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文明論之概略 巻之四 第八章 西洋文明の由来

이윤진이카루스 2011. 4. 9. 07:15

文明論之概略 巻之四

第八章 西洋文明の由来

 今の西洋の文明を記してその由来を詮索するはこの小冊子の能くする所に非ず。依て爰には仏蘭西の学士「ギゾ-」氏所著の文明史及び他の諸書を引て,その百分一の大意を記すこと左の如し。

 西洋の文明の他に異なる所は,人間の交際に於てその説一様ならず,諸説互に並立して互に和することなきの一事に在り。譬えば政治の権を主張するの説あり,宗教の権を専にするの論あり。或は立君と云い或は神政府と云い,或は貴族執権或は衆庶為政とて,各その赴く所に赴き各その主張する所を主張し,互に争うと雖ども互によく之を制するを得ず。一も勝つ者なく一も敗する者なし。勝敗久しく決せずして互に相対すれば,仮令い不平なりと雖ども共に同時に存在せざるを得ず。既に同時に存在するを得れば,仮令い敵対する者と雖ども,互にその情実を知て互にその為す所を許さヾるを得ず。我に全勝の勢を得ずして他の所為を許すの場合に至れば,各自家の説を張て文明の一局を働き,遂には合して一と為るべし。是即ち自主自由の生ずる由縁なり。 今の西洋の文明は羅馬滅亡の時を初とす。紀元三百年代の頃より羅馬帝国の権勢漸く衰微に赴き,四百年代に至て最も甚しく,野蛮の種族八方より侵入して又帝国の全権を保つべからず。この種族の内にて最も有力なる者を日耳曼の党と為す。「フランク」の種族も即ちこの党なり。この野蛮の諸族,帝国を蹂躙して羅馬数百年の旧物を一掃し,人間の交際に行わるゝ者は唯腕力のみ。無数の生蕃,群を為して侵掠強奪至らざる所なし。随て国を建る者あれば随て併合せらるゝ者あり。七百年代の末に「フランク」の酋長「チャ-レマン」なる者,今の仏蘭西,日耳曼,伊多里の地方を押領して一大帝国の基を立て,稍や欧羅巴の全州を一統せんとするの勢を成したれども,帝の死後は国又分裂して帰する所なし。この時に当ては,仏蘭西と云い日耳曼と云い,その国の名あれども,未だ国の体を成さず。人々各一個の腕力を逞うして一個の情欲を恣にするのみ。後世この時代を目して野蛮の世又は暗黒の世と称す。即ち羅馬の末より紀元九百年代に至るまで凡そ七百年の間なり。 この野蛮暗黒の時代に在て耶蘇の寺院は自からその体を全うして存するを得たり。羅馬廃滅の後は寺院も共に滅すべきに似たれども決して然らず。寺院は野蛮の内に雑居して啻に存在するのみならず,却てこの野蛮の民を化して己が宗教の内に籠絡せんことを勉強せり。その胆略も亦大なりと云うべし。蓋し無智の野蛮を導くには高尚の理を以てすべからず。乃ち盛に儀式を設け外形の虚飾を以て人の耳目を眩惑し,曖昧の際に漸くその信心を発起せしむるに至れり。後世より之を論ずれば妄誕を以て人民を蠱惑するの謗を免かれ難しと雖ども,この無政無法の世に苟も天理人道の貴きを知る者は唯耶蘇の宗教あるのみ。若しこの時代にこの教なからしめなば,欧羅巴の全州は一場の禽獣世界なるべし。されば耶蘇教の功徳もこの時代に於て小なりと云うべからず。その権力を得るも亦偶然に非ず。概して云えば肉体を制するの事は世俗の腕力に属し,精神を制するの事は寺院の権に帰し,俗権と教権と相対立する者の如し。加之寺院の僧侶が俗事に関係して市在民間の公務を司るは羅馬の時代より行わるゝ習慣なれば,この時に至るまでもその権を失わず。後世の議院に僧侶の出席するも,その因縁は遠く上世に在て存するものなり。(寺院権あり)

