ふくざわゆきち | 福澤諭吉

文明論之概略 巻之六 第十章 自国の独立を論ず

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:17

文明論之概略 巻之六

第十章 自国の独立を論ず

 前の第八章第九章に於て,西洋諸国と日本との文明の由来を論じ,その全体の有様を察して之を比較すれば,日本の文明は西洋の文明よりも後れたるものと云わざるを得ず。文明に前後あれば前なる者は後なる者を制し,後なる者は前なる者に制せらるゝの理なり。昔鎖国の時に在ては,我人民は固より西洋諸国なるものをも知らざりしことなれども,今に至ては既にその国あるを知り,又その文明の有様を知り,その有様を我に比較して前後の別あるを知り,我文明の以て彼に及ばざるを知り,文明の後るゝ者は先だつ者に制せらるゝの理をも知るときは,その人民の心に先づ感ずる所のものは,自国の独立如何の一事に在らざるを得ず。

 抑も文明の物たるや極て広大にして,凡そ人類の精神の達する所は悉皆その区域にあらざるはなし。外国に対して自国の独立を謀るが如きは,固より文明論の中に於て瑣々たる一箇条に過ぎざれども,本書第二章に云える如く,文明の進歩には段々の度あるものなれば,その進歩の度に従て相当の処置なかるべからず。今我人民の心に自国の独立如何を感じて之を憂るは,即ち我国の文明の度は今正に自国の独立に就て心配するの地位に居り,その精神の達する所,恰もこの一局に限りて,未だ他を顧るに遑あらざるの証拠なり。故に余輩がこの文明論の末章に於て自国独立の一箇条を掲るも,蓋し人民一般の方向に従い,その精神の正に達する所に就て議論を立たるものなり。尽く文明の蘊奧を発してその詳なるを究るが如きは,之を他日後進の学者に任ずるのみ。

 昔し封建の時代には,人間の交際に君臣主従の間柄と云うもの有て世の中を支配し,幕府並に諸藩の士族が各その時の主人に力を尽すは勿論,遠く先祖の由来を忘れずして一向一心に御家の御ためを思い,その食を食む者はその事に死すとて,己が一命をも全く主家に属したるものとして,敢て自から之を自由にせず,主人は国の父母と称して,臣下を子の如く愛し,恩義の二字を以て上下の間を円く固く治めて,その間柄の美なること或は羨むべきものなきに非ず。或は真に忠臣義士に非ざるも,一般に義を貴ぶの風俗なれば,その風俗に従て自から身の品行を高尚に保つべきことあり。譬えば士族の間にてその子弟を誡るには,必ず身分又は家柄等の言葉を用い,侍の身分として鄙劣は出来ずと云い,或は先祖以来の家柄に対してと云い,或は御主人様に申訳けなしと云い,身分家柄御主人様は正しく士族の由るべき大道にして,終身の品行を維持する綱の如し。西洋の語に所謂「モラル・タイ」なるものなり。

 この風俗は唯士族と国君との間に行わるゝのみに非ず,普ねく日本全国の民間に染込みて,町人の仲間にも行われ,百姓の仲間にも行われ,穢多の仲間に於ても,非人の仲間に於ても,凡そ人間の交際あれば至大より至小に至るまで行渡らざる所なし。譬えば町人百姓に本家別家の義あり,穢多非人にも親分子分の別ありて,その義理の固きこと猶かの君臣の如く然り。

 この風俗を名けて或は君臣の義と云い,或は先祖の由緒と云い,或は上下の名分と云い,或は本末の差別と云い,その名称は何れにても,兎に角に日本開闢以来今日に至るまで人間の交際を支配して,今日までの文明を達したるものは,この風俗習慣の力にあらざるはなし。

 輓近外国人と交を結ぶに至て,我国の文明と彼の国の文明とを比較するに,その外形に見われたる技術工芸の彼に及ばざるは固より論を俟たず,人心の内部に至るまでもその趣を異にせり。西洋諸国の人民は智力活[溌]にして,身躬からよくその身を制し,その人間の交際は整斉にして事物に順序を備え,大は一国の経済より小は一家一身の処分に至るまで,迚も今の有様にては我日本人の企て及ぶ所に非ざるなり。概して云えば,西洋諸国は文明にして我日本は未だ文明に至らざること,今日に至て始て明にして,人の心に於て之を許さヾるものなし。

 是に於てか,世の識者,我日本の不文なる所以の源因を求めて,先ず第一番に之を我古風習慣の宜しからざるに帰し,乃ちこの古習を一掃せんとして専らその改革に手を着け,廃藩置県を始として都て旧物を廃し,大名も華族と為り,侍も貫属と為り,言路を開き人物を登用するの時節なれば,昔時五千石の大臣も兵卒と為り,一人扶持の足軽も県令と為り,数代両替渡世の豪商は身代限と為り,一文なしの博徒は御用達と為り,寺は宮と為り,僧侶は神官と為り,富貴福禄は唯人々の働次第にて,所謂功名自在,手に唾して取るべきの時節と為り,開闢以来我人民の心の底に染込たる恩義,由緒,名分,差別等の考は漸く消散して,働の一方に重心を偏し,無理によく之を名状すれば人心の活[溌]にして,今の世俗に云う所の文明駸々乎として進むの有様と為りたり。

 扨この功名自在文明駸々乎たるの有様にて,識者は注文通りの目的を達し,この文明の駸々乎を以て真の駸々乎と為して他に求る所なきやと尋るに,決して然らず。識者は今の文明を以て決して自から満足する者には非ざるべし。如何となれば,今の事物の有様にて我人民の品行に差響く所の趣を見るに,人民は恰も先祖伝来の重荷を卸し,未だ代りの荷物をば荷わずして休息する者の如くなればなり。その次第甚だ明なり。廃藩の後は大名と藩士との間に既に君臣の義なし。強いて窃にこの義を務めんとすれば,或は迂遠と云わるゝも申分けあるべからず。足軽が隊長と為りて前年の支配頭を指揮すれば,その号令には背くべからず。上下,処を異にして,制法厳なるが如くなれども,支配頭も唯銭をさえ出せば兵卒たるの役は免かるべし。故に足軽も得意にして隊長たるべし,支配頭も亦得意にして閑散たるべし。博徒が御用達と為て威張れば,身代限に為りたる町人は時勢を咎めてその身を責めず,亦気楽に世を渡るべし。神官が時を得たりとて得意の色を為せば,僧侶も公然と妻帯して亦得意の色を為せり。

 概して云えば今の時節は上下貴賤皆得意の色を為すべくして,貧乏の一事を除くの外は更に身心を窘るものなし。討死も損なり,敵討も空なり,師に出れば危し,腹を切れば痛たし。学問も仕官も唯銭のためのみ,銭さえあれば何事を勉めざるも可なり,銭の向う所は天下に敵なしとて,人の品行は銭を以て相場を立たるものゝ如し。この有様を以て昔の窮屈なる時代に比すれば,豈これを気楽なりと云わざるべけんや。故に云く,今の人民は重荷を卸して正に休息する者なり。

 然りと雖ども,休息とは何も為すべき仕事なき時の話なり。仕事を終るか,又は為すべき仕事なくして,休息するは尤のことなれども,今我邦の有様を見れば決して無事の日に非ず。然もその事は昔年に比して更に困難なる時節なり。世の識者も爰に心付かざるに非ず,必ず休息すべからざるの勢を知て,勉て人心を有為に導かんとし,学者は学校を設て人に教え,訳者は原書を訳して世に公布し,政府も人民も専ら文学技芸に力を尽して之を試れども,人民の品行に於て未だ著しき功能を見ず。学芸に身を委る者の趣を見るに,その科業は忙わしからざるに非ざれども,一片の本心に於て私有をも生命をも抛つべき場所と定めたる大切なる覚悟に至ては,或は忘れたるが如くして兎角心に関するものなく,安楽世界と云わざるを得ず。

 或る人々は爰に注意し,今人の所業を認めて之を浮薄と為し,その罪を忘古の二字に帰して,更に大義名分を興張し,以て古に復せんとして,乃ちその教を脩め,神世の古に証拠を求めて国体論なるものを唱え,この論を以て人心を維持せんことを企てたり。所謂皇学なるもの,是なり。この教も亦謂れなきに非ず。立君の国に於て君主を奉尊し,行政の権をこの君に附するは,固より事理の当然にして,政治上に於ても最も緊要なることなれば,尊王の説決して駁すべからずと雖ども,彼の皇学者流は尚一歩を進めて,君主を奉尊するに,その奉尊する由縁を政治上の得失に求めずして,之を人民懐古の至情に帰し,その誤るの甚しきに至ては,君主をして虚位を擁せしむるも之を厭わず,実を忘れて虚を悦ぶの弊なきを得ず。

 抑も人情の赴く所は一時の挙動を以て容易に変ずべきものに非ざれば,今人の至情に依頼して君主奉尊の教を達せんとするには,先ずその人情を変じ,旧を忘れて新に就かしめざるべからず。然るに我国の人民は数百年の間,天子あるを知らず,唯これを口碑に伝うるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖ども,王室と人民との間に至密の交情あるに非ず,その交際は政治上の関係のみにて,交情の疏密を論ずるときは,今の人民は鎌倉以来封建の君に牧せられたるものなれば,王室に対するよりも封建の旧君に対して親密ならざるを得ず。普天の下,唯一君の大義とて,その説は立つべしと雖ども,事の実際に就て之を視れば必ず行われざる所あるを知るべし。今の勢にては人民も旧を忘れて封建の君を思うの情は次第に消散するに似たりと雖ども,新に王室を慕うの至情を造り,之をして真に赤子の如くならしめんとするは,今世の人心と文明の有様とに於て頗る難きことにて,殆ど能すべからざるに帰すべし。

 或は人の説に,王制一新は人民懐古の情に基きしものにて,人情覇府を厭うて王室を慕いしことなりと云う者あれども,必竟事実を察せざるの説のみ。若し果してこの説の如く,人情真に旧を慕うものなれば,数百年来民心に染込たる覇政をこそ慕う筈なれ。凡そ今の世の士族その外の者にて先祖の由緒など唱るは,多くは鎌倉以後の世態に関係するものなり。覇政の由来も亦旧くして広きものと云うべし。或は又人情は旧を忘れて新を慕うものとすれば,王政の行われたるは覇政以前のことにて最も旧きものなれば,王覇両様に就て孰れを忘れんか,必ずその最も旧きものを忘るゝの理なり。

 或は又人心の王室に向うは時の新旧に由るに非ず,大義名分の然らしむるものなりとの説あれども,大義名分とは真実無妄の正理ならん。真実無妄の理は人間の須臾も離るべからざるものなり。然るに鎌倉以来人民の王室を知らざること殆ど七百年に近し。この七百年の星霜は如何なる時間なるや。この説に従えば七百年の間は人民皆方向を誤り,大義名分も地を払て尽きたる野蛮暗黒の世と云わざるを得ず。固より人事の泰否は一年又は数年の成行を見て決定すべきに非ずと雖ども,苟も人心を具して自から方向を誤つと知りながら,安ぞよく七百年の久しきに堪ゆべけんや。加之実際に就ても亦証すべきものあり。実にこの七百年の間は決して暴乱のみの世に非ず。今の文明の源を尋れば,十に七,八はこの年間に成長して今に伝えたる賜と云うべし。

 右の次第を以て考れば,王制一新の源因は人民の覇府を厭うて王室を慕うに由るに非ず,新を忘れて旧を思うに由るに非ず,百千年の間,忘却したる大義名分を俄に思出したるが為に非ず,唯当時幕府の政を改めんとするの人心に由て成たるものなり。一新の業既に成て,天下の政権,王室に帰すれば,日本国民として之を奉尊するは固より当務の職分なれども,人民と王室との間にあるものは唯政治上の関係のみ。その交情に至ては決して遽に造るべきものに非ず。強いて之を造らんとすればその目的をば達せずして,却て世間に偽君子の類を生じて益人情を軽薄に導くことあるべし。故に云く,皇学者流の国体論は,今の人心を維持してその品行を高尚の域に導くの具と為すに足らざるなり。

 又一種の学者は,今の人心の軽薄なるを患い,之を救うに国体論を以てするも功を奏すべからざるを知り,乃ち人の霊魂に依頼し,耶蘇の宗教を施して人心の非を糺し,安身立命の地位を与えて衆庶の方向を一にし,人類の当に由るべき大目的を定めんとするの説あり。この説も決して軽卒なる心より生じたるものに非ず。その説の本を尋るに,学者以為らく,今の人民を見れば百人は百人,皆その向う所を異にし,政治上の事に就て衆庶一定の説なきは勿論,宗教に至ても神か仏か定むべからず,甚しきは無宗旨と名くべき者もあり,人類に於て最も大切なる霊魂の止まる所をも知らず,安ぞ他の人事を顧るに遑あらん,天道を知らず,人倫を知らず,父子なく,夫婦なし,恰も是れ現在の地獄なれば,苟も世を憂る者はこの有様を救わざるべからず,又一方より考れば,宗教を以て一度び人心を維持するを得ば,衆庶の止まる所,始て爰に定り,拡て之を政治上に施さば,亦以て一国独立の基とも為るべしとの趣意なり。決して之を軽率なる妄説と云うべからず。実にこの道を以て今の士民を教化し,その心の非を糺して徳の門に入らしめ,仮令い天道の極度に達せざるも,父子夫婦の人倫を明にして孝行貞節の心を励まし,子弟教育の義務たるを知らしめ,蓄妄淫荒の悪事たるを弁えしむる等の如きは,世の文明に関してその功能の最も大なるものなれば,固より間然すべきものなしと雖ども,目今現に我国の有様に就て得失を論ずるときは,余は全くこの説に同意するを得ず。如何となれば彼の学者の臆測に,耶蘇の教を拡て之を政治上に及ぼし,以て一国独立の基を立てんとするの説に至て,少しく所見を異にする所あればなり。

 元来耶蘇の宗教は永遠無窮を目的と為し,幸福安全も永遠を期し,禍患疾苦も永遠を約し,現在の罪よりも未来の罪を恐れ,今生の裁判よりも後生の裁判を重んじ,結局今のこの世と未来の彼の世とを区別して論を立て,その説く所,常に洪大にして,他の学問とは全く趣を異にするものなり。一視同仁,四海兄弟と云えば,この地球は恰も一家の如く,地球上の人民は等しく兄弟の如くにして,その相交るの情に厚薄の差別あるべからず。四海既に一家の如くなれば,又何ぞ家内に境界を作るに及ばん。然るに今この地球を幾個に分ち,区々たる国界を設け,人民各その堺内に党与を結て一国人民と称し,その党与の便利のみを謀らんがためにとて政府を設け,甚しきは兇器を携えて界外の兄弟を殺し,界外の地面を奪い,商売の利を争うが如きは,決して之を宗教の旨と云うべからず。是等の悪業を見れば永遠後生の裁判は姑く擱き,現在今生の裁判も未だ不行届と云うべし。耶蘇の罪人なり。

 然りと雖ども,今世界中の有様を見れば処として建国ならざるはなし,建国として政府あらざるはなし。政府よく人民を保護し,人民よく商売を勤め,政府よく戦い,人民よく利を得れば,之を富国強兵と称し,その国民の自から誇るは勿論,他国の人も之を羨み,その富国強兵に傚わんとして勉強するは何ぞや。宗教の旨には背くと雖ども,世界の勢に於て止むを得ざるものなり。故に今日の文明にて世界各国互いの関係を問えば,その人民,私の交には,或は万里外の人を友として一見旧相識の如きものあるべしと雖ども,国と国との交際に至ては唯二箇条あるのみ。云く,平時は物を売買して互に利を争い,事あれば武器を以て相殺すなり。言葉を替えて云えば,今の世界は商売と戦争の世の中と名くるも可なり。固より戦争にも種類多くして,或は世に戦争を止るがために戦争する戦争もあらん。貿易も素と天地間の有無を互に通ずることにて最も公明なる仕事なれば,両様ともその素質に於て一概に之を悪事とのみ云うべからずと雖ども,今の世界に行わるゝ各国の戦争と貿易との情実を尋れば,宗教愛敵の極意より由て来りしものとは万々思うべからざるなり。 右の如く宗教の一方より光を照らして事を断じ,唯貿易と戦争と云えばその事甚だ粗野にして賤しむべきに似たれども,今の事物の有様に従て之を見れば又大に然らざるものあり。如何となれば貿易は利を争うの事なりと雖ども,腕力のみを以て能すべきものに非ず,必ず智恵の仕事なれば,今の人民に向ては之を許さヾるべからず。且外に貿易せんとするには内に勉めざるべからざるが故に,貿易の盛なるは内国の人民に智見を開き,文学技芸の盛に行われてその余光を外に放たるものにて,国の繁栄の徴候と云うべければなり。戦争も亦然り。単に之を殺人の術と云えば悪むべきが如くなれども,今直に無名の師を起さんとする者あれば,仮令い今の不十分なる文明の有様にても,不十分は不十分のまゝに,或は条約の明文あり,或は談判の掛引あり,万国の公法もあり,学者の議論もありて,容易にその妄挙を許さず。又或は唯利のために非ずして,国の栄辱のため,道理のためにとて起す師もなきに非ず。故に殺人争利の名は宗教の旨に対して穢らわしく,教敵たるの名は免かれ難しと雖ども,今の文明の有様に於ては止むを得ざるの勢にて,戦争は独立国の権義を伸ばすの術にして,貿易は国の光を放つの徴候と云わざるを得ず。

 自国の権義を伸ばし,自国の民を富まし,自国の智徳を脩め,自国の名誉を燿かさんとして勉強する者を,報国の民と称し,その心を名けて報国心と云う。その眼目は他国に対して自他の差別を作り,仮令い他を害するの意なきも,自から厚くして他を薄くし,自国は自国にて自から独立せんとすることなり。故に報国心は一人の身に私するには非ざれども,一国に私するの心なり。即ちこの地球を幾個に区分してその区内に党与を結び,その党与の便利を謀て自から私する偏頗の心なり。故に報国心と偏頗心とは名を異にして実を同うするものと云わざるを得ず。この一段に至て,一視同仁四海兄弟の大義と報国尽忠建国独立の大義とは,互に相戻て相容れざるを覚るなり。故に宗教を拡て政治上に及ぼし,以て一国独立の基を立てんとするの説は,考の条理を誤るものと云うべし。宗教は一身の私徳に関係するのみにて,建国独立の精神とはその赴く所を異にするものなれば,仮令いこの教を以て人民の心を維持するを得るも,その人民と共に国を守るの一事に至ては果して大なる功能あるべからず。概して今の世界各国の有様と宗教の趣意とを比較すれば,宗教は洪大なるに過ぎ,善美なるに過ぎ,高遠なるに過ぎ,公平なるに過ぎ,各国対立の有様は狭隘なるに過ぎ,鄙劣なるに過ぎ,浅見なるに過ぎ,偏頗なるに過ぎて,両ながら相接すること能わざるなり。

 又一種の漢学者はその所見稍や広くして,皇学者流の如く唯壞古の情に依頼するのみには非ざれども,結局その眼目は礼楽征伐を以て下民を御するの流儀にて,情実と法律と相半して民心を維持せんとするものなれば,迚も今の世の有様に適すべからず。若しその説をして行われしめなば,人民は唯政府あるを知て民あるを知らず,官あるを知て私あるを知らず,却て益卑屈に陷て,遂に一般の品行を高尚にするの場合には至るべからず。この事に就ては本書第七章及び第九章に所論あれば今爰に贅せず。

 以上所論の如く,方今我邦の事情困難なりと雖ども,人民は更にこの困難を覚えず,恰も旧来の覊絆を脱して却て安楽なるが如き有様なれば,有志の士君子,深く之を憂い,或る皇学者は国体論を唱え,或る洋学者は耶蘇教を入れんとし,又或る漢学者は尭舜の道を主張し,如何にもして民心を維持してその向う所を一にし,以て我邦の独立を保たんとて,各勉る所ありと雖ども,今日に至るまで一も功を奏したるものなし,又後日に至ても一も功を奏すべきものなし。豈長大息すべきに非ずや。是に於てか余輩も亦聊か平生の所見を述べざるを得ず。

 都て事物を論ずるには,先ずその事物の名と性質とを詳にして,然る後に之を処分するの術を得べし。譬えば火事を防ぐには,先ず火の性質を知り,水を以て之を消すべきを詳にして,然る後に消防の術を得べきが如し。今我国の事態困難なりと云うと雖ども,その困難とは抑も亦何等の箇条を指して云うや。政令行われざるに非ず,租税納めざるに非ず,人民頓に無智に陷りたるに非ず,官員皆愚にして不正なるに非ず。是等の件々を枚挙すれば日本は依然たる旧の日本にして更に変動あることなく,更に憂うべきものあるを見ず,或は前日の有様に比較すれば新に面目を改めて善に進たりと云うも可なり。然るに我国の事態を前年に比すれば更に困難にして一層の憂患を増すとは,果して何等の箇条を指して何等の困難事を憂ることなるや,之を質さヾるべからず。按ずるにこの困難事は我祖先より伝来のものに非ず,必ず近来俄に生じたる病にて,既に我国命貴要の部を犯し,之を除かんとして除くべからず,之を療せんとして医薬に乏しく,到底我国従来の生力を以て抗抵すべからざるものならん。如何となれば,依然たる日本国にして旧に異なることなくば之に安心すべき筈なれども,特に之を憂るは必ず別に新に憂うべき病を生じたるの証なり。世の識者の憂患する所も必ずこの病に在ること断じて知るべしと雖ども,識者はこの病を指して何と名るや。余輩は之を外国交際と名るなり。

 世の識者は明にこの病に名を下だして外国交際と云わざるにもせよ,その憂る所は正しく余輩と同様にして,今の外国交際の困難を憂るものなれば,先づ爰に物の名は定りたり。次で又その物の性質を詳にせざるべからず。抑も外国人の我日本に来るは唯貿易のためのみ。而して今日本と外国との間に行わるゝ貿易の有様を視るに,西洋諸国は物を製するの国にして,日本は物を産するの国なり。物を製するとは天然の物に人工を加ることにて,譬えば綿を変じて織物と為し,鉄を製して刃物と為すが如し。物を産するとは天然の力に依頼して素質の物を産するを云う。日本にて生糸を産し,鉱品を掘出すが如し。故に今仮に名を下だして,西洋諸国を製物の国と名け,日本を産物の国と名く。固より製物と産物とはその分界明に限り難しと雖ども,甲は人力を用ること多く,乙は天力に依頼すること多きを以て,名を異にするものなり。扨経済の道に於て,一国の貧富は天然に生ずる物産の多寡に関係すること思の外に少なくして,その実は専ら人力を用るの多少と巧拙とに由るものなり。土地肥饒なる印度の貧にして,物産なき荷蘭の富むが如し。故に製物国と産物国との貿易に於ては,甲は無形無限の人力を用い,乙は有形有限の産物を用いて,力と物とを互に交易するものなり。細に之を云えば,産物国の人民労すべき手足と智恵とを労せずして,製物国の人を海外に雇い置き,その手足と智恵とを借用して之を労せしめ,その労の代として自国に産する天然の物を与うることなり。又これを譬えば宛行三百石,家族十人の侍が,安楽逸居して何事をも為さず,朝夕の飮食は仕出し屋より取り,夏冬の衣服は呉服屋より買い,世帯に入用なるものは一より十に至るまで悉く市中に出来上りたる物を買立てゝ,その代として毎年三百石の米を遣払うが如し。三百石の米は恰も天然の物産なれども,年々の遣払いにて迚も蓄財の目途はあるべからず。方今我日本と外国との貿易の有様を論ずれば,その大略斯の如し。結局我国の損亡と云わざるを得ず。

 又西洋諸国は製物を以て既にその富を致し,日新文明の功徳に由て人口年に繁殖し,英国の如きは今正にその極度に達したるものと云うべし。亜米利加合衆国の人民も英人の子孫なり,「アウスタラリヤ」に在る白人も英より移りたるものなり,東印度にも英人あり,西印度にも英人あり,その数殆ど計るべからず。仮に今世界中に散在せる英人と,数百年来英国より出たる者の子孫とを集めて,その本国たる今の大不列[顛]及び「アイルランド」の地に帰らしめ,現在の英人三千余万の人民と同処に住居せしむることあらば,全国に生ずる物を以て衣食に足らざるは固より論を俟たず,過半の平地は家を建るがために占めらるゝことならん。文明次第に進て人事の都合宜しければ人口の繁殖すること以て知るべし。子を生むの一事は人も鼠も異なることなし。鼠はその身を保護すること能わずして,或は飢寒に死し或は猫に捕るゝに由て,その繁殖も甚しからずと雖ども,人事の都合宜しくして飢寒,戦争,流行病の患少なければ,人の繁殖は所謂鼠算の割合に増すの理にて,欧羅巴中の古国にては既にその始末に困却せり。

 彼の国経済家の説にて,この患を防ぐの策は,第一,自国の製造物を輸出して,土地の豊饒なる国より衣食の品を輸入することなり。第二,自国の人民を海外の地に移して殖民することなり。この第一策は限ある仕事にて未だ十分に患を救うに足らず,第二策は大に財本に費す仕事にて或は功を奏せざることあり。故に第三策は,外国に資本を貸してその利益を取り,以て自国の用に供することなり。蓋し人を海外の地に移すには既に開けたる地方を最も良とすと雖ども,開けたる地には自から建国政府ありて,その人民にも一種の習慣風俗を備え,他国より来てその中心に入り之と雑居して便利を得んとするも,容易に成すべきことに非ず。唯一の手掛りはその海外の国なるもの,未だ勤工の術を知らずして富を得ず,資本に乏しくして力役の人多く,之がために金の利足貴ければ,本国に余ある元金を齎らしてこの貧国に貸付け,労せずして利益を取るの術なり。言を替えて云えば,人を雑居せしめずして金を雑居せしむるの法なり。人は習慣風俗に由てその雑居容易ならずと雖ども,金なれば自国の金にても他国の金にてもその目撃する所に差別なきが故に,之を用る者は唯利足の高下を問い,甘んじて他国の金を融通し,識らず知らずして他国の人に金利を払うことなり。金主の名案と云うべし。方今日本にても既に若干の外債あり,その利害得失を察せざるべからず。

 抑も文明の国と未開の国とを比較すれば,生計の有様,全くその趣を異にし,文明次第に進むに随てその費用も亦随て洪大なれば,仮令い人口繁殖の患は之を外にするも,平常の生計に於てその費用の一部は必ず他に求めざるべからず。そのこれを求る所は即ち下流の未開国なれば,世界の貧は悉く下流に帰すと云うべし。文明国の資本を借用してその利足を払うは,貧の正に下流に帰してその形に見われたるものなり。故に資本の貸借は必ずしも人口繁殖の一事のみに関係するものに非ざれども,今特にこの事を挙げたるは,唯学者の了解に便ならしめんがために,西洋人の利を争わざるべからざる一の明なる原因を示したるのみ。

 右は外国交際の性質に就きその理財上の損徳を論じたるものなり。今又この交際に由て我人民の品行に差響く所のものを示さん。近来我国人も大に面目を改め,人民同権の説は殆ど天下に洽ねくして之に異論を入るゝ者はなきが如し。蓋し人民同権とは唯一国内の人々互に権を同うすると云う義のみに非ず。此国の人と彼国の人と相対しても之を同うし,此国と彼国と対しても之を同うし,その有様の貧富強弱に拘わらず,権義は正しく同一なるべしとの趣意なり。然るに外国人の我国に来て通商を始めしより以来,その条約書の面には彼我同等の明文あるも,交際の実地に就て之を見れば決して然らず。社友小幡君の著述,民間雑誌第八編に云えることあり。

 前略,米国の我国に通信を開くや,水師提督「ペルリ」をして一隊の軍艦を率いて我内海に驀入せしめ,我に強るに通信交易の事を以てし,而してその口実とする所は,同じく天を戴き同じく地を踏て共に是れ四海の兄弟なり,然るに独り人を拒絶して相容れざるものは天の罪人なれば,仮令い之と戦うも通信貿易を開かざるべからずとの趣意なり。何ぞその言の美にしてその事の醜なるや。言行齟齬するの甚しきものと云うべし。この際の形容を除てその事実のみを直言すれば,我と商売せざる者は之を殺すと云うに過ぎず。 中略 今試に都下の景況を見よ。馬に騎し車に乗て意気揚々,人を避けしむる者は,多くは是れ洋外の人なり。偶ま邏卒なり行人なり,或は御者車夫の徒なり,之と口論を生ずることあれば,洋人は傍に人なきが如く,手以て打ち足以て蹴るも,怯弱卑屈の人民これに応ずるの気力なく,外人如何ともすべからずとて,怒を呑て訴訟の庭に往かざる者も亦少なからず。或は商売取引等の事に付き之を訴ることあるも,五港の地に行て結局彼国人の裁判に決するの勢なれば,果してその冤を伸る能わず,是を以て人々相語て云く,寧ろ訴て冤を重ねんより,若かず怒を呑むの易きにとて,その状恰も弱少の新婦が老悍の姑側に在るが如し。外人は既に斯の如き勢力を蓄え,又財貨饒なる国より財貨乏しき国に来てその費用する所多きがため,利に走るの徒は皆争て之に媚を献じ,以てその嚢中を満たさんとす。故に外人の到る所は温泉場も宿駅も茶亭も酒店も一種軽薄の人情を釀成し,事理の曲直を顧みずして銭の多寡を問い,既に傍若無人なる外人をして益その妄慢を逞うせしむるが如きは,一見以て厭悪するに堪えたりと。

 以上小幡君の議論にて真に余が心を得たるものなり。この他外国人との交際に付ては,居留地の関係あり,内地旅行の関係あり,外人雇入の関係あり,出入港税の関係あり。この諸件に付き,仮令い表向は各国対立彼我同権の体裁あるも,その実は同等同権の旨を尽したりと云うべからず。外国に対して既に同権の旨を失い,之に注意する者あらざれば,我国民の品行は日に卑屈に赴かざるを得ざるなり。

 前に云える如く,近来は世上に人民同権の説を唱る者多く,或は華士族の名称をも廃して全国に同権の趣旨を明にし,以て人民の品行を興起してその卑屈の旧習を一掃せざるべからずと云う者あり。その議論雄爽,人をして快然たらしむと雖ども,独り外国の交際に就てはこの同権の説を唱る者少なきは何ぞや。華士族と云い平民と云うも,等しく日本国内の人民なり。然るもその間に権力の不平均あれば,尚且これを害なりとして平等の地位に置かんことを勉めり。然るに今利害を別にし,人情を異にし,言語風俗,面色骨格に至るまでも相同じからざる,この万里外の外国人に対して,権力の不平均を患えざるは抑も亦何の由縁なるや。突々怪事と云うべし。その由縁は必ず種々様々なるべしと雖ども,余輩の所見にてその最も著しきもの二箇条を得たり。即ち第一条は世に同権の説を唱る者,その論説に就き未だ深切なる場合に至らざることなり。第二条は外国の交際日浅くして,未だその害の大なるものを見ざることなり。左に之を論ぜん。

 第一条 今の世に人民同権の説を唱る者少なからずと雖ども,そのこれを唱る者は大概皆学者流の人にして,即ち士族なり,国内中人以上の人なり,嘗て特権を有したる人なり,嘗て権力なくして人に窘められたる人に非ず,権力を握て人を窘めたる人なり。故にその同権の説を唱るの際に当て,或は隔靴の歎なきを得ず。譬えば自から喰わざれば物の真味は得て知るべからず,自から入牢したる者に非ざれば牢内の真の艱苦は語るべからざるが如し。今仮に国内の百姓町人をして智力あらしめ,その嘗て有権者のために窘められて骨髄に徹したる憤怒の趣を語らしめ,その時の細密なる事情を聞くことあらば,始て真の同権論の切なるものを得べしと雖ども,無智無勇の人民,或は嘗て怒るべき事に遭うもその怒るべき所以を知らず,或は心に之を怒るも口に之を語ることを知らずして,傍よりその事情を詳にすべき手掛り甚だ稀なり。加之今日に於ても,世の中には権力不平均のために憤怒怨懣の情を抱く者必ず多からんと雖ども,明に之を知るべからず。唯我輩の心を以てその内情を察するのみ。故に今の同権論は到底これを人の推量臆測より出たるものと云わざるを得ず。学者若し同権の本旨を探てその議論の確実なるものを得んと欲せば,之を他に求むべからず,必ず自からその身に復して,少年の時より今日に至るまで自身当局の経験を反顧して発明することあるべし。如何なる身分の人にても,如何なる華族士族にても,細にその身の経験を吟味せば,生涯の中には必ず権力偏重の局に当て嘗て不平を抱きしことあるべければ,その不平憤懣の実情は之を他人に求めずして自からその身に問わざるべからず。

 近く余が身に覚えあることを以て一例を示さん。余は元と生れながら幕府の時代に無力なる譜代の小藩中の小臣なり。その藩中に在るとき,歴々の大臣士族に接すれば,常に蔑視せられて,子供心にも不平なきを得ざりしと雖ども,この不平の真の情実は小臣たる余輩の仲間に非ざれば之を知らず。彼の大臣士族は今日に至ても或は之を想像すること能わざるべし。或は又藩地を出でゝ旅行するとき,公卿幕吏御三家の家来等に出[逢]えば,宿駅に駕籠を奪われ,川場に先を越され,或は旅籠屋に相宿を許されずして,夜中俄に放逐せられたることもあり。この時の事情,目今に至ては唯一笑に属すと雖ども,現にその事に当たる時の憤懣は今尚これを想像すべし。而してこの憤懣は唯譜代大名の家来たる我輩の身に覚えあるのみにて,この憤懣を生ぜしめたる公卿幕吏御三家の家来は漠然として之を知らず。仮令い漠然たらざるも僅に他の憤懣を推量臆測するに過ぎざるのみ。然りと雖ども結局余も亦日本国中に在ては中人以上士族の列に居たる者なれば,自分の身分より以上の者に対してこそ不平を抱くことを知れども,以下の百姓町人に向ては必ず不平を抱かしめたることもあるべし。唯自から之を知らざるのみ。世上にこの類の事は甚だ多し。何れにもその局に当らざればその事の真の情実は知るべからざるものなり。

 是に由て考れば,今の同権論はその所論或は正確なるが如くなるも,主人自から論ずるの論に非ずして,人のために推量臆測したる客論なれば,曲情の緻密を尽したるものに非ず。故に権力不平均の害を述るに当て,自から粗鹵迂遠の弊なきを得ず。国内に之を論ずるに於ても尚且粗鹵にして洩らす所多し。況や之を拡て外国の交際に及ぼし,外人と権力を争わんとするの事に於てをや。未だ之を謀るに遑あらざるなり。他日若しこの輩をして現にその局に当らしめ,博く西洋諸国の人に接して親しく権力を争うの時節と為り,その軽侮を蒙ること我百姓町人が士族に窘めらるゝが如く,譜代小藩の家中が公卿幕吏御三家の家来に辱しめらるゝが如き場合に至らば,始て今の同権論の迂遠なるを知り,権力不平均の厭うべく悪むべく怒るべく悲むべきを悟ることならん。加之昔の公卿幕吏士族の輩は仮令い無礼妄慢なるも,等しく国内の人にして且智力乏しき者なれば,平民は之に遇するに敬して遠くるの術を用い,陽に之を尊崇して陰にその銭を奪う等の策なきに非ず。固より悪策なりと雖ども,聊か不平を慰るの方便たりしことあれども,今の外人の狡猾慓悍なるは公卿幕吏の比に非ず。その智以て人を欺くべし,その辯以て人を誣ゆべし,争うに勇あり,闘うに力あり,智弁勇力を兼備したる一種法外の華士族と云うも可なり。万々一も,これが制御の下に居て束縛を蒙ることあらば,その残刻の密なること恰も空気の流通をも許さヾるが如くして,我日本の人民は,これに窒塞するに至るべし。今よりこの有様を想像すれば,渾身忽ち悚然として毛髪の聳つを覚るに非ずや。

 爰に我日本の殷鑑として印度の一例を示さん。英人が東印度の地方を支配するにその処置の無情残刻なる実に云うに忍びざるものあり。その一,二を挙れば,印度の政府に人物を採用するには英人も土人も同様の権利を有し,才学を吟味して用るの法なり。然るにこの土人を吟味するには十八歳以下の者を限り,その吟味の箇条は固より英書を読て英の事情に通ずるに非ざれば叶わざることなるゆえ,土人は十八歳の年齡に及ぶまでに,先ず自国の学問を終り兼て英学を勉強して,その英学の力を以て英人と相対し,英人の右に出るに非ざれば及第するを得ず。或は一年を過ぎて十九歳の時に成業する者あるも,年齡に限あれば才学を問わず人物を論ぜずして之を用に適せざる者と為し,一切官途に就て地方の事に参与するを許さず。英人はこの無情なる苛法を以て尚足れりとせず,吟味を行うの場所を必ず英の本国「ロンドン」に定め,故さらに土人をして万里の波濤を越えて「ロンドン」まで出張せしむるの法を設けたり。故に土人は十八歳の時既に吟味を受けて及第すべき学力を有するも,多分の金を費して遠路を往来せざれば官に就くべからざるの仕掛に制せられて,学力の深浅に拘わらず,家産に富まざれば官途に由なし。或は稀に奮発する者ありて旅費を抛ち「ロンドン」に行て吟味を受るも,不幸にして落第すれば徒に家産を破るのみ。その不便利なること譬えんに物なり。英の暴政,妙を得たりと云うべし。○又印度の政府にて裁判するに,参坐の者は土人を用いず,必ず英人に限るを法とす。【(この部分二段組み)「ジュ-リ」のことなり。西洋事情第三卷英国の条第九葉に出。】或る時,一の英人,印度の地方に於て鉄砲を以て土人を打殺したるに付き訴訟と為りしかば,被告人の申分に,何か一個の動物を見掛け,之を猿と認めて発砲したるが,猿には非ずして人なりしことならんとの答にて,参坐一列の面々も更に異議なく,被告人は無罪に決したりと云う。

 近来「ロンドン」にて数名の学者,私に社を結て印度の有様を改革せんとて尽力する者あり。前条の愁訴は千八百七十四年の春,或る印度人よりこの社へ呈したる書中に記せしものなりとて,余が旧友,当時在「ロンドン」馬場辰猪君の報告なり。馬場氏は現にこの会社にも出席して親しくその事情を聞見し,この類の事は枚挙に遑あらずと云う。

 第二条 外国人の我国に通信するや[茲]に僅に二十年,五港を開くと雖ども輸出入の品も少なくして,外人の輻輳する所は横浜を第一とし,神戸之に亜ぎ,自余の三港は計るに足らず。条約面の約束に従い,各港に居留地を設けて,内外人民の住居に界を限り,外人旅行の地は港より各方に十里と定めて,この定限の外は特別の許可あらざれば往来を得せしめず,この他不動産の売買,金銀の貸借等に就ても,法を設けて内外の別を限ること多きが故に,今日に至るまで双方の交際は漸く繁盛に赴くと雖ども,内外人民の相触るゝこと甚だ少く,仮令い或はその交際に付き我人民に曲を蒙て不平を抱く者あるも,その者は大概皆開港場近傍の人民に止まりて,世間一般の風聞に伝るものは甚だ稀なり。且開港の初より政治上の係る交際の事務は政府一手の関する所にて,人民は嘗てその如何の状を知ることなし。生麦の一件に付き十万「ポンド」,下の関の償金三百万「ドルラル」,旧幕府の時代に亜国へ軍艦を注文し,仏国人に条約を結て横須賀の製造局を開き,維新以後も砲艦を買入れ,灯明台を建て,鉄道を造り,電信線を掛け,外債を募り,外人を雇う等,その交際甚だ煩わしくして,その間には或は全く我に曲を蒙らざるも無拠談判の機にて銭を損したることもあらん。結局彼の方に万々損害の患なきは明にして,我方に十分の利益と面目とを得たるや否は極て疑わしきことなれども,政府の独り関する所なれば人民は未だ之を知らず,啻に下賤の群民これを知らざるのみならず,学者士君子,又は政府の官員と雖ども,その事に与らざる者は之を知るべきの手掛りあるべからず。故に我国の人民は外国交際に付き,内外の権力果して平均するや否を知らず,我に曲を蒙りたるや否を知らず,利害を知らず,得失を知らず,恬として他国の事を見るが如し。是即ち我国人の外国に対して権力を争わざる一の源因なり。蓋し之を知らざる者は之を憂るに由なければなり。

 抑も外人の我国に来るは日尚浅し。且今日に至るまで我に著しき大害を加えて我面目を奪うたることもあらざれば,人民の心に感ずるもの少なしと雖ども,苟も国を憂るの赤心あらん者は,聞見を博くして世界古今の事跡を察せざるべからず。今の亜米利加は元と誰の国なるや。その国の主人たる「インヂヤン」は,白人のために逐われて,主客処を異にしたるに非ずや。故に今の亜米利加の文明は白人の文明なり,亜米利加の文明と云うべからず。この他東洋の国々及び大洋洲諸島の有様は如何ん,欧人の触るゝ処にてよくその本国の権義と利益とを全うして真の独立を保つものありや。「ペルシャ」は如何ん,印度は如何ん,邏暹は如何ん,呂宋呱哇は如何ん。「サンドウ[ヰ]チ」島は千七百七十八年英の「カピタン・コツク」の発見せし所にて,その開化は近傍の諸島に比して最も速なるものと称せり。然るに発見のとき人口三,四十万なりしもの,千八百二十三年に至て僅に十四万口を残したりと云う。五十年の間に人口の減少すること大凡そ毎年百分の八なり。人口の増減には種々の源因もあるべければ姑く之を擱き,その開化と称するものは何事なるや。唯この島の野民が人肉を喰うの悪事を止め,よく白人の奴隷に適したるを指して云うのみ。支那の如きは国土も洪大なれば,未だその内地に入込むを得ずして,欧人の跡は唯海岸にのみありと雖ども,今後の成行を推察すれば,支那帝国も正に欧人の田園たるに過ぎず。欧人の触るゝ所は恰も土地の生力を絶ち,草も木もその成長を遂ること能わず。甚しきはその人種を殲すに至るものあり。是等の事跡を明にして,我日本も東洋の一国たるを知らば,仮令い今日に至るまで外国交際に付き甚しき害を蒙たることなきも,後日の禍は恐れざるべからず。

 以上記す所のもの果して是ならば,我日本に於ける外国交際の性質は,理財上に論ずるも権義上に論ずるも至困至難の大事件にして,国命貴要の部分を犯したる痼疾と云うべし。而してこの痼疾は我全国の人民一般の所患なれば,人民一般にて自からその療法を求めざるべからず。病の進むも自家の事なり,病の退くも自家の事なり。利害得失悉皆我に在ることにて,毫も他を頼むべからざるものなり。思想浅き人は輓近世の有様の旧に異なるを見て之を文明と名け,我文明は外国交際の賜なれば,その交際愈盛なれば世の文明も共に進歩すべしとて,之を喜ぶ者なきに非ざれども,その文明と名るものは唯外形の体裁のみ。固より余輩の願う所に非ず。仮令い或はその文明をして頗る高尚のものならしむるも,全国人民の間に一片の独立心あらざれば文明も我国の用を為さず,之を日本の文明と名くべからざるなり。

 地理学に於ては土地山川を以て国と名れども,余輩の論ずる所にては土地と人民とを併せて之を国と名け,その国の独立と云いその国の文明と云うは,その人民相集て自からその国を保護し自からその権義と面目とを全うするものを指して名を下だすことなり。若し然らずして国の独立文明は唯土地に附して人に関せざるものとせば,今の亜米利加の文明を見て「インヂヤン」のために祝すべきの理なり。或は又我日本にても,政治学術等の諸件を挙て之を文明なる欧人に附与し,我日本人は奴隷と為て使役せらるゝも,日本の土地に差響あることなくして,然も今の日本の有様よりも数百等を擢でたる独立の文明国と為らん。不都合至極なるものと云うべし。

 又或る学者の説に云く,各国交際は天地の公道に基きたるものなり,必ずしも相害するの趣意に非ざれば,自由に貿易し,自由に往来し,唯天然に任すべきのみ。若し或は我権義を損し我利益を失うことあらば,その然る所以の源因は我に求めざるべからず,自から脩めずして人に多を求るは理の宜きものに非ず,今日既に諸外国と和交する上は飽まで誠意を尽してその交誼を全うすべきなり,毫も疑念を抱くべからずと。

 この説真に然り。一人と一人との私交に於ては真に斯の如くなるべしと雖ども,各国の交際と人々の私交とは全く趣を異にするものなり。昔し封建の時代に行われたる諸藩の交際なるものを知らずや,各藩の人民必ずしも不正者に非ざれども,藩と藩との附合に於ては各自から私するを免かれず。その私や藩外に対しては私なれども,藩内に在ては公と云わざるを得ず。所謂各藩の情実なるものなり。この私の情実は天地の公道を唱て除くべきに非ず,藩のあらん限りは藩と共に存して無窮に伝うべきものなり。数年前廃藩の一挙を以て始めて之を払い,今日に至ては諸藩の人民も漸く旧の藩情を脱するものゝ如しと雖ども,藩の存する間は決して咎むべからざりしことなり。

 僅に日本国内の諸藩に於ても尚且斯の如し。然るに東西県隔,殊域の外国人に対して,その交際に天地の公道を頼にするとは果して何の心ぞや。迂闊も亦甚し。俗に所謂結構人の議論と云うべきのみ。天地の公道は固より慕うべきものなり,西洋各国よくこの公道に従て我に接せんか,我亦甘んじて之に応ずべし,決して之を辞するに非ず。若し夫れ果して然らば,先ず世界中の政府を廃すること我旧藩を廃したるが如くせざるべからず。学者こゝに見込あるや。若しその見込なくば,世界中に国を立てゝ政府のあらん限りは,その国民の私情を除くの術あるべからず。その私情を除くべきの術あらざれば,我も亦これに接するに私情を以てせざるべからず。即是れ偏頗心と報国心と異名同実なる所以なり。

 右の如く外国交際は我国の一大難病にして,之を療するに当て,自国の人民に非ざれば頼むべきものなし。その任大にしてその責重しと云うべし。即ちこの章の初に云える,我国は無事の日に非ず,然もその事は昔年に比して更に困難なりとは,正に外国交際のこの困難病のことなり。一片の本心に於て私有をも生命をも抛つべき場所とは,正に外国交際のこの場所なり。然ば即ち今の日本人にして安ぞ気楽に日を消すべけんや,安ぞ無為に休息すべけんや。開闢以来君臣の義,先祖の由緒,上下の名分,本末の差別と云いしもの,今日に至ては本国の義と為り,本国の由緒と為り,内外の名分と為り,内外の差別と為りて,幾倍の重大を増したるに非ずや。

 在昔封建の時代に,薩摩の島津氏と日向の伊東氏と宿怨ありて,伊東氏の臣民は深く薩摩を仇とし,毎年の元旦に群臣登城すれば先ず相互に戒めて,薩の仇怨を忘るゝ勿れと云て,然る後に正を賀するを以て例と為すとの話あり。又欧羅巴にて仏国帝第一世「ナポレオン」の時,孛魯士は仏のために破られて未曾有の恥辱を蒙り,爾後孛人は深く遺恨を抱て復讐の念常に絶ることなく,之がために国民の勉励するは勿論,就中国内の寺院その他衆庶の群集する場所には,前年孛人が大敗を取て辱を蒙り,その忿るべく悲むべき有様を図画に写して額に掲る等,様々の術を尽して人心を激せしめ,その向う所を一にして以て復讐を図り,遂に千八百七十年に至て旧怨を報じたりと云う。是等の事は何れも皆怨恨不良の心より生ずるものにて,直にその事柄を美として称誉すべきには非ざれども,国を守るの難くして人民の苦心する有様は以て知るべし。我日本も外国の交際に於ては未だ伊東氏及び孛国の苦を嘗たることなしと雖ども,印度その他の先例を見て之を戒ること伊東氏の如く又孛国の如くせざるべからず。或は元旦一度に非ずして,国民たる者は毎朝相戒めて,外国交際に油断すべからずと云て,然る後に朝飯を喫するも可ならん。

 是に由て考れば,日本人は祖先伝来の重荷を卸して,代りの荷物を得ざるに非ず,その荷物は現に頭上に懸て,然も旧の物より幾百倍の重さを増して,正に之を担うべきの責に当り,昔日に比すれば亦幾百倍の力を尽さヾるべからず。昔の担当は唯窮屈に堪るのみのことなりしが,今の担当は窮屈に兼て又活[溌]なるを要す。人民の品行を高くするとは,即ちこの窮屈なる脩身の徳義と活[溌]々地の働とに在るものなり。然るに今この荷物を引受け尚且身に安楽を覚るものは,唯その物の性質と軽重とを知らずして之に心を留めざりしのみ。或は之に心を留るも,之を担うに法を誤りたるものなり。譬えば世に外国人を悪む者なきに非ず,されどもそのこれを悪むや趣意を誤り,悪むべきを悪まずして悪むべからざるを悪み,猜疑嫉妬の念を抱て眼前の細事を忿り,小は暗殺,大は攘夷,以て自国の大害を釀す者あり。この輩は一種の癲狂にて,恰も大病国中の病人と名くべきのみ。

 又一種の憂国者は攘夷家に比すれば少しく所見を高くして,妄に外人を払わんとするには非ざれども,外国交際の困難を見てその源因を唯兵力の不足に帰し,我に兵備をさえ盛にすれば対立の勢を得べしとて,或は海陸軍の資本を増さんと云い,或は巨艦大砲を買わんと云い,或は台場を築かんと云い,或は武庫を建てんと云う者あり。その意の在る所を察するに,英に千艘の軍艦あり,我にも千艘の軍艦あれば,必ず之に対敵すべきものと思うが如し。必竟事物の割合を知らざる者の考なり。英に千艘の軍艦あるは,唯軍艦のみ千艘を所持するに非ず,千の軍艦あれば万の商売船もあらん,万の商売船あれば十万人の航海者もあらん,航海者を作るには学問もなかるべからず,学者も多く商人も多く,法律も整い商売も繁昌し,人間交際の事物具足して,恰も千艘の軍艦に相応すべき有様に至て,始て千艘の軍艦あるべきなり。武庫も台場も皆斯の如く,他の諸件に比して割合なかるべからず。割合に適せざれば利器も用を為さず,譬えば裏表に戸締りもなくして家内浪藉なるその家の門前に,二十「インチ」の大砲一坐を備そなうるも盜賊の防禦に適すべからざるが如し。

 武力偏重なる国に於ては,動もすれば前後の勘弁もなくして,妄に兵備に銭を費し,借金のために自から国を倒すものなきに非ず。蓋し巨艦大砲は以て巨艦大砲の敵に敵すべくして,借金の敵には敵すべからざるなり。今日本にても武備を為すに,砲艦は勿論,小銃軍衣に至るまでも,百に九十九は外国の品を仰がざるはなし。或は我製造の術,未だ開けざるがためなりと云うと雖ども,その製造の術の未だ開けざるは,即ち国の文明の未だ具足せざる証拠なれば,その具足せざる有様の中に,独り兵備のみを具足せしめんとするも,事物の割合を失して実の用には適せざるべし。故に今の外国交際は兵力を足して以て維持すべきものに非ざるなり。

 右の如く,暗殺攘夷の論は固より歯牙に留るに足らず,尚一歩を進めて兵備の工夫も実用に適せず,又上に所記の国体論,耶蘇論,漢儒論も亦人心を維持するに足らず。然ば則ち之を如何んして可ならん。云く,目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。その目的とは何ぞや。内外の区別を明にして我本国の独立を保つことなり。而してこの独立を保つの法は文明の外に求むべからず。今の日本国人を文明に進るはこの国の独立を保たんがためのみ。故に,国の独立は目的なり,国民の文明はこの目的に達するの術なり。都て人間の事物に就て,その目的と,之に達するの術とを計れば,段々限あることなし。譬えば綿を紡ぐは糸を作るの術なり,糸を作るは木綿を織るの術なり,木綿は衣服を製するの術と為り,衣服は風寒を防ぐの術と為り,この幾段の諸術,相互に術と為り又相互に目的と為りて,その結局は人体の温度を保護して身を健康ならしむるの目的に達するが如し。我輩もこの一章の議論に於ては,結局自国の独立を目的に立てたるものなり。本書開巻の初に,事物の利害得失はそのためにする所を定めざれば談ずべからずと云いしも,蓋し是等の議論に施して参考すべし。

 人或は云わん,人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為すべからず,尚別に永遠高尚の極に眼を着すべしと。この言真に然り。人間智徳の極度に至ては,その期する所,固より高遠にして,一国独立等の細事に介々たるべからず。僅に他国の軽侮を免かるゝを見て,直に之を文明と名くべからざるは論を俟たずと雖ども,今の世界の有様に於て,国と国との交際には未だこの高遠の事を談ずべからず,若し之を談ずる者あれば之を迂闊空遠と云わざるを得ず。殊に目下日本の景況を察すれば,益事の急なるを覚え又他を顧るに遑あらず。先づ日本の国と日本の人民とを存してこそ,然る後に爰に文明の事をも語るべけれ。国なく人なければ之を我日本の文明と云うべからず。是即ち余輩が理論の域を狭くして,単に自国の独立を以て文明の目的と為すの議論を唱る由縁なり。故にこの議論は今の世界の有様を察して,今の日本のためを謀り,今の日本の急に応じて説き出したるものなれば,固より永遠微妙の奧蘊に非ず。学者遽に之を見て文明の本旨を誤解し,之を軽蔑視してその字義の面目を辱しむる勿れ。

 且又余輩に於て独立を以て目的に定むと雖ども,世人をして悉皆政談家と為し,朝夕之に従事せしめんことを願うに非ず。人各勤る所を異にせり,亦これを異にせざるべからず。或は高尚なる学に志して談天彫龍に耽り,随て窮め随て進み,之を楽て食を忘るゝ者もあらん。或は活[溌]なる営業に従事して日夜寸暇を得ず,東走西馳,家事を忘るゝ者もあらん。之を咎むべからざるのみならず,文明中の一大事業として之を称誉せざるべからず。唯願う所はその食を忘れ家事を忘るゝの際にも,国の独立如何に係る所の事に[逢]えば,忽ち之に感動して恰も蜂尾の刺[タイ]に触るゝが如く,心身共に穎敏ならんことを欲するのみ。

 或人云く,前説の如く唯自国の独立をのみ欲することならば,外国の交際を止るの便利に若くものなし。我国に外人の未だ来らざりし時代に在ては,国の有様は不文なりと雖ども,之を純然たる独立国と云わざるを得ず。されば今独立を以て目的と為さば古の鎖国に返るを上策とす。今日に至ればこそ独立の憂もあるべけれ,嘉永以前には人の知らざりしことなり。国を開て国の独立を憂るは,自から病を求めて自から之を憂るに異ならず。若し病の憂うべきを知らば,無病の時に返るに若かずと。

 余答て云く然らず,独立とは独立すべき勢力を指して云うことなり。偶然に独立したる形を見て云うに非ず,我日本に外人の未だ来らずして国の独立したるは,真にその勢力を有して独立したるに非ず。唯外人に触れざるが故に偶然に独立の体を為したるのみ。之を譬えば,未だ風雨に[逢]わざる家屋の如し,その果して風雨に堪ゆべきや否は,嘗て風雨に[逢]わざれば証すべからず。風雨の来ると否とは外の事なり,家屋の堅牢なると否とは内の事なり。風雨の来らざるを見て,家屋の堅牢なるを証すべからず。風なく雨なくして家屋の存するは勿論,如何なる大風大雨に[逢]うも屹立動かざるものこそ,真に堅牢なる家屋と云うべけれ。余輩の所謂自国の独立とは,我国民をして外国の交際に当らしめ,千磨百錬,遂にその勢力を落さずして,恰もこの大風雨に堪ゆべき家屋の如くならしめんとするの趣意なり。何ぞ自から退縮して古に復し,偶然の独立を僥倖して得意の色を為さんや。加之今の外国交際は,適宜にこれを処すれば我民心を振起するがために恰も的当したる刺衝と為るべきが故に,却て之に藉て大に我文明を利すべし。結局我輩の旨とする所は,進て独立の実を取るに在り。退てその虚名を守るが如きは敢て好まざる所なり。

 故に又前説に返て云わん。国の独立は目的なり,今の我文明はこの目的に達するの術なり。この今の字は特に意ありて用いたるものなれば,学者等閑に看過する勿れ。本書第三章には,文明は至大至洪にして人間万事皆これを目的とせざるなしとて,人類の当に達すべき文明の本旨を目的と為して論を立たることなれども,爰には余輩の地位を現今の日本に限りて,その議論も亦自から区域を狭くし,唯自国の独立を得せしむるものを目して,仮に文明の名を下だしたるのみ。故に今の我文明と云いしは文明の本旨には非ず,先ず事の初歩として自国の独立を謀り,その他は之を第二歩に遺して,他日為す所あらんとするの趣意なり。蓋し斯の如く議論を限るときは,国の独立は即ち文明なり。文明に非ざれば独立は保つべからず。独立と云うも文明と云うも,共に区別なきが如くなれども,独立の文字を用れば,事の想像に一層の限界を明にして,了解を易くするの便あり。唯文明とのみ云うときは,或は自国の独立と文明とに関係せずして,文明なるものあり。甚しきは自国の独立と文明とを害して,尚文明に似たるものあり。

 その一例を挙て云わんに,今我日本の諸港に西洋各国の船艦を泊し,陸上には洪大なる商館を建て,その有様は殆ど西洋諸国の港に異ならず,盛なりと云うべし。然るに事理に暗き愚人は,この盛なる有様を目撃して,今や五洲の人民,我国法の寛大なるを慕い,争て皇国に輻湊せざるはなし,我貿易の日に盛にして我文明の月に進むは,諸港の有様を一見して知るべしなどゝて,得色を為す者なきに非ず。大なる誤解ならずや。外国人は皇国に輻湊したるに非ず,その皇国の茶と絹糸とに輻湊したるなり。諸港の盛なるは文明の物に相違なしと雖ども,港の船は外国の船なり,陸の商館は外国人の住居なり,我独立文明には少しも関係するものに非ず。或は又無産の山師が外国人の元金を用いて国中に取引を広くし,その所得をば悉皆金主の利益に帰して商売繁昌の景気を示すものあり。或は外国に金を借用してその金を以て外国より物を買入れ,その物を国内に排列して文明の観を為すものあり。石室鉄橋,船艦銃砲の類,是れなり。我日本は文明の生国に非ずして,その寄留地と云うべきのみ。結局この商売の景気,この文明の観は,国の貧を招て永き年月の後には必ず自国の独立を害すべきものなり。蓋し余輩が爰に文明と云わずして独立の文字を用いたるも,是等の誤解を防がんとするの趣意のみ。

 斯の如く,結局の目的を自国の独立に定め,恰も今の人間万事を鎔解して一に帰せしめ,悉皆これを彼の目的に達するの術とするときは,その術の煩多なること際限あるべからず。制度なり学問なり,商売なり工業なり,一としてこの術に非ざるはなし。啻に制度学問等の類のみならず,或は鄙俗虚浮の事,盤楽遊嬉の物と雖ども,よくその内情を探てその帰する所の功能を察すれば,亦以て文明中の箇条に入るべきもの多し。故に人間生々の事物に就き,その利害得失を談ずるには,一々事の局処を見て容易に之を決すべからず。譬えば古より学者の議論甚だ多し。或は節倹質朴を主とする者あり,或は秀美精雅を好む者あり,専制独断を便利なりとする者あれば,磊落自由を主張する者あり,意見百出,西と云えば東と唱え,左より論ずれば右より駁し,殆どその極る所を知らず。甚しきは嘗て定りたる所見もなく,唯一身の地位に従て議論を作り,一身と議論とその出処栄枯を共にする者あり。尚これよりも甚しきは政府に依頼して身を掩うの地位と為し,区々の政権に藉て唯己が宿説を伸さんとし,その説の利害得失に至ては忘れたるが如き者あり。鄙劣も亦甚しと云うべし。

 是等の有様を形容すれば,的なきに射るが如く,裁判所なきに訴るが如し。孰れを是とし孰れを非とすべきや。唯是れ小児の戯のみ。試に見よ,天下の事物,その局処に就て論ずれば,一として是ならざるものなし,一として非ならざるものなし。節倹質朴は野蛮粗暴に似たれども,一人の身に就ては之を勧めざるべからず。秀美精雅は奢侈荒唐の如くなれども,全国人民の生計を謀れば日に秀美に進まんことを願わざるべからず。国体論の頑固なるは民権のために大に不便なるが如しと雖ども,今の政治の中心を定めて行政の順序を維持するがためには亦大に便利なり。民権興起の粗暴論は立君治国のために大に害あるが如くなれども,人民卑屈の旧悪習を一掃するの術に用れば亦甚だ便利なり。忠臣義士の論も耶蘇聖教の論も,儒者の論も仏者の論も,愚なりと云えば愚なり,智なりと云えば智なり,唯そのこれを施す所に従て,愚とも為るべく智とも為るべきのみ。加之彼の暗殺攘夷の輩と雖ども,唯その事業をこそ咎むべけれ,よくその人の心事を解剖して之を検査せば,必ず一片の報国心あること明に見るべし。

 されば本章の初に云える,君臣の義,先祖の由緒,上下の名分,本末の差別等の如きも,人間品行の中に於て貴ぶべき箇条にて,即ち文明の方便なれば,概して之を擯斥するの理なし。唯之方便を用いて世上に益を為すと否とは,その用法如何に在るのみ。凡そ人として国を売るの悪心を抱かざるより以上の者なれば,必ず国益を為すことを好まざる者なし。若し然らずして国害を為すことあらば,その罪は唯向う所の目的を知らずして偶然に犯したる罪なり。都て世の事物は諸の術を集めて功を成すものなれば,その術は勉めて多きを要し,又多からざるを得ず。唯千百の術を用るの際にその用法を誤ることなく,この術は果してこの目的に関係あるものか,若し関係あらば何れの路よりして之に達すべきものか,或は直に達すべきか,或は間に又別の術を置きこの術を経て後に達するものか,或は二の術あらば孰か重くして先なるべきか,孰か軽くして後なるべきかと,様々に工夫を運らして,結局その最後最上の大目的を忘れざること緊要なるのみ。猶彼の象棋を差す者が,千種万様の手はあれども,結局その目的は我王将を守て敵の王を詰るの一事に在るが如し。若し然らずして王より飛車を重んずる者あれば,之を下手象棋と云わざるを得ず。

 故に今この一章の眼目たる自国独立の四字を掲げて,内外の別を明にし,以て衆庶の由るべき道を示すことあらば,物の軽重も始て爰に量るべく,事の緩急も始て爰に定むべく,軽重緩急爰に明なれば,昨日怒りし事も今日は喜ぶべきものと為り,去年楽みし事も今年は憂うべきものと為り,得意は転じて心配と為り,楽国は変じて苦界と為り,怨敵も朋友と為り,他人も兄弟と為り,喜怒を共にし,憂楽を同うし,以て同一の目的に向うべきか。余輩の所見にて今の日本の人心を維持するには唯この一法あるのみ。

文明論之概略 巻之六 大尾

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp