ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 2편, 3편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 20:55

学問のすすめ 二編

   端書(はしがき)

 学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。何れにても皆知識見聞の領分を広くして、物事の道理を弁え、人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには、或いは人の言を聞き、或いは自ら工夫を運らし、或いは書物をも読まざるべからず。故に学問には文字を知ること必用なれども、古来世の人の思う如く、ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌鋸の入用なるが如し。槌鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者は、これを大工と言うべからず。正しくこの訳にて、文字を読むことのみを知って物事の道理を弁えざる者は、これを学者と言うべからず。いわゆる論語よみの論語しらずとは即ちこれなり。我邦の古事記は諳誦すれば今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を喰う字引きに異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。故に世帯も学問なり、帳合も学問なり、時勢を察するもまた学問なり。何ぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。この書の表題は、学問のすすめと名づけたれども、決して字を読むことのみを勧むるに非ず。書中に記すところは、西洋の諸書より或いはその文を直ちに訳し或いはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるものなり。さきに著したる一冊を初編となし、なおその意を拡めてこのたびの二編を綴り、次で三、四編にも及ぶべし。

  人は同等なる事

 初編の首に、人は万人皆同じ位にて生れながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生るるは天の然らしむるところにて人力に非ず。この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽し互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にして共に一天を与にし、共に与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟にして共に一父一母を与にするの大倫あればなり。

 故に今、人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず。但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権理通義の等しきを言うなり。その有様を論ずるときは、貧富強弱智愚の差あること甚だしく、或いは大名華族とて御殿に住居し美服美食する物もあり、或いは人足とて裏店に借家して今日の衣食に差支うる者もあり、或いは才智逞しうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり、或いは智恵分別なくして生涯飴やおこしを売る者もあり、或いは強き相撲取りあり、或いは弱き御姫様あり、いわゆる雲と泥との相違なれども、また一方より見て、その人々持前の権利通義をもって論ずるときは、如何にも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。即ちその権理通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守りその面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛を設けたるものなれば、何らの事あるも人力をもってこれを害すべからず。

 大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己が物としてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、泣く子と地頭には叶わずと。また云く、親と主人は無理を言うものなどとて、或いは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり、他の妨げをなさずして達すべきの情を達するは即ち人の権理なり。この権理に至っては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固より同じかるべからず。

 然るに今富強の勢いをもって貧弱なる者へ無理を加えんとするは、有様の不同なるが故にとて他の権理を害するにあらずや。これを譬えば、力士が我に腕の力ありとて、その力の勢いをもって隣の人の腕を捻り折るが如し。隣の人の力は固より力士よりも弱かるべけれども、弱ければ弱きままにてその腕を用い自分の便利を達して差支なき筈なるに、謂れなく力士のために腕を折らるるは迷惑至極というべし。

 また右の議論を世の中の事に当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別甚だしく、士族は妄に権威を振い、百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし、或いは切捨御免などの法あり。この法に拠れば、平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し、外に存っては路を避け、内に存って席を譲り、甚だしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるは、けしからぬことならずや。

 右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども、政府と人民との間柄に至っては、なおこれよりも見苦しきことあり。幕府は勿論、三百諸侯の領分にもおのおの小政府を立てて、百姓町人を勝手次第に取扱い、或いは慈悲に似たることあるもその実は人に持前の権理通義を許すことなくして、実に見るに忍びざること多し。そもそも政府と人民との間柄は、前にも言える如く、ただ強弱の有様を異にするのみにて権理の異同あるの理なし。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これ即ち百姓町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。これ即ち政府の商売なり。この商売をなすには莫大の費なれども、政府には米もなく金もなきゆえ、百姓町人より年貢運上を出して政府の勝手方を賄わんと、双方一致の上、相談を取極めたり。これ即ち政府と人民との約束なり。故に百姓町人は年貢運上を出して固く国法を守れば、その職分を尽したりと言うべし。政府は年貢運上を取りて正しくその使い払いを立て人民を保護すれば、その職分を尽したりと言うべし。双方既にその職分を尽して約束を違うることなき上は、更に何らの申分もあるべからず、おのおのその権利通義を逞しうして少しも妨げをなすの理なし。然るに幕府のとき、政府のことを御上様と唱え、御上の御用とあれば馬鹿に威光を振うのみならず、道中の旅篭までもただ喰い倒し、川場に銭を払わず、人足に賃銭を与えず、甚だしきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと言うべし。或いは殿様のものずきにて普請をするか、または役人の取計いにていらざる事を起し、無益に金を費やして入用不足すれば、色々言葉を飾りて年貢を増し御用金を言い付け、これを御国恩に報いると言う。そもそも御国恩とは何事を指すや。百姓町人らが安隠に家業を営み盗賊ひとごろしの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と言うことなるべし。固よりかく安隠に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず。政府もし人民に対しその保護をもって御恩とせば、百姓町人は政府に対してその年貢運上をもって御恩と言わん。政府もし人民の公事訴訟をもって御上の御約介と言わば、人民もまた言うべし、十俵作り出したる米の内より五俵の年貢を取らるるは百姓のために大なる御約介なりと。いわゆる売言葉に買言葉にて、はてしもあらず。兎に角に等しく恩のあるものならば、一方より礼を言いて一方より礼を言わざるの理はなかるべし。

 かかる悪風俗の起りし由縁を尋ねるに、その本は人間同等の大趣意を誤りて、貧富強弱の有様を悪しき道具に用い、政府富強の勢いをもって貧弱なる人民の権理通義を妨ぐるの場合に至りたるなり。故に人たる者は、常に同位同等の趣意を忘るべからず。人間世界に最も大切なることなり。西洋の言葉にてこれを「レシプロシチ」(reciprocity 相互関係)または「エクウヲリチ」(equality平等関係)と言う。即ち、初編の首に言える万人同じ位とはこの事なり。

 右は百姓町人に左袒して、思うさまに勢いを張れという議論なれども、また一方より言えば、別に論ずることあり。凡そ人を取扱うには、その相手の人物次第にて自ずからその法の加減もなかるべからず。元来人民と政府との間柄は、もと同一体にてその職分を区別し、政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守べしと、固く約束したるものなり。譬えば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。故に一たび国法と定まりたることは、仮令い或いは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々謹みて守らざるべからず。これ即ち人民の職分なり。然るに、無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに慾は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法を遁れ、国法の何物たるを知らず、己が職分の何物たるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁昌すれば一国の益は為さずして却って害をなす者なきに非ず。かかる馬鹿者を取扱うには、迚も道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威し、一時の大害を鎮むるより外に方便あることなし。

 これ即ち世に暴政府のある所以なり。独り我旧幕府のみならず、アジヤ諸国古来皆然り。されば一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為のみに非ず、その実は人民の無智をもって自ら招く禍なり。他人にけしかけられて暗殺を企つる者あり、新法を誤解して一揆を起す者あり、強訴を名として金持の家を毀ち酒を飲み銭を盗む者あり。その挙動は殆ど人間の所業と思われず。かかる賊民を取扱うには、釈迦も孔子も銘案なき必定、是非とも苛刻の政を行なうことなるべし。故に云く、人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これ即ち余輩の勧むる学問の趣意なり。

(明治六年十一月出版)

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学問のすすめ 三編

  国は同等なる事

 凡そ人とさえ名あれば、富める貧しきも、強気も弱気も、人民も政府も、その権義において異なるなしとのことは、第二編に記せり。(二編にある権理通義の四字を略して、ここにはただ権義と記したり。いずれも英語の「ライト」(right) という字に当たる。)今この義を拡めて国と国との間柄を論ぜん。国とは人の集りたるものにて、日本国は日本人の集りたるものなり、英国は英国人の集りたるものなり。日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば、互いにその権義を妨ぐるの理なし。一人が一人に向かって害を加うる理なくば、二人が二人に向かって害を加うるの理もなかるべし。百万人も千万人も同様のわけにて、物事の道理は人数の多少に由って変ずべからず。今世界中を見渡すに、文明開化とて文学も武備も盛んにして富強なる国あり、或いは蛮野未開とて文武ともに不行届にして貧弱なる国あり。一般に、ヨーロッパ、アメリカの諸国は富んで強く、アジア、アフリカの諸国は貧にして弱し。されどもこの貧富強弱は国の有様なれば、固より同じかるべからず。然るに今、自国の富強なる勢いをもって貧弱なる国へ無理を加えんとするは、いわゆる力士が腕の力をもって病人の腕を握り折るに異ならず、国の権義において許すべからざることなり。

 近くは我日本国にても、今日の有様にては西洋諸国の富強に及ばざるところあれども、一国の権義においては厘毛の軽重あることなし。道理に戻りて曲を蒙るの日に至っては、世界中を敵にするも恐るるに足らず。初編第六葉(本書一四頁)にも言える如く、日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさずとはこの場合なり。しかのみならず貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、日との勉と不勉とに由って移り変るべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国中も今より学問に志し、気力を慥にして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり。

  一身独立して一国独立する事

 前条に言える如く、国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能わず。その次第、三箇条あり。

 

 第一条 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。

 独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う。自ら物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引受くる者はなかるべし。これを譬えば盲人の行列に手引なきが如し、甚だ不都合ならずや。或人云く、民はこれを由らしむべしこれを知らしむべからず、世の中は目くら千人目あき千人なれば、智者上に在って諸民を支配し上の意に従わしめて可なりと。この議論は孔子様の流儀なれども、その実は大いに非なり。一国中に人を支配するほどの才徳を備うる者は千人の内一人に過ぎず。

 仮にここに人口百万人の国あらん、この内千人は智者にして九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳をもってこの小民を支配し、或いは子の如くして愛し、或いは羊の如くして養い、或いは威し或いは撫し、恩威共に行われてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人ごろしの沙汰もなく、国内安穏に始まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分れ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。既に客分とあれば固より心配も少なく、ただ主人にのみ依りすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うることも主人の如くならざるは必然、実に水くさき有様なり。国内の事なれば兎も角もなれども、一旦外国と戦争などの事あらばその不都合なること思い見るべし。無智無力の小民等、戈を倒にすることも無かるべけれども、我々は客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。さすればこの国の人口、名は百万人なれども、国を守るの一段に至ってはその人数甚だ少なく、迚(とて)も一国の独立は叶い難きなり。

 右の次第につき、外国に対して我国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々貴賎上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、おのおのその国中たるの分を尽さざるべからず。英人は英国をもって我本国と思い、日本人は日本国をもって我本国と思い、その本国の土地は他人の土地に非ず我国人の土地なれば、本国のためを思うこと我家を思うが如くし、国のためには財を失うのみならず、一命をも抛て(なげうって)惜しむに足らず。これ即ち報国の大義なり。

 固(もと)より国の政(まつりごと)をなす者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれども、こはただ便利のために双方の持場を分ちたるのみ。一国全体の面目に拘わることに至っては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍(かたわら)よりこれを見物するの理あらんや。既に日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あれば、その国に住居し起居眠食自由自在なるの権義あり。既にその権義あれば、また随ってその職分なかるべからず。

 昔戦国の時、駿河の今川義元、数万の兵を率いて織田信長を攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間に伏勢を設け、今川の本陣に迫って義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすず如く、戦いもせずして逃げ走り、当時名高き駿河の今川政府も一朝に亡びてその痕なし。近く両三年以前、フランスとプロイセンとの戦に、両国接戦の初め、フランス帝ナポレオンはプロイセンに生捕られたれども、仏人はこれに由って望みを失わざるのみならず、益々憤発して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数月篭城の後和睦に及びたれども、フランスは依然として旧のフランスに異ならず。かの今川の始末に較ぶれば日を同じうして語るべからず。その故は何ぞや。駿河の人民は、ただ義元一人に依りすがり、その身は客分の積りにて、駿河の国を我本国と思う者なく、フランスには報国の士民多くして国の難を銘々の身に引き受け、人の勧めを待たずして自ら本国のために戦うものあるゆえ、かかる相違も出来しことなり。これに由って考うれば、外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。

 第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外に在って外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。

 独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛う(へつらう)ものなり。常に人を恐れ人に諛う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる習い性となるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。譬えば今、日本にて平民に名字乗馬を許し、裁判所の風も改まりて、表向は先ず士族と同等のようなれども、その習慣俄に変ぜず、平民の根性は依然として旧の平民に異ならず、言語も賎しく応接も賎しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てて言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩犬の如し。実に無気無力の鉄面皮と言うべし。

 昔鎖国の世に旧幕府の如き窮屈なる政を行う時代なれば、人民に気力なきその政事に差支えざるのみならず却って便利なるゆえ、故さらにこれを無智に陥れ無理に柔順ならしむるをもって役人の得意となせしことなれども、今外国と交わるの日に至ってはこれがため大なる弊害あり。譬えば田舎商人等、恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来る者あれば、先ず外国人の骨格逞しきを見てこれに驚き、金の多きを見てこれに驚き、商館の洪大なるに驚き、蒸気船の速きに驚き、既に已に胆を落して、追々この外国人に近づき取引するに及んでは、その掛引のするどきに驚き、或いは無理なる理屈を言い掛けらるることあれば啻に驚くのみならず、その威力に震い懼れて、無理と知りながら大なる損亡を受け大なる恥辱を蒙ることあり。こは一人の損亡に非ず。一国の損亡なり。一人の恥辱に非ず、一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきようなれども、先祖代々独立の気を吸わざる町人根性、武士には窘められ、裁判所には叱られ、一人扶持取る足軽に逢っても御旦那様とあがめし崇めし魂は腹の底まで腐れ付き、一朝一夕に洗うべからず、かかる臆病神の手下共が、かの大胆不敵なる外国人に逢って、胆をぬかるるは無理ならぬことなり。これ即ち、内に居て独立を得ざる者は、外に在っても独立すること能わざるの証拠なり。

 第三条 独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり。

 旧幕府の時代に名目金とて、御三家などと唱うる権威強き大名の名目を借りて金を貸し、随分無理なる取引をなせしことあり。その所業甚だ悪むべし。自分の金を貸して返さざる者あらば、再三再四力を尽して政府に訴うべきなり。然るにこの政府を恐れて訴うることを知らず、きたなくも他人の名目を借り他人の暴威に依って返金を促すとは卑怯なる挙動ならずや。今日に至っては名目金の沙汰は聞かざれども、或いは世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩未だその確証を得ざるゆえ、明らかにここに論ずること能わざれども、昔日の事を思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。この後、万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸を働く者あらば、国の禍実に言うべからざるべし。故に人民に独立の気力なきは、その取扱い便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起るものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまた随って益々大なるべし。即ち、この条の初に言える、人に依頼して悪事をなすはこの事なり。

 右三箇条に言うところは、皆、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生れ苟も愛国の意あらん者は、官私を問わず先ず自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。父兄は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商共に独立して国を守らざるべからず。概してこれを言えば、人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちて共に苦楽を与にするに若かざるなり。

(明治六年十二月出版)

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