 初め羅馬の国を建るや幾多の市邑合衆したる者なり。羅馬の管轄,処として市邑ならざるはなし。この衆市邑の内には各自個の成法ありて,自から一市一邑の処置を施して羅馬帝の命に服し,集めて以て一帝国を成したりしが,帝国廃滅の後も市民会議の風は依然として之を存し,以て後世文明の元素と為れり。(民庶為政の元素)

 羅馬の帝国滅亡したりと雖ども,在昔数百年の間この国を呼で帝国と称し,その君主を尊で帝と名け,その名称は人民の肺肝に銘して忘るべからず。既に皇帝陛下の名を忘れざれば専制独裁の考もこの名と共に存せざるを得ず。後世立君の説もその源は蓋し爰に在るなり。(立君の元素) この時代に在て天下に横行する野蛮の種族なる者は,古書に載する所を見て明にその気風性質を詳にし難しと雖ども,当時の事情を推察して之を按ずるに,豪気慓悍にして人情を知らず,その無識暗愚なること殆ど禽獣に近き者の如し。然りと雖ども今一歩を進めて,その内情に就き細に砕て之を吟味すれば,この暗愚慓悍の内に自から豪邁慷慨の気を存して不覊独立の風あり。蓋しこの気風は人類の本心より来りしものにて,即ち自から認めて独一個の男子と思い,自から愉快を覚るの心なり,大丈夫の志なり,心志の発生留めんとして留むべからざるの勇気なり。在昔羅馬の時代にも自由の説なきに非ず,耶蘇教の党にもこの説を主張する者なきに非ざれども,その自由自主と唱るものは一種一族の自由にて,一身の自由を唱る者あるを聞かず。一個の不覊独立を主張して一個の志を逞うせんとするの気風は,日耳曼の生蕃に於て始てその元素あるを見たり。後世欧羅巴の文明に於て,一種無二の金玉として今日に至るまでも貴重する所の自由独立の気風は,之を日耳曼の賜と云わざるを得ず。(自由独立の気風は日耳曼の野蛮に胚胎せり)

 野蛮暗黒の時代漸く終て周流横行の人民もその居を定め,是に於てか封建割拠の勢に移りたり。この勢は九百年代に始り千五,六百年の時に至て廃滅したるものなり。この時代を「フヒ*ユ-ダル・システム」の世と称す。封建の時代には,仏蘭西と云い西班牙と云い,各その国の名を存して各国の君主なきに非ざれども,君主は唯虚位を擁するのみ。国内の武人諸方に割拠して一の部落を成し,山に拠て城を築き,城の下に部下を集め,下民を奴視して自から貴族と称し,現に独立の体裁を備えて憚る所なく,武力を以て互に攻伐するのみ。暗黒の時代に在ては,世の自由なるもの一身一己の上に行われたりと雖ども,封建の世に至ては大にその趣を異にし,自由の権は土地人民の主たる貴族一人の身に属し,之を制するに一般の国法なく,之を間然するに人民の議論もなく,一城の内に在ては至尊の君と云わざるを得ず,唯その専制を妨るものは敵国外患に非ざれば自力の不足のみ。欧羅巴の各国大概この風を成して,国中の人皆貴族あるを知て国王あるを知らず。彼の仏蘭西,西班牙の如きも,未だ仏国,西国と称すべき国体を成さヾるなり。(封建割拠) 右の如く封建の貴族独り権を専らにするに似たれども,決してこの独権を以て欧羅巴全洲の形勢を支配するに非ず。宗教は既に野蛮の人心を籠絡してその信仰を取り,紀元千百年より二百年代に至ては最も強盛を極めり。蓋しその権を得たる由縁を尋れば亦決して偶然に非ず。抑も人類生々の有様を見るに,世体の沿革に従て或は一時の栄光を燿かすべし,力あれば以て百万の敵を殲すべし,才あれば以て天下の富を保つべし,人間万事才力に由て意の如くなるべきに似たりと雖ども,独り死生幽冥の理に至ては一の解すべからざるものあり。この幽冥の理に[逢]うときは,「チャ-レマン」の英武と雖ども,秦皇の猛威と雖ども,秋毫の力を用るに由なく,悽然として胆を落し,富貴浮雲,人生朝露の歎を為さヾるを得ず。人心の最も弱き部分は正にこの処に在るものにて,防戦を以て云えば備を設けざる要害の如く,人身にて云えば穎敏なる,きうしよの如くにして,一度び之を犯さるれば忽ち避易し,我微弱を示さヾる者なし。

 宗教の本分はこの幽冥の理を説き造化の微妙を明にするものと称して,敢て人の疑惑に答うるものなれば,苟も生を有する人類に於て誰か之に心を奪われざる者あらんや。加之当時の人文未だ開けず,粗忽軽信の世の中なれば,虚誕妄説と雖ども嘗て之を怪む者なく,天下靡然として宗旨信仰の風を成し,一心一向に教の旨を信ぜしむるのみにて更に私の議論を許さず,その専制抑圧の趣は王侯の暴政を以て下民を窘るに異ならず。当時の事情を概して評すれば,人民は恰もその身を両断して精神と肉体との二部に分ち,肉体の運動は王侯俗権の制御を受け,精神の働は羅馬宗教の命令に従う者の如し。俗権は身体有形の世界を支配するものなり。宗教は精神無形の世界を支配するものなり。 宗教は既に精神の世界を支配して人心を奪い,王侯の俗権に対立すと雖ども,尚これに満足せずして云く,精神と肉体と孰か貴重なるや,肉体は末なり又外なり,精神は本なり又内なり,我は既にその本を制して内を支配せり,奈何ぞその外と末とを捨るの理あらん,必ずしも之を我範囲の内に籠絡せざるべからずとて,漸く王侯の地位を犯し,或はその国を奪い或はその位を剥ぎ,羅馬の法皇は恰も天上地下の独尊なるが如し。日耳曼の皇帝第四「ヘヌリ」が法皇「グレゴリ」の逆鱗に[逢]い,厳冬風雪の中に徒跣して羅馬の城門に立つこと三日三夜,泣て法皇に哀を乞いしと云うもこの時代の事なり。(宗教の権力大に盛なり) 野蛮の横行漸く鎮定して割拠の勢を成し,既に城を築き家を建てゝその居に安んずるに至れば,唯飢寒を免かるゝを以て之に満足すべからず,漸く人に風韻を生じて,衣は軽暖を欲し食は美味を好み,百般の需要一時に起て又旧時の粗野を甘ずる者なし。既にその需あれば随て又これを供するものなかるべからず。是に於てか始て少しく商工の路を開き,諸処に市邑の体を成して,或はその市民の内に富を致す者もあり。即ち羅馬の後,市邑の再興したるものなり。蓋しこの市民の相集て群を成すや,その初に於ては決して有力なるものに非ず。野蛮の武人昔年の有様を回顧して乱暴掠奪の愉快を忘るゝこと能わずと雖ども,時勢既に定れば遠く出るに由なく,その近傍に在て掠奪を恣にすべき相手は唯一種の市民あるのみ。市民の目を以て封建の貴族武人を見れば,物を売るときは客の如く,物を奪わるゝときは強盜の如くなるが故に,商売を以て之に交ると雖ども,兼て又その乱暴を防ぐの備を為さヾるべからず。乃ち市邑の周囲に城郭を築き,城中の住民は互に相助て外敵を防ぎ,以て利害を共にするの趣向にて,大会のときには鐘を鳴らして住民を集め,互に異心なきを誓うて信を表し,この会同のときに於て衆庶の内より人物数名を撰び,城中の頭取と為して攻防の政を司らしむるの風なり。この頭取なる者,既に撰挙に当て権を執るときは,その専制,意の如くならざるはなし。殆ど立君特裁の体なれども,唯市民の権を以て更に他人を撰挙して之に代らしむるの定限あり。 斯の如く市民の群を成して独立するものを「フリイ・シチ」と名け,或は帝王の命を拒み或は貴族の兵と戦い,争乱殆ど虚日あることなし。【(この部分二段組み)「フリイ・シチ」は自由なる市邑の義にてその人民は即ち独立の市民なり】紀元一千年の頃より欧羅巴の諸国に自由の市都を立るもの多く,その有名なるものは伊太里の「ミラン」「ロンバルヂ」,日耳曼にては「ハンセチック・リ-ギュ」とて,千二百年代の初より「リュベッキ」及び「ハンボルフ」等の市民相集て公会を結び,その勢力漸く盛にして一時は八十五邑の連合を為して王侯貴族も之を制すること能わず,更に条約を結でその自立を認め,各市邑に城郭を築き兵備を置き法律を設け政令を行うことを許して,恰も独立国の体裁を成すに至れり。(民政の元素) 以上所記の如く,紀元三,四百年の頃より,寺院なり,立君なり,貴族なり,民庶なり,何れも皆その体を成して各多少の権力を有し,恰も人間の交際に必用なる諸件は具わりたれども,未だ之を合して一と為し,一国を造り一政府を建るの時節に至らずして,人民の争う所,各局処に止まり,未だ全体なるものを知らざるなり。

 紀元千零九十六年十字軍の事あり。この軍は欧羅巴の人民,宗教のために力を合して小亜細亜の地を征伐し,全欧羅巴洲を味方と為して亜細亜に敵したることにて,人民の心に始て欧亜内外の区別を想像してその方向を一にし,且欧洲各国に於ても亦一国全体の大事件なれば,全国人民の向う所を同うし,全国の利害を以て心に関するに至れり。故に十字軍の一挙は欧羅巴の人民をして欧羅巴あるを知らしめ,各国の人民をして各国あるを知らしめたるものと云うべし。この軍は千九十六年より始り,随て止み随て起り,前後の征伐八度にして,その全く終たるは千二百七十年のことなり。 十字軍の事は元と宗教の熱心より起たることなれども,二百年の久きを経てその功を奏せず。人の心に於て之を厭わざるを得ず。各国君主の身に於ても,宗教の権を争うは政治の権を争うの重大なるに若かず。亜細亜に行て土地を押領するは,欧羅巴に居て国境を開くの便利に若かざるを知り,又軍事に従わんとする者なし。人民も亦漸くその所見を大にし,自国に勧工の企つべきものあるを悟りて遠征を好まず,征伐の熱心も曖昧の間に消散して事終に罷み,その成行は笑うべきに似たれども,当時欧洲の野人が東方文明の有様を目撃して之を自国に移し,以て自から事物の進歩を助け,又一方には東西相対して内外の別を知り,以て自から国体を定めたるは,この十字軍の結果と称すべし。(十字軍功を奏すること大なり) 封建の時代に在ては各国の君主は唯虚位を擁するのみと雖ども,固より平心なるを得べからず。又一方には国内の人民も次第に知見を開て,永く貴族の覊絆に罹るを慊とせず。是に於てか又世上に一種の変動を生じて貴族を圧制するの端を開きたり。その一例を挙て云えば,千四百年代の末に仏蘭西王第十一世「ロイス」が貴族を倒して王室の権を復したるが如き是なり。後世よりこの君の事業を論ずれば,その欺詐狡猾,賤しむべきに似たれども,亦大に然らざるものあり。蓋し時勢の変革,これを察せざるべからず。昔日は世間を制するに唯武力のみありしもの,今日に至ては之に代るに智力を以てし,腕力に代るに狡猾を以てし,暴威に代るに欺計を以てし,或は諭し或は誘い,巧に策略を運らしたる趣を見れば,仮令いこの人物の心事は鄙劣なるも,その期する所は稍や遠大にして,武を軽んじ文を重んずるの風ありと云わざるを得ず。

 この時代に在て王室に権を集るの事は,仏蘭西のみならず英国,日耳曼,西班牙の諸国に於ても亦皆然り。その国君の之を勉るは固より論を俟たず。人民も亦王室の権に藉てその讐敵なる貴族を滅さんとし,上下相投じてその中を倒すの風と為り,全国の政令漸く一途に帰して稍や政府の体裁を成すに至れり。又この時代には火器の用法漸く世に弘まり,弓馬の道次第に廃棄して,天下に匹夫の勇を恐るゝ者なし。又同時に文字を版にするの術を発明して,恰も人間世界に新に達意の街道を開たるが如く,人智頓に発生して事物の軽重を異にし,智力,地位を占て,腕力,道を避け,封建の武人は日に権威を落してその依る処を失い,上下の中間に在て孤立するものゝ如し。概してこの時の形勢を評すれば,国の権力漸く中心の一政府に集まらんとするの勢に赴きたるものと云うべし。(国勢合一) 寺院は既に久しく特権を恣にして憚る所なく,その形状恰も旧政府の尚存して倒れざるものゝ如く,内部の有様は敗壊し了したれども,只管旧物を墨守して変通を知らず,顧て世上を見れば人智日に進で又昔日の粗忽軽信のみに非ず,字を知るのことは独り僧侶の壟断に属せず,俗人と雖ども亦書を読む者あり。既に書を読み理を求るの法を知れば,事物に就て疑なきを得ず。然るにこの疑の一字は正に寺院の禁句にて,その勢両ながら相容るべからず。是に於てか世に宗教変革の大事件を生じたり。千五百二十年,有名なる改宗の首唱「ル-ザ」氏,始て羅馬の法皇に叛して新説を唱え,天下の人心を動かしてその勢殆ど当るべからず。然りと雖ども羅馬も亦病める獅子の如く,生力は衰弱すと雖ども獅子は則ち獅子なり。旧教は獅子の如く,新教は虎の如く,その勝敗容易に決すべからず。欧洲各国これがために人を殺したること殆んどその数を知らず。遂に「プロテスタント」の一宗派を開き,新旧共にその地位を失わずして「ル-ザ」の尽力もその功空しからずと雖ども,殺人の禍を計ればこの新教の価は廉なりと云うべからず。されどもその廉不廉は姑く擱き,結局この宗旨論の眼目を尋れば,双方共に教の正邪を主張するには非ずして,唯人心の自由を許すと許さヾるとを争うものなり。耶蘇の宗教を是非するには非ずして,羅馬の政権を争うの趣意なり。故にこの争論は人民自由の気風を外に表したるものにて,文明進歩の徴候と云うべし。(宗教の改革文明の徴候) 千四百年代の末より,欧洲各国に於てその国力漸く一政府に集り,その初に在ては人民皆王室を慕うのみにて,自から政治に関するの権あるを知らず。国王も亦貴族を倒さんとするには衆庶の力に依頼せざるを得ず。一時の便宜のために恰も国王と人民と党与を結て互にその利する所を利し,自から人民の地位を高上に引揚げ,或は政府より許して故さらに人民へ権力を附与したることもあり。この成行に沿い,千五,六百年の際に至ては,封建の貴族も次第に跡を絶ち,宗旨の争論も未だ平治せずと雖ども稍やその方向を定め,国の形勢は唯人民と政府との二に帰したるが如し。然りと雖ども権を専にせんとするは有権者の通癖にして,各国の君主もこの癖を脱すること能わず。是に於てか人民と王室との間に争端を開き,この事の魁を為したるものは即ち英吉利なり。

 この時代に在ては王室の威権盛大ならざるに非ずと雖ども,人民も亦商売工業を勉めて家産を積み,或は貴族の土地を買て地主たるものも少なからず。既に家財地面を有して業を勉め,内外の商売を専にして国用の主人たれば,又坐して王室の専制を傍観すること能わず。昔年は羅馬に敵して宗旨の改革あり。今日は王室に敵して政治の改革あらんとするの勢に至り,その事柄は教と俗との別あれども,自主自由の気風を外に洩して文明の徴候たるは同一なり。蓋し往古に行われたる「フリ-・シチ」の元素も爰に至て漸く発生したるものならん。千六百二十五年,第一世「チャ-レス」の位に即きし後は,民権の説に兼て又宗教の争も喧しく,或は議院を開き或は之を閉じ,物論蜂起,遂に千六百四十九年に至て国王の位を廃し,一時共和政の体をなしたれども永続すること能わず,爾後様々の国乱を経て,千六百八十八年,第三世「ヰルレム」が王位に登りしより,始て大に政府の方向を改め,自由寛大の趣意に従て君民同治の政体を定め,以て今日に伝えり。 仏蘭西に於ては千六百年の初,第十三世「ロイス」の時に,宰相「リセリウ」の力を以て益王室の権威を燿かし,千六百四十三年,第十四世「ロイス」が王位を継たるときは,年甫て五歳にして未だ国事を知らず,加之内外多事の時なれども国力を落すに至らず,王の年長ずるに及て天資英邁,よく祖先の遺業を承て国内を威服したるのみならず,[屡]外国と兵を交えて戦て勝たざるはなし。在位七十二年の間,王威赫奕の極に達し,仏蘭西にて王室の盛なるは特にこの時代を以て最と称す。然れどもその末年に及ては,兵威稍や振わず,政綱漸く弛み,隠然として王室零落の萌を見るが如し。蓋し第十四世「ロイス」の老したるは,唯その人の老したるのみに非ず,欧洲一般に恰も王権の老衰したるものと云うべし。第十五世「ロイス」の世は,益政府の醜悪を極めて殆ど無政無法の極に陥り,之を昔年の有様に比すれば,仏蘭西は恰も前後二箇の国あるが如し。

 然りと雖ども,又一方より国の文明如何を尋れば,政治廃壊のこの際に当て,文物の盛なること前代無比と称すべし。千六百年の間にも学者の議論に自由の思想なきに非ざれども,その所見或は狭隘なるを免かれざりしもの,七百年代に至ては更にその面目を改め,宗旨の教なり,政治の学なり,理論なり,窮理なり,その研究する所に際限あることなく,之を究め之を疑い,之を糺し之を試み,心思豁然としてその向う所を妨るものなきが如し。概してこの時の事情を論ずれば,王室の政治は不流停滞の際に腐敗を致し,人民の智力は進歩快活のために生気を増し,王室と人民との間に必ず激動なかるべからざるの勢と云うべし。即ち千七百年代の末に仏蘭西の大騒乱は,この激動の事実に見われたるものなり。但しその事の破裂するや,英吉利にては千六百年代の央に於てし,仏蘭西にては千七百年の末に於てし,前後百余年の差あれども,事の源因とその結果と相互に照応するの趣は,正しく同一の轍を践むものと云うべし。

 右は西洋文明の大略なり。その詳なるは世上に文明史の訳書あり,就て見るべし。学者よくその書の全体に眼を着し,反覆熟読して前後を参考することあらば,必ず大に所得あるべし。

 

 文明論之概略 巻之四 終

文明論之概略 巻之五 第九章 日本文明の由来

『福澤諭吉著作集 第4巻 文明論之概略』(慶應義塾大学出版会,2002)に基づく。
更新:2007-12-31 作成:上田修一ueda@flet.keio.ac.jp