ふくざわゆきち | 福澤諭吉

文明論之概略 巻之一 第二章  西洋の文明を目的とする事

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:09

文明論之概略 巻之一

第二章  西洋の文明を目的とする事

 前章に事物の軽重是非は相対したる語なりと云えり。されば文明開化の字も亦相対したるものなり。今世界の文明を論ずるに,欧羅巴諸国並に亜米利加の合衆国を以て最上の文明国と為し,土耳古,支那,日本等,亜細亜の諸国を以て半開の国と称し,阿非利加及び墺太利亜等を目して野蛮の国と云い,この名称を以て世界の通論となし,西洋諸国の人民独り自から文明を誇るのみならず,彼の半開野蛮の人民も,自からこの名称の誣いざるに服し,自から半開野蛮の名に安んじて,敢て自国の有様を誇り西洋諸国の右に出ると思う者なし。啻にこれを思わざるのみならず,稍や事物の理を知る者は,その理を知ること愈深きに従い,愈自国の有様を明にし,愈これを明にするに従い,愈西洋諸国の及ぶべからざるを悟り,これを患い,これを悲み,或は彼に学でこれに傚わんとし,或は自から勉てこれに対立せんとし,亜細亜諸国に於て識者終身の憂は唯この一事に在るが如し。【(この部分二段組み)頑陋なる支那人も近来は伝習生徒を西洋に遣りたり。その憂国の情以て見るべし。】然ば則ち彼の文明,半開,野蛮の名称は,世界の通論にして世界人民の許す所なり。そのこれを許す所以は何ぞや。明にその事実ありて欺くべからざるの確証を見ればなり。左にその趣を示さん。即是れ人類の当に経過すべき階級なり。或は之を文明の齢と云うも可なり。

 第一 居に常処なく食に常品なし。便利を遂うて群を成せども,便利尽くれば忽ち散じて痕を見ず。或は処を定めて農漁を勤め,衣食足らざるに非ずと雖ども器械の工夫を知らず,文字なきには非ざれども文学なるものなし。天然の力を恐れ,人為の恩威に依頼し,偶然の禍福を待つのみにて,身躬から工夫を運らす者なし。これを野蛮と名く。文明を去ること遠しと云うべし。

 第二 農業の道大に開けて衣食具わらざるに非ず。家を建て都邑を設け,その外形は現に一国なれども,その内実を探れば不足するもの甚だ多し。文学盛なれども実学を勤る者少く,人間交際に就ては猜疑嫉妬の心深しと雖ども,事物の理を談ずるときには疑を発して不審を質すの勇なし。摸擬の細工は巧なれども新に物を造るの工夫に乏しく,旧を脩るを知て旧を改るを知らず。人間の交際に規則なきに非ざれども,習慣に圧倒せられて規則の体を成さず。これを半開と名く。未だ文明に達せざるなり。

 第三 天地間の事物を規則の内に籠絡すれども,その内に在て自から活動を逞うし,人の気風快発にして旧憤に惑溺せず,身躬からその身を支配して他の恩威に依頼せず,躬から徳を脩め躬から智を研き,古を慕わず今を足れりとせず,小安に安んぜずして未来の大成を謀り,進て退かず達して止まらず,学問の道は虚ならずして発明の基を開き,工商の業は日に盛にして幸福の源を深くし,人智は既に今日に用いてその幾分を余し,以て後日の謀を為すものゝ如し。是れを今の文明と云う。野蛮半開の有様を去ること遠しと云うべし。

 右の如く三段に区別してその有様を記せば,文明と半開と野蛮との境界分明なれども,元とこの名称は相対したるものにて,未だ文明を見ざるの間は半開を以て最上とするも妨あることなし。この文明も半開に対すればこそ文明なれども,半開と雖どもこれを野蛮に対すれば亦これを文明と云わざるを得ず。譬えば今支那の有様を以て西洋諸国に比すれば之を半開と云わざるを得ず。されどもこの国を以て南阿非利加の諸国に比するか,近くは我日本上国の人民を以て蝦夷人に比するときは,これを文明と云うべし。又西洋諸国を文明と云うと雖ども,正しく今の世界に在てこの名を下だすべきのみ。細にこれを論ずれば足らざるもの甚だ多し。戦争は世界無上の禍なれども,西洋諸国常に戦争を事とせり。盗族殺人は人間の一大悪事なれども,西洋諸国にて物を盗む者あり人を殺す者あり。国内に党与を結で権を争う者あり,権を失うて不平を唱る者あり。況やその外国交際の法の如きは,権謀術数至らざる所なしと云うも可なり。唯一般に之を見渡して善盛に趣くの勢あるのみにて,決して今の有様を見て直に之を至善と云うべからず。今後数千百年にして世界人民の智徳大に進み太平安楽の極度に至ることあらば,今の西洋諸国の有様を見て愍然たる野蛮の歎を為すこともあるべし。是に由てこれを観れば文明には限なきものにて,今の西洋諸国を以て満足すべきに非ざるなり。

 西洋諸国の文明は以て満足するに足らず。然ば則ちこれを捨てゝ採らざるか。これを採らざるときは何れの地位に居て安んずるか。半開も安んずべき地位に非ず,況んや野蛮の地位に於てをや。この二の地位を棄れば別に又帰する所を求めざるべからず。今より数千百年の後を期して彼の太平安楽の極度を待たんとするも,唯是れ人の想像のみ。且文明は死物に非ず,動て進むものなり。動て進むものは必ず順序階級を経ざるべからず。即ち野蛮は半開に進み,半開は文明に進み,その文明も今正に進歩の時なり。欧羅巴と雖どもその文明の由来を尋れば必ずこの順序階級を経て以て今日の有様に至りしものなれば,今の欧羅巴の文明は即ち今の世界の人智を以て僅に達し得たる頂上の地位と云うべきのみ。されば今世界中の諸国に於て,仮令いその有様は野蛮なるも或は半開なるも,苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を定め,この本位に拠て事物の利害損得を談ぜざるべからず。本書全編に論ずる所の利害得失は,悉皆欧羅巴の文明を目的と定めて,この文明のために利害あり,この文明のために得失あり,と云うものなれば,学者その大趣意を誤る勿れ。

