ふくざわゆきち | 福澤諭吉

文明論之概略 巻之二 第四章 一国人民の智徳を論ず

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:11

文明論之概略 巻之二

第四章 一国人民の智徳を論ず

 前章に文明は人の智徳の進歩なりと云えり。然ば則ち爰に有智有徳の人あらん,これを文明の人と名くべきや。云く,然り,これを名けて文明の人と云うべし。然りと雖どもこの人の住居する国を目して文明の国と名くべきや否は今だ知るべからざるなり。文明は一人の身に就て論ずべからず,全国の有様に就て見るべきものなり。今西洋諸国を文明と云い亜細亜諸国を半開と云うと雖ども,二,三の人物を挙てこれを論ずれば,西洋にも頑陋至愚の民あり,亜細亜にも智徳俊英の士あり。然り而して西洋を文明とし亜細亜を不文とするものは,西洋に於てはこの至愚の民,その愚を逞うすること能わず,亜細亜に於てはこの俊英の士,その智徳を逞うすること能わざるを以てなり。そのこれを逞うするを得ざるは何ぞや。一人の智愚に由るに非ず,全国に行わるゝ気風に制せらるればなり。故に文明の在る所を求めんとするには,先ずその国を制する気風の在る所を察せざるべからず。且その気風は即ち一国の人民に有する智徳の現像にして,或は進み或は退き,或は増し或は減じ,進退増減瞬間も止むことなくして恰も全国運動の源なるが故に,一度びこの気風の在る所を探得れば天下の事物一として明瞭ならざるはなく,その利害得失を察してこれを論ずること物を嚢中に探るよりも易かるべし。

 右の如くこの気風なるものは一人の気風に非ずして全国の気風なれば,今一場の事に就てこれを察せんとするも,目見るべからず耳聞くべからず,或は適まこれを見聞きしたることありと云うも,その所見所聞に随い常に齟齬を生じて事の真面目を断ずるに足らず。譬えば一国の山沢を計るには,その国中に布在せる山沢の坪数を測量し,その惣計を記してこれを山国と名け又は沢国と名くべし,稀に大山大沢あればとて遽に臆断してこれを山国沢国と云うべからざるが如し。故に全国人民の気風を知りその智徳の趣を探らんとするには,その働の相集りて世間一般の実跡に顕わるゝものを見てこれを察せざるべからず。或はこの智徳は人の智徳に非ずして国の智徳と名くべきものなり。蓋し国の智徳とは国中一般に分賦せる智徳の全量を指して名を下だしたるものなればなり。既にその量の多少を知ればその進退増減を察しその運動方向を明にするも亦難きに非ず。

 抑も智徳の運動は恰も大風の如く又河流の如し。大風北より南に吹き,河水西より東に流れ,その緩急方向は高き処より[眺]て明にこれを見るべしと雖ども,退て家の内に入れば風なきが如く,土堤の際を見れば水流れざるがごとし。或は甚しくこれを妨るものあれば,全くその方向を変じて逆に流るゝこともあり。然りと雖どもその逆に流るゝはこれを妨ぐるものありて然るものなれば,局処の逆流を見て河流の方向を臆断し難し。必ずその所見を高遠にせざるべからず。譬えば経済論に,富有の基は正直と勉強と倹約との三箇条に在りと云えり。今西洋の商人と日本の商人とを比較してその商売の趣を見るに,日本の商人必ずしも不正に非ず,亦必ずしも懶*惰に非ず,加之その質素倹約の風に至ては遥に西洋人の及ばざる所あり。然るに一国商売の事跡に顕るゝ貧富に就て見れば,日本は遥に西洋の諸国に及び難し。又支那は往古より礼儀の国と称し,その言或は自負に似たれども,事に実あらざれば名も亦あるべからず。古来支那には実に礼儀の士君子ありてその事業称すべきもの少なからず。今日に至てもその人物乏しきに非ざるべしと雖ども,全国の有様を見れば人を殺し物を盗む者は甚だ多く,刑法は極て厳刻なれども罪人の数は常に減ずることなし。その人情風俗の卑屈賤劣なるは真に亜細亜国の骨法を表し得たるものと云うべし。故に支那は礼儀の国に非ず,礼儀の人の住居する国と云うべきなり。

 人の心の働は千緒万端,朝は夕に異なり,夜は昼に同じからず。今日の君子は明日の小人と為るべし,今年の敵は明年の朋友と為るべし。その機変愈出れば愈奇なり。幻の如く魔の如く,思議すべからず測量すべからず。他人の心を忖度すべからざるは固より論を俟たず,夫婦親子の間と雖ども互にその心機の変を測るべからず。啻に夫婦親子のみならず,自己の心を以て自からよくその心の変化を制するに足らず。所謂今吾は古吾に非ずとは即是れなり。その情状恰も晴雨の測るべからざるが如し。

 昔木下藤吉主人の金六両を攘て出奔し,この六両の金を武家奉公の資と為して始て織田信長に仕え,次第に立身するに従て丹羽柴田の名望を慕い,羽柴秀吉と姓名を改めて織田氏の隊長と為り,その後無窮の時変に遭い,或は敗し或は成り,機に投じ変に応じて,遂に日本国中を押領し,豊臣太閤の名を以て全国の政権を一手に握り,今日に至るまでもその功業の盛なるを称ぜざるものなし。然りと雖ども初め藤吉が六両の金を攘て出奔するとき,豈日本国中を押領するの素志あらんや。既に信長に仕えし後も僅に丹羽,柴田の名望を羨で自から姓名をも改めたるに非ずや。その志の小なること推て知るべし。故に主人の金を攘て縛に就かざりしは盗賊の身に於て望の外のことなり。次で信長に仕て隊長と為りしは藤吉の身に於て望の外のことなり。又数年の成敗を経て遂に日本国中を押領せしは羽柴秀吉の身に於て望の外のことなり。今この人が太閤の地位に居て顧て前年六両の金を攘みし時の有様を回想せば,生涯の事業,一として偶然に成らざるものなく,正に是れ夢中又夢に入るの心地なるべし。

 後世の学者豊太閤を評する者,皆その豊太閤たりし時の言行を以てその一生の人物を証せんとするが故に大なる誤解を生ずるなり。藤吉と云い羽柴と云い豊太閤と云うも,皆一人生涯の間の一段にて,藤吉たるときは藤吉の心あり,羽柴たるときは羽柴の心あり,太閤たるに至れば自から又太閤の心ありて,その心の働,始中終の三段に於て一様なるべからず。尚細にこれを論ずれば,生涯の心の働は千段にも万段にも区別して千状万態の変化を見るべし。古今の学者この理を知らずして,人物を評するに当りその口吻として,某は幼にして大志ありと云い,某は三歳のときに斯の奇言を発したりと云い,某は五歳のときに斯の奇行ありと云い,甚しきは生前の吉祥を記し,又は夢を説て人の言行録の一部と為すものあるに至れり。惑えるも亦甚しと云うべし。【(この部分二段組み)世の正史と称する書中に,豊太閤の母は大陽の懐に入るを夢みて妊娠し,後醍醐帝は南木の夢に感じて楠氏を得たりと云い,又漢の高祖は竜の瑞を得て生れその顔竜に似たりと云う。この類の虚誕妄説を計れば和漢の史中枚挙に遑あらず。世の学者はこの妄説を唱て啻に他人を誑かすのみならず,己も亦これに惑溺して自から信ずる者の如し。気の毒千万なりと云うべし。必竟古を慕うの痼疾よりして妄に古人を尊祟し,その人物の死後より遥にその事業を見て之を奇にし,今人の耳目を驚かして及ぶべからざるものゝ如くせんがために,牽強附会の説を作りたるのみ。これを売卜者流の妄言と云て可なり。】

 抑も人たる者はその天賦と教育とに由り,自からその志操の高き者もあり或は賤しき者もありて,その高き者は高き事に志し,その賤しき者は賤しき事に志し,その志操に大体の方向あるは固より論を俟たずと雖ども,今こゝに論ずる所は大志ある者とて必ずしも大業を成すに非ず,大業を成す者とて必ずしも幼年の時より生涯の成功を期するに非ず,仮令い大体の志操は方向を定るも,その心匠と事業とは随て変じ随て進み,進退変化窮りなく,偶然の勢に乗じて遂に大事業をも成すものなりとの次第を記したるなり。学者この趣意を誤解する勿れ。

 前の所論に由てこれを観れば,人の心の変化を察するは人力の及ぶ所に非ず,到底その働は皆偶然に出て更に規則なきものと云て可ならんか。答云く,決して然らず。文明を論ずる学者には自からこの変化を察するの一法あり。この法に拠てこれを求れば,人心の働には啻に一定の規則あるのみならず,その定則の正しきこと実物の方円を見るが如く,版に押したる文字を読むが如く,これを誤解せんと欲するも得て誤解すべからず。蓋しその法とは何ぞや。天下の人心を一体に視做して,久しき時限の間に広く比較して,その事跡に顕わるゝものを証するの法,即是れなり。

 譬えば晴雨の如きも朝の晴は以て夕の雨を卜すべからず,況や数十日の間に幾日の晴あり幾日の雨ありと一定の規則を立てんとするも人智の及ぶ所に非ず。されども一年の間に晴雨の日を平均して計れば,晴は雨よりも多きこと知るべし。又これを一処の地方にて計るよりも広く一州一国に及ぼすときは,その晴雨の日数愈精密なるべし。又この実験を拡て遠く世界中に及ぼし,前数十年と後数十年との晴雨を計てその日数を比較しなば,前後必ず一様にして数日の差もなかるべし。或はこれを百年に及ぼし千年に及ぼすことあらば,正しく一分時の差なきに至るべし。人心の働も亦斯の如し。今一身一家に就てその人の働を察すれば更に規則の存するを見ずと雖ども,広く一国に就てこれを求ればその規則の正しきこと彼の晴雨の日数を平均してその割合の精密なるに異ならず。某の国某の時代には,その国の智徳この方向に赴き,或は此の原因に由て此の度に進み,或は彼の故障に妨げられて彼の度に退きたりと,恰も有形の物に就てその進退方向を見るが如し。

 英人「ボックル」氏の英国文明史に云く,一国の人心を一体と為して之を見ればその働に定則あること実に驚くに堪たり,犯罪は人の心の働なり,一人の身に就てこれを見れば固よりその働に規則あるべからずと雖ども,その国の事情に異変あるに非ざれば罪人の数は毎年異なることなし,譬えば人を殺害する者の如きは多くは一時の怒に乗ずるものなれば,一人の身に於て誰か預めこれを期し,来年の何月何日に何人を殺さんと自から思慮する者あらんや,然るに仏蘭西全国にて人を殺したる罪人を計るに,その数毎年同様なるのみならず,その殺害に用いたる器の種類までも毎年異なることなし,尚これよりも不思議なるは自殺する者なり,抑も自殺の事柄たるや,他より命ずべきに非ず,勧むべきに非ず,欺てこれに導くべからず,劫してこれを強ゆべからず,正に一心の決する所に出るものなれば,その数に規則あらんとは思うべからず,然るに千八百四十六年より五十年に至るまで,毎年竜動に於て自殺する者の数,多きは二百六十六人,少なきは二百十三人にして,平均二百四十人を定りの数とせりと。以上「ボックル」氏の論なり。

 又こゝに近く一例を挙て云わん。商売上に於て物を売る者は,これを客に強いて買わしむべからず。これを買うと買わざるとは全く買主の権に在り。然るに売物の仕入を為す者は,大抵世間の景気を察して常に余計の品を貯ることなし。米,麦,反物等は腐敗の恐もなく或は仕入に過分あるも即時に損亡を見ずと雖ども,暑中に魚肉又は蒸菓子等を仕入るゝ者は,朝に仕入れて夕に売れざれば立どころに全損を蒙るべし。然るに暑中試に東京の菓子屋に行き蒸菓子を求れば,終日これを売り,日暮に至れば品のありたけを売払て,夜に入り残品の腐敗せしものあるを聞かず。その都合よきこと正しく売主と買主と預め約束せしが如く,彼の日暮に品のありたけを買う人は,恰も自分の便不便は擱き,唯菓子屋の仕入に余あらんことを恐れてこれを買うものゝ如し。豈奇ならずや。今菓子屋の有様は斯の如しと雖ども,退て市中の毎戸に至り,一年の間に幾度び蒸菓子を喰い,何れの店にて幾許の品を買うやと尋ねなば,人皆これに答ること能わざるべし。故に蒸菓子を喰う人の心の働は一人に就て見るべからずと雖ども,市中の人心を一体にして之を察すれば,そのこれを喰う心の働には必ず定則ありて,明にその進退方向を見るべきなり。

 故に天下の形勢は一事一物に就て臆断すべきものに非ず。必ずしも広く事物の働を見て一般の実跡に顕わるゝ所を察し,此と彼とを比較するに非ざれば真の情実を明にするに足らず。斯の如く広く実際に就て詮索するの法を,西洋の語にて「スタチスチク」と名く。この法は人間の事業を察してその利害得失を明にするため欠くべからざるものにて,近来西洋の学者は専らこの法を用いて事物の探索に所得多しと云う。凡そ土地人民の多少,物価賃銭の高低,婚する者,生るゝ者,病に罹る者,死する者等,一々その数を記して表を作り,此彼相比較するときは,世間の事情,これを探るに由なきものも,一目して瞭然たることあり。

 譬えば英国にて毎年婚姻する者の数は穀物の価に従い,穀物の価貴ければ婚姻少なく,その価下落すれば婚姻多く,嘗てその割合を誤ることなしと云えり。日本には未だ「スタチスチク」の表を作る者あらざれば之を知るべからずと雖ども,婚姻の数は必ず米麦の価に従うことなるべし。男女室に居るは人の大倫なりとて,世人皆その礼を重んじ軽卒に行うべきものに非ず。当人相互いの好悪もあり,身分貧富の都合もあり,父母の命にも従わざるべからず,媒妁の言をも待たざるべからず,その他百般の事情に由り,此も彼も都合よくしてその縁談の整うはこれを偶然と云わざるを得ず。実にその然るを図らずして然るものゝ如し。世に婚姻を奇縁と云い,又は出雲の大社結縁の神説あるも,皆婚姻の偶然に出るを証したるものなり。然るに今その実に就てこれを見れば決して偶然に非ず,当人の意に由て成るべからず,父母の命に従て整うべからず,媒妁の能弁と雖ども結縁の神霊と雖ども,世間一般の婚姻を如何ともすること能わず。当人の心をも,父母の命をも,媒妁の言をも,大社の神力をも,概してこれを制圧し,自由自在にこれを御して,或は世の縁談を整わしめ,或はこれを破れしむるものは,世間唯有力なる米の相場あるのみ。

 この趣意に従て事物を詮索すれば,その働の原因を求るに付き大なる便利あり。抑も事物の働には必ずその原因なかるべからず。而してこの原因を近因と遠因との二様に区別し,近因は見易くして遠因は弁じ難し。近因の数は多くして遠因の数は少なし。近因は動もすれば混雑して人の耳目を惑わすことあれども,遠因は一度び之を探得れば確実にして動くことなし。故に原因を探るの要は近因より次第に遡て遠因に及ぼすに在り。その遡ること愈遠ければ原因の数は愈減少し,一因を以て数様の働を説くべし。今水に沸騰の働を起すものは薪の火なり,人に呼吸の働を生ずるものは空気なり。故に空気は呼吸の原因にして薪は沸騰の原因なれども,唯この原因のみを探得るも未だ詮索を尽したりとするに足らず。元来この薪の燃る所以は薪の質中にある炭素と空気中の酸素と抱合して熱を発するに由り,人の呼吸する所以は空気の中より酸素を引き肺臓に於て血中過剰の炭素と親和して又これを吐出すに由るものなれば,薪と空気とは唯近因にしてその遠因は則ち酸素なるものあり。故に水の沸騰と人の呼吸とはその働の趣も異なりその近因も亦異なりと雖ども,尚一歩を進めその遠因なる酸素を得て,始て沸騰の働と呼吸の働とを同一の原因に帰して確実なる議論を定むべきなり。

 前に云える世の婚姻の如きも,その近因を云えば当人の心,父母の命,媒妁の言,その他諸般の都合に由て成るものゝ如しと雖ども,この近因にては未だ事情を詳にするに足らざるのみならず,却て混雑を生じて人の耳目を惑わすことあり。乃ちこの近因を捨て,進て遠因のある所を探り,食物の価なるものを得て,始て婚姻の多寡を制する真の原因に[逢]い,確実不抜の規則を見るなり。

 又一例を挙て云わん。こゝに酒客あり,馬より落て腰を打ち,遂に半身不随の症に陥りたり。之を療するの法如何すべきや。この病の原因は落馬なりとて,その腰に膏薬を帖し,専ら打撲治療の法を施して可ならんか。若し然る者はこれを庸医と云わざるべからず。畢竟落馬は唯この病の近因のみ。その実は多年飲酒の不養生に由り,既に脊髄の衰弱を起して正にこの病症を発せんとするときに当り,会ま落馬を以て全身を激動しこれがため頓に半身の不随を発したるのみ。故にこの病を療するの術は,先ず飲酒を禁じて病の遠因なる脊髄の衰弱を回復せしむるに在るのみ。少しく医学に志す者は是等の病原を弁じてその療法を施すこと容易なれども,世の文明を論ずる学者に至ては則ち然らず,比々皆庸医の類のみ。近く耳目の聞見する所に惑溺して事物の遠因を索るを知らず,此に欺かれ彼に蔽われ,妄に小言を発して恣に大事を行わんとし,寸前暗黒,暗夜に棒を振うが如し。その本人を思えば憐むべし,世の為を思えば恐るべし。慎まざるべからず。

 前段に論ずる如く,世の文明は周ねくその国民一般に分賦せる智徳の現像なれば,その国の治乱興廃も亦一般の智徳に関係するものにて,二,三の人の能する所に非ず。全国の勢は進めんとするも進むべからず,留めんとするも留むべからず。左に歴史の二,三箇条を掲げてその次第を示さん。元来理論中に史文を用れば,その文章長くして或は読者をして厭わしむるの恐なきに非ざれども,史に拠て事を説くは,小児に苦薬を与うるに砂糖を和してその口を悦ばしむるが如し。蓋し初学の人の精神には無形の理論を解すること甚だ易からず,故に史論に交えてその理を示すときは,自から了解を速にするの便利あればなり。

 窃に和漢の歴史を按ずるに,古より英雄豪傑の士君子,時に遇う者極て稀なり。自から之を歎息して不平を鳴らし,後世の学者も之を追悼して涙を垂れざるものなし。孔子も時に遇わずと云い,孟子も亦然り。道真は筑紫に謫せられ,正成は湊川に死し,是等の例は枚挙に遑あらず。古今遇ま世に功業を成す者あれば之を千歳一遇と称す。蓋し時に遇うの難きを評したるものなり。然り而して彼の所謂時なるものは何物を指して云うか。周の諸候よく孔孟を用いて国政を任じたらば必ず天下を太平に治むべき筈なるに,之を用いざるは当時の諸候の罪なりと云うか。道真の遠謫,正成の討死は,藤原氏と後醍醐天皇の罪なりと云うか。然ば則ち時に遇わずとは二,三の人の心に遇わずと云うことにて,その時なるものは唯二,三の人の心を以て作るべきものならんか。若し周の諸候の心をして偶然に孔孟を悦ばしめ,後醍醐天皇をして楠氏の策に従わしめなば,果して各その事を成して,今の学者が想像する如き千歳一遇の大功を奏したることならんか。所謂時とは二,三の人心と云うに異ならざるか。時に遇わずとは英雄豪傑の心と人君の心と齟齬すると云う義ならんか。

 余輩の所見は全く之に異なり。孔孟の用いられざるは周の諸候の罪に非ず,諸候をして之を用いしめざるものあり。楠氏の討死は後醍醐天皇の不明に非ず,楠氏をして死地に陥らしめたるものは別にこれあり。蓋しそのこれを,せしめたるもの,とは何ぞや。即ち時勢なり。即ち当時の人の気風なり。即ちその時代の人民に分賦せる智徳の有様なり。請う試に之を論ぜん。天下の形勢は猶蒸気船の走るが如く,天下の事に当る者は猶航海者の如し。千「トン」の船に五百馬力の蒸気機関を仕掛け,一時に五里を走て十日に千二百里の海を渡るべし。之をこの蒸気船の速力とす。如何なる航海者にて如何なる工夫を運らすも,この五百馬力を増して五百五十馬力と為すべからず。千二百里の航海を早くして九日に終るの術あるべからず。航海者の職掌は唯その機関の力を妨げずして運転の作用を逞うせしむるに在るのみ。或は二度の航海に初は十五日を費し後には十日にて達したることあらば,こは後の航海者の巧なるに非ず,初度の航海者の拙にして蒸気の力を妨げたる証なり。人の拙には限あるべからず。この蒸気を以て十五日も費すべし二十日も費すべし,或はその極に至らば全く働なきものと為すこともあるべしと雖ども,人の巧を以て機関の本然になき力を造るの理は万々あるべからず。

 世の治乱興廃も亦斯の如し。その大勢の動くに当て,二,三の人物国政を執り天下の人心を動かさんとするも決して行わるべきことに非ず。況やその人心に背て独り己の意に従わしめんとするものに於てをや。その難きこと船に乗て陸を走らんとするに異ならず。古より英雄豪傑の世に事を成したりと云うは,その人の技術を以て人民の智徳を進めたるに非ず,唯その智徳の進歩に当てこれを妨げざりしのみ。試に見よ,天下の商人,夏は氷を売り冬はたどんを売るに非ずや。唯世間の人心に従うのみ。今冬に当て氷の店を開き,夏の夜にたどんを売る者あらば,人誰かこれを愚者と云わざらん。然り而して彼の英雄豪傑の士に至ては独り然らず,風雪の厳寒に氷を売らんとして之を買う者あらざれば,則ちその買わざる者に罪を帰して独り自から不平を訴るは何ぞや。思わざるの甚しきものなり。英雄豪傑,氷の売れざるを患いなば,之を貯て夏の至るを待ち,そのこれを待つの間に勉て氷の功能を説き,世人をして氷なるものあるを知らしむるに若かず。果してその物に実の功能あれば,時節至てこれを買う者もあるべし。或は又実の功能もなくして到底売るべき目途なくば,断じてその商売を止むべきなり。

 周の末世に及で天下の人皆王室礼儀の束縛を悦ばず,その束縛漸く解くるに従い,諸候は天子に背き,大夫は諸候を制し,或は陪臣国命を執る者ありて,天下の政権は四分五裂,正に是れ封建の貴族権を争うの時節にて,又陶虞辞譲の風を慕う者なく,天下唯貴族あるを知て人民あるを知らざるなり。故に貴族の弱小なる者を助けてその強大なる者を制すれば,則ち天下の人心に適して一世の権柄を執るべし。斉桓晋文の霸業,即是なり。この時に当て孔子は独り尭舜の治風を主張し,無形の徳義を以て天下を化するの説を唱うれども,固より事業に行わるべからず。当時を以て孔子の事業を見るに,彼の管仲の輩が時勢に順うの巧なるに及ばざること遠し。孟子に至てはその事益難し。当時封建の衆貴族漸く合一の勢に赴き,弱を助け強を制するの霸業は又行われずして,強は弱を減し大は小を併するの時節と為り蘇秦,張儀の輩正に四方に奔走して,或はその事を助け或は之を破り,合縦連衡の戦争に忙わしき世なれば,貴族と雖ども自からその身を安んずるを得ず。奈何ぞ人民を思うに遑あらんや,奈何ぞ五畝の宅を顧るに遑あらんや。唯全国の力を攻防の事に用いて君長一己の安全を謀るのみ。仮令い或は明主仁君あるも,孟子の言を聞て仁政を施せば政と共に身を危うするの恐あり,即ち滕の斉楚に介まりて孟子に銘策なかりしもその一証なり。余輩敢て管仲,蘇張に左袒して孔孟を擯斥するに非ずと雖ども,唯この二大家が時勢を知らず,その学問を当時の政治に施さんとして,却て世間の嘲を取り,後世に益することなきを悲むのみ。

 孔孟は一世の大学者なり,古来稀有の思想者なり。若しこの人をして卓見を抱かしめ,当時に行わるゝ政治の範囲を脱して恰も別に一世界を開き,人類の本分を説て万代に差支なき教を定ることあらしめなば,その功徳必ず洪大なるべき筈なるに,終身この範囲の内に籠絡せられて一歩を脱すること能わず,その説く所もこれがため自から体裁を失い,純精の理論に非ずして過半は政談を交え,所謂「ヒロソヒイ」の品価を落すものなり。その道に従事する輩は,仮令い万巻の書を読むも,政府の上に立て事を為すに非ざれば他に用なきが如く,退て窃に不平を鳴すのみ。豈これを鄙劣と云わざるべけんや。この学流若し周ねく世に行われなば,天下の人は悉皆政府の上に立て政を行うの人にして,政府の下に居て政を被る者はなかるべし。人に智愚上下の区別を作り,己れ自から智人の位に居て愚民を治めんとするに急なるが故に,世の政治に関らんとするの心も亦急なり。遂に熱中煩悶して喪家の狗の譏を招くに至れり。余輩は聖人のために之を恥るなり。

 又その学流の道を政治に施すの一事に就ても大なる差支あり。元来孔孟の本説は修心倫常の道なり。畢竟無形の仁義道徳を論ずるものにて,之を心の学と云うも可なり。道徳も純精無雑なれば之を軽んずべからず。一身の私に於てはその功能極て大なりと雖ども,徳は一人の内に存して,有形の外物に接するの働あるものに非ず。故に無為渾沌にして人事少なき世に在ては人民を維持するに便利なれども,人文の開るに従て次第にその力を失わざるを得ず。然るに今内に存する無形のものを以て外に顕わるゝ有形の政に施し,古の道を以て今世の人事を処し,情実を以て下民を御せんとするは,惑溺の甚しきものと云うべし。その時と処とを知らざるは,恰も船を以て陸を走らんとし,盛夏の時節に裘を求るが如し。到底事実に行わるべからざるの策なり。その明証は数千年の久しき今日に至るまで,孔孟の道を政に施してよく天下を治めたる者なきを以て徴すべし。

 故に云く,孔孟の用いられざるは諸候の罪に非ず,その時代の勢に妨げられたるものなり。後世の政にその道の行われざるは道の失に非ず,之を施すに時と場所とを誤りたるものなり。周の時代は孔孟に適する時代に非ず,孔孟はこの時代に在て現に事を為すべき人物に非ず。その道も後世に於ては政治に施すべき道に非ず,理論家の説と【(この部分二段組み)ヒロソヒイ】政治家の事【(この部分二段組み)ポリチカルマタル】とは大に区別あるものなり。後の学者,孔孟の道に由て政治の法を求る勿れ。この事に就ては書中別に又論ずる所あるべし。

 楠氏の死も亦時勢の然らしむるものなり。日本にて政権の王室を去ること日既に久し。保元平治の以前より兵馬の権は全く源平二氏に帰して,天下の武士皆その隷属にあらざるはなし。頼朝,父祖の遺業を継て関東に起り,日本国中一人として之に抗する者なきは,天下の人皆関東の兵力に畏服し,源氏あるを知て王室あるを知らざればなり。北条氏次で政権を執ると雖ども,鎌倉の旧物を改めず。是亦源氏の余光に頼るものなり。北条氏亡て足利氏起るも亦源氏の門閥を以て事を成したる者なり。北条足利の際に当て諸方の武士兵を挙げて,名は勤王と云うと雖ども,その実は試に関東に抗して功名を謀るものなり。或はこの勤王の輩をして果してその意を得せしめなば,必ず又第二の北条たるべし,第二の足利たるべし。天子のために謀れば前門の虎を逐て後門の狼に[逢]うが如きのみ。織田豊臣徳川の事跡を見て之を証すべし。鎌倉以後天下に事を挙る者は一人として勤王の説を唱えざるものなくして,事成る後は一人として勤王の実を行うたるものなし。勤王は唯事を企る間の口実にして,事成る後の事実に非ず。

 史に云く,後醍醐天皇北条氏を滅し,首として足利尊氏の功を賞して諸将の上に置き,新田義貞をして之に亜がしめ,楠正成以下勤王の功臣は之を捨てゝ顧みず,遂に尊氏をして野心を逞うせしめ,再び王室の衰微を致せりとて,今日に至るまでも世の学者,歴史を読でこの一段に至れば切歯扼腕,尊氏の兇悪を憤て天皇の不明を歎ぜざる者なし。蓋し時勢を知らざる者の論なり。この時に当り天下の権柄は武家の手に在て,武家の根本は関東に在り。北条を滅したる者も関東の武士なり,天皇をして位に復せしめたる者も関東の武士なり。足利氏は関東の名家,声望素より高し。当時関西の諸族,勤王の義を唱ると雖ども,足利が向背を改るに非ずんば安ぞよく復位の業を成すを得んや。事成るの日に之を首功と為したるも,天皇の意を以て尊氏が汗馬の労を賞したるに非ず,時勢に従て足利家の名望に報じたるものなり。この一事を見ても当時の形勢を推察すべし。尊氏は初より勤王の心あるに非ず,その権威は勤王のために得たるものに非ず,足利の家に属したる固有の権威なり。その王に勤めたるは一時,北条を倒さんがため私に便利なるを以て勤めたれども,既に之を倒せば勤王の術を用いざるも自家の権威に損する所なし。是れその反覆窮りなく又鎌倉に拠て自立したる由縁なり。

 正成の如きは則ち然らず。河内の一小寒族より起り,勤王の名を以て僅に数百人の士卒を募り,千辛万苦奇功を奏したりと雖ども,唯如何せん名望に乏しくして関東の名家と肩を並るに足らず,足利輩の目を以て之を見れば隷属に等しきのみ。天皇固より正成の功を知らざるに非ずと雖ども,人心に戻て之を首功の列に置くを得ず。故に足利は王室を御する者にして,楠氏は王室に御せらるゝ者なり。是亦一世の形勢にて如何ともすべからず。且正成は,もと勤王の二字に由て権を得たる者なれば,天下に勤王の気風盛なれば正成も亦盛なり,然らざれば正成も亦窮するの理なり。然るに今この勤王の首唱たる正成が尊氏の輩に隷属視せられて之を甘んじ,天皇も亦これを如何ともすること能わざるは,当時天下に勤王の気風乏しきこと推て知るべし。而してその気風の乏しき所以は何ぞや。独り後醍醐天皇の不明に由るに非ず。

 保元平治以来,歴代の天皇を見るに,その不明不徳は枚挙に遑あらず。後世の史家諂諛の筆を運らすも尚よくその罪を庇うこと能わず。父子相戦い兄弟相伐ち,その武臣に依頼するものは唯自家の骨肉を屠らんがためのみ。北条の時代に至ては陪臣を以て天子の廃立を司どるのみならず,王室の諸族互にその骨肉を陪臣に讒して位を争うに至れり。自家の相続を争うに忙わしければ,又天下の事を顧るに遑あらず,之を度外に置きしこと知るべし。天子は天下の事に関る主人に非ずして,武家の威力に束縛せらるゝ奴隷のみ。【(この部分二段組み)伏見帝密に北条貞時に敕して亀山帝の後を立るの不利を説き,帝の皇子を立てゝ後伏見帝と為したりに,伏見の従弟なる後宇多上皇貞時に訴え,後伏見を廃して後宇多帝の皇子を立たることあり。】

 後醍醐天皇名君に非ずと云うも,前代の諸帝に比すればその言行頗る見るべきものあり。何ぞ独り王室衰廃の罪を蒙るの理あらんや。政権の王室を去るは他より之を奪うたるに非ず,積年の勢にて由て王室自からその権柄を捨て他をして之を拾わしめたるなり。是即ち天下の人心,武家あるを知て王室あるを知らず,関東あるを知て京師あるを知らざる所以なり。仮令い天皇をして聖明ならしむるも,十名の正成を得て大将軍に任ずるも,この積弱の余を承て何事を成すべきや,人力の及ぶ所に非ず。是に由て之を観れば,足利の成業も偶然に非ず,楠氏の討死も亦偶然に非ず,皆その然る所以の源因ありて然るものなり。故に云く,正成の死は後醍醐天皇の不明に因るに非ず,時の勢に因るものなり。正成は尊氏と戦て死したるに非ず,時勢に敵して敗したるものなり。

 右所論の如く,英雄豪傑の時に遇わずと云うは,唯その時代に行わるゝ一般の気風に遇わずして心事の齟齬したることを云うなり。故にその千歳一遇の時を得て事を成したりと云うものも,亦唯時勢に適して人民の気力を逞うせしめたることを云うのみ。千七百年代に亜米利加合衆国の独立したるもその謀首四十八士の創業に非ず,「ワシントン」一人の戦功に非ず。四十八士の輩は唯十三州の人民に分賦せる独立の気力を事実の有様に顕わし,「ワシントン」はその気力を戦場に用いたるのみ。故に合衆国の独立は千歳一遇の奇功に非ず,仮令い当時の戦に敗して一時は事を誤ることあるも,別に又四百八十士もあり,別に又十名の「ワシントン」もありて,到底合衆国の人民は独立せざるべからざる者なり。近くは四年前仏蘭西と孛魯士との戦に,仏の敗走は国帝第三世「ナポレオン」の失策にして,孛の勝利はその宰相「ビスマルク」の功なりと云う者あれども,決して然らず。「ナポレオン」と「ビスマルク」と智愚の差あるに非ず。その勝敗の異なりし所以は当時の勢にて,孛の人民は一和して強く,仏の人民は党を分て弱かりしがためのみ。「ビスマルク」はこの勢に順て孛人の勇気を逞うせしめ,「ナポレオン」は仏人の赴く所に逆うてその人心に戻りたるがためのみ。

 尚明にその証を示さん。今「ワシントン」を以て支那の皇帝と為し,「ヱルリントン」を以てその将軍と為し,支那の軍勢を卒いて英国の兵隊と戦うことあらば,その勝敗如何なるべきや。仮令い支那に鉄艦大砲の盛あるも,英の火縄筒と帆前船のために打破らるべし。是に由て観れば,戦の勝敗は将帥にも因らず,亦器械にも因らず,唯人民一般の気力に在るのみ。或は数万の勇士を戦に用いて敗走することあらば,こは士卒の知る所に非ず,将帥の拙劣を以て兵卒の進退を妨げ,その本然の勇気を逞うせしめざるの罪なり。

 又一例を挙て云わん。方今日本の政府にて事務の挙らざるを以て長官の不才に帰し,専ら人才を得んとして此を登用し彼を抜擢して之を試れども,事務の実に変ることなし。尚この人物を不足なりとして乃ち外国人を雇い,或はこれを教師と為し或はこれを顧問に備えて事を謀れども,政府の事務は依然として挙ることなし。その事務の挙らざる所に就てこれを見れば,政府の官員は実に不才なるが如く,教師顧問のために雇たる外国人も悉皆愚人なるが如し。然りと雖も方今政府の上に在る官員は国内の人才なり,又その外国人と雖ども愚人を撰でこれを雇たるものに非ず。然ば則ち事務の挙らざるは別に源因なかるべからず。その源因とは何ぞや。政を事実に施すに当て必ず如何ともすべからざるの事情あり,是れその源因なり。この事情なるものはこれを名状すること甚だ難しと雖ども,俗に所謂多勢に無勢にて叶わぬと云うことなり。政府の失策を行う由縁は,常にこの多勢に無勢なるものに窘めらるればなり。政府の長官その失策たるを知らざるに非ず。知てこれを行うは何ぞや。長官は無勢なり,衆論は多勢なり,これを如何ともすべからず。この衆論の由て来る所を尋るに,真にその初発の出所を詳にすべからず。恰も天より降り来るものゝ如しと雖ども,その力よく一政府の事務を制御するに足れり。故に政府の事務の挙らざるは二,三の官員の罪に非ず,この衆論の罪なり。世上の人誤て官員の処置を咎る勿れ。古人は先ず君心の非を正だすを以て緊要事と為したれども,余輩の説はこれに異なり。天下の急務は先ず衆論の非を正だすに在り。

 抑も官員たる者は固より近く国事に接するものなれば,その憂国の心も亦自から深切にして,衆論の非を患い百方苦慮してこの非を正だすの術を求むべき筈なれども,或は然らずしてその官員も亦衆論者中の一人なるか,又はその論に惑溺してこれを悦ぶ者もあらん。この輩は所謂人を患るの地位に居て,人に患らるゝの事を為す者と云うべし。政府の処置に往々自から建てゝ自から毀つが如き失策あるもこの輩の致す所なり。是亦国のために如何ともすべからざるの事情なれば,憂国の学者は唯須らく文明の説を主張し,官私の別なく等しく之を惑溺の中に救て,以て衆論の方向を改めしめんことを勉むべきのみ。衆論の向う所は天下に敵なし,奈何ぞ政府の区々たるを患うるに足らん,奈何ぞ官員の瑣々たるを咎るに足らん。政府は固より衆論に従て方向を改るものなり。故に云く,今の学者は政府を咎めずして衆論の非を憂うべきなり。

 或人云く,この一章の趣意に従えば,天下の事物は悉皆天下の人心に任して傍より之を如何ともすべからず,世の形勢は猶寒暑の来往の如く草木の栄枯の如くして毫も人力を加うべからざるものか,政府の人間に用なく,学者も無用の長物,商人も職人も唯天然に任して,各自から勉むべき職分なきが如し,これを文明進歩の有様と云うか。答て云く,決して然らず。前既に論ずる如く,文明は人間の約束なれば,之を達すること固より人間の目的なり。そのこれを達するの際に当て各その職分なかるべからず。政府は事物の順序を司どりて現在の処置を施し,学者は前後に注意して未来を謀り,工商は私の業を営て自から国の富を致す等,各職を分て文明の一局を勤るものなり。

 固より政府と雖も前後の注意なかるべからず,学者にも現在の仕事なかるべからず,且政府の官員とても学者の内より出るものなれば,此彼の職分同様なるべきに似たりと雖も,既に官私の界を分ち,その本職を定めて分界を明にすれば,現在と未来との区別なかるべからず。今国に事あればその事の鋒先きに当て即時に可否を決するは政府の任なれども,平生よく世上の形勢を察して将来の用意を為し,或はその事を来たし或は之を未然に防ぐは学者の職分なり。世の学者或はこの理を知らずして漫に事を好み,自己の本分を忘れて世間に奔走し,甚しきは官員に駆使されて目前の利害を処置せんとし,その事を成す能わずして却て学者の品位を落す者あり。惑えるの甚しきなり。蓋し政府の働は猶外科の術の如く,学者の論は猶養生の法の如し。その功用に遅速緩急の別ありと雖も,共に人身のためには欠くべからざるものなり。今政府と学者との功用を論ずるに,一を現在と云い一を未来と云うと雖ども,その功用の大にして国のために欠くべからざるは同様なり。唯一大緊要は互にその働を妨げずして却て相助け,互に相刺衝して互に相励し,文明の進歩に一毫の碍障を置かざるに在るのみ。

文明論之概略 巻之二 第五章 前論の続き

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp