきてかなふ様な夫婦関係はむすべないと云ふ意見だね」
 代助は同情のある気の毒さうなをして平岡を見た。平岡のけわしい眉が少し解けた。
「平岡君。世間せけんから云へば、これは男子の面目にかゝはる大事件だ。だから君が自己の権利を維持するために、――故意に維持しやうと思はないでも、暗に其心が働らいて、自然と激してるのは已を得ないが、――けれども、こんな関係の起らない学校時代の君になつて、もう一遍僕の云ふ事をよく聞いて呉れないか」
 平岡は何とも云はなかつた。代助も一寸ひかえてゐた。烟草を一吹ひとふきいたあとで、思ひ切つた。
「君は三千代さんを愛してゐなかつた」としづかに云つた。
「そりや」
「そりや余計な事だけれども、僕は云はなければならない。今度の事件に就て凡ての解決者はそれだらうと思ふ」
「君には責任がないのか」
「僕は三千代さんを愛してゐる」
ひとさいを愛する権利が君にあるか」
「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件ぢやない人間だから、こゝろ迄所有する事は誰にも出来ない。本人以外にどんなものが出てたつて、愛情の増減や方向を命令する訳には行かない。おつとの権利は其所そこ迄はとゞきやしない。だから細君の愛をほかへ移さない様にするのが、却つておつとの義務だらう」
「よし僕が君の期待する通り三千代を愛してゐなかつた事が事実としても」と平岡は強いておのれおさえる様に云つた。こぶしを握つてゐた。代助は相手の言葉のきるのを待つた。
「君は三年前の事を覚えてゐるだらう」と平岡は又句をへた。
「三年前は君が三千代さんと結婚した時だ」
「さうだ。其ときの記憶が君のあたまなかに残つてゐるか」
 代助のあたまは急に三年前にかへつた。当時の記憶が、やみめぐ松明たいまつの如くかゞやいた。
「三千代を僕に周旋しやうと云ひ出したものは君だ」
もらいたいと云ふ意志を僕に打ち明けたものは君だ」
「それは僕だつて忘れやしない。今に至る迄君の厚意を感謝してゐる」
 平岡は斯う云つて、しばらく冥想してゐた。
二人ふたりで、よる上野うへのけて谷中やなかりる時だつた。雨上あめあがりで谷中やなかしたみちわるかつた。博物館の前から話しつゞけて、あのはしの所迄た時、君は僕のために泣いて呉れた」
 代助は黙然としてゐた。
「僕は其時程朋友を難有いと思つた事はない。うれしくつて其晩は少しもられなかつた。月のあるばんだつたので、月の消える迄起きてゐた」
「僕もあの時は愉快だつた」と代助が夢の様に云つた。それを平岡は打ち切る勢でさへぎつた。――
「君は何だつて、あの時僕のために泣いて呉れたのだ。なんだつて、僕のために三千代を周旋しやうとちかつたのだ。今日こんにちの様な事を引き起す位なら、何故なぜあの時、ふんと云つたなりほうつて置いて呉れなかつたのだ。僕は君から是程深刻な復讐かたきを取られる程、君に向つて悪い事をしたおぼえがないぢやないか」
 平岡は声をふるはした。代助のあをい額にあせたまたまつた。さうして訴たへる如くに云つた。
「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛してゐたのだよ」
 平岡は茫然として、代助の苦痛の色を眺めた。
「其時の僕は、今の僕でなかつた。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君ののぞみをかなへるのが、友達の本分だと思つた。それがわるかつた。今位あたまが熟してゐれば、まだ考へ様があつたのだが、惜しい事にわかかつたものだから、余りに自然を軽蔑しぎた。僕はあの時の事を思つては、非常な後悔の念に襲はれてゐる。自分のためばかりぢやない。実際君のために後悔してゐる。僕が君に対して真に済まないと思ふのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいにげた義侠心だ。君、どうぞ勘弁して呉れ。僕は此通り自然に復讐かたきを取られて、君の前に手を突いてあやまつてゐる」
 代助はなみだひざうへこぼした。平岡の眼鏡めがねが曇つた。


「どうも運命だから仕方しかたがない」
 平岡は呻吟うめく様な声をした。二人ふたりは漸くかほを見合せた。
「善後策に就て君の考があるなら聞かう」
「僕は君の前にあやまつてゐる人間だ。此方こつちからさきへそんな事を云ひ出す権利はない。君の考から聞くのが順だ」と代助が云つた。
「僕にはなんにもない」と平岡はあたまを抑えてゐた。
「では云ふ。三千代さんを呉れないか」と思ひ切つた調子に出た。
 平岡はあたまから手を離して、肱を棒の様に洋卓てえぶるの上に倒した。同時に、
「うんらう」と云つた。さうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。
る。るが、いまれない。僕は君の推察通り夫程三千代を愛して居なかつたかも知れない。けれどもにくんぢやゐなかつた。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方ぢやない。てゐる病人を君にるのはいやだ。病気がなほる迄君にれないとすれば、夫迄は僕がおつとだから、おつととして看護する責任がある」
「僕は君にあやまつた。三千代さんも君にあやまつてゐる。君から云へば二人ふたりとも、不埒なやつには相違ないが、――幾何いくらあやまつても勘弁出来できんかも知れないが、――何しろ病気をしててゐるんだから」
それわかつてゐる。本人の病気にけ込んで僕が意趣らしに、虐待ぎやくたいでもすると思つてるんだらうが、僕だつて、まさか」
 代助は平岡のことを信じた。さうして腹のなかで平岡に感謝した。平岡はつぎう云つた。
「僕は今日けふの事がある以上は、世間的のおつと立場たちばからして、もう君と交際する訳には行かない。今日けふ限り絶交するから左様さう思つて呉れ玉へ」
「仕方がない」と代助は首を垂れた。
「三千代の病気は今云ふ通り軽い方ぢやない。此先このさきんな変化がないともかぎらない。君も心配だらう。然し絶交した以上はやむを得ない。僕の在不在にかゝはらず、うち出入ではいりする事丈は遠慮してもらひたい」
「承知した」と代助はよろめく様に云つた。其ほゝは益あをかつた。平岡は立ちがつた。
「君、もう五分ばかりすはつてれ」と代助がたのんだ。平岡は席にいた儘無言でゐた。
「三千代さんの病気は、急に危険きけんおそれでもありさうなのかい」
「さあ」
それ丈教へて呉れないか」
「まあ、さう心配しないでもいだらう」
 平岡はくらい調子で、いきく様に答へた。代助はえられない思がした。
しだね。し万一の事がありさうだつたら、其前にたつた一遍丈でいから、逢はして呉れないか。ほかには決して何もたのまない。たゞ夫丈だ。夫丈をうか承知してれ玉へ」
 平岡はくちむすんだなり、容易に返事をしなかつた。代助は苦痛のどころがなくて、両手のたなごゝろを、あかれる程んだ。
それはまあ其時の場合にしやう」と平岡がおもさうに答へた。
「ぢや、時々とき/″\病人の様子をきにつてもいかね」
それこまるよ。君と僕とはなんにも関係がないんだから。僕は是からさき、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時丈だと思つてるんだから」
 代助は電流に感じた如く椅子のうへで飛びがつた。
「あつ。わかつた。三千代さんの死骸丈を僕に見せるつもりなんだ。それはひどい。それは残酷だ」
 代助は洋卓てえぶるふちまはつて、平岡にちかづいた。右の手で平岡の脊広せびろかたを抑えて、前後にりながら、
ひどい、ひどい」と云つた。
 平岡は代助ののうちにくるへる恐ろしいひかりを見出した。かたられながら、立ちがつた。
んな事があるものか」と云つて代助の手をおさえた。二人ふたりかれた様な顔をして互を見た。
「落ち付かなくつちや不可いけない」と平岡が云つた。
「落ちいてゐる」と代助が答へた。けれども其言葉はあへいきあひだくるしさうに洩れて出た。
 暫らくして発作の反動がた。代助はおのれを支ふる力を用ひつくした人の様に、又椅子に腰をおろした。さうして両手で顔を抑えた。


 代助は夜の十時すぎになつて、こつそりいへた。
いまから何方どちらへ」と驚ろいた門野かどのに、
なに一寸ちよつと」と曖昧な答をして、寺町てらまちの通り迄た。あつい時分の事なので、まちはまだよひくちであつた。浴衣ゆかたた人が幾人となく代助の前後ぜんごを通つた。代助にはそれたゞうごくものとしか見えなかつた。左右さゆうみせは悉くあかるかつた。代助はまぼしさうに、電気燈のすくない横町へまがつた。江戸川のふちた時、くらい風がかすかにいた。くろさくらの葉が少しうごいた。はしうへに立つて、欄干らんかんからしたを見おろしてゐたものが二人ふたりあつた。金剛寺ざかでは誰にも逢はなかつた。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道さかみちふさいでゐた。
 平岡のんでゐるまちは、猶静かであつた。大抵なうち灯影ひかげらさなかつた。向ふからた一台の空車からぐるまの輪のおとが胸を躍らす様にひゞいた。代助は平岡のいへの塀際迄とまつた。身を寄せてなかを窺ふと、なかくらかつた。立て切つた門の上に、軒燈がむなしく標札をらしてゐた。軒燈の硝子がらす守宮やもりかげなゝめにうつつた。
 代助は今朝けさ此所こゝた。ひるからも町内を彷徨うろついた。下女が買物にでもる所をつらまへて、三千代の容体を聞かうと思つた。然し下女は遂に出てなかつた。平岡の影も見えなかつた。塀のそばつて耳をましても、それらしい人声ひとごえは聞えなかつた。医者をめて、詳しい様子を探らうと思つたが、医者らしい車は平岡の門前にはとまらなかつた。そのうち、強い日に射付けられたあたまが、うみの様にうごき始めた。立ちまつてゐると、倒れさうになつた。あるき出すと、大地が大きな波紋をゑがいた。代助は苦しさをしのんでふ様にうちへ帰つた。夕食ゆふめしはずに倒れたなりうごかずにゐた。其時おそるべき日は漸くちて、夜が次だいほしいろくした。代助はくらさと涼しさのうちに始めて蘇生よみがへつた。さうしてあたまつゆたせながら、又三千代のゐる所迄つてたのである。
 代助は三千代の門前を二三度つたりたりした。軒燈のしたるたびに立ちまつて、耳をました。五分乃至十分はじつとしてゐた。しかしうちなかの様子は丸でわからなかつた。凡てがしんとしてゐた。
 代助が軒燈けんとうしたて立ちまるたびに、守宮やもりが軒燈の硝子がらすにぴたりと身体からだり付けてゐた。黒い影ははすうつつた儘何時いつでもうごかなかつた。
 代助は守宮やもりに気が付くごといやな心持がした。其うごかない姿が妙に気にかゝつた。彼の精神は鋭どさの余りからる迷信に陥いつた。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつゝあると想像した。三千代は今死につゝあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢ひたがつて、死に切れずにいきぬすんで生きてゐると想像した。代助はこぶしを固めて、割れる程平岡の門をたゝかずにはゐられなくなつた。忽ち自分は平岡のものにゆびさへ触れる権利がない人間だと云ふ事に気が付いた。代助はおそろしさの余りした。静かな小路こうぢうちに、自分の足音あしおと丈が高くひゞいた。代助はけながら猶恐ろしくなつた。あしゆるめた時は、非常に呼息いきくるしくなつた。
 道端みちばた石段いしだんがあつた。代助はなかば夢中で其所そこへ腰を掛けたなり、ひたひを手でおさえて、かたくなつた。しばらくして、さいだけて見ると、大きな黒いもんがあつた。門のうへから太い松が生垣のそと迄枝を張つてゐた。代助はてらの這入りくちに休んでゐた。
 彼はがつた。惘然もうぜんとして又あるき出した。少して、再び平岡の小路へ這入つた。夢の様に軒燈の前で立留たちどまつた。守宮やもりはまだ一つ所にうつつてゐた。代助は深い溜息ためいきらして遂に小石川を南側みなみがはりた。
 其晩は火の様に、熱くて赤い旋風つむじなかに、あたまが永久に回転した。代助は死力を尽して、旋風つむじなかからのが出様でやうと争つた。けれども彼のあたまは毫も彼の命令に応じなかつた。木の葉の如く、遅疑ちぎする様子もなく、くるり/\とほのほかぜかれて行つた。


 翌日あくるひは又け付く様にが高くた。そとは猛烈なひかりで一面にいら/\し始めた。代助は我慢して八時すぎに漸く起きた。起きるや否やがぐらついた。平生の如くみづびて、書斎へ這入はいつてじつすくんだ。
 所へ門野かどのて、御客さまですとらせたなり、入口いりぐちつて、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であつた。客は誰だと聞き返しもせずに手で支へた儘のかほを、半分ばかり門野かどのの方へ向きへた。其時そのとき客の足音あしおとが椽側にして、案内もたずにあにの誠吾が這入つてた。
「やあ、此方こつちへ」と席を勧めたのが代助にはやうやうであつた。誠吾は席にくや否や、扇子を出して、上布じやうふえりひらく様に、かぜを送つた。此暑さに脂肪しぼうけて苦しいと見えて、荒い息遣いきづかひをした。
あついな」と云つた。
御宅おたくでも別に御変りもありませんか」と代助は、つかてたひとの如くにたづねた。
 二人ふたり少時しばらく例の通りの世間話せけんばなしをした。代助の調子態度は固より尋常ではなかつた。けれどもあには決してうしたともかなかつた。はなした時、
今日けふじつは」と云ひながら、ふところへ手を入れて、一通の手紙を取り出した。
じつは御まへに少しきたい事があつてたんだがね」と封筒のうらを代助の方へ向けて、
「此男を知つてるかい」と聞いた。其所そこには平岡の宿所姓名が自筆で書いてあつた。
「知つてます」と代助は殆んど器械的に答へた。
もと御前おまへの同級生だつて云ふが、本当か」
「さうです」
「此男の細君も知つてるのかい」
「知つてゐます」
 あには又扇を取りげて、二三度ぱち/\と鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段おとした。
「此男の細君と、御前おまへが何か関係があるのかい」
 代助は始めから万事を隠す気はなかつた。けれども斯う単簡に聞かれたときに、うして此複雑な経過を、一言いちげんで答へ得るだらうと思ふと、返事は容易にくちへはなかつた。あには封筒のなかから、手紙をした。それを四五寸ばかりかへして、
じつは平岡と云ふ人が、う云ふ手紙を御父おとうさんの所へあてこしたんだがね。――んで見るか」と云つて、代助にわたした。代助はだまつて手紙を受取つて、み始めた。あにじつと代助のひたひの所を見詰めてゐた。
 手紙はこまかい字でいてあつた。一行二行と読むうちに、読み終つたぶんが、代助の手先てさきから長くれた。それが二尺あまりになつても、まだ尽きる気色はなかつた。代助のはちらちらした。あたまてつの様におもかつた。代助は強いても仕舞しまひ迄読み通さなければならないと考へた。総身さうしんが名状しがたい圧迫を受けて、わきしたからあせが流れた。漸く結末へた時は、手に持つた手紙をおさめる勇気もなかつた。手紙はひろげられた儘洋卓てえぶるうへよこたはつた。
其所そこいてある事は本当なのかい」とあにが低い声でいた。代助はたゞ、
「本当です」と答へた。あには打衝を受けた人の様に一寸ちよつと扇のおととゞめた。しばらくは二人ふたりともくちき得なかつた。やゝあつてあにが、
「まあ、う云ふ了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」とあきれた調子で云つた。代助は依然として、くちひらかなかつた。
んな女だつて、もらはうと思へば、いくらでももらへるぢやないか」と兄がまた云つた。代助はそれでも猶黙つてゐた。三度目にあにが斯う云つた。――
御前おまへだつて満更まんざら道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出しでかす位なら、今迄折角かねを使つた甲斐がないぢやないか」
 代助は今更あにに向つて、自分の立場たちばを説明する勇気もなかつた。かれはつい此間このあひだ迄全くあにと同意見であつたのである。


ねえさんはいてゐるぜ」とあにが云つた。
「さうですか」と代助は夢の様に答へた。
御父おとうさんはおこつてゐる」
 代助は答をしなかつた。たゞ遠い所を見るをして、あにを眺めてゐた。
御前おまへは平生からわからない男だつた。夫でも、いつかわかる時機がるだらうと思つて今日こんにち交際つきあつてゐた。然し今度こんだと云ふ今度こんだは、全くわからない人間だと、おれもあきらめて仕舞つた。世の中にわからない人間にんげん程危険なものはない。何をるんだか、何を考へてゐるんだか安心が出来ない。御前おまへそれが自分の勝手だからからうが、御父おとうさんやおれの、社会上の地位を思つて見ろ。御前だつて家族の名誉と云ふ観念はつてゐるだらう」
 あにの言葉は、代助のみゝかすめてそとこぼれた。彼はたゞ全身に苦痛を感じた。けれどもあにの前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはゐなかつた。凡てを都合よく弁解して、世間的のあにから、今更同情を得やうと云ふ芝居気は固より起らなかつた。かれかれあたまうちに、彼自身に正当な道をあゆんだといふ自信があつた。彼は夫で満足であつた。その満足を理解して呉れるものは三千代丈であつた。三千代以外には、ちゝあにも社会も人間も悉くてきであつた。彼等は赫々かく/\たる炎火えんくわうちに、二人ふたりつゝんでころさうとしてゐる。代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此ほのほの風に早く己れをつくすのを、此うへもない本望とした。彼は兄には何の答もしなかつた。重いあたまを支へて石の様に動かなかつた。
「代助」とあにが呼んだ。「今日けふはおれは御父おとうさんの使つかひたのだ。御前は此間このあひだからうちかない様になつてゐる。平生なら御とうさんが呼び付けて聞きたゞす所だけれども、今日けふかほを見るのがいやだから、此方こつちから行つて実否をたしかめていと云ふ訳でたのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云ふ所が一々根拠のある事実なら、――御父おとうさんはう云はれるのだ。――もう生涯代助には逢はない。何処どこつて、なにをしやうと当人とうにんの勝手だ。其代り、以来子としても取り扱はない。又おやとも思つてれるな。――尤もの事だ。そこでいま御前おまへはなしを聞いて見ると、平岡の手紙にはうそは一つも書いてないんだから仕方がない。其上御前は、此事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それぢや、おれだつて、帰つて御父おとうさんに取り成し様がない。御父おとうさんから云はれた通りを其儘御前に伝へて帰る丈の事だ。いか。御父おとうさんの云はれる事はわかつたか」
「よくわかりました」と代助は簡明に答へた。
貴様きさまは馬鹿だ」とあにが大きな声を出した。代助は俯向うつむいた儘かほげなかつた。
「愚図だ」とあにが又云つた。「不断ふだん人並ひとなみ以上にらずぐちを敲く癖に、いざと云ふ場合には、丸で唖の様にだまつてゐる。さうして、かげで親の名誉にかゝはる様な悪戯いたづらをしてゐる。今日こんにち迄何のために教育を受けたのだ」
 あに洋卓てえぶるうへの手紙をつて自分でき始めた。しづかな部屋のなかに、半切はんきれおとがかさ/\つた。あにはそれをもとごとくに封筒に納めて懐中した。
「ぢや帰るよ」と今度は普通の調子で云つた。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、
「おれも、もうはんから」と云ひ捨てて玄関に出た。
 あにつたあと、代助はしばらくして元の儘じつと動かずにゐた。門野かどのが茶器を取り片付かたづけにた時、急にがつて、
門野かどのさん。僕は一寸ちよつと職業をさがしてる」と云ふや否や、とり打帽をかぶつて、かささずに日盛ひざかりのおもてへ飛び出した。
 代助はあつなかけないばかりに、いそぎ足にあるいた。は代助のあたまの上から真直まつすぐに射おろした。かはいたほこりが、火のの様にかれ素足すあしつゝんだ。かれはぢり/\とこげる心持がした。
こげる/\」とあるきながらくちうちで云つた。
 飯田橋へて電車につた。電車は真直にはしした。代助は車のなかで、
「あゝうごく。世の中が動く」とはたの人に聞える様に云つた。かれあたまは電車の速力を以て回転しした。回転するに従つての様にほてつてた。是で半日乗りつゞけたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。
 忽ちあかい郵便筒がいた。すると其赤い色が忽ち代助のあたまなかに飛び込んで、くる/\と回転し始めた。傘屋かさやの看板に、赤い蝙蝠傘かうもりがさを四つかさねてたかるしてあつた。かさの色が、又代助のあたまに飛び込んで、くる/\とうづいた。四つかどに、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急にかどまがるとき、風船玉は追懸おつかけて、代助のあたまに飛びいた。小包こづゝみ郵便をせた赤い車がはつと電車とれ違ふとき、又代助のあたまなかに吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへとつゞいた。仕舞には世の中が真赤まつかになつた。さうして、代助のあたまを中心としてくるり/\とほのほいきを吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。





底本:「漱石全集 第六巻」岩波書店
   1994(平成6)年5月9日発行
初出:「東京朝日新聞」、「大阪朝日新聞」
   1909(明治42)年6月27日~10月4日
※底本の本文は、漱石の自筆原稿によっています。
※ルビは、漱石の原稿にあったルビのみ付け、岩波編集部が付けたルビは省きました。
※ルビ、文字遣い、語句の混在は底本の通りとしました。
入力:Godot、野口英司、oto
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年4月16日作成
2013年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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