ふくざわゆきち | 福澤諭吉

学問のすすめ 14편, 15편

이윤진이카루스 2015. 9. 14. 21:00

学問のすすめ 十四編

  心事の棚卸

 人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に愚を働き、心に企つるよりも案外に功を成さざるものなり。如何なる悪人にても生涯の間勉強して悪事のみをなさんと思う者はなけれども、物に当り事に接して不図悪念を生じ、我身躬から悪と知りながら色々に身勝手なる説を付けて、強いて自ら慰むる者あり。また或いは物事に当って行うときは決してこれを悪事と思わず、毫も心に恥ずるところなきのみならず、一心一向に善き事と信じて、他人の異見などあれば却ってこれを怨む程にありしことにても、年月を経て後に考うれば大いに我不行届にて心に恥入ることあり。

 また人の性に智愚強弱の別ありと雖ども、自ら禽獣の智恵にも叶わぬと思う者はあるべからず。世の中にある様々の仕事を見分けて、この事なれば自分の手にも叶うことと思い、自分相応にこれを引受くることなれども、その事を行うの間に思いの外に失策多くして最初の目的を誤り、世間にも笑われ自分にも後悔すること多し。世に功業を企てて誤る者を傍観すれば、実に捧腹にも堪えざる程の愚を働きたるように見ゆれども、そのこれを企てたる人は必ずしも左まで愚なるに非ず、よくその情実を尋ぬればまた尤なる次第あるものなり。必竟世の事変は活物にて、容易にその機変を前知すべからず。これがために智者と雖ども案外に愚を働くもの多し。

 また人の企ては常に大なるものにて、事の難易大小と時日の長短とを比較すること甚だ難し。フランキリン言えることあり、「十分と思いし時も事に当れば必ず足らざるを覚ゆるものなり」と。この言真に然り。大工に普請を言い付け、仕立屋に衣服を注文して、十に八、九は必ずその日限を誤らざる者なし。こは大工仕立屋の故さらに企てたる不埒に非ず、その初に仕事と時日とを精密に比較せざりしより、図らずも違約に立ち至りたるのみ。さて、世間の人は大工仕立屋に向かって違約を責むることは珍しからず、これを責むるにまた理屈なきに非ず。大工仕立屋は常に恐れ入り、旦那はよく道理の分りたる人物のように見ゆれども、その旦那なる者が自ら自分の請合いたる仕事につき、果して日限の通りに成したることあるや。

 田舎の書生、国を出るときは、難苦を嘗めて三年の内に成業と自ら期したる者、よくその心の約束を践みたるや。無理な才覚をして渇望したる原書を求め、三箇月の間にこれを読み終らんと約したる者、果してよくその約の如くしたるや。有志の士君子「某が政府に出れば、この事務もかくの如く処し、この改革もかくの如く処し、半年の間に政府の面目を改むべし」とて、再三建白の上漸く本望を達して出仕の後、果してその前日の心事に背かざるや。貧書生が、「我れに万両の金あれば明日より日本国中の門並に学校を設けて家に不学の輩なからしめん」と言う者を、今日良縁に由って三井、鴻ノ池の養子たらしむることあらば、果してその言の如くなるべきや。この類の夢想を計うれば枚挙に遑あらず。みな事の難易と時の長短とを比較せずして、時を計ること寛やかに過ぎ、事を視ること易きに過ぎたる罪なり。

 また世間に事を企つる人の言を聞くに、「生涯の内」または「十年の内にこれを成す」と言う者は最も多く、「三年の内」、「一年の内に」と言う者はやや少なく、「一月の内」、或いは「今日この事を企てて今正にこれを行う」と言う者は殆ど稀にして、「十年前に企てたる事を今既に成したり」というが如きは余輩未だその人を見ず。かくの如く期限の長き未来を言うときには大造なる事を企つるようなれども、その期限漸く近くして今月今日と迫るに従って、明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、必竟事を企つるに当って時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。

 右所論の如く、人生の有様は徳義の事についても思いの外に悪事をなし、智恵の事についても思いの外に愚を働き、思いの外に事業を遂げざるものなり。この不都合を防ぐの方便は様々なれども、今爰に人のあまり心付かざる一箇条あり。その箇条とは何ぞや。事業の成否得失に付き、時々自分の胸中に差引の勘定を立つることなり。商売にて言えば、棚卸の総勘定の如きものこれなり。

 凡そ商売において最初より損亡を企つる者あるべからず。先ず自分の才力と元金とを顧み、世間の景気を察して事を始め、千状万態の変に応じて或いは中たり或いは外れ、この仕入に損を蒙りかの売捌に益を取り、一年または一箇月の終りに総勘定をなすときは、或いは見込みの通りに行われたることもあり、或いは大いに相違したることもあり、また或いは売買繁劇の際にこの品につきては必ず益あることなりと思いしものも、棚卸に出来たる損益平均の表を見れば案に相違して損亡なることあり、或いは仕入のときは品物不足と思いしものも、棚卸のときに残品を見れば、売捌に案外の時日を費やしてその仕入却って多きに過ぎたるものもあり。故に商売に一大緊要なるは、平日の帳合を精密にして、棚卸の期を誤らざるの一事なり。

 他の人事もまたかくの如し。人間生々の商売は、十歳前後人心の出来し時より始めたるものなれば、平生智徳事業の帳合を精密にして、勉めて損亡を引請けざるように心掛けざるべからず。「過ぐる十年の間には何を損し何を益したるや、現今は何らの商売をなしてその繁昌の有様は如何なるや、今は何品を仕入れて何れの時何れの処に売捌く積りなるや、年来心の店の取締は行届きて遊冶懶惰など名づくる召使のために穴を明けられたる事はなきや、来年も同様の商売にて慥なる見込みあるべきや、最早別に智徳を益すべき工夫もなきや」と、諸帳面を点検して棚卸の総勘定をなすことあらば、過去現在身の行状につき必ず不都合なることも多かるべし。その一、二を挙ぐれば、「貧は士の常、尽忠報国」などとて、妄に百姓の米を喰い潰して得意の色をなし、今日に至りて事実に困る者は、舶来の小銃あるを知らずして刀剣を仕入れ、一時の利を得て残品に後悔するが如し。和漢の古書のみを研究して西洋日新の学を顧みず古を信じて疑わざりし者は、過ぎたる夏の景気を忘れずして冬の差入りに蚊帷を買い込むが如し。青年の書生未だ学問も熟せずして遽に小官を求め一生の間等外に徘徊するは、半ば仕立たる衣服を質に入れて流すが如し。地理歴史の初歩をも知らず日用の手紙を書くこともむつかしくして妄に高尚の書を読まんとし、開巻五、六葉を見てまた他の書を求むるは、元手なしに商売を初めて日に業を変ずるが如し。和漢洋の書を読めども天下国家の形勢を知らず一身一家の生計にも苦しむ者は、十露盤を持たずして万屋の商売をなすが如し。

 天下を治むるを知って身を修むるを知らざる者は、隣家の帳合に助言して自家に盗賊の入るを知らざるが如し。口に流行の日新を唱えて心に見るところなく、我一身の何物たるをも考えざる者は、売品の名を知りて値段を知らざるものの如し。これらの不都合は現に今の世に珍しからず。その源因は、ただ流れ渡りにこの世を渡りて、嘗てその身の有様に注意することなく、生来今日に至るまで我身は何事をなしたるや、今は何事をなせるや、今後は何事をなすべきやと、自らその身を点検せざるの罪なり。故に云く、商売の有様を明らかにして後日の見込を定むるものは帳面の総勘定なり、一身の有様を明らかにして後日の方向を立つるものは智徳事業の棚卸なり。

 

  世話の字の義

 

 世話の字に二つの意味あり、一は「保護」の義なり、一は「命令」の義なり。保護とは人の事につき傍より番をして防ぎ護り、或いはこれに財物を与え或いはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを差図し、不便利ならんと思うことには異見を加え、心の丈けを尽して忠告することにて、これまた世話の義なり。

 右の如く世話の字に保護と差図と両様の義を備えて人の世話をするときは、真によき世話にて世の中は円く治まるべし。譬えば父母の子供におけるが如く、衣食を与えて保護の世話をすれば、子供は父母の言うことを聞きて差図を受け、親子の間柄に不都合あることなし。また政府にては法律を設けて国民の生命と面目と私有とを大切に取扱い、一般の安全を謀って保護の世話をなし、人民は政府の命令に従って差図の世話に戻ることあらざれば、公私の間、円く治まるべし。

 故に保護と差図とは、両ながらその至る処を供にし、寸分も境界を誤るべからず。保護の至る処は即ち差図の及ぶ処なり。差図の及ぶ処は必ず保護の至る処ならざるを得ず。もし然らずして、この二者の至り及ぶ所の度を誤り、僅に齟齬することあれば、忽ち不都合を生じて禍の源因となるべし。世間にその例少なからず。蓋しその由縁は、世の人々常に世話の字の義を誤りて、或いは保護の意味に解し、或いは差図の意味に解し、ただ一方にのみ偏して文字の全き義を尽すことなく、もって大なる間違に及びたるなり。

 譬えば父母の差図を聴かざる道楽息子へ漫に銭を与えてその遊冶放蕩を逞しうせしむるは、保護の世話は行届きて差図の世話は行われざるものなり。子供は謹慎勉強して父母の命に従うと雖ども、この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥らしむるは、差図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。甲は不孝にして乙は不慈なり。共にこれを人間の悪事と言うべし。

 古人の教えに「朋友に屡(しばしば)すれば疎(うと)んぜらるる」とあり。その訳けは、「我忠告をも用いざる朋友に向かって余計なる深切を尽し、その気前をも知らずして厚かましく異見をすれば、遂には却ってあいそつかしとなりて、先きの人に嫌われ、或いは怨まれ或いは馬鹿にせられて事実に益なきゆえ、大概に見計うて此方から寄付かぬようにすべし」との趣意なり。この趣意も即ち差図の世話の行届かぬ所には保護の世話をなすべからずということなり。

 また昔かたぎに、田舎の老人が旧き本家の系図を持出して別家の内を掻きまわし、或いは銭もなき叔父様が実家の姪を呼び付けてその家事を差図し、その薄情を責めその不行届を咎め、甚だしきに至っては知らぬ祖父の遺言などとて姪の家の私有を奪い去らんとするが如きは、差図の世話は厚きに過ぎて保護の世話の痕跡もなきものなり。諺にいわゆる「大きに御世話」とはこの事なり。

 また世に貧民救助とて、人物の良否を問わずその貧乏の源因を尋ねず、ただ貧乏の有様を見て米銭を与うることあり。鰥寡孤独、実に頼るところなき者へは救助も尤なれども、五升の御救米(おすくまい)を貰うて三升は酒にして飲む者なきに非ず。禁酒の差図も出来ずして漫に米を与うるは、差図の行届かずして保護の度を越えたるものなり。諺にいわゆる「大きに御苦労」とはこの事なり。英国などにても救窮の法に困却するはこの一条なりという。

 この理を拡めて一国の政治上に論ずれば、人民は租税を出して政府の入用を給し、その世帯向を保護するものなり。然るに専制の政にて、人民の助言をば少しも用いず、またその助言を述ぶべき場所もまきは、これまた保護の一方は達して差図の路は塞りたるものなり。人民の有様は大きに御苦労なりと言うべし。

 この類を求めて例を挙ぐれば一々計うるに遑あらず。この「世話」の字義は経済論の最も大切なる箇条なれば、人間の渡世において、その職業の異同事柄の軽重に拘わらず常にこれに注意せざるべからず。或いはこの議論は全く十露盤ずくにて薄情なるに似たれども、薄くすべきところを無理に厚くせんとし、或いはその実の薄きを顧みずしてその名を厚くせんとし、却ってにんげんの至情を害して世の交際を苦々しくするが如きは、名を買わんとして実を失うものと言うべし。

 右の如く議論は立てたれども、世人の誤解を恐れて念のため爰に数言を附せん。修心道徳の教えにおいては、或いは経済の法と相戻るが如きものあり。蓋し一身の私徳は悉皆天下の経済に差響くものに非ず、見ず知らずの乞食に銭を投与し、或いは貧人の憐れむべき者を見れば、その人の来歴をも問わずして多少の財物を給することあり。そのこれを投与しこれを給するは即ち保護の世話なれども、この保護は差図と共に行わるるものに非ず、考えの領分を窮屈にしてただ経済上の公をもってこれを論ずれば不都合なるに似たれども、一身の私徳において恵与の心は最も貴ぶべく最も好みすべきものなり。譬えば天下に乞食を禁ずるの法は固より公明正大なるものなれども、人々の私において乞食に物を与えんとするの心は咎むべからず。人間万事十露盤を用いて決定すべきものに非ず、ただその用ゆべき場所と用ゆべからざる場所とを区別すること緊要なるのみ。世の学者、経済の公論に酔いて仁恵の私徳を忘るるなかれ。

  (明治八年三月出版)

目次 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七

 

学問のすすめ 十五編

 事物を疑って取捨を断ずる事

 信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母の大病に按摩の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。三七日の断食に落命するは不動明王を信ずるが故なり。この人民の仲間に行わるる真理の多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少なければ偽詐多からざるを得ず。蓋しこの人民は事物を信ずと雖ども、その信は偽を信ずる者なり。故に云く、「信の世界に偽詐多し」と。

 文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても無形の人事にても、その働きの趣きを詮索して真実を発明するに在り西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑の一点より出でざるものなし。ガリレヲが天文の旧説を疑って地動を発明し、ガルハニが蟆(がま)の脚のちん搦(痙攣)するを疑って動物のエレキを発明し、ニウトンが林檎の落つるを見て重力の理に疑いを起し、ワットが鉄瓶の湯気を弄んで蒸気の働きに疑いを生じたるが如く、何れも皆疑いの路に由って真理の奥に達したるものと言うべし。格物窮理の域を去って、顧みて人事進歩の有様を見るもまたかくの如し。売奴法の当否を疑って天下後世に惨毒の源を絶ちたる者は、トーマス・クラレクソンなり。ローマ宗教の妄誕を疑って教法に一面目を改めたる者はマルチン・ルーザなり。フランスの人民は貴族の跋扈に疑いを起して騒乱の端を開き、アメリカの州民は英国の成法に疑いを容れて独立の功を成したり。今日においても、西洋の諸大家が日新の説を唱えて人を文明に導くものを見るに、その目的はただ古人の確定して駁すべからざるの論説を駁し、世上に普通にして疑いを容るべからざるの習慣に疑いを容るるに至るのみ。

 今の人事において男子は外を務め婦人は内を治むるとてその関係殆ど天然なるが如くなれども、スチュアルト・ミルは婦人論を著して、万古一定動かすべからざるのこの習慣を破らんことを試みたり。英国の経済家に自由法を悦ぶ者多くして、これを信ずる輩はあたかももって世界普通の定法の如くに認むれども、アメリカの学者は保護法を唱えて自国一種の経済論を主張する者あり。一議随って出れば一説随ってこれを駁し、異説争論その極まる所を知るべからず。これをかのアジヤ諸州の人民が、虚誕妄説を軽信して巫蠱神仏に惑溺し、或いはいわゆる聖賢者の言を聞きて一時にこれに和するのみならず、万世の後に至ってなおその言の範囲を脱すること能わざるものに比すれば、その品行の優劣、心志の勇怯、固より年を同じうして語るべからざるなり。

 異説争論の際に事物の真理を求むるは、なお逆風に向かって舟を行るが如し。その舟路を右にしまたこれを左にし、浪に激し風に逆らい、数十百里の海を経過するも、その直達の路を計れば進むこと僅に三、五里に過ぎず。航海にはしばしば順風の便ありと雖ども、人事においては決してこれなし。人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。而してその説論の生ずる源は、疑の一点に在りて存するものなり。疑の世界に真理多しとは、蓋しこれの謂なり。

 然りと雖ども、事物の軽々信ずべからざること果して是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この信疑の際につき必ず取捨の明なかるべからず。蓋し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん。我日本においても開国以来頓に人心の趣きを変じ、政府を改革し、貴族を倒し、学校を起し、新聞局を開き、鉄道、電信、兵制、工業等、百般の事物一時に旧套を改めたるは、何れも皆数千百年以来の習慣に疑いを容れ、これを変革せんことを試みて功を奏したるものと言うべし。然りと雖ども、我人民の精神においてこの数千年の習慣に疑いを容れたるその原因を尋ぬれば、初めて国を開きて西洋諸国に交わり、かの文明の有様を見てその美を信じ、これに倣わんとして我旧習に疑いを容れたるものなれば、あたかもこれを自発の疑いと言うべからず。ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、昔日は人心の信、東に在りしもの、今日はその処を移して西に転じたるのみにして、その信疑の取捨如何に至っては果して的当の明あるを保すべからず。余輩未だ浅学寡聞、この取捨の疑問に至り一々当否を論じてその箇条を枚挙する能わざるは固より自ら懺悔するところなれども、世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑に過ぎ、信疑共にその止まる所の適度を失するものあるは明らかに見るべし。左にその次第を述べん。

 東西の人民、風俗を別にし情意を殊にし、数千百年の久しき、おのおのその国土に行われたる習慣は、仮令い利害の明らかなるものと雖ども、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず、況やその利害の未だ詳らかならざるものにおいてをや。これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明らかにして取捨を判断せざるべからず。然るに近日世上の有様を見るに、苛も中人以上の改革者流、或いは開化先生と称する輩は、口を開けば西洋文明の美を称し、一人これを唱うれば万人これに和し、凡そ智識道徳の教えより治国、経済、衣食住の細事に至るまでも、悉皆西洋の風を慕うてこれに倣わんとせざるものなし。或いは未だ西洋の事情につきその一班をも知らざる者にても、只管旧物を廃棄してただ新をこれ求むるものの如し。何ぞそれ事物を信ずるの軽々にして、またこれを疑うの疎忽なるや。西洋の文明は我国の右に出ること必ず数等ならんと雖ども、決して文明の十全なるものに非ず。その欠典を計うれば枚挙に遑あらず。彼の風俗悉く美にすて信ずべきに非ず、我の習慣悉く醜にして疑うべきに非ず。

 譬えば爰に一少年あらん。学者先生に接してこれに心酔し、その風に倣わんとして俄に心事を改め、書籍を買い文房の具を求めて、日夜机に倚りて勉強するは固より咎むべきに非ず。これを美事と言うべし。然りと雖どもこの少年が先生の風を擬するの余りに、先生の夜話に耽って朝寝するの僻をも学び得て、遂に身体の健康を害することあらば、これを智者と言うべきか。蓋しこの少年は先生を見て十全の学者と認め、その行状の得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、もってこの不幸に陥りたるものなり。

 支那の諺に、「西施の顰に倣う」ということあり。美人の顰はその顰の間に自ずから趣きありしが故にこれに倣いしことなれば未だ深く咎むるに足らずと雖ども、学者の朝寝に何の趣きあるや。朝寝は則ち朝寝にして懶惰(らんだ)不養生の悪事なり。人を慕うの余りにその悪事に倣うとは笑うべきの甚だしきに非ずや。されども今の世間の開化者流にはこの少年の輩甚だ少なからず。

 仮に今、東西の風俗習慣を交易して開化先生の評論に附し、その評論の言葉を想像してこれを記さん。西洋人は日に浴湯して日本人の浴湯は一月僅に一、二次ならば、開化先生これを評して言わん、文明開化の人民はよく浴湯して皮膚の蒸発を促しもって衛生の法を守れども、不文の日本人は則ちこの理を知らずと。日本人は寝屋の内に尿瓶を置きてこれに小便を貯え、或いは便所より出でて手を洗うことなく、洋人は夜中と雖ども起きて便所に行き、何ら事故あるも必ず手を洗うの風ならば、論者評して言わん、開化の人は清潔を貴ぶの風あれども不開化の人民は不潔の何物たるを知らず、蓋し小児の智識未だ発生せずして汚潔を弁ずること能わざる者に異ならず、この人民と雖ども次第に進んで文明の域に入らば遂には西洋の美風に倣うことあるべしと。洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代るに布を用い随って洗濯して随ってまた用いるの風ならば、論者忽ち頓智を運らし細事を推して経済論の大義に附会して言わん、資本に乏しき国土においては人民自ら知らずして節倹の道に従うことあり、日本全国の人民をして鼻紙を用いること西洋人の如くならしめなば、その国財の幾分を浪費すべき筈なるに、よくその不潔を忍んで布を代用するは自ずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべしと。日本の婦人その耳に金還を掛け小腹を束縛して衣裳を飾ることあらば、論者人身窮理の端を持出して顰蹙して言わん、甚だしい哉不開化の人民、理を弁じて天然に従うことを知らざるのみならず、故らに肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、婦人の体において最も貴要部たる小腹を束ねて蜂の腰の如くならしめ、もって妊娠の機を妨げ分娩の危難を増し、その禍の小なるは一家の不幸を致し、大なるは全国の人口生々の源を害するものなりと。

 西洋人は家の内外に錠を用いること少なく、旅中に人足を雇うて荷物を持たしめ、その行李に慥なる錠前なきものと雖ども常に物を盗まるることなく、或いは大工左官等の如き職人に命じて普請を受負わしむるに約条書の密なるものを用いずして、後日に至りその約条につき公事訴訟を起すこと稀なれども、日本人は家内の一室毎に締りを設けて坐右の手箱に至るまでも錠を卸し、普請受負の約条書等には一字一句を争うて紙に記せども、なお且つ物を盗まれ、或いは違約等の事につき裁判所に訴うること多き風ならば、論者また歎息して言わん、難有哉耶蘇の聖教、気の毒なる哉パガン外教の人民、日本の人はあたかも盗賊と雑居するが如し、これをかの西洋諸国自由正直の風俗に比すれば万々同日の論に非ず、実に聖教の行わるる国土こそ道に遺を拾わずと言うべけれと。日本人が煙草を咬み巻煙草を吹かして西洋人が煙管を用いることあらば、日本人は器械の術に乏しくして未だ煙管の発明もあらずと言わん。日本人が靴を用いて西洋人が下駄をはくことあらば、日本人は足の指の用法を知らずと言わん。味噌も舶来品ならば、かくまでに軽蔑を受くることもなからん。豆腐も洋人のテーブルに上らば一層の声価を増さん。鰻の蒲焼、茶碗蒸等に至っては世界第一美味の飛切りとて評判を得ることなるべし。

 これらの箇条を枚挙すれば際限あることなし。今少しく高尚に進みて宗旨の事に及ばん。四百年前西洋に親鸞上人を生じ、日本にマルチン・ルーザを生じ、上人は西洋に行わるる仏法を改革して浄土真宗を弘め、ルーザは日本のローマ宗教に敵してプロテスタントの教えを開きたることあらば、論者必ず評して言わん、宗教の大趣意は衆生済度に在りて人を殺すに在らず、苛もこの趣意を誤ればその余は見るに足らざるなり、西洋の親鸞上人はよくこの旨を体し、野に臥し石を枕にし、千辛万苦、生涯の力を尽して遂にその国の宗教を改革し、今日に至っては全国人民の大半を教化したり、その教化の広大なることかくの如しと雖ども、上人の死後、その門徒なる者、宗教の事につき敢えて他宗の人を殺したることなくまた殺されたることもなきは、専ら宗徳をもって人を化したるものと言うべし、顧みて日本の有様を見れば、ルーザ一たび世に出でてローマの旧教に敵対したりと雖ども、ローマの宗徒容易にこれに服するに非ず、旧教は虎の如く新教は狼の如く、虎狼相闘い食肉流血、ルーザの死後、宗教のために日本の人民を殺し日本の国財を費やし、師を起し国を滅したるその禍は、筆もって記すべからず、口もって語るべからず、殺伐なる哉野蛮の日本人は、衆生済度の教えをもって生霊を塗炭に陥れ、敵を愛するの宗旨に由って無辜の同類を屠り、今日に至ってその成跡如何を問えば、ルーザの新教は未だ日本人民の半を化すること能わずと言えり、東西の宗教その趣きを殊にすることかくの如し、余輩ここに疑いを容るること日既に久しと雖ども、未だその原因の確かなるものを得ず、窃に按ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、その性質は同一なれども、野蛮の国土に行わるれば自ずから殺伐の気を促し、文明の国に行わるれば自ずから温厚の風を存するに由って然るものか、或いは東方の耶蘇教と西方の仏法とは初よりその元素を殊にするに由って然るものか、或いは改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人とその徳義に優劣ありて然るものか、漫に浅見をもって臆断すべからず、ただ後世博識家の確説を待つのみと。

 然らば則ち今の改革者流が日本の旧習を厭うて西洋の事物を信ずるは、全く軽信軽疑の譏を免るべきものと言うべからず。いわゆる旧を信ずるの信をもって新を信じ、西洋の文明を慕うの余りに兼ねてその顰蹙朝寝の僻をも学ぶものと言うべし。なお甚だしきは未だ新の信ずべきものを探り得ずして早く既に旧物を放却し、一身あたかも空虚なるが如くにして安心立命の地位を失い、これがため遂には発狂する者あるに至れり。憐れむべきに非ずや。医師の話を聞くに、近来は神経病及び発狂の病人多しという。

 西洋の文明固より慕うべし、これを慕いこれに倣わんとして日もまた足らずと雖ども、軽々これを信ずるは信ぜざるの優に若かず。彼の富強は誠に羨むべしと雖ども、その人民の貧富不平均の弊をも兼ねてこれに倣うべからず、日本の租税寛なるに非ざれども、英国の小民が地主に虐せらるるの苦痛を思えば、却って我農民の有様を祝せざるべからず。西洋諸国、婦人を重んずるの風は人間世界の一美事なれども、無頼なる細君が跋扈して良人を窘め、不順なる娘が父母を軽蔑して醜行を逞しうするの俗に心酔すべからず。

 されば今の日本に行わるるところの事物は、果して今の如くにしてその当を得たるものか、商売会社の法今の如くにして可ならんか、政府の体裁今の如くにして可ならんか、教育の制今の如くにして可ならんか、著書の風今の如くにして可ならんか、加之現に余輩学問の法も今日の路に従って可ならんか、これを思えば百疑並び生じて殆ど暗中に物を探るが如し。この雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。

 然り而して今この責に任ずる者は、他なし、ただ一種我党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。蓋しこれを思うはこれを学ぶに若かず、幾多の書を読み幾多の事物に接し、虚心平気活眼を開き、もって真実の在るところを求めなば、信疑忽ち処を異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。

 (明治九年七月出版)

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