ふくざわゆきち | 福澤諭吉

文明論之概略 巻之二 第五章 前論の続き

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:12

文明論之概略 巻之二

第五章 前論の続き

 一国文明の有様はその国民一般の智徳を見て知るべし。前章に云う所の衆論とは即ち国内衆人の議論にて,その時代に在て普く人民の間に分賦せる智徳の有様を顕わしたるものなれば,この衆論を以て人心の在る所を窺うべしと雖ども,今又この衆論のことに就て二箇条の弁論あり。即ちその第一条の趣意は,衆論は必ずしも人の数に由らず,智力の分量に由て強弱ありとのことなり。第二条の趣意は,人々に智力ありと雖ども習慣に由て之を結合せざれば衆論の体裁を成さずとのことなり。その次第左の如し。

 第一 一人の論は二人の論に勝たず。三人の同説は二人を制すべし。その人数愈多ければその議論の力も亦愈強し。所謂寡は衆に敵せざるものなり。然りと雖もこの議論の衆寡強弱は,唯才智同等なる人物の間に行わるゝのみ。天下の人を一体に為して之を見れば,その議論の力は人の数の多寡に由らずして智徳の量の多寡に由て強弱あるものなり。人の智徳は猶その筋骨の力の如く,一人にて三人を兼る者あり,或は十人を兼る者あり。故に今衆人を集めて一体と為し,その一体の強弱を計るには唯人数の多少を見てこれを知るべからず。一体の間に分賦せる力の量を測らざるべからず。譬えば百人の人数にて千貫目の物を挙れば,一人の力,各十貫目なれども,人々の力量は必ず同等なるべからず。試にこの百人を等分して五十人ずつの二組と為し,この二組の五十人をして各物を挙げしめなば,一組の五十人は七十貫目を挙げ,一組の五十人は三十貫目を挙ることあらん。尚これを四分し又これを八分して之を試みなば,必ず次第に不平均を生じ,その最強の者と最弱の者とを比して,一人よく十人の力を兼る者あるを見ん。依て又その百人の内より屈強なる者二十人を撰で一組と為し,他の八十人を一組と為して之を試みなば,二十人の組は六十貫目を挙げ,八十人の組は僅に四十貫目を挙ぐべし。今この有様に就て計算するに,人の数を以て見れば二と八との割合なれども,力の量を以て見れば六と四との割合なり。故に力量は人の数に由て定むべからず,その挙る所の物の軽重とその人数との割合を見て之を知るべきなり。

 智徳の力は権衡度量を以て計るべからずと雖ども,その趣正しく筋骨の力に異なるの理なし。その強弱の相違に至ては筋力の差よりも尚甚しく,或は一人にて百人を兼ね千人を兼るものもあらん。若し人の智徳をして酒精の如きものならしめなば,必ず目を驚かす奇観あるべし。この種類の人物は十人を蒸溜して,智徳の量,一斗を得たるに,彼の種類の人物は百人を蒸溜して僅に三合を得ることもあらん。一国の議論は人の体質より出るに非ずしてその精気より発するものなれば,彼の衆論と唱るものも必ずしも論者の多きのみに由て力あるに非ず,その論者の仲間に分賦せる智徳の分量多きがため,その量を以て人数の不足を補い,遂に衆論の名を得たるものなり。

 欧羅巴の諸国にても人民の智徳を平均すれば,国中文字を知らざる愚民は半に過ぐべし。その国論と唱え衆説と称するものは,皆中人以上智者の論説にて,他の愚民は唯その説に雷同しその範囲中に籠絡せられて敢て一己の愚を逞うすること能わざるのみ。又その中人以上の内にも智愚の差は段々限あることなく,此は彼に勝ち彼は此を排し,始て相接して立所に敗するものあり,久しく互に屹立して勝敗決せざるものあり。千磨百錬,僅に一時の異説を圧し得たるものを,国論衆説と名るのみ。是即ち新聞紙演舌会の盛にして衆口の喧しき所以なり。畢竟人民は国の智徳の為に鞭撻せられて,智徳方向を改れば人民も亦方向を改め,智徳党を分てば人民も亦党を分ち,進退集散,皆智徳に従わざるはなし。【(この部分二段組み)世間に書画等を悦ぶ者は中人以上字を知て風韻ある人物なり。そのこれを悦ぶ所以は,古器の歴代を想像し書画運筆の巧拙を比較して之を楽むものなれども,今日に至ては古器書画を貴ぶの風俗洽く世間に行われて,一丁字を知らざる愚民にても少しく銭ある者は必ず書画を求めて床の間に掛物を掛け,珍器古物を貯えて得意の色を為せる者多し。笑うべく亦怪むべしと雖ども,畢竟この愚民も中人以上の風韻に雷同して,識らず知らずこの事を為すなり。その外流行の衣裳染物の模様等も皆他人の創意に雷同して之を悦ぶものなり。】

 近く我日本の事を以てその一証を示さん。前年政府を一新して次で廃藩置県の挙あり。華士族はこれがために権力も利禄も共に失たれども,敢て不平を唱ること能わざるは何ぞや。人或は云く,王政一新は王室の威光に由り,廃藩置県は執政の英断に由て成りしものなりと。是れ時勢を知らざる者の臆断なり。王室若し実の威光あらばその復古何ぞ必ずしも慶応の末年を待たん。早く徳川氏を倒して可なり。或は足利の末に政権を取返すも可なり。復古の機会は必ずしも慶応の末年に限らず。然るにこの時に至て始てその業を成し,遂に廃藩の大事をも行うたるは何ぞや。王室の威光に由るに非ず,執政の英断に由るに非ず,別にその源因なかるべからず。

 我国の人民積年専制の暴政に窘められ,門閥を以て権力の源と為し,才智ある者と雖ども門閥に藉てその才を用るに非ざれば事を為すべからず。一時はその勢に圧倒せられて全国に智力の働く所を見ず,事々物々皆停滞不流の有様に在るが如くなりしと雖ども,人智発生の力は留めんとして留むべからず,この停滞不流の間にも尚よく歩を進めて,徳川氏の末に至ては世人漸く門閥を厭うの心を生ぜり。その人物は,或は儒医に隠れ或は著述家に隠れ,或は藩士の内にもあり或は僧侶神官の内にもあり,何れも皆字を知て志を得ざる者なり。その徴候は,天明文化の頃より世に出る著書詩集又は稗史小説の中に,往々事に寄せて不平を訴るものあるを見て知るべし。固よりその文の上に門閥専制の政を不正なりとて明に議論を立るには非ず,譬えば国学者流は王室の衰微を悲み,漢学者流は貴族執政の奢侈を諷し,又一種の戯作者は慢語放言以て世間を愚弄する等,その文章にも事柄にも取留たる条理なしと雖ども,その時代に行わるゝ有様を悦ばざるの意は自から言外に顕わるゝものにて,実は本人も訴る所を知らずして不平を訴るなり。その状恰も旧痾,身を悩まして自から明に容体を述ること能わずと雖ども,唯その苦痛を訴る者の如し。【(この部分二段組み)都て徳川氏の初,その政権の盛なる時には,世の著述家もその威に圧倒せられて毫も時勢を咎めず,却て幕政に佞するものあり。新井白石の著書,中井竹山の逸史等を見て知るべし。その後文政の頃に至て著したる頼山陽の日本外史には,専ら王政の衰廃を憤り,書中の語気恰も徳川氏に向てその罪を責るが如し。今その然る所以を尋るに,白石竹山は必ずしも幕府の奴隷なるに非ず,山陽は必ずしも天子の忠臣なるに非ず,皆時勢の然らしむる所なり。白石竹山は一時の勢に制せられて筆を逞うするを得ず,山陽は稍やその束縛を脱して当時に行わるゝ専制の政を怒り,日本外史に藉てその怒気を洩したるのみ。その他和学小説狂詩狂文等の盛なるは特に天明文化の後を最とす。本居,平田,馬琴,蜀山人,平賀源内等の輩,皆有志の士君子なれども,その才力を伸るに地位なくして徒に文事に身を委ね,その事に託して或は尊王の説を唱え,或は忠臣義士の有様を記し,或は狂言を放て一世を嘲り,強いて自から不平を慰めたるものなり。】

 然り而してこの国学者流も必ずしも王室の忠僕に非ず,漢学者流も亦必ずしも真実憂世の士君子に非ず。その証拠には,世の隠君子なる者,平居不平を鳴すと雖ども,一旦官途に抜擢せらるれば忽ちその節を変じて不平の沙汰を聞かず,今日の尊王家も五斗米の饒なるに遇えば明日の佐幕家と為り,昨日の町儒者も登用の命を拝すれば今日は得色を顕わす者多し。古今の実験に由て之を見るべし。然ば則ちこの和漢の学者流が,徳川の末世に至て尊王憂世の意を筆端に顕わして暗に議論の端を開たるも,多くはその人の本音に非ず,一時尊王と憂世とを名にして以て自己の不平を洩したることならん。

 されども今その心術の誠なると否と,又その議論の私なると公なるとは姑く擱き,素とこの不平の生ずる由縁を尋れば,世の専制門閥に妨げられて己が才力を伸ばすこと能わざるよりして心に憤を醸したるものなれば,人情,専制の下に居るを好まざるの確証は,筆端に顕わるゝ所の語気を見て明々白々たり。唯暴政の盛なる時代にはこの人情を発露するを得ざるのみ。そのこれを発露すると否とは,暴政の力と人民の智力と,その強弱如何に在るなり。政府の暴力と人民の智力とは正しく相反対するものにて,此に勢を得れば彼に権を失し,彼に時を得れば此に不平を生じ,その釣合恰も天秤の平均するが如し。徳川氏の政権は終始一の如く盛にして天秤は常に偏重なりしが,末年に及で人智僅に歩を進め,始てその一端に些少の分銅を置くを得たり。かの天明文化の頃より世に行われたる著書の類は即ちこの分銅と云うべきものなり。然りと雖どもこの分銅なるもの極て軽量にして固より平均を為すに足らず,況やその平均を破るに於てをや。若しその後に開港の事なからしめなば,何れの時にこの平均を倒にして智力の方に権勢を得べきや,識者のよく知る所に非ず。幸にして嘉永年中「ペルリ」渡来の事あり。之を改革の好機会とす。

 「ペルリ」渡来の後,徳川の政府にて諸外国と条約を結ぶに及び,世人始て政府の処置を見てその愚にして弱きを知り,又一方には外国人に接してその言を聞き,或は洋書を読み或は訳書を見て益規模を大にし,鬼神の如き政府と雖ども人力を以てこれを倒すべきを悟るに至れり。その事情を形容して云えば,頓に聾盲の耳目を開て始て声色の聞見すべきを知たるが如し。而して始て事の端を開たる者は攘夷論なり。抑もこの議論の発する源を尋るに,決して人の私情に非ず,自他の別を明にして自からこの国を守らんとするの赤心に出ざるはなし。開闢以来始て外国人に接し,暗黒沈静の深夜より喧嘩囂躁の白昼に出たる者なれば,其の見る所の事物悉く皆奇怪にして意に適するものなし。その意は即ち私の意に非ず,日本国と外国との分界をば僅に脳中に想像して,一身以て本国を担当するの意なれば,之を公と云わざるを得ず。固より暗明頓に変じたる際に当り,精神眩惑してその議論に条理の密なる者あるべからず,その挙動も亦暴にして愚ならざるを得ず。概して云えば報国心の粗且未熟なる者なれども,その目的は国の為なるが故に公なり,その議論は外夷を攘うの一箇条なるが故に単なり。公の心を以て単一の論を唱れば,その勢必ず強盛ならざるを得ず。是即ち攘夷論の初に権を得たる由縁なり。世間の人も一時に之に籠絡せられ,未だ外国交際の利を見ずして先ず之を悪むの心を成し,天下の悪尽く外国の交際に帰して,苟も国内に禍災の生ずるあれば,此も外人の所為と云い彼も外人の計略と称し,全国を挙て外国の交際を悦ぶ者なきに至れり。仮令い私に之を悦ぶ者あるも世上一般の風に雷同せざるを得ず。

 然るに幕府は独りこの交際の衝に当て外人に接するに稍や条理に拠らざるを得ず。幕府の有司必ずしも外交を好むに非ず,唯外国人の威力と理屈とに答ること能わずして道理を唱る者多しと雖ども,攘夷家の眼を以て視ればこの道理は因循姑息のみ。幕府は恰も攘夷論と外国人との中間に介まりて進退惟谷の有様に陥り,遂にその平均を得ずして益弱を示し,攘夷家は益勢を得て憚る所なく,攘夷復古,尊王討幕と唱え,専ら幕府を殪して外夷を払うの一事に力を尽せり。その際には人を暗殺し家を焼く等,士君子の悦ばざる挙動も少なからずと雖ども,結局幕府を殪すの目的に至ては衆論一に帰し,全国の智力悉くこの目的に向て慶応の末年に革命の業を成したるなり。この成行に従えば,革命復古の後には直に攘夷の挙に及ぶべき筈なれども却てその事なく,又仇とする所の幕府を殪さば則ち止むべき筈なるに,併せて大名士族をも擯斥したるは何ぞや。蓋し偶然に非ざるなり。攘夷論は唯革命の嚆矢にて,所謂事の近因なる者のみ。一般の智力は初より赴く所を異にし,その目的は復古にも非ず,又攘夷にも非ず,復古攘夷の説を先鋒に用いて旧来の門閥専制を征伐したるなり。故にこの事を起したる者は王室に非ず,その仇とする所の者は幕府に非ず,智力と専制との戦争にして,この戦を企たる源因は国内一般の智力なり。之を事の遠因とす。

 この遠因なる者は開港以来西洋文明の説を引て援兵と為し,その勢次第に強盛に赴くと雖ども,智戦の兵端を開くには先鋒なかるべからず,是に於てか近因と合してその戦場に向い,革命の一挙を終て凱旋したるなり。先鋒の説も一時は勇気を発したれども,凱旋の後に至ては漸くその結構の粗にして久を持すること能わざるを知り,次第に腕力を棄てゝ智力の党に入り,以て今日の勢を成せり。向後この智力に益権を得て,彼の報国心の粗なる者をして密ならしめ,未熟なる者をして熟せしめ,以て我国体を保護することあらば無量の幸福と云うべし。故に云く,王政復古は王室の威力に拠るに非ず,王室は恰も国内の智力に名を貸したる者なり。廃藩置県は執政の英断に非ず,執政は恰も国内の智力に役せられてその働を実に施したる者なり。

 右の如く全国の智力に由て衆論を成し,その衆論の帰する所にて政府を改め,遂に封建の制度をも廃したることなれども,この衆論に関る人を計ればその数甚だ少し。日本国中の人口を三千万とし,農工商の数は二千五百万よりも多く,士族は僅に二百万に足らず,その他儒医神官僧侶浪人の類を集めて仮に之を士族と視做し,大数五百万人を華士族の党と定め,二千五百万人を平民の党と為し,古より平民は国事に関ることなき風なれば,この度の事に就ても固より之を知らず,故にこの衆論の出る所は必ず士族の党五百万人の内なり。又この五百万人の内にも改革を好む者は甚だ少し。第一これを好まざるの甚しきものは華族なり,次で大臣家老なり,次で大禄の侍なり。この輩は皆改革に由て所損ある者なれば決してこれを好むの理なし。身に才徳なくして家に巨万の財を貯え,官に在ては高官を占め,民間に在ては富有の名望を得たる人物が,国のために義を唱て財を失い身を殺したる者は古来の例に甚だ稀なれば,この度の改革に就ても斯る人物は士族の内にも平民の内にも極て少き筈なり。

 唯この改革を好む者は,藩中にて門閥なき者か,又は門閥あるも常に志を得ずして不平を抱く者か,又は無位無禄にして民間に雑居する貧書生か,何れも皆事にさえ遇えば所得有て所損なき身分の者より外ならず。概して之を云えば改革の乱を好む者は智力ありて銭なき人なり。古今の歴史を見てこれを知るべし。さればこの度の改革を企たる者は士族の党五百万の内僅に十分の一にも足らず,婦人小児を除き何程の人数もなかるべし。何処より発したるとも知れず,不図新奇なる説を唱え出して,何時となく世間に流布し,その説に応ずる者は必ず智力逞しき人物にて,周囲の人は之がために説かれ之がために却され,何心なく雷同する者もあり,止むを得ずして従う者もありて,次第に人数も増し,遂にこの説を認めて国の衆論と為し,天下の勢を圧倒して鬼神の如き政府をも覆したることなり。その後廃藩置県の一挙も華士族一般のためには極て不便利にして,之を好まざる者は十に七,八,この説を主張する者は僅に二,三なれども,その七,八の人数は所謂古風家にて,この党の間に分賦せる智力は甚だ乏しく,二,三の改革者流に有する智力の分量に及ばざること遠し。古風家と改革家とその人数を比較すれば七,八と二,三との割合なれども,智力の量はこの割合を倒にしたるが如し。改革家は唯この智力の量を以て人数の不足を補い,七,八の衆人をしてその欲する所を逞うせしめざりしのみ。

 目今の有様にては真に古風家と称すべき者も甚だ少なく,旧士族の内にその禄位の保つべき議論を立る者もあらず,和漢の古学者流も半は既にその説を変じ,或は牽強附会なる論を作て私に自家の本説を装い,体面を全うして改革家の党に混同せんと欲する者もあり。之を譬えば和睦を名にして降参を謀る者の如し。固よりその名は和睦にても降参にても,混同の久しきに至れば遂には実の方向を同うして,共に文明の路に進むべきが故に,改革家の党は次第に増すべしと雖ども,その初め事を企てゝこれを成したるは人数の多きがために非ず,唯智力に由て衆人を圧したるなり。今日にても古風家の党に智力ある人物を生じて,次第に党与を得て盛に古風を唱ることあらば,必ずその党に勢を増して改革家も路を避くることなるべしと雖ども,幸にして古風家には智力ある者少なく,或は遇ま人物を生ずれば忽ち党に叛て自家の用をば為さゞるなり。

 事の成敗は人の数に由らずして智力の量に由るとのことは前段の確証を以て明に知るべし。故に人間交際の事物は悉皆この智力の在る所を目的として処置せざるべからず。十愚者の意に適せんとして一智者の譏を招くべからず,百愚人の誉言を買わんがために十智者をして不平を抱かしむべからず。愚者に譏らるゝも恥るに足らず,愚者に誉めらるゝも悦ぶに足らず,愚者の譏誉は以て事を処するの縄墨と為すべからず。譬えば周礼に記したる郷飲の意に基き,後世の政府時として酒肴を人民に与うるの例あれども,その人民の喜悦する有様を見て地方の人心を卜すべからず。苟も文明に赴きたる人間世界に居り,人の恵与の物を飲食して之を悦ぶ者は,飢者に非ざれば愚民なり。この愚民の悦ぶを見て之を悦ぶ者は,その愚民に等しき愚者のみ。

 又古史に,国君微行して民間を廻り,童謡を聞て之に感ずるの談あり。何ぞ夫れ迂遠なるや。こは往古の事にて証するに足らざれども,今日に在て正しく之に類する者あり。即ちその者とは独裁の政府に用る所の間諜,是なり。政府暴政を行うて民間に不服の者あらんことを恐れ,小人を遣て世間の事情を探索せしめ,その言を聞て政を処置せんと欲するものあり。この小人を名けて間諜と云う。抑もこの間諜なる者は誰に接して何事を聞くべきや。堂々たる士君子は人にものを隠すことなし。或は陰に乱を企る者あらば,その人物は必ず間諜よりも智力逞き者なれば,誰かこの小人をして密事を探り得せしめん。故に間諜なる者は唯銭のために役せられて世間に徘徊し,愚民に接して愚説を聞き,自己の臆断を交えて之を主人に報ずるのみ。事実に於て毫も益することなく,主人のためには銭を失うて徒に智者の嘲を買う者と云うべし。

 仏蘭西の第三世「ナポレオン」多年間諜を用いたれども,孛魯士と戦争のときには国民の情実を探り得ざりしにや,一敗の下に生捕られたるに非ずや。之を鑑みざるべからず。政府若し世間の実情を知らんと欲せば,出版を自由にして智者の議論を聞くに若かず。著書新聞紙に制限を立てゝ智者の言路を塞ぎ,間諜を用いて世情の動静を探索するは,その状恰も活物を密封して空気の流通を絶ち,傍よりその死生を候うが如し。何ぞ夫れ鄙劣なるや。その死を欲せば,打て殺すべし,焼て殺すべし。人民の智力を以て国に害ありとせば,天下に読書を禁ずるも可なり,天下の書生を坑にするも可なり。秦皇の先例則とるべきなり。「ナポレオン」の英明も尚この鄙劣を免かれず,政治家の心術賤むに堪たり。

 第二 人の議論は集て趣を変ずることあり。性質臆病なる者にても三人相集れば暗夜に山路を通行して恐るゝことなし。蓋しその勇気は人々に就て求むべからず,三人の間に生ずる勇気なり。又或は十万の勇士風声鶴唳を聞て走ることあり。蓋しその臆病は人々に就て求むべからず,十万人の間に生ずる臆病なり。人の智力議論は猶化学の定則に従う物品の如し。曹達と塩酸とを各別に離せば何れも劇烈なる物にて,或は金類をも鎔解するの力あれども,之を合すれば尋常の食塩と為て厨下の日用に供すべし。石灰とドウ[砂]とは何れも劇烈品に非ざれども,之を合して[ドウ]砂精と為せばその気以て人を卒倒せしむべし。近来我日本に行わるゝ諸方の会社なるものを見るに,その会社愈大なればその不始末愈甚しきが如し。百人の会社は十人の会社に若かず,十人の会社は三人の組合に若かず,三人の組合よりも一人にて元手を出し一人の独断にて商売すれば利を得ること最も多し。抑も方今にて結社の商売を企る者は大抵皆世間の才子にて,かの古風なる頑物が祖先の遺法を守て爪に火を灯す者に比すれば,その智力の相違固より同日の論に非ず。然るにこの才子相会して事を謀るに至れば,忽ちその性を変じて捧腹に堪えざる失策を行い世間に笑わるゝのみならず,その会社中の才子も自からその然る所以を知らずして憮然たるものあり。又今の政府の官員も皆国内の人物にて,日本国中の智力は大半政府に集ると云うも可なり。然りと雖どもこの人物政府に会して事を為すに当ては,その処置必ずしも智ならず,所謂衆智者結合の変性なるものにて,彼の有力なる曹達と塩酸と合して食塩を生ずるの理に異ならず。概して云えば日本の人は仲間を結で事を行うに当り,その人々持前の智力に比して不似合なる拙を尽す者なり。

 西洋諸国の人民必ずしも智者のみに非ず。然るにその仲間を結で事を行い世間の実跡に顕わるゝ所を見れば,智者の所為に似たるもの多し。国内の事務悉皆仲間の申合せに非ざるはなし。政府も仲間の申合せにて議事院なるものあり。商売も仲間の組合にて「コンペニ」なるものあり。学者にも仲間あり,寺にも仲間あり。僻遠の村落に至るまでも小民各仲間を結で公私の事務を相談するの風なり。既に仲間を分てばその仲間毎に各固有の議論なきを得ず。譬えば数名の朋友か,又は二,三軒の近隣にて仲間を結めば,乃ちその仲間に固有の説あり。合して一村と為れば一村の説あり,一州と為り一郡と為れば亦一州一郡の説あり。此の説と彼の説と相合して少しく趣を変じ,又合し又併せて遂に一国の衆論を定むることにて,その趣は恰も若干の兵士を集めて小隊と為し,合して中隊と為し,又併せて大隊と為すが如し。大隊の力はよく敵に向て戦うべしと雖ども,その兵士の一己に就て見れば必ずしも勇士のみに非ず。故に大隊の力は兵士各個の力に非ず,その隊を結たるがために別に生じたるものと云うべし。今一国の衆論もその定りたる上にて之を見れば頗る高尚にして有力なれども,その然る由縁は,高尚にして有力なる人物の唱えたるが故のみを以て議論の盛なるに非ず,この議論に雷同する仲間の組合宜しきを得て,仲間一般の内に於て自から議論の勇気を生じたるものなり。概して云えば,西洋諸国に行わるゝ衆論はその国人各個の才智よりも更に高尚にして,その人は人物に不似合なる説を唱え不似合なる事を行う者と云うべし。

 右の如く西洋の人は智恵に不似合なる銘説を唱て不似合なる巧を行う者なり。東洋の人は智恵に不似合なる愚説を吐て不似合なる拙を尽す者なり。今その然る所以の源因を尋るに,唯習慣の二字に在るのみ。習慣久しきに至れば第二の天然と為り,識らず知らずして事を成すべし。西洋諸国衆議の法も数十百年の古より世々の習慣にてその俗を成したるものなれば,今日に至ては知らずして自から体裁を得ることならん。亜細亜諸国に於ては則ち然らず,印度の「カステイ」の如く,人の格式を定めて偏重の勢を成し,その利害を別にしその得失を殊にし,自から互に薄情なるのみならず,暴政府の風にて故さらに徒党を禁ずるの法を設て人の集議を妨げ,人民も亦只管無事を欲するの心よりして徒党と集議との区別を弁論する気力もなく,唯政府に依頼して国事に関らず,百万の人は百万の心を抱て各一家の内に閉居し,戸外は恰も外国の如くして嘗て心に関することなく,井戸浚の相談も出来難し,況や道普請に於てをや。行斃を見れば走て過ぎ,犬の糞に[逢]えば避けて通り,俗に所謂掛り合を[遁]るゝに忙わしければ,何ぞ集議を企るに遑あらん。習慣の久しきその風俗を成し,遂に今の有様に陥りたるなり。之を譬えば世に銀行なる者なくして,人民皆その余財を家に貯え,一般の融通を止めて国に大業の企つべからざるが如し。国内の毎戸を尋れば財本の高なきに非ず,唯毎戸に溜滞して全国の用を為さゞるのみ。人民の議論も亦斯の如し。毎戸に問い毎人に叩けば各所見なきに非ざれども,その所見百千万の数に分れ,之を結合するの手段を得ずして全国の用を為さゞるものなり。

 世の学者の説に,人民の集議は好むべきことなれども無智の人民は気の毒ながら専制の下に立たざるを得ず,故に議事を始るには時を待つべして云うものあり。蓋しその時とは人民に智を生ずるの時なるべしと雖ども,人の智恵は夏の草木の如く一夜の間に成長するものに非ず,仮令い或は成長することあるも習慣に由て用るに非ざれば功を成し難し。習慣の力は頗る強盛なるものにて,之を養えばその働に際限あるべからず。遂には私有保護の人心をも圧政するに足れり。その一例を示さん。今我国にて政府の歳入凡そ五分の一は華士族の家禄に費し,その銭穀の出る処は農商より外ならず。今この禄を廃すれば農商の所出は五分の一を減じて,五俵の年貢は四俵と為るべし。小民愚なりと雖ども四と五を区別するの智力なしと云うべからず。百姓の身と為りて一方より考れば入組たる事に非ず,唯己が作り出したる米を分て無縁の人を養うことなれば,与うると与えざるとの二議あるのみ。又士族の身と為りて考れば家禄は祖先伝来の家産なり,先祖に手柄ありて貰いしものなれば自から日傭賃に異なり,今我輩に兵役あらざればとて何ぞ先祖の賞典を止めて家産を失うの理あらんや,士族を無用なりとしてその家に属したる禄を奪うことならば,富商豪農の無為にして食う者もその産を奪わざるべからず,何ぞ独り我輩の産を削て無縁の百姓町人を肥さんやと。斯く説を述れば亦一理なきに非ざれども,士族の内にもこの議論あるを聞かず。百姓も士族も現に己が私有を得ると失うとの界に居て,恬として他国の話を聞くが如く,天然の禍福を待つが如く,唯黙坐して事の成行を観るのみ。実に怪しむべきに非ずや。仮に西洋諸国に於てこの類の事件あらしめなば,その世論如何なるべきや。衆口沸くが如く一時の舌戦を開て大騒動なるべし。余輩固より家禄与奪の得失を爰に論ずるには非ざれども,唯日本人が無議の習慣に制せられて,安んずべからざるの穏便に安んじ,開くべきの口を開かず,発すべきの議論を発せざるを驚くのみ。

 利を争うは古人の禁句なれども,利を争うは即ち理を争うことなり。今我日本は外国人と利を争うて理を闘するの時なり。内に居て澹泊なる者は外に対しても亦澹泊ならざるを得ず,内に愚鈍なる者は外に活[溌]なるを得ず。士民の愚鈍澹泊は政府の専制には便利なれども,この士民を頼て外国の交際は甚だ覚束なし。一国の人民として地方の利害を論ずるの気象なく,一人の人として独一個の栄辱を重んずるの勇力あらざれば,何事を談ずるも無益なるのみ。蓋しその気象なく又その勇力なきは,天然の欠点に非ず,習慣に由て失うたるものなれば,之を恢復するの法も亦習慣に由らざれば叶うべからず。習慣を変ずること大切なりと云うべし。

 

 文明論之概略 巻之二 終

文明論之概略 巻之三 第六章 智徳の弁

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp