ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 12편, 13편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 20:59

学問のすすめ 十二編

  演説の法を勧むるの説

 演説とは英語にて「スピイチ」と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり。我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法最も盛んにして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ずその会につき、或いは会したる趣意を述べ、或いは人々平生の持論を吐き、或いは即席の思付を説きて、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるは固より論をまたず。譬えばいま世間にて議院などの説あれども、仮令い院を聞くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。

 演説をもって事を述ぶればその事柄の大切なると否とは姑く擱き、ただ口上をもって述ぶるの際に自ずから味を生ずるものなり。譬えば文章に記せばさまで意味なき事にても、言葉をもって述ぶればこれを了解すること易くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えて面白き味もなきが如くなれども、詩歌の法に従ってその体裁を備うれば限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。故に一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、そのこれを伝うる方法に関すること甚だ大なり。

 学問はただ読書の一科に非ずとのことは、既に人の知るところなれば今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。在昔或る朱子学の書生、多年江戸に執行して、その学流に就き諸大家の説を写し取り、日夜怠らずして数年の間にその写本数百巻を成し、最早学問も成業したるが故に故郷へ帰るべしとて、その身は東海道を下り、写体は葛篭に納めて大廻しの船に積み出せしが、不幸なる哉、遠州洋において難船に及びたり。この災難に由って、かの書生もその身は帰国したれども、学問は悉皆海に流れて心身に附したるものとては何一物もあることなく、いわゆる本来無一物にて、その愚は正しく前日に異なることなかりしという話あり。

 今の洋学者にもまたこの掛念なきに非ず。今日都会の学校に入りて読書講論の様子を見れば、これを評して学者と言わざるを得ず。されども今俄にその原書を取上げてこれを田舎に放逐することあらば、親戚朋友に逢うて我輩の学問は東京に残し置きたりと言訳けするなどの奇談もあるべし。

 故に学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り。この働きを活用して実地に施すには様々の工夫なかるべからず。「ヲブセルウェーション」とは事物を視察することなり。「リーゾニング」とは事物の道理を推究して自分の説を付ることなり。この二箇条にては固より未だ学問の方便を尽したりと言うべからず。なおこの外に書を読まざるべからず、書を著さざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かって言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽して始めて学問を勉強する人と言うべし。即ち、視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書演説はもって智見を散ずるの術なり。然り而してこの諸術の中に、或いは一人の私をもって能すべきものありと雖ども、談話と演説とに至っては必ずしも人と共にせざるを得ず。演説会の要用なること、もって知るべきなり。

 方今我国民において最も憂うべきは、その見識の賎しき事なり。これを導きて高尚の域に進めんとするは、固より今の学者の職分なれば、苟もその方便あるを知らば力を尽してこれに従事せざるべからず。然るに学問の道において談話演説の大切なるは既に明白にして、今日これを実に行う者なきは何ぞや。学者の懶惰(らんだ)と言うべし。人間の事には内外両様の別ありて、両ながらこれを勉めざるべからず。今の学者は内の一方に身を委して外の務めを知らざる者多し。これを思わざるべからず。私に沈深なるは淵の如く、人に接して活溌なるは飛鳥の如く、その密なるや内なきが如く、その蒙大なるや外なきが如くして、始めて真の学者と称すべきなり。

 

  人の品行は高尚ならざるべからざるの論

 

 前条に、「方今我国において最も憂うべきは、人民の見識未だ高尚ならざるの一事なり」と言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきに非ず。禅家に悟道などの事ありて、その理頗る玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れば迂遠にして用に適せず、事実においては漠然として何らの見識もなき者に等し。

 また人の見識品行はただ聞見の博きのみにて高尚なるべきに非ず。万巻の書を読み天下の人に交わりなお一己の定見なき者あり。古習を墨守する漢儒者の如きこれなり。ただ儒者のみならず、洋学者と雖どもこの弊を免かれず。今、西洋日新の学に志し、或いは経済書を読み或いは修身論を講じ、或いは理学(哲学)或いは智学(科学)、日夜精神を学問に委ねて、その状あたかも荊棘の上に坐して刺衝に堪ゆべからざるの筈なるに、その人の私についてこれを見れば決して然らず、眼に経済書を見て一家の産を営むを知らず、口に修身論を講じて一身の徳を修むるを知らず、その所論とその所行とを比較するときは、正しく二個の人あるが如くして、更に一定の見識あるを見ず。

 畢竟この輩の学者と雖ども、その口に講じ眼に見るところの事をば敢えて非となすには非ざれども、事物の是を是とするの心と、その是を是としてこれを事実に行うの心とは、全く別のものにて、この二つ心なるもの或いは並び行わるることあり、或いは並び行われざることあり。「医師の不養生」といい、「論語読みの論語知らず」という諺もこれらの謂ならん。故に云く、人の見識品行は玄理を談じて高尚なるべきに非ず、また聞見を博くするのみにて高尚なるべきに非ざるなり。

 然らば則ち人の見識を高尚にしてその品行を提起するの法如何すべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、自ら満足することなきの一事に在り。但し有様を比較するとはただ一事一物を比較するに非ず、この一体の有様と彼の一体の有様と並べて、双方の得失を残らず察せざるべからず。譬えば今少年の生徒、酒色に溺るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄長老に咎めらるることなく或いは得意の色をなすべきに似たれども、その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ、謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計え、誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや、必ず上流の人物に向かわざるべからず。或いは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優るべき約束なれば、古を空しうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人の職分は大にして重しと言うべし。

 然るに今僅に謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや、思わざるの甚だしき者なり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かって誇るが如し。徒に愚を表するに足るのみ。故に酒色云々の談をなして或いはこれを論破し或いはこれを是非するの間は、到底議論の賎しき者と言わざるを得ず。人の品行少しく進むときは、これらの醜談は既に已に経過し了して、言に発するも人に厭るるに至るべき筈なり。

 方今日本にて学校を評するに、「この学校の風俗はかくの如し、彼の学塾の取締は云々」とて、世の父兄は専らこの風俗取締の事に心配せり。そもそも風俗取締とは、何らの箇条を指して言うか。熟法厳にして生徒の放蕩無頼を防ぐにつき、取締の行届きたることを言うならん。これを学問所の美事と称すべきか。余輩は却ってこれを羞るなり。西洋諸国の風俗決して美なるに非ず、或いはその醜見るに忍びざるもの多しと雖ども、その国の学校を評するに、風俗の正しきと取締の行届きたるとのみに由って名誉を得るものあるを聞かず。

 学校の名誉は、学科の高尚なるとその教法の巧みなりと、その人物の品行高くして議論の賎しからざるとに由るのみ。故に今の学校を支配して今の学校に学ぶ者は、外の賎しき学校に比較せずして、世界中上流の学校を見て得失を弁ぜざるべからず。風俗の美にして取締の行届きたるも、学校の一得と言うべしと雖ども、その得は学校たるものの最も賎しむべき部分の得なれば、毫もこれを誇るに足らず。上流の学校に比較せんとするには、別に勉むるところなかるべからず。故に学校の急務としていわゆる取締の事を談ずるの間は、仮令いその取締はよく行届くも決してその有様に満足すべからざるなり。

 一国の有様をもって論ずるもまたかくの如し。譬えば爰に一政府あらん。賢良方正の士を挙げて政を任し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行われざるところなく、万民腹を鼓して太平を謡うが如きは、誠に誇るべきに似たり。然りと雖ども、その賞罰といい恩威といい、万民といい太平というも、悉皆一国内の事なり、一人或いは数人の意に成りたるものなり。その得失はその国の前代に比較するか、または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、決してその国悉皆の有様を詳らかにして他国と相対し、一より十に至るまで比較したるものに非ず。もし一国を全体の一物と視做して他の文明の一国に比較し、数十年の間に行わるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、その実際に見われたるところの損益を論ずることあらば、その誇るところのものは決して誇るに足らざるものならん。

 譬えばインドの国体、旧ならざるに非ず、その文物の開けたるは西洋紀元の前数千年にありて、理論の精密にして玄妙なるは、恐らくは今の西洋諸国の理学に比して恥ずるなきもの多かるべし。また在昔トルコの政府も威権最も強盛して、礼楽征伐の法、斉整ならざるはなし、君長賢明ならざるに非ず、廷臣方正ならざるに非ず、人口の衆多なること兵士の武勇なること近国に比類なくして、一時はその名誉を四方に燿かしたることあり。故にインドとトルコとを評すれば、甲は有名の文国にして、乙は武勇の大国と言わざるを得ず。

 然るに方今この二大国の有様を見るに、インドは既に英国の所領に帰してその人民は英政府の奴隷に異ならず、今のインド人の業はただ阿片を作りて支那人を毒殺し、独り英商をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。トルコの政府も名は独立と言うと雖ども、商売の権は英仏の人に占められ、自由貿易の功徳をもって国の物産は日に衰微し、機を織る者もなく器械を製する者もなく、額に汗して土地を耕すか、または手を袖にして徒に日月を消するのみにて、一切の製作品は英仏の輸入を仰ぎ、また国の経済を治むるに由なく、さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられて用をなさずという。

 右の如くインドの文もトルコの武も、嘗てその国の文明に益せざるは何ぞや。その人民の所見僅に一国内に止り、自国の有様に満足し、その有様の一部分をもって他国に比較し、その間に優劣なきを見てこれに欺かれ、議論も爰に止り、徒党も爰に止り、勝敗栄辱共に他の有様の全体を目的とすることを知らずして、万民太平を謡うか、または兄弟墻に鬩ぐのその間に、商売の権威に圧しられて国を失うたる者なり。洋商の向かうところはアジヤに敵なし。恐れざるべからず。もしこの勁敵を恐れて兼ねてまたその国の文明を慕うことあらば、よく内外の有様を比較して勉むるところなかるべからず。

  (明治七年十二月出版)

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学問のすすめ 十三編

  怨望の人間に害あるを論ず

 凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。貪吝(たんりん)、奢侈(しゃし)、誹謗(ひぼう)の類は、何れも不徳の著しきものなれども、よくこれを吟味すればその働きの素質において不善なるにあらず。これを施すべき場所柄と、その強弱の度と、その向かう所の方角とに由って、不徳の名を免かるることあり。譬えば銭を好んで飽くことを知らざるを貪吝という。されども銭を好むは人の天性なれば、その天性に従って十分にこれを満足せしめんとするも決して咎むべきに非ず。ただ理外の銭を得んとしてその場所を誤り、銭を好むの心に限度なくして理の外に出で、銭を求むるの方向に迷うて理に反するときは、これを貪吝の不徳と名づくるのみ。故に銭を好む心の働きを見て直ちに不徳の名を下すべからず。その徳と不徳との分界には一片の道理なる者ありて、この分界の内にある者は即ちこれを節倹といいまた経済と称して、当に人間の勉むべき美徳の一箇条なり。

 奢侈もまたかくの如し。ただ身の分限を越ゆると否とに由って徳不徳の名を下すべきのみ。軽暖を着て安宅に居(お)るを好むは人の性情なり。天理に従ってこの情欲を慰むるに、何ぞこれを不徳と言うべけんや。積んでよく散じ、散じて則(のり)を踰(こ)えざる者は、人間の美事と称すべきなり。

 また、誹謗と弁駁(べんばく)と、その間に髪(はつ)を容(い)るべからず。他人に曲を誣(し)うるものを誹謗といい、他人の惑を解きて我真理と思うところを弁ずるものを弁駁と名づく。故に世に未だ真実無妄の公道を発明せざるの間は、人の議論もまた何れを是とし何れを非とすべきやこれを定むべからず。是非未だ定まらざるの間は、仮に世界の衆論をもって公道となすべしと雖ども、その衆論の在るところを明らかに知ること甚だ易からず。故に他人を誹謗する者を目して、直ちにこれを不徳者と言うべからず。その果して誹謗なるか、または真の弁駁なるかを区別せんとするには、先ず世界中の公道を求めざるべからず。

 右の外、驕傲(きょうごう)と勇敢と、粗野と率直と、固陋(ころう)と実着と、浮薄と穎敏(えいびん)と、相対するが如く、何れも皆働きの場所と、強弱の度と、向かう所の方角とに由って、或いは不徳ともなるべく、或いは徳ともなるべきのみ。独り働きの素質において全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘わらずして不善の不善なる者は怨望の一箇条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様に由って我に不平を抱き、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、我有様を進めて満足するの法を求めずして、却って他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するが如し。いわゆるこれを悪んでその死を欲するとはこの事なり。故にこの輩の不幸を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。

 或人云く、「欺詐虚言の悪事も、その実質において悪なるものなれば、これを怨望に比して孰か軽重の別あるべからず」と。答えて云く、「誠に然るが如しと雖ども、事の源因と事の結果とを区別すれば、自ずから軽重の別なしと言うべからず。欺詐虚言は固より大悪事たりと雖ども、必ずしも怨望を生ずるの源因には非ずして、多くは怨望に由って生じたる結果なり。怨望はあたかも衆悪の母の如く、人間の悪事これに由って生ずべからざるものなし。疑猜、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、皆怨望より生ずるものにて、その内形に見わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫も国に益することなくして、禍の全国に波及するに至っては主客共に免かるることを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞しうする者と言うべし」。

 怨望の人間交際に害あることかくの如し。馬その源因を尋ぬるに、ただ窮の一事に在り。但しその窮とは困窮貧窮等の窮に非ず、人の言路を塞ぎ人の業作を妨ぐる等の如く、人類天然の働きを窮せしむることなり。貧窮困窮をもって怨望の源とせば、天下の貧民は悉皆不平を訴え、富貴は恰も怨の府にして、人間の交際は一日も保つべからざる筈なれども、事実において決して然らず、如何に貧賎なる者にても、その貧にして賎しき所以の源因を知り、その源因の己が身より生じたることを了解すれば、決して妄に他人を怨望するものに非ず。その証拠は故さらに掲示するに及ばず、今日世界中に貧富貴賎の差ありて、よく人間の交際を保つを見て、明らかにこれを知るべし。故に云く、富貴は怨の府に非ず、貧賎は不平の源に非ざるなり。

 これに由りて考うれば、怨望は貧賎に由って生ずるものに非ず。ただ人類天然の働きを塞ぎて、禍福の来去、皆偶然に係るべき地位において甚だしく流行するのみ。昔孔子が、「女子と小人とは近づけ難し、さてさて困り入たる事哉」とて歎息したることあり。今をもって考うるに、これ夫子自ら事を起して、自らその弊害を述べたるものと言うべし。人の心の性は、男子も女子も異なるの理なし。また小人とは下人ということならんか、下人の腹から出たる者は必ず下人と定めたるに非ず。下人も貴人も、生れ落ちたる時の性に異同あらざるは固より論を俟たず。然るにこの女子と下人とに限りて取扱いに困るとは何故ぞ。平生卑屈の旨をもって周ねく人民に教え、小弱なる婦人下人の輩を束縛して、その働きに毫も自由を得せしめざるがために、遂に怨望の気風を醸成し、その極度に至ってさすがに孔子様も歎息せられたることなり。

 元来人の性情において働きに自由を得ざれば、その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明らかなるは、麦を蒔きて麦の生ずるが如し。聖人の名を得たる孔夫子が、この理を知らず、別に工夫もなくして、徒に愚痴をこぼすとは余り頼母しからぬ話なり。そもそも孔子の時代は、明治を去ること二千有余年、野蛮草昧の世の中なれば、教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、天下の人心を維持せんがためには、知って故さらに束縛するの権道なかるべからず。もし孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識あらしめなば、当時の権道をもって必ず心に慊しとしたることはなかるべし。故に後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定の内に入れて取捨せざるべからず。二千年前に行われたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行わんとする者は、共に事物の相場を談ずべからざる人なり。

 また近く一例を挙げて示さんに、怨望の流行して交際を害したるものは、我封建の時代に沢山なる大名の御殿女中をもって最とす。そもそも御殿の大略を言えば、無識無学の婦女子群居して無知無徳の一主人に仕え、勉強をもって賞せらるるに非ず、懶惰に由って罰せらるるに非ず、諌めて叱らるることもあり諌めずして叱らるることもあり、言うも善し言わざるも善し、詐るも悪し詐らざるも悪し、ただ朝夕臨機応変にて主人の寵愛を僥倖するのみ。

 その状あたかも的なきに射るが如く、中たるも巧みなるに非ず、中たらざるも拙なるに非ず、正にこれを人間外の一乾坤と言うも可なり。この有様の内に居れば、喜怒哀楽の心情必ずその性を変じて、他の人間世界に異ならざるを得ず。たまたま朋輩に立身する者あるも、その立身の方法を学ぶに由なければただこれを羨むのみ。これを羨むの余りにはただこれを嫉むのみ。朋輩を嫉み主人を怨望するに忙わしければ、何ぞ御家の御ためを思うに遑あらん。忠信節義は表向の挨拶のみにて、その実は畳に油をこぼしても、人の見ぬ所なれば拭いもせずに捨て置く流儀となり、甚だしきは主人の一命に掛る病の時にも、平生朋輩の睨合いにからまりて、思うままに看病をもなし得ざる者多し。なお一歩を進めて怨望嫉妬の極度に至っては、毒害の沙汰も稀にはなきに非ず。古来もしこの大悪事につきその数を記したる「スタチスチク」の表ありて、御殿に行われたる毒害の数と、世間に行われたる毒害の数とを比較することあらば、御殿に悪事の盛んなること断じて知るべし。怨望の禍、豈恐怖すべきに非ずや。

 右御殿女中の一例を見ても、大抵世の中の有様は推して知るべし。人間最大の禍は怨望に在りて、怨望の源は窮より生ずるものなれば、人の言路は開かざるべからず、人の業作は妨ぐべからず。試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間の交際において孰かよく彼の御殿の趣きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず。英亜の人民、貪吝驕奢ならざるに非ず、粗野乱暴ならざるに非ず、或いは詐る者あり、或いは欺く者ありて、その風俗決して善美ならずと雖ども、ただ怨望隠伏の一事に至っては必ず我国と趣きを異にするところあるべし。

 今世の識者に民撰議院の説あり、また出版自由の論あり。その得失は姑く擱き、もとこの論説の起る由縁を尋ぬるに、識者の所見は蓋し今の日本国中をして古の御殿の如くならしめず、今の人民をして古の御殿女中の如くならしめず、怨望に易るに活動をもってし、嫉妬の念を絶ちて相競うの勇気を励まし、禍福譏誉悉く皆自力をもってこれを取り、満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意なるべし。

 人民の言路を塞ぎその業作を妨ぐるは専ら政府上に関して、遽にこれを聞けばただ政治に限りたる病の如くなれども、この病は必ずしも政府のみに流行するものに非ず、人民の間にも行われて毒を流すこと最も甚だしきものなれば、政治のみを改革するもその源を除くべきに非ず。今また数言を巻末に附し政府の外につきてこれを論ずべし。

 元来人の性は交わりを好むものなれども、習慣に由れば却ってこれを嫌うに至るべし。世に変人奇物とて、故さらに山村僻邑に居り世の交際を避くる者あり。これを隠者と名づく。或いは真の隠者に非ざるも、世間の附合を好まずして一家に閉居し、俗塵を避くるなどとて得意の色をなす者なきに非ず。この輩の意を察するに、必ずしも政府の所置を嫌うのみにて身を退くるに非ず、その心志怯弱にして物に接するの勇なく、その度量狭小にして人を容るること能わず、人を容るること能わざれば人もまたこれを容れず、彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、歩々相遠ざかりて遂に異類の者の如くなり、後には讐敵の如くなりて、互いに怨望するに至ることあり。世の中に大なる禍と言うべし。

 また人間の交際において、相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、少しく我意に叶わざるものあれば、必ず同情相憐れむの心をば生ぜずして、却ってこれを忌み嫌うの念を起し、これを悪んでその実に過ぐること多し。これまた人の天性と習慣とに由って然るものなり。物事の相談に伝言文通にて整わざるものも、直談にて円く治まることあり。また人の常の言に、実は斯くの訳なれども面と向かってはまさか左様にも、ということあり。即ちこれ人類の至情にて、堪忍の心の在るところなり。既に堪忍の心を生ずるときは、情実互いに相通じて怨望嫉妬の念は忽ち消散せざるを得ず。古今に暗殺の例少なからずと雖ども、余常に言えることあり、もし好機会ありてその殺すものと殺さるる者とをして数日の間同処に置き、互いに隠すところなくしてその実の心情を吐かしむることあらば、如何なる讐敵にても必ず相和するのみならず、或いは無二の朋友たることもあるべしと。

 右の次第をもって考うれば、言路を塞ぎ業作を妨ぐるの事は、独り政府のみの病に非ず、全国人民の間に流行するものにて、学者と雖ども或いはこれを免かれ難し。人生活溌の気力は、者に接せざれば生じ難し。自由に言わしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賎もただ本人の自ら取るに任して、他よりこれを妨ぐべからざるなり。

  (明治七年十二月出版)

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