ふくざわゆきち | 福澤諭吉

文明論之概略 緒言,第一章

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:07

文明論之概略 緒言,第一章

■文明論之概略 目次■
緒言

 文明論とは人の精神発達の議論なり。その趣意は一人の精神発達を論ずるに非ず,天下衆人の精神発達を一体に集めて,その一体の発達を論ずるものなり。故に文明論,或は之を衆心発達論と云うも可なり。蓋し人の世に処するには局処の利害得失に掩われてその所見を誤るもの甚だ多し。習慣の久しきに至ては殆ど天然と人為とを区別すべからず。その天然と思いしもの,果して習慣なることあり。或はその習慣と認めしもの,却て天然なることなきに非ず。この紛擾雑駁の際に就て条理の紊れざるものを求めんとすることなれば,文明の議論亦難しと云うべし。

 今の西洋の文明は羅馬の滅後より今日に至るまで大凡そ一千有余年の間に成長したるものにて,その由来頗る久しと云うべし。我日本も建国以来既に二千五百年を経て,我邦一己の文明は自から進歩してその達する所に達したりと雖ども,之を西洋の文明に比すれば趣の異なる所なきを得ず。嘉永年中米人渡来,次で西洋諸国と通信貿易の条約を結ぶに及で,我国の人民始て西洋あるを知り,彼我の文明の有様を比較して大に異別あるを知り,一時に耳目を驚かして恰も人心の騒乱を生じたるが如し。固より我二千五百年の間,世の治乱興廃に由て人を驚かしたることなきに非ずと雖ども,深く人心の内部を犯して之を感動せしめたるものは,上古,儒仏の教を支那より伝えたるの一事を初と為し,その後は特に輓近の外交を以て最とす。加之,儒仏の教は亜細亜の元素を伝えて亜細亜に施したることなれば,唯粗密の差あるのみにて之に接すること難からず。或は我ためには新にして奇ならずと云うも可なりと雖ども,彼の輓近の外交に至ては則ち然らず。地理の区域を異にし,文明の元素を異にし,その元素の発育を異にし,その発育の度を異にしたる特殊異別のものに[逢]うて頓に近く相接することなれば,我人民に於てその事の新にして珍らしきは勿論,事々物々見るとして奇ならざるはなし,聞くとして怪ならざるはなし。之を譬えば極熱の火を以て極寒の水に接するが如く,人の精神に波瀾を生ずるのみならず,その内部の底に徹して転覆回旋の大騒乱を起さゞるを得ざるなり。

 この人心騒乱の事跡に見われたるものは,前年の王制一新なり,次で廃藩置県なり。以て今日に及びしことなれども,是等の緒件を以て止むべきに非ず。兵馬の騒乱は数年前に在て既に跡なしと雖ども,人心の騒乱は今尚依然として日に益甚しと云うべし。蓋しこの騒乱は全国の人民文明に進まんとするの奮発なり。我文明に満足せずして西洋の文明を取らんとするの熱心なり。故にその期する所は,到底我文明をして西洋の文明の如くならしめて之と並立するか,或はその右に出るに至らざれば止むことなかるべし。而して彼の西洋の文明も今正に運動の中に在て日に月に改進するものなれば,我国の人心も之と共に運動を与にして遂に消息の期あるべからず。実に嘉永年中米人渡来の一挙は恰も我民心に火を点じたるが如く,一度び燃えて又これを止むべからざるものなり。

 人心の騒乱斯の如し。世の事物の紛擾雑駁なること殆ど想像すべからざるに近し。この際に当て文明の議論を立て条理の紊れざるものを求めんとするは,学者の事に於て至大至難の課業と云うべし。西洋諸国の学者が日新の説を唱えて,その説随て出れば随て新にして,人の耳目を驚かすもの多しと雖ども,千有余年の沿革に由り先人の遺物を伝えて之を切磋琢磨することなれば,仮令いその説は新奇なるも,等しく同一の元素より発生するものにて新に之を造るに非ず。之を我国今日の有様に比して豈同日の論ならんや。今の我文明は所謂火より水に変じ,無より有に移らんとするものにて,卒突の変化,啻に之を改進と云うべからず,或は始造と称するも亦不可なきがごとし。その議論の極て困難なるも謂れなきに非ざるなり。

 今の学者はこの困難成る課業に当ると雖ども,爰に亦偶然の僥倖なきに非ず。その次第を云えば,我国開港以来,世の学者は頻に洋学に向い,その研究する所固より粗鹵狭隘なりと雖ども ,西洋文明の一斑は彷彿として窺い得たるが如し。又一方にはこの学者なるもの,二十年以前は純然たる日本の文明に浴し,啻にその事を聞見したるのみに非ず,現にその事に当てその事を行うたる者なれば,既往を論ずるに憶測推量の曖昧に陥ること少なくして,直に自己の経験を以て之を西洋の文明に照らすの便利あり。この一事に就いては,彼の西洋の学者が既に体を成したる文明の内に居て他国の有様を推察する者よりも,我学者の経験を以て更に確実なりとせざるべからず。今の学者の僥倖とは即ちこの実験の一事にして,然もこの実験は今の一世を過れば決して再び得べからざるものなれば,今の時は殊に大切なる好機会と云うべし。

 試に見よ,方今我国の洋学者流,その前年は悉皆漢書生ならざるはなし,悉皆神仏者ならざるはなし。封建の士族に非ざれば封建の民なり。恰も一身にして二生を経るが如く,一人にして両身あるが如し。二生相比し両身相較し,その前生前身に得たるものを以て之を今生今身に得たる西洋の文明に照らして,その形影の互に反射するを見ば果して何の観を為すべきや。その議論必ず確実ならざるを得ざるなり。蓋し余が彷彿たる洋学の所見を以て,敢て自から賤劣を顧みずこの冊子を著すに当て,直に西洋緒家の原書を訳せず,唯その大意を斟酌して之を日本の事実に参合したるも,余輩の正に得て後人の復た得べからざる好機会を利して,今の所見を遺して後の備考に供せんとするの微意のみ。但その議論の粗鹵にして誤謬の多きは固より自から懺悔白状する所なれば,特に願くは後の学者,大に学ぶことありて,飽くまで西洋の諸書を読み,飽くまで日本の事情を詳にして,益所見を博し益議論を密にして,真に文明の全大論と称すべきものを著述し,以て日本全国の面を一新せんことを企望するなり。余も亦年未だ老したるに非ず,他日必ずこの大挙あらんことを待ち,今より更に勉強してその一臂の助たらんことを楽しむのみ。

 書中西洋の著書を引用してその原文を直に訳したるものはその著書の名を記して出典を明にしたれども,唯その大意を撮て之を訳するか,又は著書を参考にして趣意の在る所を探り,その意に拠て著書の論を述べたるものは,一々出典を記すべからず。之を譬えば食物を喰て之を消化したるが如し。その物は外物なれども,一度び我に取れば自から我身内の物たらざるを得ず。故に書中稀に良説あらば,その良説は余が良説に非ず,食物の良なる故と知るべし。

 この書を著わすに当り,往々社友に謀て或はその所見を問い,或はその嘗て読たる書中の議論を聞て益を得ること少なからず。就中,小幡篤次郎君へは特にその閲見を煩わして正刪を乞い,頗る理論の品価を増たるもの多し。

                    明治八年三月二十五日

                      福沢諭吉記

文明論之概略 巻之一

第一章 議論の本位を定る事

 軽重,長短,善悪,是非等の字は相対したる考より生じたるものなり。軽あらざれば重あるべからず,善あらざれば悪あるべからず。故に軽とは重よりも軽し,善とは悪よりも善しと云うことにて,此と彼と相対せざれば軽重善悪を論ずべからず。斯の如く相対して重と定り善と定りたるものを議論の本位と名く。諺に云く,腹は背に替え難し。又云く,小の虫を殺して大の虫を助くと。故に人身の議論をするに,腹の部は背の部よりも大切なるものゆえ,寧ろ背に疵を被るも腹をば無難に守らざるべからず。又動物を取扱うに,鶴は鰌よりも大にして貴きものゆえ,鶴の餌には鰌を用るも妨なしと云うことなり。譬えば日本にて封建の時代に大名藩士無為にして衣食せしものを,その制度を改めて今の如く為したるは,徒に有産の輩を覆して無産の難渋に陥れたるに似たれども,日本国と諸藩とを対すれば,日本国は重し,諸藩は軽し,藩を廃するは猶腹の背に替えられざるが如く,大名藩士の禄を奪うは鰌を殺して鶴を養うが如し。都て事物を詮索するには枝末を払てその本源に遡り,止る所の本位を求めざるべからず。斯の如くすれば議論の箇条は次第に減じてその本位は益確実なるべし。「ニウトン」初て引力の理を発明し,凡そ物,一度び動けば動て止まらず,一度び止まれば,止まりて動かずと,明にその定則を立てゝより,世界万物運動の理,皆これに由らざるはなし。定則とは即ち道理の本位と云うも可なり。若し運動の理を論ずるに当て,この定則なかりせばその議論区々にして際限あることなく,船は船の運動を以て理の定則を立て,車は車の運動を以て論の本位を定め,徒に理論の箇条のみを増してその帰する所の本は一なるを得ず,一ならざれば則ち亦確実なるを得ざるべし。 議論の本位を定めざればその利害得失を談ずべからず。城郭は守る者のために利なれども攻る者のためには害なり。敵の得は味方の失なり。往者の便利は来者の不便なり。故に是等の利害得失を談ずるには,先ずそのためにする所を定め,守る者のためか,攻る者のためか,敵のためか,味方のためか,何れにてもその主とする所の本を定めざるべからず。古今の世論多端にして互に相齟齬するものも,その本を尋れば初に所見を異にして,その末に至り強いてその枝末を均うせんと欲するに由て然るものなり。譬えば神仏の説,常に合わず,各その主張する所を聞けば何れも尤の様に聞ゆれども,その本を尋れば神道は現在の吉凶を云い,仏法は未来の禍福を説き,議論の本位を異にするを以て両説遂に合わざるなり。漢儒者と和学者との間にも争論ありて千緒万端なりと雖ども,結局その分るゝ所の大趣意は,漢儒者は湯武の放伐を是とし,和学者は一系万代を主張するに在り。漢儒者の困却するは唯この一事のみ。斯の如く事物の本に還らずして末のみを談ずるの間は,神儒仏の異論も落着するの日なくして,その趣は恰も武用に弓矢剣槍の得失を争うが如く際限あるべからず。若し之を和睦せしめんと欲せば,その各主張する所のものよりも一層高尚なる新説を示して,自から新旧の得失を判断せしむるの一法あるのみ。弓矢剣槍の争論も嘗て一時は喧しきことなりしが,小銃の行われてより以来は世上に之を談ずる者なし。【(この部分二段組み)神官の話を聞かば,神道にも神葬祭の法あるゆえ未来を説くなりと云い,又僧侶の説を聞かば,法華宗などには加持祈[祷]の仕来もあるゆえ仏法に於ても現在の吉凶を重んずるものなりと云い,必ず込入たる議論を述るならん。されども是等は皆神仏混合の久しきに由り,僧侶が神官の真似を試み,神官が僧侶の職分を犯さんとせしのみにて,神仏両教の大趣意を論ずれば,一は未来を主とし一は現在を主とすること,数千年来の習慣を見て明なり。今日又喋々の議論を聞くに足らず。】

 又議論の本位を異にする者を見るに,説の末は相同じきに似たれども中途より互に枝別してその帰する所を異にすることあり。故に事物の利害を説くに,そのこれを利としこれを害とする所を見れば両説相同じと雖ども,これを利としこれを害とする所以の理を述るに至れば,その説,中途より相分れて帰する所同じからず。譬えば頑固なる士民は外国人を悪むを以て常とせり。又学者流の人にても少しく見識ある者は外人の挙動を見て決して心酔するに非ず,之を悦ばざるの心は彼の頑民に異なることなしと云うも可なり。この一段までは両説相投ずるが如くなれども,そのこれを悦ばざるの理を述るに至て始て齟齬を生じ,甲は唯外国の人を異類のものと認め,事柄の利害得失に拘わらずして只管これを悪むのみ。乙は少しく所見を遠大にして,唯これを悪み嫌うには非ざれども,その交際上より生ずべき弊害を思慮し,文明と称する外人にても我に対して不公平なる処置あるを忿るなり。双方共に之を悪むの心は同じと雖ども,之を悪むの源因を異にするが故に,之に接するの法も亦一様なるを得ず。即是れ攘夷家と開国家と,説の末を同うすれども中途より相分れてその本を異にする所なり。都て人間万事遊嬉宴楽のことに至るまでも,人々その事を共にしてその好尚を別にするもの多し。一時その人の挙動を皮相して遽にその心事を判断すべからざるなり。

 又或は事物の利害を論ずるに,その極度と極度とを持出して議論の始より相分れ,双方互に近づくべからざることあり。その一例を挙て云わん。今,人民同権の新説を述る者あれば,古風家の人はこれを聞て忽ち合衆政治の論と視做し,今我日本にて合衆政治の論を主張せば我国体を如何せんと云い,遂には不測の禍あらんと云い,その心配の模様は恰も今に無君無政の大乱に陥らんとてこれを恐怖するものゝ如く,議論の始より未来の未来を想像して,未だ同権の何物たるを糺さず,その趣旨の在る所を問わず,只管これを拒むのみ。又彼の新説家も始より古風家を敵の如く思い,無理を犯して旧説を排せんとし,遂に敵対の勢を為して議論の相合うことなし。畢竟双方より極度と極度とを持出すゆえこの不都合を生ずるなり。手近くこれを譬えて云わん。爰に酒客と下戸と二人ありて,酒客は餅を嫌い下戸は酒を嫌い,等しくその害を述てその用を止めんと云うことあらん。然るに下戸は酒客の説を排して云く,餅を有害のものと云わば我国数百年来の習例を廃して正月の元旦に茶漬を喰い,餅屋の家業を止めて国中に餅米を作ることを禁ずべきや,行わるべからざるなりと。酒客は又下戸を駁して云く,酒を有害のものとせば明日より天下の酒屋を毀ち,酩酊する者は厳刑に処し,薬品の酒精には甘酒を代用と為し,婚礼の儀式には水盃を為すべきや,行わるべからざるなりと。斯の如く異説の両極相接するときはその勢必ず相衝て相近づくべからず,遂に人間の不和を生じて世の大害を為すことあり。天下古今にその例少なからず。この不和なるもの学者君子の間に行わるゝときは,舌と筆とを以て戦い,或は説を吐き或は書を著し,所謂空論を以て人心を動かすことあり。唯無学文盲なる者は舌と筆とを用ること能わずして筋骨の力に依頼し,動もすれば暗殺等を企ること多し。

 又世の議論を相駁するものを見るに,互に一方の釁を撃て双方の真面目を顕し得ざることあり。その釁とは事物の一利一得に伴う所の弊害を云うなり。譬えば田舎の百姓は正直なれども頑愚なり,都会の市民は怜悧なれども軽薄なり。正直と怜悧とは人の美徳なれども,頑愚と軽薄とは常に之に伴うべき弊害なり。百姓と市民との議論を聞くに,その争端この処に在るもの多し。百姓は市民を目して軽薄児と称し,市民は百姓を罵て頑陋物と云い,その状情恰も双方の匹敵各片眼を閉じ,他の美を見ずしてその醜のみを窺うものゝ如し。若しこの輩をしてその両眼を開かしめ,片眼以て他の所長を察し片眼以てその所短を見せしめなば,或はその長短相償うて之がため双方の争論も和することあらん。或はその所長を以て全く所短を掩い,その争論止むのみならず,遂には相友視して互に益を得ることもあるべし。

 世の学者も亦斯の如し。譬えば方今日本にて議論家の種類を分てば古風家と改革家と二流あるのみ。改革家は穎敏にして進て取るものなり,古風家は実着にして退て守るものなり。退て守る者は頑陋に陥るの弊あり,進て取る者は軽卒に流るゝの患あり。然りと雖ども,実着は必ずしも頑陋に伴わざるべからざるの理なし,穎敏は必ずしも軽卒に流れざるべからざるの理なし。試に見よ,世間の人,酒を飲て酔ざる者あり,餅を喰うて食傷せざる者あり。酒と餅とは必ずしも酩酊と食傷との原因に非ず,その然ると然らざるとは唯これを節する如何に在るのみ。然ば則ち古風家も必ず改革家を悪むべからず,改革家も必ず古風家を侮るべからず。爰に四の物あり,甲は実着,乙は頑陋,丙は穎敏,丁は軽卒なり。甲は丁と当り乙と丙と接すれば,必ず相敵して互に軽侮せざるを得ずと雖ども,甲と丙と[逢]うときは必ず相投じて相親まざるを得ず。既に相親むの情を発すれば初て双方の真面目を顕わし,次第にその敵意を鎔解するを得べし。

 昔封建の時に大名の家来,江戸の藩邸に住居する者と国邑に在る者と,その議論常に齟齬して同藩の家中殆ど讐敵の如くなりしことあり。是亦人の真面目を顕わさゞりし一例なり。是等の弊害は固より人の智見の進むに従て自から除くべきものとは雖ども,之を除くに最も有力なるものは人と人との交際なり。その交際は,或は商売にても又は学問にても,甚しきは遊芸,酒宴或は公事訴訟喧嘩戦争にても,唯人と人と相接してその心に思う所を言行に発露するの機会となる者あれば,大に双方の人情を和わらげ,所謂両眼を開て他の所長を見るを得べし。人民の会議,社友の演説,道路の便利,出版の自由等,都てこの類の事に就て識者の眼を着する由縁も,この人民の交際を助るがために殊に之を重んずるものなり。

 都て事物の議論は人々の意見を述べたるものなれば固より一様なるべからず。意見高遠なれば議論も亦高遠なり,意見近浅なれば議論も亦近浅なり。その近浅なるものは,未だ議論の本位に達すること能わずして早く既に他の説を駁せんと欲し,これがため両説の方向を異にすることあり。譬えば今外国交際の利害を論ずるに,甲も開国の説なり,乙も開国の説にて,遽にこれを見れば甲乙の説符合するに似たれども,その甲なる者漸くその論説を詳にして頗る高遠の場合に至るに従い,その説漸く乙の耳に逆うて遂に双方の不和を生ずることあるが如き,是なり。蓋しこの乙なる者は所謂世間通常の人物にして通常の世論を唱え,その意見の及ぶ所近浅なるが故に,未だ議論の本位を明にすること能わず,遽に高尚なる言を聞て却てその方向を失うものなり。世間にその例少なからず。猶かの胃弱家が滋養物を喰い,これを消化すること能わずして却て病を増すが如し。この趣を一見すれば,或は高遠なる議論は世のために有害無益なるに似たれども,決して然らず。高遠の議論あらざれば後進の輩をして高遠の域に至らしむべき路なし。胃弱を恐れて滋養を廃しなば患者は遂に斃るべきなり。この心得違よりして古今世界に悲むべき一事を生ぜり。

 何れの国にても何れの時代にても,一世の人民を視るに,至愚なる者も甚だ少なく至智なる者も甚だ稀なり。唯世に多き者は,智愚の中間に居て世間と相移り罪もなく功もなく互に相雷同して一生を終る者なり。この輩を世間通常の人物と云う。所謂世論はこの輩の間に生ずる議論にて,正に当世の有様を模出し,前代を顧て退くこともなく,後世に向て先見もなく,恰も一処に止て動かざるが如きものなり。然るに今世間にこの輩の多くしてその衆口の喧しきがためにとて,その所見を以て天下の議論を画し,僅にこの画線の上に出るものあれば則ちこれを異端妄説と称し,強ひて画線の内に引入れて天下の議論を一直線の如くならしめんとする者あるは,果して何の心ぞや。若し斯くの如くならしめなば,かの智者なるものは国のために何等の用を為すべきや。後来を先見して文明の端を開かんとするには果して何人に依頼すべきや。思わざるの甚しきものなり。

 試に見よ,古来文明の進歩,その初は皆所謂異端妄説に起らざるものなし。「アダム・スミス」が始て経済の論を説きしときは世人皆これを妄説として駁したるに非ずや。「ガリレヲ」が始て地動の論を唱えしときは異端と称して罪せられたるに非ずや。異説争論年又年を重ね,世間通常の群民は恰も智者の鞭撻を受て知らず識らずその範囲に入り,今日の文明に至ては学校の童子と雖ども経済地動の論を怪む者なし。啻にこれを怪なざるのみならず,この議論の定則を疑うものあれば却てこれを愚人として世間に歯いせしめざるの勢に及べり。

 又近く一例を挙て云えば,今を去ること僅に十年,三百の諸候各一政府を設け,君臣上下の分を明にして生殺与奪の権を執り,その堅固なることこれを万歳に伝うべきが如くなりしもの,瞬間に瓦解して今の有様に変じ,今日と為りては世間にこれを怪む者なしと雖ども,若し十年前に当て諸藩士の内に廃藩置県等の説を唱る者あらば,その藩中にてこれを何とか云わん。立どころにその身を危うすること論を俟たざるなり。故に昔年の異端妄説は今世の通論なり,昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なるべし。学者宜しく世論の喧しきを憚らず,異端妄説の譏を恐るゝことなく,勇を振て我思う所の説を吐くべし。或は又他人の説を聞て我持論に適せざることあるも,よくその意の在る所を察して,容るべきものは之を容れ,容るべからざるものは暫くその向う所に任して,他日双方帰する所を一にするの時を待つべし。即是れ議論の本位を同うするの日なり。必ずしも他人の説を我範囲の内に籠絡して天下の議論を画一ならしめんと欲する勿れ。

 右の次第を以て事物の利害得失を論ずるには,先ずその利害得失の関る所を察してその軽重是非を明にせざるべからず。利害得失を論ずるは易しと雖ども,軽重是非を明にするは甚だ難し。一身の利害を以て天下の事を是非すべからず,一年の便不便を論じて百歳の謀を誤るべからず。多く古今の論説を聞き,博く世界の事情を知り,虚心平気以て至善の止まる所を明にし,千百の妨碍を犯して世論に束縛せらるゝことなく,高尚の地位を占めて前代を顧み,活眼を開て後世を先見せざるべからず。蓋し議論の本位を定めて之に達するの方法を明にし,満天下の人をして悉皆我所見に同じからしめんとするは,固より余輩の企る所に非ずと雖ども,敢て一言を掲て天下の人に問わん。今の時に当て,前に進まんか,後に退かんか,進て文明を逐わんか,退て野蛮に返らんか,唯進退の二字あるのみ。世人若し進まんと欲するの意あらば余輩の議論も亦見るべきものあらん。そのこれを実際に施すの方法を説くはこの書の趣旨に非ざれば之を人々の工夫に任するなり。

文明論之概略 巻之一 第二章 西洋の文明を目的とする事

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp