ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 4편, 5편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 20:56

学問のすすめ 四編

  学者の職分を論ず

 近来窃(ひそか)に識者の言を聞くに、「今後日本の盛衰は人智をもって明らかに計り難しと雖ども、到底その独立を失うの患はなかるべしや、方今目撃するところの勢いに由って次第に進歩せば、必ず文明盛大の域に至るべしや」と言って、これを問う者あり。或いは「その独立の保つべきと否とは、今より二、三十年を過ぎざれば明らかにこれを期すること難かるべし」と言って、これを疑う者あり。或いは甚だしくこの国を蔑視したる外国人の説に従えば、「迚(とて)も日本の独立は危し」と言って、これを難ずる者あり。固より人の説を聞きて遽にこれを信じ我望みを失するには非ざれども、畢竟(ひっきょう)この諸説は我独立の保つべきと否とについて疑問なり。事に疑いあらざれば問の由って起るべき理なし。今試みに英国に行き、ブリテンの独立保つべきや否と言ってこれを問わば、人皆笑って答うる者なかるべし。その答うる者なき何ぞや、これを疑わざればなり。然らば則ち我国文明の有様、今日をもって昨日に比すれば或いは進歩せしに似たることあるも、その結局に至っては未だ一点の疑いあるを免れず。苟もこの国に生まれて日本人の名ある者は、これに寒心せざるを得んや。今我輩もこの国に生まれて日本人の名あり、既にその名あればまたおのおのその分を明らかにして尽すところなかるべからず。固より政の字の義に限りたる事をなすは政府の任なれども、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し。故に一国の全体を整理するには、人民と政府と両立して始めてその成功を得べきものなれば、我輩は国民たるの分限を尽し、政府は政府たるの分限を尽し、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。

 すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬(たと)えば人身の如し。これを健康に保たんとなるには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今俄にこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところに任してこれを放頓することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然り。政は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。故に政府はなお生力の如く、人民はなお外物の刺衝の如し。今俄にこの刺衝を去り、ただ政府の働くところに任してこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。苟も人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。

 方今我国の形成を察し、その外国に及ばざるものを挙ぐれば、曰く学術、曰く商売、曰く法律、これなり。世の文明は専らこの三者に関し、三者挙らざれば国の独立を得ざること識者を俟たずして明らかなり。然るに今我国において一もその体を成したるものなし。

 政府一新の時より、在官の人物力を尽さざるに非ず、その才力また拙劣なるに非ずと雖ども、事を行うに当り如何ともすべからざるの原因ありて意の如くならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲即ちこれなり。政府既にその原因の在るところを知り、頻りに学術を勧め法律を議し商法を立つるの道を示す等、或いは人民に説諭し或いは自ら先例を示し百万その術を尽すと雖ども、今日に至るまで未だ実効の挙げるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。或いは僅に進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきは何ぞや。蓋し一国の文明は、独り政府の力をもって進むべきものに非ざるなり。

 人或いは云く、政府は暫くこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待って後に自ずから文明の域に入らしむるなりと。この説は言うべくして行うべからず。我全国の人民数千百年専制の政治に窘められ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払って尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとして益々虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとして却って益々不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うが如し。遂に上下の間隔絶しておのおの一種無形の気風を成せり。その気風とはいわゆる「スピリット」(spirit社会の気風)なるものにて、俄にこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、遽に一個の人につき一場の事を見て名状すべきものに非ざれども、その実の力は甚だ強くして、世間全体の事跡に顕わるるを見れば、明らかにその虚に非ざるを知るべし。

 試みにその一を挙げて言わん。今在官の人物少くなしとせず、私にその言を聞きその行いを見れば概ね皆闊達大度の士君子にて、我輩これを間然する能わざるのみならず、その言行或いは慕うべきものあり。また一方より言えば、平民と雖ども悉皆無気無力の愚民のみに非ず、万に一人は公明誠実の良民もあるべし。然るに今この士君子、政府に会して政をなすに当り、その為政の事跡を見れば我輩の悦ばざるもの甚だ多く、またかの誠実なる良民も、政府に接すれば忽ちその節を屈し、偽詐術策をもって官を欺き、嘗て恥ずるものなし。この士君子にしてこの政を施し、この民にしてこの賎劣に陥るは何ぞや。あたかも一身両頭あるが如し。私に在っては智なり、官に在っては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まる所にして一愚人の事を行うものと言うべし。豈怪しまざるを得んや。畢竟その然る由縁は、かの気風なるものに制せられて人々自ら一個の働きを逞しうすること能わざるに由って致すところならん乎。維新以来、政府にて、学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因は蓋しここに在るなり。然るに今一時の術を用いて下民を御しその知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明に強ゆるものか、然らざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作ってこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。仮令いその策は巧なるも、文明の事実に施して益なかるべし。故に云く、世の文明を進むるにはただ政府の力のみに依頼すべからざるなり。

 右所論をもって考うれば、方今我国の文明を進むるには、先ずかの人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。これを一掃するの法、政府の命をもってし難し、私の説諭をもってし難し、必ずしも人に先って私に事なし、もって人民の由るべき標的を示す者なかるべからず。今この標的となるべき人物を求むるに、農の中にあらず、商の中にあらず、また和漢の学者中にも在らず、その任に当たる者はただ一種の洋学者流あるのみ。

 然るにまた、これに依頼すべからざるの事情あり。近来この流の人漸く世間に増加し、或いは横文を講地或いは訳書を読み、専ら力を尽すに似たりと雖ども、学者或いは字を読みて義を解さざるか、或いは義を解してこれを事実に施すの誠意なきか、その所業につき我輩の疑いを存するもの尠からず。この疑いを存するとは、この学者士君子、皆官あるを知って私あるを知らず、政府の上に立つの術を知って、政府の下に居るの道を知らざるの一事なり。畢竟漢学者流の悪習を免かれざるものにて、あたかも漢を体にして洋を衣にするが如し。

 試みにその実証を挙げて言わん。方今世の洋学者流は概ね皆官途に就き、私に事をなす者は僅に指を屈するに足らず。蓋しその官に在るは、ただ利これ貪るのためのみに非ず、生来の教育に先入して只管政府に眼を着し、政府に非ざれば決して事をなすべからざるものと思い、これに依頼して宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。或いは世に名望ある大家先生と雖どもこの範囲を脱するを得ず、その所業或いは賎しむべきに似たるも、その意は深く咎むるに足らず、蓋し意の悪しきに非ず、ただ世間の気風に酔って自ら知らざるなり。名望を得たる士君子にして斯の如し。天下の人豈その風に倣わざるを得んや。

 青年の書生僅に数巻の書を読めば乃ち官途に志し、有志の町人僅に数百の元金あれば乃ち官の名を仮りて商売を行わんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、凡そ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。これをもって世の人益々その風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり。譬えば方今出版の新聞紙及び諸方の上書建白の類もその一例なり。出版の条令甚だしく厳なるに非ざれども、新聞紙の面を見れば政府の忌諱に触るることは絶えて載せざるのみならず、官に一毫美事あれば慢にこれを称誉してその実に過ぎ、あたかも娼妓の客に媚びるが如し。また、かの上書建白を見ればその文常に卑劣を極め、妄に政府を尊崇すること鬼神の如く、自ら賎ずること罪人の如くし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えば、ただ狂人をもって評すべきのみ。然るに今、この新聞紙を出版し或いは政府に建白する者は、概ね皆世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓に非ず、また狂人にも非ず。

 然るにその不誠不実、かくの如きの甚だしきに至る所以は、未だ世間に民権を主唱する実例なきをもって、ただかの卑屈の気風に制せられその気風に雷同して、国民の本音を見わし得ざるなり。これを概すれば、日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり。故に云く、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にもまた依頼すべからざるなり。

 前条所記の論説果して是ならば、我国の文明を進めてその独立を維持するは、独り政府の能するところに非ず、また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ず我輩の任ずるところにして、先ず我より事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かう所を示さざるべからず。今我輩の身分を考うるに、その学識固より浅劣なりと雖ども、洋学に示すこと日既に久しく、この国に在っては中人以上の地位にある者なり。輓近世の改革も、もし我輩の主として始めし事に非ざれば暗にこれを助け成したるものなり。或いは助成の力なきもその改革は我輩の悦ぶところなれば、世の人もまた我輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。既に改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位に在り、世人或いは我輩の所業をもって標的となす者あるべし。然らば即ち、今、人に先って事をなすは正にこれを我輩の任と言うべきなり。

 そもそも事をなすに、これを命ずるはこれを諭すに若かず、これを諭すは我よりその実の例を示すに若かず。然り而して政府はただ命ずるの権あるのみ、これを諭して実の例を示すは私の事なれば、我輩先ず私立の地位を占め、或いは学術を講じ、或いは商売に従事し、或いは法律を議し、或いは書を著し、或いは新聞紙を出版する等、凡そ国民たるの分限に越えざる事は忌諱を憚らずしてこれを行い、固く法を守って正しく事を処し、或いは政令信ならずして曲を被ることあらば、我地位を屈せずしてこれを論じ、あたかも政府の頂門に一釘を加え、旧弊を除きて民権を恢復せんこと、方今至急の要務なるべし。

 固(もと)より私立の事業は多端、且つこれを行う人にもおのおの所長あるものなれば、僅に数輩の学者にて悉皆その事を非ざれども、我目的とするところは事を行うの巧みなるを示すに在らず、ただ天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。百回の説諭を費やすは一回の実例を示すに若かず。今我より私立の実例を示し、人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて私に事を行うべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべしとの趣を知らしめなば、人民漸く向かうところを明らかにし、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝となり、学術以下三者も自ずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互いに相平均し、もって全国の独立を維持すべきなり。

 以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助け成さんとするに当たって、政府の範囲に入り官に在って事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物を精しく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。我輩固より為にするところありて私立を主張するに非ず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。

   附録

 本論につき二、三の問答ありよってこれを巻末に記す。

 その一に云く、事をなすは有力なる政府に依るの便利に若かずと。答云く、文明を進むるは独り政府の力のみに依頼すべからず、その弁論既に本文に明らかなり。且つ政府にて事をなすは既に数年の実験あれども未だその奏功を見ず、或いは私の事も果してその功を期し難しと雖ども、議論上において明らかに見込みあればこれを試みざるべからず。未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者と言うべからず。

 二に云く、政府人に乏し、有力の人物政府を離れなば官務に差支あるべしと。答云く、決して然らず、今の政府は官員の多きを患うるなり。事を簡にして官員を減ずれば、その事務はよく整理してその人員は世間の用をなすべし、一挙して両得なり。故さらに政府の事務を多端にし、有用の人を取って無用の事をなさしむるは策の拙なるものと言うべし。且つこの人物、政府を離るるも去って外国に行くに非ず、日本に居て日本の事をなすのみ、何ぞ患うるに足らん。

 三に云く、政府の外に私立の人物集まることあらば、自ずから政府の如くなりて、本政府の権を落すに至らんと。答云く、この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けて共に全国の便利を謀るものなれば、敵に非ず真の益友なり。且つこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫も恐るるに足らず。

 四に云く、私立せんと欲する人物あるも、官途を離れば他に活計の道なしと。答云く、この言は士君子の言うべき言に非ず。既に自ら学者と唱えて天下の事を患うる者、豈無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊するは難きに非ず。且つ官に在って公務を司るも私に居て業を営むも、その難易なるを理なし。もし官の事務易くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、即ちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪るは君子のなさざるところなり。無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢に給料を貪って奢侈の資となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

(明治七年一月出版)

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学問のすすめ 五編

 「学問のすすめ」は、もと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも勉めて俗語を用い文章を読み易くするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めて或いはむつかしき文字を用いたる処もあり。またこの五編も、明治七年一月一日、社中会同の時に述べたる詞を文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずして或いは解し難きの恐れなきに非ず。畢竟四、五の二編は、学者を相手にして論を立てしものなるゆえこの次第に及びたるなり。世の学者は大概皆腰ぬけにてその気力は不慥なれども、文字を見る眼は中々慥にして、如何なる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむつかしく書きその意味も自ずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学の輩に対して甚だ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁に復り、専ら解し易きを主として初学の便利に供し、更に難文を用いることなかるべきが故に、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

 明治七年一月一日の詞

 我輩今日慶応義塾に在りて明治七年一月一日に逢えり。この年号は我国独立の年号なり、この塾は我社中独立の塾なり。独立の塾に居て独立の新年に逢うを得るは、また悦ばしからずや。蓋しこれを得て悦ぶべきものは、これを失えば悲しみとなるべし、故に今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。

 古来我国治乱の沿革に由り政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし由縁は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、未だ他に対して鉾を争いしものに非ず。これを譬えば、小児の家内に育せられて未だ外人に接せざる者の如し。その薄弱なること固より知るべきなり。

 今や外国の交際俄に開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々皆外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来我国人の力にて僅に達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、啻に三舎を譲るのみならず、これに倣わんとして或いは望洋の歎を免かれず、益々我独立の薄弱なるを覚ゆるなり。

 国の文明は形をもって評すべからず。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍というも、皆これ文明の形のみ。この形を作るは難きに非ず、ただ銭をもって買うべしと雖ども、ここにまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、普く国人の間に位してその作用甚だ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。蓋しその物とは何ぞや。云く、人民独立の気力、即ちこれなり。

 近来我政府、頻(しき)りに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制も大いに面目を改め、文明の形、略備わりたれども、人民未だ外国へ対して我独立を固くし共に先を争わんとする者なし。啻(ただ)にこれと争わざるのみならず、たまたま彼の事情を知るべき機会を得たる人にても、未だこれを詳らかにせずして先ずこれを恐るるのみ。他に対して既に恐怖の心を抱くときは、仮令い我にいささか得るところあるもこれを外に施すに由なし。畢竟人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形も遂に無用の長物に属するなり。

 そもそも我国の人民に気力なきその源因を尋ぬるに、数千百年の古より全国の権柄を政府の一手に握り、武備文学より工業商売に至るまで、人間些末の事務と雖ども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾するところに向かって奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるが如し。既に無宿の食客となりて僅にこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅の如く、嘗て深切の意を尽すことなく、またその気力を見わすべき機会をも得ずして、遂に全国の気風を養い成したるなり。

 しかのみならず今日に至っては、なおこれより甚だしきことあり。大凡世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。今日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔足利徳川の政府においては、民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するに非ず、ただこれを恐れて服従の容をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智慧頗る敏捷にして、嘗て事の機に後るることなし。一新の後、未だ十年ならずして、学校兵備の改革あり、鉄道電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至っては、実に人の耳目を驚かすに足れり。然るに、この学校兵備は政府の学校兵備なり、鉄道電信も政府の鉄道電信なり、石室鉄橋も政府の石室鉄橋なり。人民果して何の観をなすべきや。人皆言わん、政府は啻に力あるのみならず兼ねてまた智あり、我輩の遠く及ぶところに非ず、政府は雲上に在りて国を司り、我輩は下に居てこれに依頼するのみ、国を患うるは上の任なり、下賎の関わるところに非ずと。概してこれを言えば、古の政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府を視ること鬼の如し、今の民はこれを視ること神の如くす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。この勢いに乗じて事の轍を改むることなくば、政府にて一事を起せば文明の形は次第に具わるに似たれども、人民には正しく一段と気力を失い文明の精神は次第に衰うるのみ。

 いま政府に常備の兵隊あり、人民これを認めて護国の兵とし、その盛んなるを祝して意気揚々たるべき筈なるに、却ってこれを威民の具と視做して恐怖するのみ。今政府に学校鉄道あり、人民これを一国文明の微として誇るべき筈なるに、却ってこれを政府の私恩に帰し、益々その賜に依頼するの心を増すのみ。人民既に自国の政府に対して萎縮震慄の心を抱けり、豈外国に競うて文明を争うに遑あらんや。故に云く、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るも啻に無用の長物のみならず、却って民心を退縮せしむるの具となるべきなり。

 右に論ずるところをもって考うれば、国の文明は上政府より起るべからず、下小民より生ずべからず、必ずその中間より興りて衆庶の向かうところを示し、政府と並立ちて始めて成功を期すべきなり。西洋諸国の史類を案ずるに、商売工業の道一として政府の創造せしものなし、その本は皆中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ。蒸気機関はワットの発明なり、鉄道はステフェンソンの工夫なり、始めて経済の定則を論じ商売の法を一変したるはマダム・スミスの功なり。この諸大家はいわゆる「ミッヅルカラッス」なる者にて、国の執政に非ず、また力役の小民に非ず、正に国人の中等に位し、智力をもって一世を指揮したる者なり。その工夫発明、先ず一人の心に成れば、これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、益々その事を盛大にして人民無量の幸福を万世に遺すなり。この間に当り政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行われしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。故に文明の事を行う者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり。これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、国に一の美事あれば全国の人民手を拍って快と称し、ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。故に文明の事物悉皆人民の気力を増すの具となり、一事一物も国の独立を助けざるものなし。その事情正しく我国の有様に相反すと言うも可なり。

 今我国において彼の「ミッヅルカラッス」の地位に居り、文明を首唱して国の独立を維持すべきはただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの、時勢につき眼を着すること高からざるか、或いは国を患うること身を患うるが如く切ならざるか、或いは世の気風に酔い只管政府に依頼して事を成すべきものと思うか、概ね皆その地位に安んぜずして去って官途に赴き、些末の事務に奔走して徒に心身を労し、その挙動笑うべきもの多しと雖ども、自らこれを甘んじ人もまたこれを怪しまず、甚だしきは野に遺賢なしと言ってこれを悦ぶ者あり。固より時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人に在らずと雖ども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養う成すべき任に当りたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭すべきなり。

 独り我慶応義塾の社中は、僅にこの災難を免れて、数年独立の名を失わず、独立の塾に居て独立の気を養い、その期するところは全国の独立を維持するの一事に在り。然りと雖ども、時勢の世を制するや、その力急流の如くまた大風の如し。この勢いに激して屹立するは固より易きに非ず、非常の勇力あるに非ざれば知らずして流れ識らずして靡き、動もすればその脚を失するの恐あるべし。そもそも人の勇力は、ただ読書のみに由って得べきものに非ず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるに非ざれば、決して勇力を生ずべからず。我社中既にその術を得たる者は、貧苦を忍び艱難を冒して、その所得の知見を文明の事実に施さざるべからず。その科は枚挙に遑あらず。商売勤めざるべからず、法律議せざるべからず、工業起さざるべからず、農業勧めざるべからず、著者訳術新聞の出版、凡そ文明の事件は尽く取って我私有となし、国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱な独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、外国と鉾を争って毫も譲ることなく、今より数十の新年を経て顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずして却ってこれを愍笑するの勢いに至るは、豈(あに)一大快事ならずや。学者宜しくその方向を定めて期することろあるべきなり。

(明治七年一月出版)

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