ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 10편, 11편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 20:58

学問のすすめ 十編

  前編の続、中津の旧友に贈る

 前編に学問の旨を二様に分ちてこれを論じ、その議論を概すれば、人たるものはただ一身一家の衣食を給しもって自ら満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉むるところなかるべからずとの趣意を述べたるなり。

 学問するにはその志を高遠にせざるべからず。飯を炊き風呂の火を焚くも学問なり。天下の事を論ずるもまた学問なり。されども一家の世帯は易くして天下の経済は難し。凡そ世の事物これを得るに易きものは貴からず。物の貴き所以はこれを得るの手段難ければなり。私に案ずるに、今の学者或いはその難を棄てて易きに就くの弊あるに似たり。昔封建の世においては、学者或いは所得あるも天下の事皆きりつめたる有様にて、その学問を施すべき場所なければ、止むを得ずして学びし上にもまた学問を勉め、その学風は宜しからずと雖ども、読書に勉強してその博識なるは今人の及ぶところに非ず。今の学者は則ち然らず。随って学べば随ってこれを実地に施すべし。譬えば洋学生、三年の執行をすれば一通りの歴史窮理書を知り、乃ち洋学教師と称して学校を開くべし、また人に雇われて教授すべし、或いは政府に仕えて大いに用いらるべし。なおこれよりも易きことあり。当時流行の訳書を読み世間に奔走して内外の新聞を聞き、機に投じて官に就けば則ち厳然たる官員なり。かかる有様をもって風俗を成さば、世の学問は遂に高尚の域に進むことなかるべし。筆端少しく卑劣に亙り学者に向かって言うべきことに非ずと雖ども、銭の勘定をもってこれを説かん。学塾に入りて執行するには一年の費百円に過ぎず、三年の間に三百円の元入を卸し、乃ち一月に五、七十円の利益を得るは、洋学生の商売なり。かの耳の学問にて官員となる者はこの三百円の元入をも費やさざれば、その得るところの月給は正味手取の利益なり。

 世間諸商売の内に斯かる割合の大利を得るものあるべきや、高利貸と雖どもこれに三舎を譲るべし。固より物価は世の需用の多寡に由り高低あるものにて、方今政府を始め諸方にて洋学者流を求むること急なるがため、この相場の景気をも生じたるものなれば、敢えてその人を奸なりとて咎むるに非ず、またこれを買う者を愚なりとて謗るに非ず、ただ我輩の存意には、この人をしてなお三、五年の艱苦を忍び真に実学を勉強して後に事に就かしめなば、大いに成すこともあらんと思うのみ。かくありてこそ、日本全国に分賦せる智徳に力を増して、始めて西洋諸国の文明と鋒を争うの場合に至るべきなり。

 今の学者何を目的として学問に従事するや。不覊独立の大義を求むると言い、自主自由の権義を恢復すると言うに非ずや。既に自由独立と言うときは、その字義の中に自ずからまた義務の考えなかるべからず。独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こはただ内の義務なり。なお一歩を進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たるの名を恥しめず、国中の人と共に力を尽し、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始めて内外の義務を終えたりと言うべし。故に一軒の家に居て僅に衣食する者は、これを一家独立の主人と言うべし、未だ独立の日本人と言うべからず。

 試みに見よ、方今天下の形勢、文明はその名あれども未だその実を見ず、外の形は備われども内の精神は耗し。今の我海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきや、決して戦うべからず。今の我学術をもって西洋人に教ゆべきや、決して教ゆべきものなし。却ってこれを彼に学んで、なおその及ばざるを恐るるのみ。外国に留学生あり、内国に雇の教師あり、政府の省、寮、学校より、諸府諸港に至るまで、大概皆外国人を雇わざるものなし。或いは私立の会社学校の類と雖ども、新たに事を企つるものは必ず先ず外国人を雇い、過分の給料を与えてこれに依頼するもの多し。彼の長を取りて我短を補うとは人の口吻なれども、今の有様を見れば我は悉皆短にして、彼は悉皆長なるが如し。

 固(もと)より数百年来の鎖国を開きて頓に文明の人に交わることなれば、その状あたかも火をもって水に接するが如く、この交際を平均せしめんがためには、或いは彼の人物を雇い、或いは彼の器品を買いて、もって急須の欠を補い、水火相触るるの動乱を鎮静するは必ず止むを得ざるの勢いなれば、一時の供給を彼に仰ぐも国の失策と言うべからず。然りと雖ども他国の物を仰いで自国の用を便ずるは、固より永久の計に非ず、ただこれを一時の供給と視做して強いて自ら慰むるのみなれども、その一時なるものは何れの時に終るべきや。その供給を他に仰がずして自ら供するの法は如何して得べきや。これを期すること甚だ難し。

 ただ今の学者の成業を待ち、この学者をして自国の用を便ぜしむるの外、更に手段あるべからず。即ちこれ学者の身に引請けたる職分なれば、その責急なりと言うべし。今我国内に雇い入れたる外国人は、我学者未熟なるが故に暫くその名代を勤めしむる者なり。今我国内に外国の器品を買い入るるは、我国の工業拙なるが故に暫く銭と交易して用を便ずる者なり。この人を雇いこの品を買うがために金を費やすは、我学術の未だ彼に及ばざるがために日本の財貨を外国へ棄つることなり。国のためには惜しむべし。学者の身となりては慚ずべし。且つ人として前途の望みなかるべからず、望みあらざれば世に事を勉むる者なし。明日の幸を望んで今日の不孝をも慰むべし、来年の楽を望んで今年の苦をも忍ぶべし。昔日は世の事物皆旧格に制せられて有志の士と雖ども望みを養うべき目的なかりしが、今や然らず、この制限を一掃せしより後は、あたかも学者のために新世界を開きしが如く、天下、処として事をなすの地位あらざるはなし。

 農となり、商となり、学者となり、官員となり、書を著し、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起すべし、議院も開くべし、百般の事業行うべからざる者なし。然もこの事業を成し得て国中の兄弟相鬩ぐに非ず、その智恵の鋒を争うの相手は外国人なり。この智戦に利あれば則ち我国の地位を高くすべし、これに敗すれば我地位を落すべし、その望み、大にして期するところ明らかなりと言うべし。固より天下の事を現に施行するには前後緩急あるべしと雖ども、到底この国に欠くべからざるの事業は、人々の所長に由って今より研究せざるべからず。苟も処世の義務を知る者は、この時に当ってこの事情を傍観するの理なし。学者勉めざるべからず。

 これに由って考うれば、今の学者たる者は決して尋常学校の教育をもって満足すべからず、その志を高遠にして学術の真面目に達し、不覊独立もって他人に依頼せず、或いは同志の朋友なくば一人にてこの日本国を維持するの気力を養い、もって世のために尽さざるべからず。余輩固より和漢の古学者流が人を治むるを知って自ら修むるを知らざる者を好まず。これを好まざればこそ、この書の初編より人民同権の説を主張し、人々自らその責に任じて自らその力に食むの大切なるを論じたれども、この自力に食むの一事にては未だ我学問の趣意を終れりとするに足らず。

 これを譬えば、ここに沈湎冒色放蕩無頼の子弟あらん。これを御するの法如何すべきや。これを導きて人となさんとするには、先ずその飲酒を禁じ遊冶を制し、然る後に相当の業に就かしむることなるべし。その飲酒遊冶を禁ぜざるの間は、未だ共に家業の事を語るべからず。されども人にして酒色に耽らざればとて、これをその人の徳義と言うべからず。ただ世の害をなさざるのみにて、未だ無用の長物たるの名は免かれ難し。その飲酒遊冶を禁じたる上、また随って業に就き身を養い家に益することありて、始めて十人並の少年と言うべきなり。自食の論もまたかくの如し。

 我国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何物たるを知らず、富有の由りて来るところを弁ぜず、傲然自ら無為に食してこれを天然の権義と思い、その状あたかも沈湎冒色前後を忘却する者の如し。この時に当り、この輩の人に告ぐるに何事をもってすべきや。ただ自食の説を唱えてその酔夢を驚かすの外手段なかるべし。是流の人に向かって豈高尚の学を勧むべけんや。世を益するの大義を説くべけんや。仮令いこれに説き勧むるも、夢中学に入ればその学問もまた夢中の夢のみ。即ちこれ我輩が専ら自食の説を主張して、未だ真の学問を勧めざりし由縁なり。故にこの説は周ねく徒食の輩に告ぐるものにて、学者に諭すべき言に非ず。

 然るに聞く、近日中津の旧友、学問に就く者の内、稀には学業未だ半ならずして早く既に生計の道を求むる人ありと。生計固より軽んずべからず。或いはその人の才に長短もあることなれば、後来の方向を定むるは誠に可なりと雖ども、もしこの風を互いに有倣い、ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず。本人のためにも悲しむべし、天下のためにも惜しむべし。且つ生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし。学問は米を搗きながるも出来るものなり。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰い味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり。

  (明治七年六月出版)

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学問のすすめ 十一編

  名分をもって偽君子を生ずるの論

 第八編に上下貴賎の名分よりして夫婦親子の間に生じたる弊害の例を示し、その害の及ぶところはこの外にもなお多しとの次第を記せり。そもそもこの名分の由って起るところを案ずるに、その形は強大の力をもって小弱を制するの義に相違なしと雖ども、その本意は必ずしも悪念より生じたるに非ず。畢竟世の中の人をば悉皆愚にして善なるものと思い、これを救いこれを導き、これを教えこれを助け、只管目上の人の命に従って、かりそめにも自分の了簡を出さしめず、目上の人は大抵自分に覚えたる手心にて、よきように取計い、一国の政事も一村の支配も、店の始末も家の世帯も、上下心を一にして、あたかも世の中の人間交際を親子の間柄の如くになさんとする趣意なり。

 譬(たと)えば十歳前後の子供を取扱うには固よりその了簡を出さしむべきに非ず、大抵両親の身計いにて衣食を与え、子供はただ親の言に戻らずしてその差図にさえ従えば、寒き時には丁度綿入の用意あり、腹のへる時には既に飯の支度調い、飯と着物はあたかも天より降り来るが如く、我思う時刻にその物を得て何一つの不自由なく安心して家に居るべし。両親は己が身にも易えられぬ愛子なれば、これを教えこれを諭し、これを誉むるもこれを叱るも、皆真の愛情より出ざるはなく、親子の間一体の如くして、その快きこと譬えん方なし。即ちこれ親子の交際にして、その際には上下の名分も立ち、嘗て差支あることなし。世の名分を主張する人は、この親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、随分面白き工夫のようなれども、爰に大なる差支あり。親子の交際はただ智力の熟したる実の父母と十歳ばかりの実の子供との間に行わるべきのみ、他人の子供に対しては固より叶い難し。仮令い実の子供にても最早二十歳以上に至れば次第にその趣きを改めざるを得ず。況んや年既に長じて大人となりたる他人と他人との間においてをや。迚もこの流儀にて交際の行わるべき理なし。いわゆる願うべくして行われ難き者とはこのことなり。

 さて今一国といい一村といい、政府といい会社といい、すべて人間の交際と名づくるものは皆大人と大人との仲間なり、他人と他人との附合なり。この仲間附合に実の親子の流儀を用いんとするもまた難きに非ずや。されども仮令い実に行われ難きことにても、これを行うて極めて都合よからんと心に想像するものは、その想像を実に施したく思うもまた人情の常にて、即ちこれ世に名分なり者の起りて専制の行わるる由縁なり。故に云く、名分の本は悪念より生じたるに非ず、想像に由って強いて造りたるものなり。

 アジヤ諸国においては国君のことを民の父母と言い、人民のことを臣子または赤子と言い、政府の仕事を牧民の職と唱えて、支那には地方官のことを何州の牧と名づけたることあり。この牧の字は獣類を養うの義なれば、一州の人民を牛羊の如くに取扱う積りにて、その名目を公然と看板に掛けたるものなり。あまり失礼なる仕方には非ずや。かく人民を子供の如く牛羊の如く取扱うと雖ども、前段にも言える通り、その初の本意は必ずしも悪念に非ず、かの実の父母が実の子供を養うが如き趣向にて、第一番に国君を聖明なるものと定め、賢良方正の士を挙げてこれを輔け、一片の私心なく半点の我欲なく、清きこと水の如く直きこと矢の如く、己が心を推して人に及ぼし、民を撫するに情愛を主とし、饑饉には米を給し、家事には銭を与え、扶助救育して衣食住の安楽を得せしめ、上の徳化は南風の薫ずるが如く、民のこれに従うは草の靡くが如く、その柔らかなるは綿の如く、その無心なるは木石の如く、上下合体共に太平を謡わんとするの目論見ならん。実に極楽の有様を模写したるが如し。

 されどもよく事実を考うれば、政府と人民とはもと骨肉の縁あるに非ず、実に他人の附合なり。他人と他人との附合には情実を用ゆべからず、必ず規則約束する物を作り、互いにこれを守って厘毛の差を争い、双方共に却って円く治まるものにて、これ乃ち国宝の起りし由縁なり。且つ右の如く聖明の君と賢良の士と柔順なる民とその注文はあれども、何れの学校に入ればかく無疵なる聖賢を造り出すべきやね何らの教育を施せばかく結構なる民を得べきや、唐人も周の世以来頻に爰に心配せしことならんが、今日まで一度も注文通りに治まりたる時はなく、度々詰りは今の通りに外国人に押付けられたるに非ずや。

 然るにこの意味を知らずして、きかぬ薬を再三飲むが如く、小刀細工の仁政を用い、紙ならぬ身の聖賢が、その仁政に無理を調合して強いて御恩を蒙らしめんとし、御恩は変じて迷惑となり、仁政は化して苛法となり、なおも太平を謡わんとするか。謡わんと欲せば独り謡いて可なり。これを和する者はなかるべし。その目論見こそ迂遠なれ。実に隣かながらも捧復に堪えざる次第なり。

 この風儀は独り政府のみに限らず、商家にも学塾にも宮にも寺にも行われざる所なし。今その一例を挙げて言わん。店中に旦那が一番の物知りにて、元帳を扱う者は旦那一人、従って番頭あり手代ありておのおのその職分を勤むれども、番頭手代は商売全体の仕組を知ることなく、ただ喧しき旦那の指図に任せて、給金も指図次第、仕事も指図次第、商売の損徳は元帳を見て知るべからず、朝夕旦那の顔色を窺い、その顔に笑を含むときは商売の中り、眉の上に皺をよするときは商売の外れと推量する位のことにて、何の心配もあることなし。

 ただ一つの心配は己が預りの帳面に筆の働きをもって極内の仕事を行わんとするの一事のみ。鷲に等しき旦那の眼力もそれまでには及び兼ね、律儀一片の忠助と思いの外に、欠落かまたは頓死のその跡にて帳面を改むれば、洞の如き大穴を明け、始めて人物の頼み難きを歎息するのみ。されどもこは人物の頼み難きに非ず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人に非ずや。その忠助に商売の割合を約束もせずして、子供の如くにこれを扱わんとせしは旦那の不了簡と言うべきなり。

 右の如く上下貴賎の名分を正し、ただその名のみを主張して専制の権を行わんとするの源因よりして、その毒の吹出すところは人間に流行する欺詐術策の容体なり。この病に罹る者を偽君子と名づく。譬えば封建の世に大名の家来は表向皆忠臣の積りにて、この形を見れば君臣上下の名分を正し、辞儀をするにも鋪居一筋の内外を争い、亡君の逮夜には精進を守り、若殿の誕生には上下を着し、年頭の祝儀、菩提所の参詣、一人も欠席あることなし。その口吻に云く、貧は士の常、尽忠報国、また云く、その食を食む者はその事に死すなどと、大造らしく言い触らし、すわといわば今にも討死せん勢いにて、一通りの者はこれに欺かるべき有様なれども、窃に一方より窺えば果して例の儀君子なり。

 大名の家来によき役儀を勤むる者あらばその家に銭の出来るは何故ぞ。定めたる家禄と定めたる役料にて一銭の余財も入るべき理なし。然るに出入差引して余あるは甚だ怪しむべし。いわゆる役徳にもせよ、賄賂にもせよ、旦那の物をせしめたるに相違はあらず、その最も著しきものを挙げて言えば、普請奉行が大工に割善を促し、会計の役人が出入の町人より附届を取るが如きは、三百諸侯の家に殆ど定式の法の如し。旦那のためには御馬前に討死さえせんと言いと忠臣義士が、その買物の棒先を切るとは余り不都合ならずや。金箔付の偽君子と言うべし。

 或いは稀に正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞えざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実は僅に銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとて、さまで誉むべき事に非ず、ただ偽君子の群集するその中に十人並の人が雑るゆえ、格別目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をば皆結構人にして御し易きものと思い込み、その弊遂に専制抑圧に至り、詰る所は飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり、毒を流すの大なるものは専制抑圧なり、恐るべきに非ずや。

 或人云く、かくの如く人民不実の悪例のみを挙ぐれば際限もなくことなれども、悉皆然るにも非ず、我日本は義の国にて、古来義士の身を棄てて君のためにしたる例は甚だ多しと。答云く、誠に然り、古来義士なきに非ず、ただその数少なくして算当に合わぬなり。元禄年中は義気の花盛りともいうべき時代なり、この時に赤穂七万石の内に義士四十七名あり。七万石の領分には凡そ七万の人口あるべし。七万の内に四十七あれば、七百万の内には四千七百あるべし。物換り星移り、人情は次第に薄く、義気も落下の時節となりたるは、世人の常に言うところにて相違もあらず。故に元禄年中より人の義気に三割を減じて七掛けにすれば、七百万に付三千二百九十の割合なり。今、日本の人口を三千万となし義士の数は一万四千百人なるべし。この人数にて日本国を保護するに足るべきや。三歳の童子にも勘定は出来ることならん。

 右の議論に拠れば名分は丸つぶれの話なれども、念のため爰に一言を足さん。名分とは虚飾の名目を言うなり。虚名とあれば上下貴賎悉皆無用のものなれども、この虚飾の名目と実の職分とを入替にして、職分をさえ守ればこの名分も差支あることなし。即ち政府は一国の帳場にして人民を支配するの職分あり。人民は一国の金主にして国用を給するの職分あり。文官の職分は政法を議定するに在り。武官の職分は命ずるところに赴きて戦うに在り。このほか学者にも町人にもおのおの定めたる職分あらざるはなし。

 然るに半解半知の飛揚りものが、名分は無用と聞きて早く既にその職分を忘れ、人民の地位に居て政府の法を破り、政府の命をもって人民の産業に手を出し、兵隊が政を議して自ら師を起し、文官が腕の力に負けて武官の差図に任ずる等のことあらば、これこそ国の大乱ならん。自主自由のなま噛にて無政無法の騒動なるべし。名分と職分とは文字こそ相似たれ、その趣意は全く別物なり。学者これを誤り認むることなかれ。

  (明治七年七月出版)

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