 或人云く,世界中の国々相分れて各独立の体を成せば,又随て人心風俗の異なるあり,国体政治の同じからざるあり。然るに今その国の文明を謀て利害得失悉皆欧羅巴を目的と為すとは不都合ならずや,宜しく彼の文明を採り此の人の心風俗を察し,その国体に従いその政治を守り,これに適するものを撰て,取るべきを取り捨べきを捨て,始て調和の宜を得べきなりと。

 答て云く,外国の文明を取て半開の国に施すには固より取捨の宜なかるべからず。然りと雖ども文明には外に見わるゝ事物と内に存する精神と二様の区別あり。外の文明はこれを取るに易く,内の文明はこれを求るに難し。国の文明を謀るにはその難を先にして易を後にし,難きものを得るの度に従てよくその深浅を測り,乃ちこれに易きものを施して正しくその深浅の度に適せしめざるべからず。若し或はこの順序を誤り,未だその難きものを得ずして先ず易きものを施さんとするときは,啻にその用を為さゞるのみならず却て害を為すこと多し。抑も外に見わるゝ文明の事物とは衣服飲食器械住居より政令法律等に至るまで都て耳目以て聞見すべきものを云うなり。今この外形の事物のみを以て文明とせば,固より国の人心風俗に従て取捨なかるべからず。西洋各国境を接するの地と雖ども,その趣必ずしも比隣一様ならず,況や東西隔遠なる亜細亜諸邦に於て悉皆西洋の風に傚うべけんや。仮令いこれに傚うも之を文明と云うべからず。譬えば近来我国に行わるゝ西洋流の衣食住を以て文明の徴候と為すべきや。断髪の男子に[逢]てこれを文明の人と云うべきや。肉を喰う者を見て之を開化の人と称すべきや。決して然るべからず。或は日本の都府にて石室鉄橋を摸製し,或は支那人が俄に兵制を改革せんとして西洋の風に傚い,巨艦を造り大砲を買い,国内の始末を顧みずして漫に財用を費すが如きは,余輩の常に悦ばざる所なり。是等の事物は人力を以て作るべし,銭を投じて買うべし。有形中の最も著しきものにて,易中の最も易きものなれば,之を取るの際に当ては固より前後緩急の思慮なくして可ならんや。必ず自国の人心風俗に従わざるべからず,必ず自国の強弱貧困に問わざるべからず。即ち或人所云の人心風俗を察するとはこの事なるべし。

 この一段に就ては余輩固より異論なしと雖ども,或人は唯文明の外形のみを論じて,文明の精神をば捨てゝ問わざるものゝ如し。蓋しその精神とは何ぞや。人民の気風即是なり。この気風は売るべきのものに非ず,買うべきものに非ず,又人力を以て遽に作るべきものにも非ず。洽ねく一国人民の間に浸潤して広く全国の事跡に顕わるゝと雖ども,目以てその形を見るべきものに非ざれば,その存する所を知ること甚だ難し。今試にその在る所を示さん。学者若し広く世界の史類を読て,亜細亜,欧羅巴の二流を比較し,その地理産物を問わず,その政令法律に拘わらず,学術の巧拙を聞かず,宗門の異同を尋ねずして,別にこの二洲の趣をして互に相懸隔せしむる所のものを求めなば,必ず一種無形の物あるを発明すべし。その物たるやこれを形容すること甚だ難し。これを養えば成長して地球万物を包羅し,これを圧抑すれば萎縮して遂にその形影をも見るべからず。進退あり栄枯ありて片時も動かざることなし。その幻妙なること斯の如しと雖ども,現に亜欧二洲の内に於て互にその事跡に見わるゝ所を見れば,明にその虚ならざるを知るべし。今仮に名を下だして,これを一国人民の気風と云うと雖ども,時に就て云うときはこれを時勢と名け,人に就ては人心と名け,国に就ては国俗又は国論と名く。所謂文明の精神とは即ちこの物なり。かの二洲の趣をして懸隔せしむるものは即ちこの文明の精神なり。故に文明の精神とは或はこれを一国の人心風俗と云うも可なり。

 これに由て考れば,或人の説に西洋の文明を取らんとするも先ず自国の人心風俗を察せざるべからずと云いしは,その字句足らずして分明ならざるに似たれども,よくその意味を砕てこれを解くときは,即ち文明の外形のみを取るべからず,必ず先ず文明の精神を備えてその外形に適すべきものなかるべからずとの意見を述べたるものなり。今余輩が欧羅巴の文明を目的とすると云うも,この文明の精神を備えんがために,これを彼に求るの趣意なれば,正しくその意見に符号するなり。唯或人は文明を求るに当てその形を先にし,忽ち妨碍に[逢]てその妨碍を遁るゝの路を知らず,余輩はその精神を先にして預め妨碍を除き,外形の文明をして入るに易からしめんとするの相違あるのみ。或人は文明を嫌う者に非ず,唯これを好むこと我輩の如く切ならずして,未だその議論を極めざるのみ。

 前論に文明の外形はこれを取るに易くその精神はこれを求るに難しとの次第を述べたり。今又この義を明にせん。衣服飲食器械住居より政令法律等に至るまで皆耳目の聞見すべきものなり。而して政令法律はこれを衣食住居等に比すれば稍やその趣を異にし,耳目以て聞見すべしと雖も手を以て握り銭を以て売買すべき実物にあらざれば,これを取るの法も亦稍や難くして衣食住居等の比にあらず。故に今鉄橋石室を以て西洋に擬するは易しと雖ども,政法を改革するは甚だ難し。即是れ我日本にても,鉄橋石室は既に成りて政法の改革は未だ行われ難く国民の会議も遽に行わるべからざる由縁なり。尚一歩を進めて全国人民の気風を一変するが如きはその事極て難く,一朝一夕の偶然に由て功を奏すべきに非ず。独り政府の命を以て強ゆべからず,独り宗門の教を以て説くべからず,況や僅に衣食住居等の物を改革して外より之を導くべけんや。唯その一法は人生の天然に従い,害を除き故障を去り,自から人民一般の智徳を発生せしめ,自からその意見を高尚の域に進ましむるに在るのみ。斯の如く天下の人心を一変するの端を開くときは,政令法律の改革も亦漸く行われて妨碍なかるべし。人心既に面目を改め政法既に改まれば,文明の基,始めてこゝに立ち,かの衣食住有形の物の如きは自然の勢に従い,これを招かずして来り,これを求めずして得べし。故に云く,欧羅巴の文明を求るには難を先にして易を後にし,先ず人心を改革して次で政令に及ぼし,終に有形の物に至るべし。この順序に従えば,事を行うは難しと雖ども,実の妨碍なくして達すべきの路あり。この順序を倒にすれば,事は易きに似たれども,その路忽ち閉塞し,恰も墻壁の前に立つが如くして寸歩を進ること能わず,或はその壁前に躊躇するか,或は寸を進めんとして却て激して尺を退くることあるべし。

 右は唯文明を求るの順序を論じたるものなれども,余輩決して有形の文明を以て到底無用なりとするに非ず。有形にても無形にても,之を外国に求るも之を内国に造るも,差別あるべからず。唯その際に前後緩急の用心あるべきのみ。決して之を禁ずるに非ず。抑も人生の働には際限あるべからず。身体の働あり,精神の働あり。その及ぶ所甚だ広く,その需る所極て多くして,天性自から文明に適するものなれば,苟もその性を害せざれば則ち可なり。文明の要は唯この天然に稟け得たる身心の働を用い尽して遺す所なきに在るのみ。

 譬えば草昧の時代には人皆腕力を貴び,人間の交際を支配するものは唯腕力の一品にして,交際の権力一方に偏せざるを得ず。人の働を用ること極て狭しと云うべし。文化少しく進で世人の精神漸く発生すれば,智力の方にも自から権を占めて腕力と相対し,智力と腕力と互に相制し互に相平均して,聊か権威の偏重を防ぐに足るものあり。人の働を用るに少しくその区域を増したりと云うべし。然りと雖どもこの腕力と智力とを用るに当て,古はその箇条甚だ少なく,腕力をば専ら戦闘に費して他は顧るに遑あらず。衣食住の物を求るが如きは僅に戦闘の余力を用るのみ。所謂尚武の風俗是なり。智力も亦漸くその権を得ると雖ども,当時野蛮の人心を維持するに忙わしければ,その働を和好平安の事に施すべからずして,専ら之を治民制人の方便に用い,腕力と互に依頼して未だ智力独立の地位なるものなし。

 今試に世界の諸国を見るに,野蛮の民は勿論,半開の国に於ても,智徳ある者は必ず様々の関係を以て政府に属し,その力に依頼して人を治るの事を為すのみ。或は稀に自から一身のためを謀る者あるも,単に古学を脩るか,若しくは詩歌文章等の技芸に耽るに過ぎず。人の働を用ること未だ広からずと云うべし。人事漸く繁多にして身心の需用次第に増加するに至て,世間に発明もあり工夫も起り,工商の事も忙わしく学問の道も多端にして,又昔日の単一に安んずべからず。戦闘,政治,古学,詩歌等も僅に人事の内の一箇条と為りて,独り権力を占るを得ず。千百の事業,並に発生して共にその成長を競い,結局は此彼同等平均の有様に止て,互に相迫り互に相推して,次第に人の品行を高尚の域に進めざるを得ず。是に於てか始て智力に全権を執り,以て文明の進歩を見るべきなり。

 都て人類の働は愈単一なればその心愈専ならざるを得ず。その心愈専なればその権力愈偏せざるを得ず。蓋し古の時代には事業少なくして人の働を用ゆべき場所なく,之がためにその力も一方に偏したることなれども,歳月を経るに従て恰も無事の世界を変じて多事の域と為し,身心のために新に運動の地を開拓したるが如し。今の西洋諸国の如きは正に是れ多事の世界と云うべきものなり。故に文明を進るの要は,勉めて人事を忙わしくして需用を繁多ならしめ,事物の軽重大小を問わず,多々益これを採用して益精神の働を活[溌]ならしむるに在り。然り而して,苟も人の天性を妨ることなくば,その事は日に忙わしくしてその需用は月に繁多ならざるを得ず。世界古今の実験に由て見るべし。是即ち人生の自から文明に適する所以にして,蓋し偶然には非ず。之を造物主の深意と云うも可なり。

 この議論を推して考れば,爰に又一の事実を発明すべし。即ちその事実とは,支那と日本との文明異同の事なり。純然たる独裁の政府又は神政府と称する者は,君主の尊き由縁を一に天与に帰して,至尊の位と至強の力とを一に合して人間の交際を支配し,深く人心の内部を犯してその方向を定るものなれば,この政治の下に居る者は,思想の向う所,必ず一方に偏し,胸中に余地を遺さずして,その心事常に単一ならざるを得ず。【(この部分二段組み)心事繁多ならず】故に世に事変ありて聊かにてもこの交際の仕組を破るものあれば,事柄の良否に拘わらず,その結果は必ず人心に自由の風を生ずべし。

 支那にて周の末世に,諸候各割拠の勢を成して人民皆周室あるを知らざること数百年,この時に当て天下大に乱ると雖ども,独裁専一の元素は頗る権力を失うて,人民の心に少しく余地を遺し自から自由の考を生じたることにや,支那の文明三千余年の間に,異説争論の喧しくして,黒白全く相反するものをも世に容るゝことを得たるは,特に周末を以て然りとす。【(この部分二段組み)老壮楊墨その他百家の説甚だ多し。】孔孟の所謂異端是なり。この異端も孔孟より見ればこそ異端なれども,異端より論ずれば孔孟も亦異端たるを免かれず。今日に至ては遺書も乏しくして之を証するに由なしと雖ども,当時人心の活溌*にして自由の気風ありしは推して知るべし。且つ秦の始皇,天下を一統して書を焚たるも,専ら孔孟の教のみを悪みたるに非ず。孔孟にても楊墨にても都て百家の異説争論を禁ぜんがためなり。当時若し孔孟の教のみ世に行われたることならば,秦皇も必ずしも書を焚くには及ばざるべし。如何となれば後世にも暴君は多くして秦皇の暴に劣らざる者ありと雖ども,嘗て孔孟の教を害とせざるを以て知るべし。孔孟の教は暴君の働を妨るに足らざるものなり。然り而して秦皇が特に当時の異説争論を悪て之を禁じたるは何ぞや。その衆口の喧しくして特に己が専制を害するを以てなり。専制を害するものとあれば他に非ず,この異説争論の間に生じたるものは必ず自由の元素たりしこと明に証すべし。

 故に単一の説を守れば,その説の性質は仮令い純精善良なるも,之に由て決して自由の気を生ずべからず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知るべし。秦皇一度びこの多事争論の源を塞ぎ,その後は天下復た合して永く独裁の一政治に帰し,政府の家は屡交代すと雖ども,人間交際の趣は改ることなく,至尊の位と至強の力とを一に合して世間を支配し,その仕組に最も便利なるがために独り孔孟の教のみを世に伝えたることなり。

 或人の説に,支那は独裁政府と雖ども尚政府の変革あり,日本は一系万代の風なればその人民の心も自から固陋ならざるべからずと云う者あれども,この説は唯外形の名義に拘泥して事実を察せざるものなり。よく事実の在る所を詳にすれば果して反対を見るべし。その次第は,我日本にても古は神政府の旨を以て一世を支配し,人民の心単一にして,至尊の位は至強の力に合するものとして之を信じて疑わざる者なれば,その心事の一方に偏すること固より支那人に異なるべからず。然るに中古武家の代に至り漸く交際の仕組を破て,至尊必ずしも至強ならず,至強必ずしも至尊ならざるの勢と為り,民心に感ずる所にて至尊の考と至強の考とは自から別にして,恰も胸中に二物を容れてその運動を許したるが如し。既に二物を容れてその運動を許すときは,その間に又一片の道理を雑えざるべからず。故に神政尊祟の考と武力圧制の考と之に雑るに道理の考とを以てして,三者各強弱ありと雖ども一としてその権力を専にするを得ず。之を専にするを得ざればその際に自から自由の気風を生ぜざるべからず。之を彼の支那人が純然たる独裁の一君を仰ぎ,至尊至強の考を一にして一向の信心に惑溺する者に比すれば同日の論に非ず。この一事に就ては支那人は思想に貧なる者にして日本人は之に富める者なり。支那人は無事にして日本人は多事なり。心事繁多にして思想に富める者は惑溺の心も自から淡泊ならざるを得ず。

 独裁の神政府にて,日蝕の時に天子席を移し,天文を見て吉凶を卜する等の事を行えば,人民も自からその風に靡き,益君上を神視して益愚に陥ることあり。方今支那の如きは正にこの風を成せりと雖ども,我日本に於ては則ち然らず。人民固より愚にして惑溺甚しからざるに非ずと雖ども,その惑溺は即ち自家の惑溺にして,神政府の余害を蒙りたるものは稍や少なしと云うべし。譬えば武家の世に,日蝕あれば天子は席を移したることもあらん,或は天文を窺い或は天地を祭りたることもあらんと雖ども,この至尊の天子に至強の力あらざれば,人民は自から之を度外に置て顧るものなし。 亦至強の将軍はその威力誠に至強にして一世を威服するに足ると雖ども,人民の目を以て之を見れば至尊の天威を仰ぐが如くならずして自から之を人視せざるを得ず。斯の如く至尊の考と至強の考と互に相平均してその間に余地を遺し,聊かにても思想の運動を許して道理の働くべき端緒を開きたるものは,之を我日本偶然の僥倖と云わざるを得ず。

 今の時勢に至ては武家の復古も固より願うべきに非ずと雖ども,仮に幕政七百年の間に王室をして将家の武力を得せしむるか,又は将家をして王室の位を得せしめ,至尊と至強と相合一して人民の身心を同時に犯したることあらば,迚も今の日本はあるべからず。或は今日に至て彼の皇学者流の説の如く,政祭一途に出るの趣意を以て世間を支配することあらば,後日の日本も亦なかるべし。今その然らざる者は之を我日本人民の幸福と云うべきなり。故に云く,支那は独裁の神政府を万世に伝えたる者なり,日本は神政府の元素に対するに武力を用いたる者なり。支那の元素は一なり,日本の元素は二なり。この一事に就て文明の前後を論ずれば,支那は一度び変ぜざれば日本に至るべからず。西洋の文明を取るに日本は支那よりも易しと云うべし。

 前段或人の言に,各その国体を守て西洋の文明を取捨すべし云々の論あり。国体を論ずるはこの章の趣意に非ざれども,他の文明を取るの談に当て,先ず人の心に故障を感ぜしむる者は国体論にして,その甚しきは国体と文明とは並立すべからざる者の如くして,この一段に至ては世の議論家も口を閉じて又云わざる者多し。その状恰も未だ鋒を交えずして互に退くが如し。迚も和戦の成行は見るべからず。況やその事理を詳に論ずれば,必ず戦うに及ばずして明に一和の路あるに於てをや。何ぞ之を捨てゝ論ぜざるの理あらん。是れ余輩が文の長きを厭わずして,爰に或人の言に答て弁論する所以なり。

 第一 国体とは何物を指すや。世間の議論は姑く擱き,先ず余輩の知る所を以て之を説かん。体は合体の義なり,又体裁の義なり。物を集めて之を全うし他の物と区別すべき形を云うなり。故に国体とは,一種族の人民相集て憂楽を共にし,他国人に対して自他の別を作り,自から互に視ること他国人を視るよりも厚くし,自から互に力を尽すこと他国人の為にするよりも勉め,一政府の下に居て自から支配し他の政府の制御を受るを好まず,禍福共に自から担当して独立する者を云うなり。西洋の語に「ナシヨナリチ」と名るもの是なり。凡そ世界中に国を立るものあれば亦各その体あり。支那には支那の国体あり,印度には印度の国体あり。西洋諸国,何れも一種の国体を具えて自から之を保護せざるはなし。この国体の情の起る由縁を尋るに,人種の同じきに由る者あり,宗旨の同じきに由る者あり,或は言語に由り,或は地理に由り,その趣一様ならざれども,最も有力なる源因と名くべきものは,一種の人民共に世態の沿革を経て懐古の情を同うする者,即是なり。或はこの諸件に拘わらずして国体を全うする者もなきに非ず。瑞西に国体堅固なれども,その国内の諸州は各人種を異にし言語を異にし宗旨を異にする者あるが如し。然りと雖どもこの諸件相同じければその人民に多少の親和なきを得ず。日耳曼の諸国の如きは,各独立の体を成すと雖どもその言語文学を同うし懐古の情を共にするが為に,今日に至るまでも日耳曼は自から日耳曼全州の国体を保護して他国と相別つ所あり。

 国体はその国に於て必ずしも終始一様なるべからず,頗る変化あるものなり。或は合し或は分れ,或は伸る者あり或は蹙む者あり,或は全く絶て跡なき者あり。而してその絶ると絶えざるとは言語宗旨等の諸件の存亡を見て徴すべからず。言語宗旨は存すと雖ども,その人民政治の権を失うて他国人の制御を受るときは,則ち之を名て国体を断絶したるものと云う。譬えば英と蘇格蘭と相合して一政府を共にしたるは,国体の合したる者にて双方共に失う所なし。荷蘭と白耳義と分れて二政府と為りたるは,国体の分れたる者なれども尚他国人に奪われたるに非ず。支那にては宋の末に国体を失うて元に奪われたり。之を中華滅亡の始とす。後又元を殪して旧に復し大明一統の世となりたるは,中華の面目と云うべし。然るに明末に及て又満清のために政権を奪われ,遂に中華の国体を断絶して満清の国体を伸ばしたり。今日に至るまで中華の人民は,旧に依て言語風俗を共にし,或はその中に人物あれば政府の高官にも列することを得て,外形は清と明と合体の風に見ゆれども,その実は中華南方の国体を失うて北方の満清に之を奪われたるものなり。又印度人が英に制せられ,亜米利加の土人が白人に逐われたるが如きは国体を失うの甚しきものなり。結局国体の存亡はその国人の政権を失うと失わざるとに在るものなり。

 第二 国に「ポリチカル・レジチメ-ション」と云うことあり。「ポリチカル」とは政の義なり。「レジチメ-ション」とは正統又は本筋の義なり。今仮に之を政統と訳す。即ちその国に行われて普く人民の許す政治の本筋と云うことなり。世界中の国柄と時代とに従て政統は一様なるべからず。或は立君の説を以て政統とするものあり,或は封建割拠の説を以て政統と為す者あり,或は民庶会議を以て是とし,或は寺院,政を為すを以て本筋と為すものあり。抑もこの政統の考の起る由縁を尋るに,この諸説の初に権を得るや必ず半ば腕力を用るを免れずと雖ども,既に権を得れば乃ち又腕力を燿すを要せず,啻に之を要せざるのみならず,その権を得たる由縁を腕力の所為に帰するは,その有権者の禁句にて之を忌むこと甚し。如何なる政府にても之に向てその権威の源を問わば,必ず之に答て云わん,我権を有するは理の為なり,我権を保つや歳月既に旧しとて,時の経過するに従て次第に腕力を棄てゝ道理に依頼せざる者なし。腕力を悪て道理を好むは人類の天性なれば,世間の人も政府の処置の理に適するを見て之を悦び,歳月を経るに従て益これを本筋のものと為し,旧を忘れて今を慕い,その一世の事物に付き不平を訴ることなきに至るべし。是即ち政統なるものなり。故に政統の変革は戦争に由て成るもの多し。支那にて秦の始皇が周末の封建を殪して郡県と為し,欧羅巴にて羅馬の衰微するに従い北方の野蛮これを蹂躙して後遂に封建の勢を成したるもこの例なり。然りと雖ども人文漸く進て学者の議論に権威を増し,兼て又その国の事情に都合よきことあれば,必ずしも兵力を用いずして無事の際に変革することあり。

 譬えば英国にて今日の政治を以て千七百年代の初に比較せば,その趣雲壌懸隔して殆ど他国の政の如くなるべしと雖ども,同国にて政権の事に付き内乱に及びたるは千六百年の央より末に至るまでのことにて,千六百八十八年,第三世「ヰルレム」が位に即きしより後は,この事に付き絶て干戈を邦内に動かしたることなし。故に英の政統は百六,七十年の間に大に変革したれども,その間に少しも兵力を用ることなく,識らず知らず趣を改めて,前の人民は前の政を本筋のものと思い,後の人民は後の政を本筋のものと思うのみ。或は又不文の世に在ても兵力を用いずして政統を改ることあり。往古仏蘭西にて「カラウヒンジヤ」の諸君,仏王に臣とし仕えて,その実は国権を握りたるが如し。日本にて藤原氏の王室に於ける,北条氏の源氏に於けるも,この例なり。

 政統の変革は国体の存亡に関係するものに非ず。政治の風は何様に変化し幾度の変化を経るも,自国の人民にて政を施すの間は国体に損することなし。往古合衆政治たりし荷蘭は今日立君の政を奉じ,近くは仏蘭西の如き百年の間に政治の趣を改ること十余度に及びたれども,その国体は依然として旧に異ならず。前条にも云う如く,国体を保つの極度は他国の人をして政権を奪わしめざるの一事に在るなり。亜米利加の合衆国にて大統領たる者は必ず自国に生れたる人を撰ぶの例あるも,自国の人にて自国の政を為さんとするの人情に基きしものならん。

 第三 血統とは西洋の語にて「ライン」と云う。国君の父子相伝えて血筋の絶えざることなり。世界中国々の風にて,国君の血統は男子を限るものあり,或は男女相撰ざるものあり。相続の法は必ず父子に限らず,子なければ兄弟を立て,兄弟なければ尚遠きに及ぼし,親戚中の最も近き者を撰ぶの風なり。西洋諸国立君の政を奉ずる処にては最も之を重んじ,血統相続の争論よりして師を起したるの例は歴史に珍らしからず。或は又甲の国の君死して子なく,遇々乙の国の君その近親に当るときは,甲乙の君位を兼ねて両国一君なることあり。この風は唯欧羅巴に行わるゝのみにて,支那にも日本にもその例を見ず。但し両国の間に一君を奉ずると雖ども,その国の国体にも政統にも差響あることなし。

 右の如く国体と政統と血統とは一々別のものにて,血統を改めざれども政統を改ることあり。英政の変革,仏蘭西の「カラウヒンジヤ」の例,是なり。又政統は改れども国体を改めざることあり。万国その例甚だ多し。又血統を改めずして国体を改ることあり。英人荷蘭人が東洋の地方を取て,旧の酋長をばそのまゝ差置き,英荷の政権を以て土人を支配し,兼てその酋長をも束縛するが如き,是なり。

 日本にては開闢の初より国体を改たることなし。国君の血統も亦連綿として絶たることなし。唯政統に至ては屡々大に変革あり。初は国君自から政を為し,次で外戚の輔相なる者政権を専らにし,次でその権柄将家に移り,又移て陪臣の手に落ち,又移て将家に帰し,漸く封建の勢を成して慶応の末年に至りしなり。政権一度び王室を去てより天子は唯虚位を擁するのみ。山陽外史北条氏を評して,万乗の尊を視ること狐豚の如し〔と云えり〕。その言真に然り。政統の変革斯の如きに至て尚国体を失わざりしは何ぞや。言語風俗を共にする日本人にて日本の政を行い,外国の人へ秋毫の政権をも仮したることなければなり。

 然るに爰に余輩をして大に不審を抱かしむる所のものあり。その故は何ぞや。世間一般の通論に於て専ら血統の一方に注意し,国体と血統とを混同して,その混同の際には一を重んじて一を軽んずるの弊なきに非ざるの一事なり。固より我国の皇統は国体と共に連綿として今日に至るは,外国にもその比例なくして珍らしきことなれば,或は之を一種の国体と云うも可なり。然りと雖どもよく事理を糺して之を論ずれば,その皇統の連綿たるは国体を失わざりし徴候と云うべきものなり。之を人身に譬えば,国体は猶身体の如く皇統は猶眼の如し。眼の光を見ればその身体の死せざるを徴すべしと雖ども,一身の健康を保たんとするには眼のみに注意して全体の生力を顧みざるの理なし。全体の生力に衰弱する所あればその眼も亦自から光を失わざるを得ず。或は甚しきに至ては全体は既に死して生力の痕跡なきも,唯眼の開くあるを見て之を生体と誤認るの恐なきに非ず。英人が東洋諸国を御するに,体を殺して眼を存するの例は少なからず。

 歴史の所記に拠れば,血統の連綿を保つは難事に非ず。北条の時代より以降,南北朝の事情を見て知るべし。その時代に在ては血統に順逆もありて之を争いしことなりと雖ども,事既に治りて今日に至れば又その順序を問うべからず。順序は唯一時の議論のみ。後世より論ずるときは均しく天子の血統なるゆえ,その血統の絶えざるを見て之に満足するなり。故に血統の順序はその時代に当て最も大切なることなれども,時代を考の外に置て今の心を以て古を推し,唯血統の連綿のみに眼を着け,そのこれを連綿せしむるの方法をば捨てゝ論ぜざるときは,忠も不忠も義も不義もあるべからず。正成と尊氏との間に区別も立ち難し。然りと雖どもよくその時代の有様に就て考れば,楠氏は唯血統を争うに非ず,その実は政統を争うて天下の政権を天子に帰せんとし,難を先にして易を後にしたる者なり。この趣を見ても血統を保つと政権を保つと,その孰れか難易を知るべし。

 古今の通論を聞くに,我邦を金甌無欠万国に絶すと称して意気揚々たるが如し。その万国に絶するとは唯皇統の連綿たるを自負するものか。皇統をして連綿たらしむるは難きに非ず。北条,足利の如き不忠者にても尚よく之を連綿たらしめたり。或は政統の外国に絶する所あるか。我邦の政統は古来度々の変革を経てその有様は諸外国に異ならず,誇るに足らざるなり。然ば則ち彼の金甌無欠とは,開闢以来国体を全うして外人に政権を奪われたることなきの一事に在るのみ。故に国体は国の本なり。政統も血統も之に従て盛衰を共にするものと云わざるを得ず。中古王室にて政権を失い又は血統に順逆ありしと雖ども,金甌無欠の日本国内にて行われたる事なればこそ今日に在て意気揚々たるべけれ,仮に在昔魯英の人をして頼朝の事を行わしめなば,仮令い皇統は連綿たるも日本人の地位に居て決して得意の色を為すべからず。鎌倉の時代には幸にして魯英の人もなかりしと雖ども,今日は現にその人ありて日本国の周囲に輻湊せり。時勢の沿革,意を用いざるべからず。

 この時に当て日本人の義務は唯この国体を保つの一箇条のみ。国体を保つとは自国の政権を失わざることなり。政権を失わざらんとするには人民の智力を進めざるべからず。その条目は甚だ多しと雖ども,智力発生の道に於て第一着の急須は,古習の惑溺を一掃して西洋に行わるゝ文明の精神を取るに在り。陰陽五行の惑溺を払わざれば窮理の道に入るべからず。人事も亦斯の如し。古風束縛の惑溺を除かざれば人間の交際は保つべからず。既にこの惑溺を脱して心智活溌*の域に進み,全国の智力を以て国権を維持し国体の基初て定るときは,又何ぞ患る所かあらん。皇統の連綿を持続するが如きは易中の易のみ。試に告ぐ,天下の士人,忠義の外に心事はなきや。忠義も随分不可なるに非ざれども,忠を行わば大忠を行うべし。皇統連綿を保護せんと欲せば,その連綿に光を増して保護すべし。国体堅固ならざれば血統に光あるべからず。前の譬にも云る如く,全身に生力あらざれば眼も光を失うものなり。この眼を貴重なりと思わば身体の健康に注意せざるべからず。点眼水の一品を用るも眼の光明は保つべきものに非ず。この次第を以て考れば,西洋の文明は我国体を固くして兼て我皇統に光を増すべき無二の一物なれば,之を取るに於て何ぞ躊躇することをせんや。断じて西洋の文明を取るべきなり。

 前条に古習の惑溺を一掃するとのことを云えり。惑溺の文字はその用る所甚だ広くして,世の事物に就き様々の惑溺あれども,今これを政府上に論じて,政府の実威と虚威と相分るゝ由縁を示さん。凡そ事物の便不便はそのためにする所の目的を定るに非ざれば之を決し難し。屋は雨露を庇うがために便利なり,衣服は風寒を防ぐがために便利なり。人間百事皆ためにする所あらざるはなし。然りと雖ども,習用の久しき,或はその事物に就き実の功用をば忘れて唯その物のみを重んじ,これを装い,これを飾り,これを愛し,これを眷顧し,甚しきは〔他の〕不便利を問わずして只管これを保護せんとするに至ることあり。是即ち惑溺にて,世に虚飾なるものゝ起る由縁なり。

 譬えば戦国の時に武士皆双刀を帯したるは,法律の頼むべきものなくして人々自から一身を保護するのためなりしが,習用の久しき,太平の世に至ても尚この帯刀を廃せず,啻に之を廃せざるのみならず,益この物を重んじ,産を傾けて双刀を飾り,凡そ士族の名ある者は老幼を問わず皆これを帯せざるはなし。然るにその実の功用如何を尋れば,刀の外面には金銀を鏤めて,鞘の中には細身の鈍刀を納るものあり。加之剣術を知らずして帯刀する者は十に八,九なり。畢竟有害無益のものなれども,之を廃せんとして人情に戻るは何ぞや。世人皆双刀の実用を忘れて唯その物を重んずるの習慣を成したればなり。その習慣は即ち惑溺なり。今太平の士族に向てその刀を帯する所以を詰問せば,その人の遁辞には是を祖先以来の習慣なりと云い,是れ士族の紀章なりと称するのみにて,必ず他に明弁あるべからず。誰かよく帯刀の実用を挙てこの詰問に答え得る者あらん。既に之を習慣と云い,亦紀章と云うときは,その物を廃するも可なり。或は廃すべからずの実用あらば,その趣を変じて実の功用のみを取るも可なり。何等の口実を設るも帯刀を以て士族の天稟と云うの理なし。

 政府も亦斯の如し。世界万国何れの地方にても,その初め政府を立てゝ一国の体裁を設たる由縁は,その国の政権を全うして国体を保たんが為なり。政権を維持せんが為には固よりその権威なかるべからず。之を政府の実威と云う。政府の用は唯この実威を主張するの一事に在るのみ。而して開闢草昧の世には,人民皆事物の理に暗くして外形のみに畏服するものなれば,之を御するの法も亦自からその趣意に従て,或は理外の威光を用いざるを得ず。之を政府の虚威と云う。固よりその時代の民心を維持するには止むを得ざるの権道にして,人民のためを謀れば同類相食むの禽獣世界を脱して漸く従順の初歩を学ぶものなれば,之を咎むべきには非ざれども,人類の天性に於て権力を有する者は自からその権力に溺れて私を恣にするの通弊を免れず。

 之を譬えば酒を嗜む者が酒を飲めばその酒の酔に乗じて又酒を求め,酒よく人をして酒を飲ましむるが如く,彼の有権者も一度び虚を以て威権を得れば,その虚威の行わるゝに乗じて又虚威を振い,虚威よく人をして虚威を恣にせしめて,習慣の久しき,遂に虚を以て政府の体裁を成し,その体裁に千状万態の修飾を施し,修飾愈繁多なれば愈世人の耳目を眩惑して,顧て実用の在る所を失い,唯修飾を加えたる外形のみを見て,之を一種の金玉と思い,之を眷顧保護せんがためには他の利害得失を捨てゝ問わざるに至り,或は君主と人民との間を異類のものゝ如く為して,強いてその区別を作為し,位階,服飾,文書,言語,悉皆上下の定式を設るものあり。所謂周唐の礼儀なるもの是なり。或は無稽の不思議を唱えて,その君主は直に天の命を受たりと云い,その祖先は霊山に登て天神と言語を交えたりと云い,夢を語り神託を唱え,恬として怪まざるものあり。所謂神政府なるもの是なり。皆是れ政府の保つべき実威の趣意を忘れて,保つべからざるの虚威に惑溺したる妄誕と云うべし。虚実の相分るゝは正に此処に在るなり。

 この妄誕も上古妄誕の世に在ては亦一時の術なれども,人智漸く開るに従て又この術を用ゆべからず。今の文明の世に於ては,衣冠美麗なりと雖ども衙門巍々たりと雖ども,安ぞ人の眼を眩惑するを得ん。徒に識者の愍笑を招くに足るのみ。仮令い文明の識者に非ざるも,文明の事物を聞見する者はその耳目自から高尚に進むが故に,決して之に妄誕を強ゆべからず。この人民を御するの法は,唯道理に基きたる約束を定め,政法の実威を以て之を守らしむるの一術あるのみ。今世七年の大旱に壇を築て雨を祈るも雨の得べからざるは人皆これを知れり。国君躬から五穀豊熟を祈ると雖ども化学の定則は動かすべからず。人類の祈念を以て一粒の粟を増すべからざるの理は,学校の童子もこれを明にせり。往古は剣を海に投じて潮の退たることありしが,今の海潮には満干の時刻あり。古は紫雲のたなびくを見て英雄の所在を知りたれども,今の人物は雲の中に求むべからず。こは古今の事物その理を異にするに非ず,古今の人智その品位を同うせざるの証なり。人民の品行次第に高尚に進み,全国の智力を増して政治に実の権威を得るは,国の為に祝すべきに非ずや。

 然るに今実を棄てゝ虚に就き,外形を飾らんとして却て益人を痴愚に導くは惑溺の甚しきなり。虚威を主張せんと欲せば下民を愚にして開闢の初に還らしむるを上策とす。人民愚に還れば政治の力は次第に衰弱を致さん。政治の力,衰弱すれば,国その国に非ず。国その国に非ざれば国の体あるべからず。斯の如きは則ち国体を保護せんとして却て自から之を害するものなり。前後の始末不都合なりと云うべし。譬えば英国にても,その先王の遺志を継で尚立君専制の古風を守らんとせば,その王統早く既に絶滅したるは固より論を俟たず。今その然らざる由縁は何ぞや。王室の虚威を減少して民権を興起し,全国の政治に実の勢力を増して,その国力と共に王位をも固くしたればなり。王室を保護するの上策と云うべし。畢竟国体は文明に由て損するものに非ず。その実は之に依頼して価を増すものなり。

 世界中何れの人民にても,古習に惑溺する者は必ず事の由来の旧くして長きを誇り,その連綿たること愈久しければ之を貴ぶことも亦愈甚しく,その状恰も好事家が古物を悦ぶが如し。印度の歴史に云ることあり。この国初代の王を「プラザマ・ラジャ」と云い,聖徳の君なり。この君即位の時その齢二百万歳,在位六百三十万年にして位を王子に譲り,尚十万の残年を経て世を去りたりと。又云く,同国に「メヌウ」と云う典籍あり。**印度の口碑に,この典籍は造化の神なる「ブラマ」の子「メヌウ」より授かりたるものにて斯く名るなりと云う。西洋紀元千七百九十四年英人「ジョネス」氏これを英文に翻訳せり。書中の趣意は神道専制の説を巧に記したるものなれども,修徳の箇条に至ては頗る厳正にして議論も亦高く,その所説に耶蘇の教と符合するもの甚だ多し。その符合するは教の趣意のみならず,文章も亦類似せり。譬えば「メヌウ」の文に云く,人を視ること傷むが如くして不平を訴えしむる勿れ,実を以て人を害する勿れ,亦意を以て人を害する勿れ,人を罵る勿れ,人に罵らるゝも之に堪忍すべし,怒に[逢]わば怒を以て怒に報る勿れ,云々。又耶蘇教の「サルミスト」の文と「メヌウ」の文と字々相似たるものあり。「サルミスト」の文に云く,愚人は自からその心に告て「ゴツド」なしと云うと。「メヌウ」の文に云く,悪人は自からその心に告て誰も己を見ずと云うと雖ども,神は明に之を見分け且胸中の精神も之を知るべしと。その符合すること斯の如し。以上「ブランド」氏の韻府より抄訳。**この典籍の人間世界に授かりたるは今を去ること凡二十億年のことなりと。頗る古物と云うべし。印度の人はこの貴き典籍を守りこの旧き国風を存して高枕安眠のその間に,政権をば既に西洋人に奪われて,神霊なる一大国も英吉利の庖厨と為り,「プラザマ・ラジャ」の子孫も英人の奴隷と為れり。且その六百万年と云い二十億年と唱え,天地と共に長しとて自負するものも,固より無稽の慢語にて,彼の典籍の由来もその実は三千年より久しからざるものなれども,姑くその慢に任じて之を語らしめ,爰に印度の六百万年に対して阿非利加に七百万年のものありと云い,その二十億に対して我は三十億と云う者あらば,印度人も口を閉さゞるを得ず。畢竟痴児の戯のみ。又一言以てその自負を挫くべきものあり。云く,天地の仕掛は永遠洪大なるものなり,何ぞ区々の典籍系統とその長短を争わんや,造化一瞬,忽地に億万年を過ぐべし,彼の二十億年の日月は唯是れ瞬間の一小刻のみ,この一小刻に就て無益の議論を費し却て文明の大計を忘れたるは,軽重の別を知らざる者なりと。この一言を聞かば印度人も又口を開くを得ざるべし。故に世の事物は唯旧きを以て価を生ずるものに非ざるなり。

 前に云える如く,我国の皇統は国体と共に連綿として外国に比類なし。之を我国一種,君国並立の国体と云て可なり。然りと雖ども,仮令いこの並立を一種の国体と云うも,之を墨守して退くは之を活用して進むに若かず。之を活用すれば場所に由て大なる功能あるべし。故にこの君国並立の貴き由縁は,古来我国に固有なるが故に貴きに非ず,之を維持して我政権を保ち我文明を進むが故に貴きなり。物の貴きに非ず,その働の貴きなり。猶家屋の形を貴ばずして,その雨露を庇うの効用を貴ぶが如し。若し祖先伝来家作の風なりとて,その家の形のみを貴ぶことならば,紙を以て家を作るも可ならん。故に君国並立の国体若し文明に適せざることあらば,その適せざる由縁は必ず習慣の久しき間に生じたる虚飾惑溺の致す所なれば,唯その虚飾惑溺のみを除て実の功用を残し,次第に政治の趣を改革して進むことあらば,国体と政統と血統と三者相互に戻らずして,今の文明と共に並立すべきなり。譬えば今魯西亜にて今日その政治を改革して明日より英国自由の風に傚わんとすることあらば,事実に行われざるのみならず立所に国の大害を起すべし。その害を起す由縁は何ぞや。魯英両国の文明はその進歩の度を異にしその人民に智愚の差ありて,今の魯は今の政治を以て正にその文明に適するものなればなり。然りと雖ども,魯をして永くその旧物の虚飾を墨守せしめ,文明の得失を謀らずして必ず固有の政治を奉ぜしむるは,敢て願う所に非ず,唯その文明の度を察し,文明に一歩を進れば政治も亦一歩を進め,文明と政治と歩々相伴なわんことを欲するのみ。この事に就ては次章の終にも論ずる所あり。これを参考すべし。**書中西洋と云い欧羅巴と云うもその義一なり。地理を記すには欧羅巴と亜米利加と区別あれども,文明を論ずるときは亜米利加の文明もその源は欧羅巴より移したるものなれば,欧羅巴の文明とは欧羅巴風の文明と云うの義のみ。西洋と云うもこれに同じ。

文明論之概略 巻之一 第三章 文明の本旨を論ず

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp