ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 6편, 7편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 20:57

学問のすすめ 六編

 国法の貴きを論ず

 政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。その職分は罪ある者を取押えて罪なき者を保護するより外ならず。即ちこれ国民の思うところにして、この趣意を達すれば一国内の便利となるべし。元来罪ある者とは悪人なり、罪なき者とは善人なり。いま悪人来りて善人を害せんとすることあらば、善人自らこれを防ぎ、我父母妻子を殺さんとする者あらば捕えてこれを殺し、我家財を盗まんとする者あらば捕らえてこれを笞(むちう)ち、差支なき理なれども、一人の力にて多勢の悪人を相手に取り、これを防がんとするも迚も叶うべきことにあらず。

 仮令(たと)い或いはその手当をなすも莫大の入費にて益もなきことなるゆえ、右の如く国民の総代として政府を立て、善人保護の職分を勤めしめ、その代として役人の給料は勿論、政府の諸入用をば悉皆(しっかい)国民より賄うべしと約束せしことなり。且つまた政府は既に国民の総名代となりて事をなすべき権を得たるものなれば、政府のなす事は即ち国民のなす事にて、国民は必ず政府の法に従わざるべからず。これまた国民と政府との約束なり。故に国民の政府に従うは、政府の作りし法に従うに非ず、自ら作りし法に従うなり。国民の法を破るは、政府の作りし法を破るに非ず、自ら作りし法を破るなり。その法を破って刑罰を被るは、政府に罰せらるるに非ず、自ら定めし法に由って罰せらるるなり。この趣きを形容して言えば、国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるが如し。即ちその一の役目は、自分の名代として政府を立て一国中の悪人を取押えて善人を保護することなり。その二の役目は、固く政府の約束を守りその法に従って保護を受くることなり。

 右の如く、国民は政府と約束して政令の権柄を政府に任せたる者なれば、かりそめにもこの約束を違えて法に背くべからず。人を殺す者を捕えて死刑に行うも政府の権なり、盗賊を縛って獄屋に繋ぐも政府の権なり、公事訴訟を捌くも政府の権なり、乱妨喧嘩を取押うるも政府の権なり。これらの事につき、国民は少しも手を出すべからず。もし心得違いして私に罪人を殺し、或いは盗賊を捕えてこれを笞つ等のことあれば、即ち国の法を犯し、自ら私に他人の罪を裁決する者にて、これを私裁と名づけ、その罪免すべからず。この一段に至っては、文明諸国の法律甚だ厳重なり。いわゆる威ありて猛からざるもの乎。我日本にては政府の威権盛んなるに似たれども、人民ただ政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり。いまここに私裁の宜しからざる由縁と国法の貴き由縁とを記すこと左の如し。

 譬(たと)えば我家に強盗の入り来りて家内の者を威し金を奪わんとすることあらん。この時に当り家の主人たる者の職分は、この事の次第を政府に訴え政府の処置を待つべき筈なれども、事火急にして出訴の間合もなく、彼是する中にかの強盗は既に土蔵へ這入りて金を持ち出さんとするの勢いあり。これを止めんとすれば主人の命も危き場合なるゆえ、止むを得ず家内申合せて私にこれを防ぎ、当座の取計いにてこの強盗を捕え置き、然る後に政府へ訴え出るなり。これを捕うるについては、或いは棒を用い、或いは刃物を用い、或いは賊の身に疵付ることもあるべし、或いはその足を打折ることもあるべし、事急なるときは鉄砲をもって打殺すこともあるべしと雖ども、結局主人たる者は我生命を護り我家財を守るために一事の取計いをなしたるのみにて、決して賊の無礼を咎めその罪を罰するの趣意に非ず。

 罪人を罰するは政府に限たる権なり、私の職分に非ず。故に私の力にて既にこの強盗を取押え我手に入りし上は、平人の身としてこれを殺しこれを打擲すべからざるは勿論、指一本を賊の身に加うることをも許さず、ただ政府に告げて政府の裁判を待つのみ。もしも賊を取押えし上にて、怒りに乗じてこれを殺しこれを打擲することあれば、その罪は無罪の人を殺し無罪の人を打擲するに異ならず。譬えば某国の律に、金十円を盗む者はその刑笞一百、また足をもって人の面を蹴る者もその刑笞一百とあり。然るにここに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取押えられ既に縛られし上にて、その主人なおも怒りに乗じ足をもって賊の面を蹴ることあらん、然るときその国の律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被り、主人もまた平人の身をもって私に賊の罪を裁決し足をもってその面を蹴りたる罪に由り笞たるること一百なるべし。国法の厳なること斯の如し。人々恐れざるべからず。

 右の理をもって考うれば、敵討の宜しからざることも合点すべし。我親を殺したる者は即ちその国にて一人の人を殺したる公の罪人なり。この罪人を捕えて刑に処するは、政府に限りたる職分にて、平人の関わるところに非ず。然るにその殺されてる者の子なればとて、政府に代りて私にこの公の罪人を殺すの理あらんや。差出がましき挙動と言うべきのみならず、国民たるの職分を誤り、政府の約束に背くものと言うべし。もしこの事につき、政府の処置宜しからずして罪人を贔屓する等のことあらば、その不筋なる次第を政府に訴うべきのみ。何らの事故あるも決して自ら手を出すべからず。仮令い親の敵は目の前に徘徊するも、私にこれを殺すの理なし。

昔徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討とて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。このとき日本の政府は徳川なり、浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来も皆日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。然るに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとして遂に双方の喧嘩となりしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申付け、上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判と言うべし。浅野家の家来共この裁判を不正なりと思わば、何が故にこれを政府へ訴えざるや。四十七士の面々申合せて、おのおのその筋に由り法に従って政府に訴え出でなば、固より暴政府のことゆえ最初はその訴訟を取上げず、或いはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしと雖ども、仮令い一人は殺さるるもこれを恐れず、また代りて訴え出で、随って殺され随って訴え、四十七人の家来理を訴えて命を失い尽すに至らば、如何なる悪政府にても遂には必ずその理に伏し、上野介へも刑を加えて裁判を正しうすることあるべし。

 かくありてこそ始めて真の義士とも称すべき筈なるに、嘗てこの理を知らず、身は国民の地位に居ながら国法の重きを顧みずして妄に上野介を殺したるは、国民の職分を誤り政府の権を犯して私に人の罪を裁決したるものと言うべし。幸いにしてそのとき徳川の政府にてこの乱妨人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免すことあらば、吉良家の一族また敵討とて赤穂の家来を殺すことは必定なり。然るときはこの家来の一族、また敵討とて吉良の一族を攻むるならん。敵討と敵討とにて、はてしもあらず、遂に双方の一族朋友死し尽るに至らざれば止まず。いわゆる無政無法の世の中とはこの事なるべし。私裁の国を害すること斯の如し。謹まざるべからざるなり。

 古は日本にて百姓町人の輩、士分の者に対して無礼を加うれば切捨御免という法あり。こは政府より公に私裁を許したるものなり。けしからぬことならずや。すべて一国の法は唯一政府にて施行すべきものにて、その法の出る処いよいよ多ければその権力もまた随っていよいよ弱し。譬えば封建の世に三百の諸侯おのおの生殺の権ありし時は、政法の力もその割合にて弱かりし筈なり。

 私裁の最も甚だしくして政を害するの最も大なるものは暗殺なり。古来暗殺の事跡を見るに、或いは私怨のためにする者あり、或いは銭を奪わんがためにする者あり。この類の暗殺を企つるものは固より罪を犯す覚悟にて、自分にも罪人の積りなれども、別にまた一種の暗殺あり。この暗殺は私のために非ず、いわゆる「ポリチカルエネミ」(政敵)を悪んでこれを殺すものなり。天下の事につき銘々の見込みを異にし、私の見込みをもって他人の罪を裁決し、政府の権を犯して恣に人を殺し、これを恥じざるのみならず却って得意の色をなし、自ら天誅を行うと唱うれば、人またこれを称して報国の士と言う者あり。そもそも天誅とは何事なるや。天に代りて誅罰を行うと言う積り乎。もしその積りならば先ず自分の身の有様を考えざるべからず。元来この国に居り政府へ対して如何なる約条を結びしや。必ずその国法を守って身の保護を被るべしとこそ約束したることなるべし。もし国の政事につき不平の箇条を見出し、国を害する人物ありと思わば、静かにこれを政府へ討うべき筈なるに、政府を差置き自ら天に代わりて事をなすとは商売違いもまた甚だしきものと言うべし。畢竟この類の人は、性質律儀なれども物事の理に暗く、国を患うるを知って国を患うる所以の道を知らざる者なり。試みに見よ、天下古今の実験に、暗殺をもってよく事を成し世間の幸福を増したるものは未だ嘗てこれあらざるなり。

 国法の貴きを知らざる者は、ただ政府の役人を恐れ、役人の前を程能くして、表向に犯罪の名あらざれば内実の罪を犯すもこれを恥とせず。啻にこれを恥じざるのみならず、巧みに法を破って罪を遁るる者あれば却ってこれをその人の働きとしてよき評判を得ることあり。いま世間日常の話に、此も上の御大法なり、彼も政府の表向なれども、この事を行うに斯く私に取計えば、表向の御大法には差支もあらず、表向の内証などとて笑いながら談話して咎むるものもなく、甚だしきは小役人と相談の上、この内証事を取計い、双方共に便利を得て罪なき者の如し。実はかの御大法なるもの、あまり煩わしきに過ぎて事実に施すべからざるよりして、この内証事も行わるることなるべしと雖ども、一国の政治をもってこれを論ずれば、最も恐るべき悪弊なり。かく国法を軽蔑するの風に慣れ、人民一般に不誠実の気を生じ、守って便利なるべき法をも守らずして、遂には罪を蒙ることあり。

 譬えば、今往来に小便するは政府の禁制なり。然るに人民皆この禁令の貴きを知らずしてただ邏卒(らそつ=巡査)を恐るるのみ。或いは日暮など邏卒の在らざるを窺(うかが)いて法を破らんとし、図らずも見咎めらるることあればその罪に伏すと雖ども、本人の心中には貴き国法を犯したるが故に罰せらるるとは思わずして、ただ恐ろしき邏卒に逢いしをその日の不幸と思うのみ。実に歎かわしきことならずや。故に政府にて法を立つるは勉めて簡なるを良とす。既にこれを定めて法となす上は、必ず厳にその趣意を達せざるべからず。人民は政府の定めたる法を見て不便なりと思うことあらば、遠慮なくこれを論じて訴うべし。既にこれを認めてその法の下に居るときは、私にその法を是非することなく謹んでこれを守らざるべからず。

 近くは先月我慶応義塾にも一事あり。華族太田資美君一昨年より私金を投じて米国人を雇い義塾の教員に供えしが、このたび交代の期限に至り、他の米人を雇い入れんとして当人との内談既に整いしにつき、太田氏より東京府へ書面を出し、この米人を義塾に入れて文学科学の教師に供えんとの趣きを出願せしところ、文部省の規則に、私金をもって私塾の教師を雇い私に人を教育するものにても、その教師なる者本国にて学科卒業の免状を得てこれを所持するものに非ざれば雇入を許さずとの箇条あり。然るにこのたび雇い入れんとする米人、かの免状を所持せざるにつき、ただ語学の教師とあれば兎も角もなれども、文学科学の教師としては願の趣き聞き届け難き旨、東京府より太田氏へ御沙汰なり。

 よって福沢諭吉より同府へ書を呈し、この教師なる者、免状を所持せざるもその学力は当塾の生徒を教うるため十分なるゆえ、太田氏の願の通りに命ぜられたく、或いは語学の教師と申立てなば願も済むべきなれども、固より我生徒は文学科学を学積りなれば、語学と偽り官を欺くことは敢えてせざるところなりと出願したりしかども、文部省の規則変ずべからざる由にて、諭吉の願書もまた返却したり。これがため既に内約の整いし教師を雇い入るるを得ず、去年十二月下旬本人は去って米国へ帰り、太田君の素志も一時の水の泡となり、数百の生徒も望みを失い、実に一私塾の不幸のみならず、天下文学のためにも大なる妨げにて、馬鹿らしく苦々しきことなれども、国法の貴重なる、これを如何ともすべからず、いずれ近日また重ねて出願の積りなり。今般の一条につきては、太田氏を始め社中集会してその内話に、かの文部省にて定めたる私塾教師の規則もいわゆる御大法なれば、ただ文学科学の文字を消して語学の二字に改むれば願も済み生徒のためには大幸ならんと再三商議したれども、結局のところこの度の教師を得ずして社中生徒の学業或いは退歩することあるも、官を欺くは士君子の恥図べきところなれば、謹んで法を守り国民たるの分を誤らざるの方上策なるべしとて、遂にこの始末に及びしことなり。固より一私塾の処置にてその事些末に似たれども、議論の趣意は世教にも関わるべきことと思い、序ながらこれを巻末に記すのみ。

(明治七年二月出版)

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学問のすすめ 七編

  国民の職分を論ず

 第六編に国法の貴きを論じ、国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるものなりと言えり。今またこの役目職分の事につき、なおその詳らかなるを説きて六編の補遺となすこと左の如し。

 凡そ国民たる者は一人の身にして二箇条の勤めあり。その一の勤めは政府の下に立つ一人の民たるところにてこれを論ず、即ち客の積りなり。その二の勤めは国中の人民申し合せて一国と名づくる会社を結び社の法を立ててこれを施し行うことなり、即ち主人の積りなり。譬えばここに百人の町人ありて何とかいう商社を結び、社中相談の上にて社の法を立てこれを施し行うところを見れば、百人の人はその商社の主人なり。既にこの法を定めて、社中の人何れもこれに従い違背せざるところを見れば、百人の人は商社の客なり。故に一国はなお商社の如く、人民はなお社中の人の如く、一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。

第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。他人の来りて我権義を害するを欲せざれば、我もまた他人の権義を妨ぐべからず。我楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむが故に、他人の楽しみを奪って我楽しみを増すべからず、他人の物を盗んで我富となすべからず、人を殺すべからず、人を讒すべからず、正しく国法を守って彼我同等の大義に従うべし。また国の政体に由って定まりし法は、仮令い或いは愚なるも或いは不便なるも、妄にこれを破るの理なし。師を起すも外国と条約を結ぶも政府の権にある事にて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者は決してその事を評議すべからず。

 人民もしこの趣意を忘れて、政府の処置につき我意に叶わずとて恣に議論を起し、或いは条約を破らんとし、或いは師を起さんとし、甚だしきは一騎先駆け白刃を携えて飛び出すなどの挙動に及ぶことあらば、国の政は一日も保つべからず。これを譬えば、かの百人の商社兼ねて申し合せの上、社中の人物十人を撰んで会社の支配人と定め置き、その支配人の処置につき残り九十人の者共我意に叶わずとて銘々に商法を議し、支配人は酒を売らんとすれば九十人の者は牡丹餅を仕入れんとし、その評議区々にて、甚だしきは一了簡をもって私に牡丹餅の取引をはじめ、商社の法に背きて他人と争論に及ぶなどのことあらば、会社の商売は一日も行わるべからず。遂にその商社の分散するに至らば、その損亡は商社百人一様の引受なるべし。愚もまた甚だしきものと言うべし。故に国法は不正不便なりと雖ども、その不正不便を口実に設けてこれを破るの理なし。もし事実において不正不便の箇条あらば、一国の支配人たる政府に説き勤めて静かにその法を改めしむべし。政府もし我説に従わずんば、且つ力を尽し且つ堪忍して時節を待つべきなり。

 第二 主人の身分をもって論ずれば、一国の人民は即ち政府なり。その故は一国中の人民悉皆政をなすべきものに非ざれば、政府なるものを設けてこれに国政を任せ、人民の名代として事務を取扱わしむべしとの約束を定めたればなり。故に人民は家元なり、また主人なり。政府は名代人なり、また支配人なり。譬えば商社百人の内より撰ばれたる十人の支配人は政府にて、残り九十人の社中は人民なるが如し。この九十人の社中は自分にて事務を取扱うことなしと雖ども、己が代人として十人の者へ事を任せたるゆえ、己の身分を尋ぬればこれを商社の主人と言わざるを得ず。また彼の十人の支配人は現在の事を取扱うと雖ども、もと社中の頼みを受けその意に従って事をなすべしと約束したる者なれば、その実は私に非ず商社の公務を勤むる者なり。今世間にて政府に関わることを公務と言うも、その字の由って来るところを尋ぬれば、政府の事は役人の私事に非ず、国民の名代となりて一国を支配する公の事務という義なり。

 右の次第をもって、政府たるものは人民の委任を引き受け、その約束に従って一国の人をして貴賎上下の別なく何れもその権義を逞しうせしめざるべからず、法を正しうし罰を厳にして一点の私曲あるべからず。今ここに一群の賊徒来りて人の家に乱入するとき、政府これを見てこれを制すること能わざれば政府もその賊の徒党と言って可なり。政府もし国法の趣意を達すること能わずして人民に損亡を蒙らしむることあらば、その高の多少を論ぜずその事の新旧を問わず、必ずこれを償わざるべからず。譬えば役人の不行届にて国内の人かまたは外国人へ損亡を掛け、三万円の償金を払うことあらん。政府には固より金のあるべき理なければ、その償金の出る所は必ず人民なり。この三万円を日本国中凡そ三千万人の人口に割付くれば、一人前十文ずつに当る。役人の不行届十度を重ぬれば、人民の出金一人前百文に当り、家内五人の家なれば五百文なり。田舎の小百姓に五百文の銭あれば、妻子打寄り山家相応の馳走を設けて一夕の愉快を尽すべき筈なるに、ただ役人の不行届のみに由り、全日本国中無辜の小民をしてその無上の歓楽を失わしむるは実に気の毒の至りならずや。人民の身としてはかかる馬鹿らしき金を出すべき理なきに似たれども、如何せん、その人民は国の家元主人にて、最初より政府へこの国を任せて事務を取扱わしむるの約束をなし、損徳共に家元にて引き受くべき筈のものなれば、ただ金を失いしときのみに当って役人の不調法を彼是と議論すべからず。故に人民たる者は平生よりよく心を用い、政府の処置を見て不安心と思うことあらば、深切にこれを告げ遠慮なく穏やかに論ずべきなり。

 人民は既に一国の家元にて国を護るための入用を払うは固よりその職分なれば、この入用を出すにつき決して不平の顔色を見わすべからず。国を護るためには役人の給料なかるべからず、海陸の軍費なかるべからず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり、その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前の頭に割付けて何程なるや。日本にて歳入野高を全国の人口に割付けなば、一人前に一円か二円なるべし。一年の間に僅か一、二円の金を払うて政府の保護を被り、夜盗押込の患もなく、独旅行に山賊の恐れもなくして、安穏にこの世を渡るは大なる便利ならずや。凡そ世の中に割合よき商売ありと雖ども、運上を払うて政府の保護を買うほど安きものはなかるべし。世上の有様を見るに、普請に金を費やす者あり、美服美食に力を尽くす者あり、甚だしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾ける者もあり、これらの費をもって運上の高に比較しなば、固より同日の話に非ず、不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理において出すべき筈のみならず、これを出して安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。

 右の如く人民も政府もおのおのその分限を尽して互いに居合うときは申分もなきことなれども、或いは然らずして政府なるものその分限を越えて暴政を行うことあり。ここに至って人民の分としてなすべき挙動は、ただ三箇条あるのみ。即ち節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守りて身を棄つるか、この三箇条なり。

 第一 節を屈して政府に従うは甚だ宜しからず。人たる者は天の正道に従うをもって職分とす。然るにその節を屈して政府人造の悪法に従うは、人たるの職分を破るものと言うべし。且つ一たび節を屈して不正の法に従うときは、後世子孫に悪例を遺して天下一般の弊風を醸し成すべし。古来日本にても愚民の上に暴政府ありて、政府虚威を逞しうすれば人民はこれに震い恐れ、或いは政府の処置を見て現に無理とは思いながら、事の理非を明らかに述べなば必ずその怒りに触れ、後日に至って暗に役人等に窘めらるることあらんを恐れて言うべきことをも言うものなし。その後日の恐れとは、俗にいわゆる犬の糞でかたきなるものにて、人民は只管この犬の糞を憚り、如何なる無理にても政府の命には従うべきものと心得て、世上一般の気風を成し、遂に今日の浅ましき有様に陥りたるなり。即ちこれ人民の節を屈して禍を後世に残したる一例と言うべし。

 第二 力をもって政府に敵対するは固より一人の能するところに非ず,必ず徒党を結ばざるべからず。即ちこれ内乱の師なり。決してこれを上策と言うべからず。既に師を起して政府に敵するときは、事の理非曲直は姑らく論ぜずして、ただ力の強弱のみを比較せざるべからず。然るに古今内乱の歴史を見れば、人民の力は常に政府よりも弱きものなり。また内乱を起せば、従来その国に行われたる政治の仕組を一たび覆えすは固より論を俟たず。然るにその旧の政府なるもの、仮令如何なる悪政府にても、自ずからまた善政良法あるに非ざれば政府の名をもって若干の年月を渡るべき理なし。

 故に一朝の妄動にてこれを倒すも、暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代えるのみ。また内乱の源を尋ぬれば、もと人の不人情を悪みて起したるものなり。然るに凡そ人間世界に内乱ほど不人情なるものはなし。世間朋友の交わりを破るは勿論、甚だしきは親子相殺し兄弟相敵し、家を焼き人を屠り、その悪事至らざるところなし。かかる恐ろしき有様にて人の心は益々残忍に陥り、殆ど禽獣ともいうべき挙動をなしながら、却って旧の政府よりもよき政を行い寛大なる法を施して天下の人情を厚きに導かんと欲するか。不都合なる考えと言うべし。

 第三 正理を守って身を棄つるとは、天の道理を信じて疑わず、如何なる暴政の下に居て如何なる苛酷の法に窘めらるるも、その苦痛を忍びて我志を挫くことなく、一寸の兵器を携えず片手の力を用いず、ただ正理を唱えて政府に迫ることなり。以上三策の内、この第三策をもって上策の上とすべし。理をもって政府に迫れば、その時その国にある善政良法はこれがため少しも害を被ることなし。その正論或いは用いられざることあるも、理の在るところはこの論に由って既に明らかなれば、天然の人心これに服せざることなし。故に今年に行われざればまた明年を期すべし。且つまた力をもって敵対するものは、一を得んとして百を害するの患あれども、理を唱えて政府に迫るものは、ただ除くべきの害を除くのみにて他に事を生ずることなし。その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるが故に、政府の処置正に帰すれば議論もまた共に止むべし。また力をもって政府に敵すれば、政府は必ず怒りの気を生じ、自らその悪を顧みずして却って益々暴威を張り、その非を遂げんとするの勢いに至るべしと雖ども、静かに正理を唱うる者に対しては、仮令い暴政府と雖どもその役人もまた同国の人類なれば、正者の理を守って身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。既に他を憐れむの心を生ずれば自ら過を悔い、自ら胆を落して必ず改心するに至るべし。

 かくの如く世を患いて身を苦しめ或いは命を落すものを、西洋の語にて「マルチルドム」と言う。失うところのものはただ一人の身なれども、その効能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱の師よりも遥かに優れり。古来日本にて討死せし者も多く切腹せし者も多し、何れも忠臣義士とて評判は高しと雖ども、その身を棄てたる由縁を尋ぬるに、多くは両主政権を争うの師に関係する者か、または主人の敵討等に由って花々しく一命を抛たる者のみ、その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。己が主人のためと言い己が主人に申訳なしとて、ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは、不文不明の世の常なれども、今文明の大義をもってこれを論ずれば、これらの人は未だ命のすてどころを知らざる者と言うべし。元来文明とは、人の智徳を進め人々身躬からその身を支配して世間相交わり、相害することもなく害せらるることもなく、おのおのその権義を達して一般の安全繁昌を致すを言うなり。されば、かの師にもせよ敵討にもせよ、果してこの文明の趣意に叶い、この師に勝ちてこの敵を滅し、この敵討を遂げてこの主人の面目を立つれば、必ずこの世は文明に赴き、商売も行われ工業も起りて、一般の安全繁昌を致すべしとの目的あらば、討死も敵討も尤のようなれども、事柄において決してその目的あるべからず。

 且つかの忠臣義士にもそれ程の見込はあるまじ。ただ因果ずくにて旦那へ申訳までのことなるべし。旦那へ申訳にて命を棄てたる者を忠臣義士と言わば、今日も世間にその人は多きものなり。権助が主人の使に行き、一両の金を落して途方に暮れ、旦那へ申訳なしとて思案を定め、並木の枝にふんどしを掛けて首を縊るの例は世に珍しからず。今この義僕が自ら死を決する時の心を酌んで、その情実を察すればまた憐れむべきに非ずや。使に出でて未だ返らず身まず死す。長く英雄をして涙を襟に満たしむべし。主人の委託を受けて自ら任じたる一両の金を失い、君臣の分を尽すに一死をもってするは、古今の忠臣義士に対して毫も恥ずることなし。その誠忠は日月と共に耀き、その功名は天地と共に永かるべき筈なるに、世人皆薄情にしてこの権助を軽蔑し、碑の銘を作ってその功業を称する者もなく、宮殿を建てて祭る者もなきは何ぞや。人皆言わん、権助の死は僅に一両のためにしてその事の次第甚だ些細なりと。然りと雖ども事の軽重は、金高の大小、人数の多少をもって論ずべからず、世の文明に益あると否とに由ってその軽重を定むべきものなり。然るに今、かの忠臣義士が一万の敵を殺して討死するも、この権助が一両の金を失うて首を縊るも、その死をもって文明を益することなきに至っては正しく同様の訳にて、何れを軽しとし何れを重しとすべからざれば、義士も権助も共に命の棄て所を知らざる者と言って可なり。これらの挙動をもって「マルチルドム」と称すべからず。余輩の聞くところにて、人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫りその命を棄てて終りをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉宗五郎あるのみ。但し宗五郎の伝は、俗間に伝わる草紙の類のみにて、未だその詳らかなる正史を得ず。もし得ることあらば、他日これを記してその功徳を表し、もって世人の亀鑑(きかん)に供すべし。

(明治七年三月出版)

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